第2話 努力を踏みにじる婚約破棄 2

 アリシアの実家であるダナン侯爵家は、国内随一の力を有する貴族である。


 降嫁した王妹がアリシアの曾祖母であるなど王家との繋がりもあるし、政治的な力も強い。


 豊かな領地を所有し、商売も上手くいっているなど経済面でも恵まれていた。


 ダナン侯爵家のひとり娘であるアリシアと、王太子の結婚は政略的なものである。


 アリシアも理解はしていたが、ペドロを愛してもいた。


 愛を返してくれないとしても、婚約には政略的な意味がある。


 ダナン侯爵家が力を失わない限り、結婚は確実だ。


 そう思っていたアリシアにとって、ペドロの婚約破棄発言は青天の霹靂であった。


 想いは今でも変わらない。


 愛する相手から傷付けられ捨てられようとしている事実は正直ショックだ。


 しかしアリシアは侯爵令嬢であり、貴族の一員である。


 ペドロの事が好きでも嫌いでも関係なく、一度結んだ婚約を破棄することなど易々と受け入れてはいけないことも理解していた。


「……わたくしは……」


 アリシアは戦わなければいけないのだ。


「わたくしはダナン侯爵家の娘であり、アナタの婚約者ですわ。ペドロ王太子殿下!」


「はんっ!」


 ペドロが壇上から金の瞳でアリシアを冷たく見る。


 普段は魅惑的にしか見えない長い睫毛に縁取られた金の目が、鋭利な刃物のように感じる。


 戦おうとした端から気持ちが削がれ、視線に耐えられずにアリシアは俯いた。


 それなのにアリシアの婚約者は、彼女をさらに追い詰めるように残酷な宣言をするのだ。


「お前をミラ・カリアス男爵令嬢への嫌がらせにより断罪するっ! アリシア・ダナン侯爵令嬢!」


「そんな! わたくしは、嫌がらせなど……」


 アリシアには全く心当たりがない。


「えーい、見苦しいっ! アリシア! お前は身分や美貌を鼻にかけ、他者への配慮に欠けるのだっ!」


「そんな……」


 アリシアにとっては言いがかり以外のなにものでもないのだが、ペドロにとっては動かない真実のようだ。

 

「よって、アリシア・ダナン侯爵令嬢。お前は私の婚約者であったが、それも今日までだ。婚約は破棄するっ!」


「嫌よっ!」


 自分でも驚くような声が出たアリシアが跳ねるように視線を上げれば、いつからそこに居たのかペドロの横にはピンク色の髪と赤い瞳を持った令嬢の姿があった。


「ふふふ。アリシアさまともあろうお方が、はしたない声をお上げになって。貴族令嬢らしくありませんわよ」


「ミラ・カリアス男爵令嬢……」


 ピンク色の髪を高く結い上げた彼女がまとっているのは赤いドレス。王太子ペドロの赤い髪の色。


 そしてドレスの飾りに使われている金の装飾は、キラキラと輝く金の台座に宝石が散りばめられた見事なものだった。


 喉元から太く大きく広がるネックレスには枝のように金の台座が繋がっていて、体に寄り添うように流れ落ちる。


 金の上に付けられた宝石がシャンデリアの光を受けてキラキラと輝く。


 散りばめられているのは黄色のトパーズや透明なダイヤモンド、真っ赤なルビー。


 滑らかな絹のドレスにはふんわりとしたチュールレースが幾重にも重ねられていて彼女の美しさを引き立てていた。


「おお、ミラ。来たのか」


「はい、殿下。私は、いつも貴方様のお側におりますわ」


 結い上げた部分から意図的に零れ落ちているピンク色の髪がふわふわと揺れる。


 確かに赤い瞳の令嬢は、いつも王太子殿下の隣にいた。


『男爵令嬢が王太子殿下にまとわりつくなんて』

『身の程知らずにも程がありますわ』

『気になさらないでアリシアさま』

『王妃に相応しいのはアリシアさまですわ』


(わたくしの周囲にいる人たちは、そう言って慰めてくれていたけれど……)


 いま目前にいるアリシアの愛しい人は、別の令嬢を愛しげに見つめ抱き寄せている。


(このタイミングで婚約破棄を告げたということは、一緒にダンスする相手は……)


 卒業式典のクライマックスには舞踏会が用意されている。


 生徒会主催のイベントとはいえ、このダンスだけは特別だ。


 一生に一度の輝く時、その時にアリシアの隣に立つのは婚約者である王太子殿下であったはずなのに。


(本気、なのですね? ペドロさま)


 アリシアは足元がグラリと揺れた気がした。

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