22. 相談の内容

「なんですか?」

「来年度は、わたしと神凪かんなぎ先生の研究指導が週2回ずつで、あとひとつ授業を取ることになるじゃない?」

「そうですね。単位が足りていても、授業をひとつ取ることになってますね」


 うちの大学では、修士課程の2年生は、研究指導だけではなく、春学期にひとつ授業を取らなければならない。


「知っていると思うけど、うちの研究科の教員は、大学院生のために授業を開きたくないっていうひとが多くて、なにかと理由をつけて断るでしょ? そうじゃない人もいるけど、鱗雲うろこぐもくんの研究にかせる内容の授業となると、ロベール先生とか、ボアティング先生じゃないだろうし……それで、桐生院きりゅういん先生に相談したら、自分はウェルカムだとおっしゃってくださって。もし鱗雲くんがよければ、桐生院先生の『特殊講義1-e』を取るのがいいかなって思うの」


「桐生院先生は……青風先輩の副査の方でしたよね?」


「そうそう。歴史学を専門とされている先生。とくに、グローバル・ヒストリーを研究されているから、鱗雲くんが研究の対象としている国を俯瞰ふかんして見ることができると思う。もちろん、鱗雲くんの意志を尊重するけど」


 琥珀紋学院大学の授業時間は、学部・大学院ともに1コマあたり90分だ。授業の準備や出席管理やレポート課題のチェックなどのため、ひとつの授業に対してかなりの労力がかかる。そのため、大学院生のために授業を開きたいと、前向きな姿勢を示してくれる先生は少ない。


 うちの大学院では、授業を開講してほしいという「お願い」をするところから履修登録がはじまる。しかしなにかと理由をつけて断られたり、大学院生を学部生の授業に参加させる形の折衷案を出されたりする。


 必要な単位を取得するために、胡桃ことう先生や神凪先生には、たくさん相談に乗ってもらった。今回も、あらかじめ根回しをしてくれているらしい。


「ありがとうございます。桐生院先生にお話をうかがってこようと思います。ほんとうに助かります。毎回、お世話になってしまって……」

「気にしないで。うちの大学は、ほんとうなら苦労しなくてすむところで苦労しなくちゃいけないから、たいへんだしね」


 それから課題の確認は続き、その後、来年度からのゼミの具体的な内容についての話に移った。洋書を一冊、丁寧に読みながら、毎月最後の授業で、それまでに執筆した修論のチェックをするという形を採ることになった。


 チャイムが鳴り授業が終わると、先生は「またね」と手を振って去っていった。


     *     *     *


 午後から印刷会社の方との打ち合わせがあるため、急いで院生研究室に戻ると、ロベール先生がいまにもドアをノックしようとしているところだった。

 先生はぼくを見つけると、いつものようにニコッとほほえんで、「だれもいませんか?」と聞いてきた。


「おそらく今日は、青風先輩は来られていないでしょうし……どうなされました?」

「だれかが、処分したい本とかを押しつけにきてたら、たいへんだろうなって、様子を見にきたのだけれど、大丈夫?」

「ええ、いまのところ、どなたもお見えになっていません。ありがとうございます、お気にかけてくださって」

「ええの、ええの」

「ええの……?」

 なんで、急に関西弁を?

「あっ、ごめんなさい! 漫才ワンを見た影響です!」


 漫才ワン――「漫才ワングランプリ」と呼ばれる、年末開催の大規模な漫才コンテストの通称……だった気がする。

 そしてロベール先生は、生粋のお笑いファンなのだ。漫才だけではなく、コント、ピン芸にも詳しいと聞いている。


「ええの、ええの、ネクスト、ネクスト……というツッコミワードがあって、それがわたしのなかでマイブームなんです!」


 おそらく、何度も口ずさんだフレーズなのだろう。日々使っている言葉が、別のものに置きかわってしまうという経験は、ぼくにもある。好きな作家の小説で使われている語彙ごいが、会話のなかでさりげなく入ったりと。


「ともかく! ひとまずよかったです。湖畔こはんが言ってくれても、ルールを守ってくれないひとは、いないとは限らないですからね」

 いつも元気なロベール先生。その明るい口調には、とびきりの優しさがこもっている。


「どうです? 冬休みは、ゆっくりと休むことができましたか?」

 冬休み――美月みづきとのデート(?)と、芭蕉ばしょう先輩との初詣のことが思いだされる。

「来年のいまごろには、修論を提出しなければいけないですし、そのために課題をしていました。進み具合がいいかというと、難しいですが……」


 ――「でも、休めるときに休めました」と言おうとしたのだが、ロベール先生はそれをさえぎり、ぼくの両肩に、手をポンッと置いた。


「安心してください。そういう風に思えるってことは、ちゃんとしているってことです。いまから、あまり気負わなくていいですよ。わたしも、できるかぎりサポートをするので、ひとりで悩んだりせずに、いろんなひとに相談して、納得のできる論文を書いていきましょう!」


 ロベール先生は、「安心してください!」と、もう一度力強く言ってくれた。そして、「またなにかあったら連絡してくださいね」と言い残して、階段の方へと去っていった。


 胸の中がどんどん温かくなるのを感じながら、院生研究室の暗証番号をプッシュして、ドアを押し開いた。

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