人生に絶望している女子小学生を救ったら「大人になったらお金持ちになって私がお兄さんを養います」と言ってきた。１０年後、会社を立ち上げて金持ちになった彼女が本当に迎えに来た

後編

　そして、１０年が経過した。

「はあー、つかれたー」

　夜。

　ため息をつきながら、俺は会社からの帰り道を歩いていた。

　俺がブラック企業を辞めてから１０年。

　一人の小学生のいじめを止めてから１０年。

　俺は３４歳になっていた。

　かつてお兄さんと呼ばれていたのも今は昔。

　今では立派なおじさんだ。

　この１０年の間、いろんなことがあった。

　実家に戻った俺はいくつか派遣の仕事についた後、ようやく今の会社に就職することができた。

　今の会社はそれなりに忙しいが、ブラック企業ではない。

　残業は１２時を超えることはない。

　あってもせいぜい１０時とかそれくらいだ。

　休日出勤はあまりなく、きちんと有給もある。

　給料は多いとは言えないが、独身の男が一人で暮らせるには問題ない程度にはある。

　悪い職場ではない。

「でも、これじゃ結婚できそうにもないな」

　独身として暮らしていくには問題ないが、結婚は無理そうだ。

　子供を養えるほどの稼ぎはないし、結婚相手を探すほどの暇はない。

「結婚。したいと思っていたんだけどな」

　しょうがないか、と諦める。

「確か結婚と言えば、昔約束したことがあったな」

　隣に住んでいた小学生の女の子。

　彼女のいじめを止めたあと、大人になったら金持ちになって俺のことを迎えに来てくれると言っていた。

　もちろん本気にしてはいない。

　しょせんは子供の言うことだ。

「はは。ほんとにお金持ちになったなら、迎えに来て欲しいね」

　俺は一人呟き、なんだか切ない気持ちになった。

　そうして今住んでいるアパートにたどり着いたとき。

　部屋の前に女性が立っているのが見えた。

　その女性は俺の部屋のドアの前に立っている。

　若い女性だ。見たところ、２０代前半といったところか。

　モデルか、女優としても通用しそうなほどのかなりの美人だ。

　いったい誰だ？

　見たことのない人だった。

　なんで知らない美人が俺の部屋の前にいるんだ。

　誰か別の人に会いに来たけど部屋を間違えているのか、それとも俺の部屋のベランダに物でも落としたのか。

「すみません」

　部屋の前にいた女性が話しかけてきた。　

　そして俺の顔を見ると、パアッと花が咲くような笑顔を見せた。

　可愛い。

　素直にそう思った。

「遠藤幸人さんですよね？」

「え、ええ。そうですけど」

「よかった！　ちゃんと合ってた！」

　女性は「えへへへ」と笑いながら喜んでいる。

　可愛い。

　俺の名前を呼んだあたり、別の人間と間違えた説はないらしい。

　じゃあ物を落とした方か。

「上の階の人ですか？　ベランダに物を落としたんですか？」

「？　いえ、違いますけど。ここのアパートに住んでいるわけじゃありません」

　俺の考えを彼女は否定する。

「私は貴方に逢いに来たんですよ」

　美人さんは告げる。

　どうやら物を落とした説もなしか。

　ていうか、え？

　俺に会いに来たの？

　会いに来たと言われても、彼女が誰なのか知らないんだけど。

「えーと。いったい誰ですか？」

「え？　私ですよ私」

　ほら、と言いながら自分を指さす。

　いや誰だよ。

　私だけじゃわからないよ。

　有名人なの？　

「もしかして忘れちゃってるんですか？　私はずっと覚えていたのに」

「すみません。ほんとに誰ですか？　どこかで会いましたか？」

　こんな美人なら、一度会ったらそう簡単には忘れないはずなんだけどな。

「完全に忘れてるんですね。まあいいですけど」

　不満げに頬を膨らませる美人さん。

「私の名前は岡野留美です」

　岡野？

　留美……？

　って、ああ！

「え！？　岡野留美って。あのときの隣の部屋に住んでいた小学生の！？」

　思い出した。

　確か昔隣に住んでいて、いじめの解決のために手を貸したのが、岡野留美ちゃんだった。

「はい。そうです。１０年前に貴方に救っていただいた小学生ですよ、お兄さん」

「お兄さんって、そんな歳じゃ……。あ、あのときそう呼ばれていたか」

　懐かしい呼ばれ方だ。

　いまじゃもうお兄さんなんてめったに呼ばれないからな。

「久しぶりだね、留美ちゃん。大きくなったもんだ。それで、今日は何の用なの？」

「用？　そんなの一つしかありませんよ」

　留美ちゃんは笑顔になって告げる。

「お金持ちになったので、約束通り迎えに来ました」

　俺は留美ちゃんをアパートの自分の部屋にあげていた。

　いきなり現れた人を部屋にあげるなど不用心と思われるかもしれないだろう。

　美人局という可能性もあるが、それならもっとマシな嘘を言うだろう。

　わざわざ１０年前に行った小学生との約束を使うようなことはしない。

　それに、免許やパスポートも見せてもらって確認している。

　なんでパスポートを持っているのかと思ったら、疑われることを見越して持ってきたとか。

「迎えに来たって言ってたけど、あれはどういうこと？」

「そのままの意味です。約束したじゃないですか。お金持ちになってお兄さんを養うって」

　お金持ちになって養う。

　そう、確かにそれは言われていた。

　別れ際にそのようなことを話したのだ。

「お金持ちになったの？　だいぶ若いけどどうやって」

　確か俺の記憶では、彼女は十年前に小学六年生だったはずだ。

　ということは今は２２歳だ。

　お金持ちになるには、かなり若い。

「変なことはしてませんよ？　学生の間に起業して、それが成功したんです」

「起業したのか。すごいな」

「褒めてくれてありがとうございます。昔は一流企業に就職する予定だったんですけど、在学中に気づいたんです。学生のうちに起業して社長になれば、普通に会社に入るよりも早くお金を稼げるって。そうすれば、より早くお兄さんを迎えに行けますよね」

　聞けば、彼女は現在大学生ではあるが、同時に社長でもあるという。

　大学一年生の時に起業したらしい。

「迎えに行く……。そういえばよく俺の居場所がわかったね」

　前に住んでいたところは引っ越しちゃったし、共通の知り合いがいるわけでもない。

　彼女が俺の居場所を知ることは難しいと思うのだが

「それはですね。お兄さんのお父様に聞いたんですよ」

「親父から？」

「はい。少し前に仕事の関係でお父様と知り合ったので、お兄さんの連絡先や住所を聞きました」

　思わぬところに共通の知り合いがいた。

　ていうか身内じゃん。

　子供の住所を他人に教えるなよ、親父。

　一応電話をして、確認してみる。

　部屋の外に出て、親父の携帯にかけてみた。

「もしもし。親父」

『なんだ幸一か。なんのようだ？　まさかまた仕事を辞めたんじゃないだろうな』

「辞めてないよ。今の職場は昔ほどブラックじゃないから。て、そうじゃなくて。親父さ、岡野留美っていう人覚えてる？」

『覚えてるもなにも、少し前に会ったぞ。ほんの一週間前にな。ここ最近はお前より話すことが多いくらいだ』

　俺よりも話しているのか。　

　まあ、俺も親父にはここ数年正月くらいしか会っていないからしょうがない。

『そういえば、何日か前にお前の住所を教えたな』

「いや勝手に教えるなよ。教えるにしてもせめて俺に許可を取ってからにしてくれよ」

『すまん忘れてた。まあいいだろ。お前にしても知らない相手じゃないだろうし』

「確かに知らない仲じゃないけど、１０年間も会ってなかった相手だぞ」

『知り合いには違いないだろう。というかそっちに来ているのか？』

「ああ。さっき訪ねてきて部屋にあげてるよ」

『そうか。彼女は仕事で色々と世話になっている相手だ。失礼のないようにな』

「本当に仕事の関係者なのか……」

　その後も親父と話していくと、彼女の経歴などは確かであることがわかった。

　会社の社長というのは本当であるらしい。

　正直少しは疑っていたが、親父はそこらへんしっかり調べるタイプだ。

　何か不審なところがある相手とは仕事をしないことを徹底しているため、安心していいだろう。

『じゃあな幸一。たまには正月以外にも帰ってこい』

「わかってるよ。じゃあな」

　電話を切り部屋の中に入る。

　部屋の中では行儀よく座って待っていた。

「お電話は終わりましたか？」

「うん。待てせてごめん」

「いえいえ。私はお兄さんを迎えに来るまで１０年も待たせてしまったんですから、それに比べれば全然です」

「１０年もって言うか。たった１０年で会社の社長になるのはすごいと思う。それも親父に信頼されるくらいに」

　親父はあれでも県議会議員。

　ちゃんとした会社でなければ一緒に働くことはしないはずだ。

「上場企業なんだよね」

「はい。少し前に上場しました。もうお金持ちと言ってもいいくらいには稼いでますよ！　年収は５千万円くらいです」

「５千！？」

　え、マジで？

　それってもう、一流企業の役員とかそのレベルじゃないか。

「貯金はもっとたくさんありますよ。株や仮想通貨の投機でけっこう儲けましたので。現金化しているもので何億もあります。現金以外の資産はもっとありますが」

「そうなんだ。すごいね……」

　次々出される情報に圧倒され、そんな陳腐な感想しか発せられない。

　年収５千万とか。

　億単位の貯金とか。

　まるでテレビの中の話のようだ。

「これが証拠です」

　留美ちゃんは自らの通帳や資産の証明書を見せてくれた。

　うわあすげえ。

　こんな大量の金額が載っている通帳なんて初めて見た。

「お金持ちの定義は様々ですけど、これくらい稼いだらもうお金持ちと言ってもいいですよね」

「そうだね……。でもこういうのは他人に簡単に見せちゃいけないよ」

「？　他人？」

　留美ちゃんは俺の言葉に首をかしげる。

「他人じゃないですよね。今はそうかもしれないですけど、これからは違いますよね」

「え？」

「だって、これからは私がお兄さんを養っていくんですから。他人じゃないです」

「養うって。はは」

　留美ちゃんの言葉に、思わず笑ってしまう。

「さっきから言ってるけど、それは子供のころの約束の話だろ？」

「約束は約束ですよ。子供とか関係ありません」

　何を当たり前のことを。

　と、そんな風に言ってのける留美ちゃん。

「もしかして他に女の人がいるんですか？　彼女さんとか、婚約している人が」

　そしてジーっとこちらを不安げに見てくる。

「そうですよね。お兄さんほどの素敵な人なら、他に恋人がいるなんてことは十分考えられますよね。ああもう、なんでもっと早く迎えに来なかったんだろう私」

「いや、恋人なんていないけど」

　仕事先を見つけるのに必死で彼女作る暇なんてなかったし。

　就職先を見つけた後も、忙しくて彼女をつくれなかった。

「本当ですか。ああ、よかった……」

　ほっと胸をなでおろす留美ちゃん。

「じゃあ私の家に来てください。そこで一緒に暮らしましょう」

「いや待て、話を進めないでくれ。俺も仕事があるんだ。いきなり別の場所に引っ越すことなんてできない」

「仕事は大丈夫です。私が養いますので」

　ドヤ顔をして握りこぶしを作る留美ちゃん。

「そういう問題か？」

「そんなにお仕事がしたいんですか？　お仕事がしたければ、私の会社で秘書として働うというのはどうでしょう」

　どうでしょう、と言われても。

　そんな転職は思い切りよすぎだろ。

　平社員の男がいきなり別の会社の秘書とか。

　秘書って何をすればいいんだろう。

「自分で提案しましたけど、結構いい案ですねこれ。秘書になってくれれば、仕事の時もお兄さんと一緒にいられますね」

「秘書になるのは遠慮しようかな。ほら、今の仕事をないがしろにするわけにもいかないし」

「今の職場がいいんですか？　それなら私の家から車で向かっていただければいいと思います。ここからですよ」

　留美ちゃんの家の場所を教えてもらう。

　彼女の家から職場までの距離は、この家から職場までの距離とそう変わらなかった。

　車で行っても出勤にかかる時間は変わらないだろう。

　あれ？

　俺、このまま彼女の家に行っても別に問題ないんじゃないか？

　いや待て。

　流されるな、俺。

「小学生の頃に約束したとはいえ、そんな律儀に守ってくれなくてもいいよ。君は君の好きな人と結ばれてくれればそれでいい」

「はい。だから好きな人の元に来たんです」

「でも君はもう２２歳だろう。他に好きな人がいるんじゃないのか？」

「何を言ってるんですか？　お兄さん以外にそんな人いませんよ。ずっと昔からお兄さんのことが好きです」

「えええ！？」

「そんなに驚くことですか？」

「驚くでしょ。もう１０年前のことだよ。それも、今までずっと会っていなかったのに」

「１０年前でも、何も変わりません。お兄さんからすればなんでもないことだったかもしれないですけど、私は本当に救われたんですよ。あのときは本当に辛くて、人生に絶望していて、死のうか考えていたんです」

「……」

「本当は、ただ思い出の中の貴方を好きなのかもしれないだけなんじゃないかっていう不安もありました。でも今日会って、私はこの人が好きなんだなって改めて気づきました」

　留美ちゃんは、俺の手をギュッと握る。

「今すぐ付き合ってくれとか、結婚してくれなんて言いません。いえ、もちろんお兄さんがそれを望んでくれたらとても嬉しいですし、いつでも応えるつもりですけれども。そういうことは私のことを好きになってくれてからでいいんです。ただ、それまでは私が貴方のためにお金を使うことを許してください」

「いいのか？　俺はもう３０超えたおっさんなんだけど」

「むしろ貴方じゃないとダメなんです」

　どうしよう。　

　悪い話ではない、どころかいい話だ。

　いい話過ぎる。

　断る理由がない。

　いいのではないか？

「じゃあ、お世話になろうかな」

　彼女の申し出をありがたく受けることにした。

「本当ですか！？　やったぁ！」

　留美ちゃんはぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいる。

　これだけ喜んでくれると悪い気はしない。

「家は私とお兄さんの二人きりですからね。家事は私がやります」

「そんな、養ってもらう上に家事までやってもらうのは悪いよ。それは俺が――って、二人きり？」

「はい、もちろん。昨日までは一人暮らしだったので、お兄さんが来たら二人暮らしになりますね」

「それはさすがに聞いていない。ていうかお母さんはどうしたの？」

「母はとっくの昔に再婚してお義父さんと一緒に暮らしてますよ。私は大学に入ったころから一人暮らしです」

　マジかよ。

　それなら本当に二人きりになってしまうということか。

「二人きりというのはちょっと、いろいろ問題が」

「問題？」

「いや、君はとても魅力的な女性だからね。二人きりで暮らすというのはね。何かあるといけないし」

「何があっても私は問題ありませんよ。お兄さんが手を出したい時にはいつでも手を出していただいても構いません。そういったことをしたくない相手と同棲なんて望みませんよ。いいですか、私の心も体もお金も、全部お兄さんのものなんです」

「お兄さん。いいえ、あえて名前で呼びます。幸一さん。私と二人で一つ屋根の下、一緒にくらしましょう」

「……わかった」

　まるでプロポーズのような言葉を口にする彼女に押し切られる形で、俺は同棲を了承したのであった。

　これから始まる留美ちゃんとの生活は、いったい何が待ち受けているのか。

　俺はまだ知る由もなかった。

「えへへ。これからは一緒に暮らすことができるんですね」

　だが、心の底から嬉しそうな彼女の笑顔を見て、不安な気持ちはわかなかった。