一話: Screams from a Broken World

 薄暗いコンクリートの洞窟に、一人の男がいた。

 コンクリートにはあちこちにひび割れが走り、窓枠からはガラスを押し破って土砂と瓦礫が詰まっている。天井からも、同様に雪崩れてきたのであろう瓦礫が空間の半分ほどを埋め尽くし、僅かに差し込む陽光と、男の持つ懐中電灯の光だけがその惨状を照らしている。

 僅かに残る空間には、ひしゃげた金属棚や潰れた段ボールの塊が半ば瓦礫に埋もれながらも確認できる。中身は食品関係だったらしいが、缶はどれも破損して中身が飛び散り、生ものは腐りきっているようだった。それでもごく僅かながら存在した無事な缶を、男は集めていた。

 顔立ちや背格好から若そうな年に思える男だが、やや疲労も感じさせる表情だった。濃緑色の衣服に分厚いベストを重ね、大きなリュックを背負い、頭には同じく濃緑色のヘルメット、足には黒いブーツを身に着けている。右腿には拳銃と思わしきものを黒いホルスターに入れて巻き付けている。

 ドミノ倒しになった金属棚を難なく乗り越え、缶を吟味しては背負ったリュックに素早く入れていく。ある程度集めたところで男は壁際にしゃがみ、リュックの中を確認した。

 集まった缶はリュックの半分にも満たない数だったが、男は満足げな表情を見せて息を吐いた。

「よし……期待以上だ」と呟き、男がリュックを閉じたちょうどその時、暗闇の奥でガタリ、と音がした。男は即座にリュックを背負うと、懐中電灯を暗闇へと向けた。

 再びガタリ、と音がした。音はもっと奥からしているようだ。男はホルスターからそっと拳銃を抜き、慎重に暗闇の奥を覗く。

 地面に、男の体格より数倍ほども大きな穴が開いていた。だがただの陥没とは少し違う様子だった。等間隔に並んだそれの一つから、大きな爪と白い肌がチラリと見えていた。

 ゆっくりと、爪の持ち主が顔を覗かせる。それは人間の二・三倍はあろうかという体躯で、グリンと丸く大きな眼と尖った歯、両手で全身を隠せてしまうくらいに大きく平たい手を持つ、怪物じみた風貌の生物だった。

 生物の眼が懐中電灯の光を反射し白く光る。

 幸運か、あるいは判断力の賜物か、生物が襲いかかるよりも男が逃走を始めるほうが速かった。しかし生物も俊敏だ。ドガッ! ゴガガッ! と瓦礫を吹き飛ばす音と共に、男との距離を一瞬にして縮めてしまう。

 咄嗟に男は振り返り拳銃の引き金を引く。銃弾は生物の右肩を貫くも、しかし一瞬の足止めにしかならなかった。

 細く狭い、崩落したコンクリートの斜面を滑り落ちるかのように男が下りていく。暗闇から一転、その先には薄い青色の空と、ボロボロな高層建造物たちが待っていた。屋外だ。

 乗り捨てられた車だらけの、大きな二車線の道路を男が全速力で横切りだした数秒後、生物も身の丈より小さい出口を強引に破壊し空の下に躍り出る。


「――――――――真白ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 絶体絶命の中、男が絶叫した。

 直後。

 生物と同じくらいに大きな手のひらが、生物を一瞬にして叩き潰した。

 ダァァァァァン! という轟音と風圧で、男も地面を転がる。

 土煙がブワッと上がり、衝撃で近くから崩落の音までもが聞こえた。男がついさっきまでいたコンクリートの洞窟――もとい、崩れかけの商業ビルが、完全に崩壊していた。

 男は起き上がり、大きな手のひらの主を見上げた。

 それは巨大な――十階超えの廃ビル群に周囲を囲まれてなおも存在感を放つほどに巨大な、人間の少女の姿をしていた。肩より少し長いくらいの黒髪を靡かせ、継ぎ接ぎ跡が見える薄灰色のワンピースと、電線らしき極太ケーブルを使って腰へ巻き付けた輸送コンテナが印象に残る。

 巨人の少女は、藍色混じりの黒い瞳を振り下ろした手から男へと向け直す。一方の男は先ほどの生物よりも遥かに巨大なその少女を前に、恐怖するどころか安堵の息を吐いていた。


「大丈夫……? さん」

「あぁ、なんとか。のおかげで助かったよ」


 男――総介と巨人――真白が言葉を交わす。真白は地面に付けた手をゆっくりと放した。その手には生物の血がベッタリと付着していたが、真白も総介もそれを気にしていないようだった。


「なんだったんだ、こいつ。こんな見た目の動物知らないぞ」


 そう言って総介は生物に近づくと、手袋と大型のナイフを取り出し、躊躇いもなく生物の遺体を解体し始めた。その間に真白はどこかからか銀色の中型トラックを持ってきて、総介の近く、路面が荒れていない場所へとそっと置いた。ボディが多少ヘコみ傷ついてはいるが窓ガラスも割れておらず、この瓦礫と残骸だらけの街の中では比較的綺麗な状態を保っている代物だった。


「わたしも、こんな動物は見たことないかも。“クリーチャー型”?」

「にしては小さいな。でも……よっと」


 総介が生物の背を開くと、普通の動物ならば脊椎があるべき場所に、まるで糸が絡まったかのような複雑な形状をした細長い虹色の結晶が埋まっていた。総介が肉から切り離したそれを、真白は人差し指と親指でつまみ上げる。それは普通の脊椎同様にいくつもの“節”を持っており、真白の指先でぐにゃりと曲がる。


「“エンタングル椎”だ……じゃあやっぱり、“巨大化生物”か“クリーチャー型”か、ってところだよね」

「かもな。こんなところで初めてのケースに当たるなんて」

「…………がいたら、興味津々だったんだろうな」


 真白はぼそりとそう呟くと――次の瞬間、なんと“エンタングル椎”を口の中に入れてしまった。ゴクン、と飲み込んですぐ、胸の辺りを中心にして真白の全身に光の筋が走り、消えた。

 しかし総介は大して驚くこともなく、手袋とナイフを仕舞ってトラックに向かいながら変わらない声色で真白に口を開く。


「その大きさだと?」

「だいたい十五日くらい、かな。普通のよりだいぶ小さいから」

「そうか。それでもまぁ、少しでも延びたのなら良かった」

「……うん、そうだね」


 総介はリュックのサイドポケットから鍵束を取り出すと、その中の一つを使ってトラックの荷台を開いた。どうやらこのトラックは総介の所有物だったらしい。荷台の中には大小さまざまな収納箱が積まれており、どれも壁面にロープなどでしっかりと固定されている。


「総介さんのほうはどうだったの?」

「十分だ。思ってたより無事なのが多かったよ。割と早い段階で人がいなくなったんだろうな」


 巨大な瞳がトラックを覗き込む中、総介はリュックを開き、一個ずつ見せるように缶詰を取り出しては小型コンテナの中に入れていく。


「さっきの小さいやつ、総介さんと同じところの中にいたんだよね」

「ああ。巣なのか知らないが、穴を作ってた」

「ふぅん……気になるね、やっぱり。子供とかかな」

「子供でも大きさは変わらないだろ。真白だって……そうだったんだから」

「そうじゃなくて、巨大化した後に子供を産んだの」

「そんなことあるのか? だとしたら、どこかその辺に――」


 その次の言葉は、形として現れた。

 ドゴォォォンッッ! と大きな地響きを轟かせながら、交差点一個分ほど先のところで陥没が起き、ビルが二棟ほど穴の中へと消えていく。そして噴火の如く穴の中から飛び出してきたのは、先ほどの生物をそのまま真白と同程度にまで大きくしたような巨大生物だった。


 ――ギグァァァァァァァァァァァァッッッッ!!!


 巨大生物は真白をじっと見据えながら咆哮する。けたたましいその声は、それだけでトラックの荷台をブルブル震わせるほどだった。


「……その予想は外れていて欲しかったが。くそ、どうする」

「総介さんは逃げて。わたしが何とかする」

「待て、そんなの無茶だ…………うおっ!?」


 総介を乗せたままのトラックを持ち上げて建物の影に隠すと、真白は腰の輸送コンテナから巨大なナイフを取り出した。重厚な金属でできた刀身は藍色と深い紫色に着色され、真白が片手持ちで扱うのにちょうど良さそうなサイズ感をしている。

 しかしその刃は刃こぼれが酷く、“斬る”という目的は達成できそうにない。さらに言えば全体もよく見れば歪曲しているし、刀身に刻印されていたであろう何かの意匠は掠れてよく分からなくなってしまっている。例え素人が見たとしても、武器としてはいまいち不安の残る状態のナイフだった。

 そんなナイフを構えたまま腰を落とし、真白はじっと巨大生物を待ち構える。その目に恐怖はなく、据わった様はどこか覚悟さえ見えるようだった。

 ジリジリと巨大生物が距離を詰める。

 合図などなく、戦いは突然に始まった。

 大口を開け飛びかかる巨大生物。その爪を真白がナイフで受ける。そのまま押し合いとなるが、力は巨大生物が勝っているようだ。足で道路のコンクリートをガリガリと削りながら、真白の体は後ろに下げられていく。力勝負では不利だと悟ったのか、真白は全身を使って巨大生物の攻撃を横へと流し、巨大生物の頭部を狙ってナイフを一直線に突いた。しかしナイフが首筋に刺さる直前、巨大生物は下から打ち上げるように体当たりを行った。

 真白は体勢を崩し、傍の高層ビルに半ばめり込むほどの勢いで体をぶつけてしまう。

 ガラガラゴロゴロと音を立て、崩れたビルの破片が地面に降り注ぐ。路肩で乗り捨てられたと思わしき一台の車が、破片でボコボコにヘコんでいく。

 顔を顰める真白だが、落ち着いている暇もなく巨大な腕が横から迫ってくる。真白は咄嗟に、地面と腕の僅かな間に飛び込んだ。車も瓦礫も気にせずその背中で潰しながら一回転し、巨大生物と距離を取る。身軽さは真白のほうが高いようだ。

 一進一退の攻防が続いていく。巨大生物の攻撃に真白は素早く対処していくが、巨大生物の勢いの前に真白も有効打を打てずにいた。

 どちらかが動く度、地面が揺れ、轟音が響く。砂埃が舞うような容易さで人の頭くらい大きなコンクリート片が空を舞い、アスファルトの道路に刺さって砕ける。

 総介はその光景を、奥歯を噛みしめるような表情で建物の影から見ていた。幾度となく巨大生物の爪が真白の体ギリギリまで接近する。総介は何かを決意した様子で、トラックの中にある一際細長い金属のケースに目線を移した。

 巨大生物が振り回し続ける腕は、何度目かの攻撃でついに空振った勢いのまま、建物の壁に突き刺さった。一瞬の好機を逃さず、真白は大きく踏み込んで最短距離で巨大生物の首を狙う。

 だがしかし、巨大生物はあまりにも強引に、壁の一部が刺さったまま腕を振り回し――巨大鈍器と化した腕が、真白の体を殴り飛ばした。

 十階建てのビルを超えるほどの巨体が空を舞う。その勢いは近くのビルを一棟貫通し、衝撃波で周囲まで破壊してしまうほどだった。追い打ちをかけるように、ビルの残骸が崩れた積み木の如く真白に降りかかる。雷鳴にも似た衝撃音の中に悲鳴が交じる。

 それでも真白はナイフを握り続けていた。コンクリートの山を掻き分け、必死に起き上がろうとするも、巨大生物はそれを許してはくれなかった。

 咄嗟に防御したが、その腕に一筋の赤が走る。

 致命的ではないが、体が巨大な分流れ出る血も相応に大量だった。ボドッ、ボドッと大きな雫が腕を伝って地に落ち、積み上がったコンクリートの欠片たちを赤黒く染めていく。

 巨大生物は静かに両腕を目一杯広げる。次の一撃でとどめを刺すつもりなのだろう。まさに絶体絶命だった。

 だが、その腕は振るわれなかった。


 ――――ドッッッッッッッッッッッッッッ……!!!!


 鋭く重い音と共に、一つの小さな点が巨大生物の瞳を真っ直ぐ穿った。瞳が弾け、黒々と濁った血が噴き出ていく。

 その点の正体は、真白より何十メートルも遠くから飛んできたものだった。横倒しになったビルの上に伏せ、己の身長と同じくらいに大きな銃を構える戦闘服の男――総介だった。

 その傍らには金属ケースが開いたまま置かれている。中のクッションは、ちょうど総介が構える銃と同じシルエットを型取っていた。

 数拍遅れて、巨大生物が絶叫と共に後ずさりしていく。直後、巨大生物は地面に押し倒された。真白が立ち上がっていたのだった。

 真白は馬乗りになって、足で巨大生物の腕を押さえ、頭部を総介のいる方向に向けさせるように両手を使って押さえつける。抵抗させる隙を与えぬように、総介の銃が再び火を吹いた。

 二発目の銃弾は巨大生物の鼻腔へと吸い込まれていく。鼻血のように血を流しながら、その中には血と違う色の体液も漏れ出ている。


「ぐ、うう、っ…………!」


 自身の腕も赤く染まっていながら、真白は力を込めてナイフを巨大生物の首に振り下ろした。ナイフはゴリュッ、と不快な音を立てて首にめり込むものの、貫通しなかった。もとよりボロボロだった真白のナイフは、この戦闘の中でさらに損傷し刃物としての機能を完全に喪失してしまっていたのだ。

 だが、構わず真白は再びナイフを振り上げ、突いた。


「う、うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!」


 鈍く不気味な肉の潰れる音を生み出しながら、何度も、何度も振り下ろした。

 いつの間にか巨大生物が動かなくなっていることに気付くまで。何度も、何度も振り下ろした。


「うああああああああああああ!! ああああああ!! ああああ、ああ、あぁぁぁ…………」


 そして、世界は静かになった。

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