転生したし異世界召喚もされたけど特に何も起こらないお話。
竹内すくね
プロローグ
第1話
頭がくらくらとする。
乾いた口内が水分を欲している。
目の奥が熱い。視界に靄がかかっている。
血がぐつぐつと沸き立っている。胃が痛い。朝食ったものを戻しそうだ。
けれど、それでいい。
いや、これがいい。
無職渡世の怒号と大笑。尋常ではない熱に浮かされ、浸され、犯されている。ここはすでに鉄火の間。ぎゅうぎゅうに搾り取られて虫の息。もはや逆さに振っても何も出ねえ。オールインのその向こう。最後に残ったてめえの命を張るしかねえ。じゃあな人生、さよなら今生。一寸先の闇より暗ぇ。コマが揃えば壺振りにやり。俺の全部は一か八。ひりつく勝負をありがとな。こんなもん、ちょっとやそっとじゃ味わえねえからよ。
◎〇▲☆△△△
俺はツイている。
運がいい。恵まれている。幸運の女神の微笑みは俺だけに向けられている。
「ギッ、ギィ……!」
「はっ、はあ、マジか、マジか」
俺はツイている。
一人きりで迷宮に潜る羽目になり、大した戦果も得られない挙句、武器を持った
暗がりを駆けながら、俺は考える。逃げるか戦うかではない。とうに遁走している。最善の一手を打ったといっていい。考えていたのはその先だ。殺されてからのことだ。
「うおっ」
つんのめって転ぶ寸前、床に手をついて体勢を立て直そうとしたが、それが叶わないことを知る。強かに背を打ちつけられて息が止まった。脳みそからドパンドパンと脳内麻薬を出しまくってくれているおかげで痛くはない。ただ熱い。鬼どもが俺の手足に嚙みついて、もぎ取ろうとする。反撃を試みたが得物を振るスペースがない。からんと乾いた音を立てると、鉄の剣はあっけなく俺の手を離れていった。
さて、死ぬだけだ。
いつものように、当たり前のように死ぬだけだ。
どうしてこうなったかなんて答えは一つだ。
俺が薄暗く埃っぽいダンジョンへ挑み、獣くさくて血なまぐさいモンスターどもと相対せざるを得ない理由。それは神さまがそうおっしゃったからに他ならない。
神さまがそうせよと宣っている。あろうことか、俺を――俺たちをこの世界に召喚した連中はそう言ってのけた。
朝のホームルームだったと思う。
今にして思えば、クラスメイトや担任が同じ教室に集まっていたところを狙われたのだろう。あんまり覚えちゃいないが、教室中が真っ白な光に包まれたと認識した時にはもうこっち側……つまり、異世界に召喚されていた。
そう、異世界召喚だ。
オカルトじみた奇々怪々。鬼だの幽霊だのタイムマシンだの異星人だのがいるかどうかなんて誰にも分からない世の中だ。まあ、そういうこともあるのだと思うほかない。そも、俺の場合は別だ。俺は既にそういった事態に遭遇しているのだから。
信じるか信じないかは別として、うちの学校の一クラス分の生徒二〇余名が異世界に召喚されたのは間違いない。そして、俺たちがこの世界で勇者として扱われることもただの事実でしかない。神に従う連中に呼び出され、神のためにダンジョンに潜り、モンスターを狩る。それが今の俺がやるべきことだ。たとえ外れスキル持ちの外れ勇者と冷遇され、不遇を託とうとも。
暗がりに巣くう鬼どもにぶち殺された後、俺は迷宮の外に放り出されていた。もう日が暮れかけていて、斜陽が目に痛かった。
いつものことだ。
殺されるのにも少しずつ慣れてきたし、生き返ることへの抵抗感も薄れ始めている。この世界には生死すら曖昧にするシステムがあって、いやしくもその恩恵にあずかっているだけの話だ。
ゆっくりと起き上がりながら、これまたいつもの癖で石を確認する。勇者や冒険者に支給される特殊なものだ。で、ああ、クソ。やはり光っていなかった。ダンジョンで死ぬ寸前までは淡くとも放たれていたあの輝き。それは俺が生き返ったことで間違いなく神に捧げられたのだ。
「しようがない」
独り言ち、いつものように町へ戻り、冒険者ギルドで今回の戦果を確認し、安い宿で硬いパンを齧り、温い水で喉を潤すのだった。これが勇者カシワギ・ケイジこと俺の一日である。まったくもって度し難い。穏やかで、のほほんとした地球暮らしを楽しんでいた俺たちは拉致監禁のような状態で召喚され、右も左も分からぬままで武器を握らされた。頭がのぼせ上っている時に勇者や何だと誉めそやされたのが運の尽き。……とはいえ、他の学生たちはここまでの目に遭っていないだろうと思われた。
本来、勇者として召喚されたものは手厚く遇される。この世界の人間が所持していない能力を持っているからだ。その力を当て込んで、誰もやりたがらないモンスター退治という汚れ仕事を請け負わせるのだから、そりゃそうだろう。
しかし、俺は持っていなかった。魔を一撃で屠る炎を生み出すこともなければ竜を切り裂くこともできない。傷ついたものを癒す術さえ知らず、特別優れた知覚もない。当然ながら俺だって勇者のはしくれだ。この世界の住人よりも身体能力は高いだろうが、それだけである。何せ一度に二〇人以上も召喚されたのだ。もっと言えば俺たちの先輩だってどっかにはいる。その中には世界すら変えてしまいかねない能力の所持者だっているだろう。だったらそっちに注力するのは自然なことだ。味噌っかすに割くコストはもったいない。そう判断されて、俺は捨て置かれた。それだけだ。
「う、ぐううううぅううう、つらいよおおお、さびしいよおおおお」
じり貧のどん詰まりだ。
俺の風評は町ではそりゃもうちょっとしたもので、味噌っかす勇者なのが知れ渡っている。というか誰も勇者と信じていない。レベルも低くスキルもカスだから誰もパーティを組んでくれない。人を呼ぶには金を積むしかないんだが、一人だとダンジョンの攻略は困難極まるので日銭を稼ぐのが精いっぱいな有り様だ。金は欲しいが稼げない。レベルを上げようにも雑魚に嬲り殺される。
自分の置かれた状況を頭では分かっていても心はマジでついていけなかった。
独りはきつい。ただでさえクラスでは浮いてたし、家族すらいない世界に拉致されて、ぎゃあぎゃあ喚く魔物に囲まれるような生活だ。心を蝕むのは孤独以外の何物でもない。というわけで限界だった。かと言って現状を好転させる材料なんかないわけで。
「よし。死のう」
空手でダンジョンに潜る。なるべく深い層へ。もう生き返りたくないから石を光らせるつもりもない。モンスターどもは可能な限り避けて進む。ずんずん進む。そうして俺は狭い場所へと行きついた。崩れかけた小部屋だ。幸いにして敵性存在の気配はない。万が一があってはいけないので、俺は石を投げ捨てた。あとは滅ぶだけ。飲まず食わずで餓死するのもよし。出くわした魔物に齧られるのもよし。覚悟も何もない衝動に駆られた自殺だったが、まあ、人生終わる時ってのはそんなもんだ。準備ができているうちに死ねるものなど稀だ。目ン玉見開いて自分が死んだことも分かんないような顔で死ぬもんだ。
目を瞑って数時間。
俺は普通に寝こけていた。腹も普通に減らないし、狼の一匹だって通りやしない。というかこの体が妙に頑丈なのだ。元の世界にいたころの俺はそれはもう貧弱な部類だったはず。だってのに、ここじゃフィジカルエリートだ。あかん。無駄に頑丈だから餓死するのにも結構かかるぞこれ。
とはいえ今さらモンスターに食われたり殴られたりするのも嫌だ。どうせならちょっとでも痛くない方がいい。
昼寝を続行する。
続行する。
継続する。
何時間か、何日か、あるいはもっと。
そんでもって今が昼か夜かも分からなくなってきたころ、やっと手足の先が痺れてきた。頭ン中は飯でいっぱいだ。全細胞が何か食わせろ飲ませろと訴えている。全部無視して目を瞑る。そうなりゃ浮かんでくるのはこれまでの人生だ。家族やらかわいいアイドルやらと会いたいとか、もっとああしてればよかったとか……結局、死を選んだとして気持ちよくはない。後悔だらけだ。本当にもう、何でこうなったかな。本当はやり直せるって信じてたんだ。今度こそうまくいくんだって。
ややこしい話になるが、俺は転生者でもあった。異世界に召喚される前の世界で、俺は二度目の生を受けていたのだ。学生気分をエンジョイしていた。いや、していなかった。何やってもだめだった。俺はとっくに死んで、生まれ変わっていた。だが、肉体は若くなっても中身はそのままなんだからどうしようもない。だってそうじゃねえか。何もかんも上手くいかないで死んだやつがチャンスをもらったとして、どうして上手くいくんだって話だよ。愚図は死ぬまで愚図なんじゃない。死んでも愚図だし、死んで生まれ変わっても愚図なんだ。だから死ぬ。何もできないままで。ご覧のありさまだ。転生したって異世界に呼ばれたって俺は孤独に死んでいく。
「おい、大丈夫か」
そう思っていた。
「なんだこいつ、荷物も武器も持っていないのか……おい、おいっ」
体を揺さぶられた。吐き気がする。鬱陶しいから、俺は声のする方から顔をそむけた。すると低い男の声がまたさらに低くなって唸り声のようなものを発した。
「お前みたいなやつは山ほど見てきた。なるほど自殺志願者らしいが、見つけたからにはそうはさせん」
よせ。やめろ。ほっといてくれ。
拒絶したいが声は出せなかったし、もはや指一本すら動かせなかった。そんな俺を声の主は負ぶった。
「戻るぞ。必ず助けてやる」
なんでだ。
どうしてだ。
意味が分からねえ。俺は死ぬことすら選べないっていうのか。文句を言いたかった。呪ってやりたかった。そんなことなど露知らず、正体不明の男は喋り続けた。安心しろ。もう大丈夫だ。俺がついてる。男はお荷物をしょい込みながらモンスターと戦っていた。そんな中でも安心しろだの、問題ないだの、俺はお前の味方だの、そんなことを必死になって繰り返すもんだから、俺は泣いていた。体のどこに水分が残っていたのか、人間ってどうやってできてるのか分からねえってくらい泣いていた。
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