花結び

花野井あす

第1話 魂結《たまゆい》


 しゃらん――……

 鈴の音がひとつ鳴る。


 しゃらん――……

 鈴の音がふたつ鳴る。


 しゃらん――……

 鈴の音が鳴り止むと、天ツ原あまつはらに静寂が戻った。満天の星昊ほしぞらの下、白装束の者たちはみな同じ方角をじっと見詰めていた。彼らの眼差しの先には、大きな泉がある。その大きな泉――天ツ原あまつはらの中核を成す魂結たまゆいの泉だ――の中央には、美しい娘がひとり佇んでいた。たっぷりとした長い白髪を後ろにたらしている。昊を仰ぐその貌も白い。着物を身に着けぬ滑らかな肌も曇り一つ無い白。彼女はすべてが真白ましろだった。静けさの中、彼女もまた、祈るようにそっとその白い両の手を合掌わせた。


 しゃらん――……

 再度ふたたび鈴の音が鳴ると、泉に波紋がひとつ描かれた。それがふたつ、みっつと広がっては消えると、ぽう、ぽう、と螢のような小さな光の粒子が水面から浮かび上がる。その円の数は次第に増し、そらの星々のもとへといざなわれてゆく。天ツ原あまつはらはまるで宇宙だった。彼女は紅玉ルビィ蒼玉サファイヤ金剛石ダイヤモンドのごとく美しく鮮やかな光のあぶくに包まれていた。


「いってきます」


 彼女は口の形のみでそう伝えると、光の中に溶け、そしてふつりと姿を消した。


「いってらっしゃい」


 魂結たまゆいの泉から少し離れた葦原で、サクは小さく応えた。冷たい風が肩あたりで切り揃えたサクの白髪をさらい、サクよりも背の高い葦の葉がさわさわと音を立てる。泉には最早もう、あの女の姿はない。白装束の見物者たちもいない。暫くの間、サクは泉をだらだらと眺めていた。


淡雪あわゆきのサク、此処にいたのか」


 サクの頭上から、男の聲が鳴った。サクは面を上げ、聲のしたほうへ振り返ると、白髪を短く刈り上げた男の姿が有った。サクはにっと口の端を持ち上げた。


「久方ぶり、冷雨れいうのシノノメ」

「ああ。春霞しゅんかのマヒルは丁度、器と縁を結んだのか」

 春霞しゅんかのマヒル、とは先程の女のことである。サクは泉の方をちらりと一瞥し、再度またシノノメの方を向いた。

「そ。シノノメは戻ってきたばかりかな」

「まあな。……御前もか」

「ううん。僕はまだえにし結んでるよ」


 気不味い沈黙。シノノメは暫くの間細い目を極限まで見開き、穴が空くのではあるまいかと思われるほどにサクを見詰めた。


「は?」


 漸く絞り出したシノノメの聲は少し裏返っている。それもその筈である。サクやシノノメのような天ツ原あまつはら己霊こだま地丿國ちのくにの器とえにしを結ぶと、器が死を迎えて縁が途切れるまで天ツ原あまつはらへ戻れないのだ。縁を結ぶことは器が死を迎えるまで添い遂げることと同等である為、縁を結ぶことを「嫁入り」と揶揄やゆする己霊こだままでいるくらいだ。

 

「あはは。シノノメ、愉快なかおになってる」

「いやいや、嗤い事じゃあないだろう。なんで此処に居るんだよ。いや、、外れの器を引いて、器が早死したとかじゃないのか?」

「寧ろそっちのが助かったんだけどね。残念ながら縁は結ばれてるのに、こっちに来ちゃってるというわけ」


「……もしかして、に当たったのか?」

 

 はっとした様子のシノノメに、サクはにやりと嗤い返した。縁を結ぶ相手は己では選べないゆえ、何れの器と結ばれるかは運次第。そしてサクは兎に角くじ運が無い。縁が結ばれると必ず、その器は病死や事故死、自死という末路を辿るのだ。――そして今回結ばれた器は「異性」の器。


「まあ要するに、本当に「結婚」になっちゃったてわけさ。ここまで運が無いと面白いよね」

 通常ふつう己霊こだまと器の縁は類似した性質同士で結ばれる。女の性質を持つ己霊こだまには女の器、男の性質を持つ己霊こだまは男の器という具合に。性質の合わぬ者同士の縁は何かしらの衝突を生じることが多い。縁が途切れてしまうこともある。詰まるところ、今回もサクは外れくじを引いたというわけてある。サクは肩をすくめてみせると、シノノメは静かに口を開いた。

 

「こっちに戻って、どれくらいなんだ。器とどれくらい離れているんだ」

「ん――……。今回は長いな。三日みっかくらい。今の器になってから、時々数時間とか半分だけこっちに送られたりしてたけど」

「は?そんなんで器は無事なのか」

「たぶん?」

「たぶん、て。御前、気かよ」

 

 シノノメが何を尋ねているのか、サクは十二分じゅうにぶんに理解していた。己霊を持たぬ器は器と己霊こだまが長く離れすぎると、器は死ぬ。己霊こだまには「死」というものはないが――縁を持たぬ己霊こだまはいずれする。絡繰からくりは誰も理解らないが、そういうふうに成り立っているのだ。

「あはは、まあ消えるときは消えるのだし。僕の運の悪さもここまでくれば、嗤えてくるよね」

「サク、己霊こだまが減るのはよくないことだ」

「わかってるさ。でもどちらにせよ、もうことはできないよ」

 

 サクはううん、と白く細い腕を伸ばして伸びをした。見上げれば、天ツ原の昊は変わらず星々が犇めき合っている。灯りがなくとも周囲が見渡せるほどにその瞬きは眩い。きっと己が消えるまでにそう時間はあるまい。最早もう、シノノメたちと逢えなくなるやもしれない――サクは何となしにそう感じていた。

「サク、どうにかならないのか」

「はは、それは僕が知りたいね」

「サ――……」

 

 何の言葉を続けようとしたのか、サクには解らない。シノノメがサクの名を呼び終える寸前、突如サクの身體からだが鈍く光った。額は蝶のような紋様が浮かび上がっている。

「まったく――……」

 サクは直感した。これは器との縁に違いない、と。

「噂をすればなんとやらだ。どうやら、器の元へ戻れそうだ」

「サク。必ず、また逢おう」

 シノノメの義務めいた言葉に、サクは微笑みで応じた。そして決して「また逢おう」とは返さず、その代わりのことばをひとつ残した。

 

「いってきます」

 

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