シネマチケット

鈴木魚(幌宵さかな)

シネマチケット

 日曜日、商店街を歩いているとスーツ姿の男性に声をかけられた。

「こんにちわ、ちょっとお時間よろしいですか?」

「間に合ってます」

 私は、歩きながらそう言って男の横を通りすぎる。

「いや、怪しいものではないんです。今、映画の無料チケットを配布していまして……!今年中なら、いつでも使えるものなので、もしよろしければ、お受け取り頂くだけでも!よろしくお願いします!」

 私は必死そうな男の声に立ち止まって、振り返った。

 男は50代半ばぐらい年齢で、仕立てのいい茶色のスーツを着ていた。

 頭には同色のハンチング帽を被り、手には映画のチケットらしい長方形の紙を数枚握っている。

 こんな路上で出合わなければ、どこかの大手企業役員のような、風貌である。

 彫りの深い顔は少し強面な印象だったが、勧誘者がもつ独特の胡散臭さは感じなかった。

「……まぁ、もらうだけなら」

「ありがとうございます!」

 男は嬉しいそうに私は長方形のチケットを手渡してきた。

「是非使ってください」

 そう言うと男はペコリと会釈をして、すぐにまた別の人に映画のチケットを渡そうとしていた。

「本当に勧誘とかでは、ないの?」

 私は手の中のチケットをみた。

 『20××年 ××シネマ 映画御招待券』

 街中にあるミニシアターの名前が書かれている。

 裏面にはミニシアターの判子と有効期限が捺印されていて、正式な映画のチケットのようだった。

 今年いっぱい使えるとか言っていたな……。

 一体これを配布することでどんな利点が男にあるのだろう?

 私は首を捻りながらも、チケットを鞄にしまって商店街を離れた。

 

 数日後、もらったチケットを握りしめて私は映画館に向かった。

 SNSを見ると何人かそのチケットをもらった人がいるらしいことがわかった。

 きちんと使うことが出来たという投稿もあったので、私は少しだけ安心した。

 駅前の大通りから数分の歩き、小さな公園を曲がった先に煉瓦造りの建物が建っている。それが、映画のチケットに書かれていたモニシアターだった。

 私は外に掲示された映画のポスターのラインナップを眺めた。

「知らない映画ばっかりだな」

 ミニシアターで上映されている映画は、テレビCM等では見たことがないマイナーな映画ばかりだった。

「まぁ、でも無料だし」

 そう思って、何となくポスターで気になった韓国の映画を見ることに決めて、映画館の中に入った。

 そういえば、映画館に入るのはいつぶりだろうか?

 映画館に行かなくても、家で映画が見れる時代。

 私の足はずいぶん映画館から遠退いていた。

 思えば数十年ぶり、いやそれ以上かもしれない。


「あの、この券て使えますか?」

 受付でもらったチケットを出した。

「あ、木村さんのチケットですね。はい、使えますよ。二番シアターにどうぞ」

 受付の女性は朗らかに微笑んだ。

 私はチケットを渡して、指定された上映シアターに向かってに進んだ。

 シアターの中は以外に混んでいた。

 きっと私とおなじように、木村という男からチケットを受け取った人がこの中にもいるのだろう。

 私は前方に空いている席を見つけて、腰をおろした。

 弾力性のある映画椅子が柔らかく私の体を受け止めてくれる。

 ブーというブザー音がなり、館内はゆっくりと暗闇に包まれていく。

 正面のスクリーンだけが、白い光彩を放っていた。


 映画が終わった後、私はうつむきながら席を立った。

 何だろうか、この言葉に出来ない気持ちは。

 映画は素晴らしかった。

 美しい景色、繊細な心情描写、そして言葉のない感情に溢れた映像という芸術。

 映画館を出ると、私の足は自然と商店街に向かっていた。


「よろしければ、これ映画の無料チケットになります」

 スーツ姿の木村が、今日も路上でチケットを配っていた。

 私が近づくと、木村は一瞬、眉を寄せて私を見た。

「以前、チケットお渡しした方ですよね?」

「はい。そうです。チケットありがとうございました。今日映画を見てきました」

「それは、それは!私の方こそ、もらって頂いてありがとうございました」

 木村は満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに何度も頷いた。

「それでどうでしたか?映画は」

「はい、それが……、あの、わからないです」 

「わからない。それはどおいうことですか?面白くなかったですか?」

「いえいえ、違うんです。すごく素敵な映画だったのです。でも、なぜか苦しくて、上手く言葉に出来なくて、もどかしくて、でも感動はしているんです」

「なるほど、なるほど」

 私の言葉に木村は大きくうなづいた。

「それはそれでいいんです。あなたが思ったことが全てですから」

「でも、もっときちんと言葉にしないと!」

「いいえ、いいんです。言葉に出来ないからこそ、映画あるんですから。消えてしまうような輝きを、揺らいでしまう思いを、紡ぎ、繋ぎ、見つめるために、言葉ではないものがそこにあるんです。是非また映画館に足を運んで見てください」

 木村は私に小さく会釈をすると、道行く人にまた、チケットを配り始めた。

 私は、そんな木村の姿を見つめる。

 そういうものなのだろうか、わからない。でもわからないから、

「また映画館にいきます」

 私はそっと呟いた。

 その言葉は木村にはきっと聞こえなかっただろう。

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