実業家の未来を聞くこと

 航路を拓くのだと男は言った。

 親父より少し若いくらいの働き盛りの男である。磯で釣りをしていたところ、隣にやってきて座り込んだ。この辺りでは見ない堅苦しい服装をしている。内陸のやつだろう。

 寄せては返す波の音を聞き、鳥が飛ぶのを眺める。男も黙って海を見ている。不思議と静寂が嫌ではない。

「海の果てにはなにがあると思う」

 低く力強い声は答えを知っているようだった。浄土だと考えられていたのも昔の話で、おれは学校で他所の国というものがあるのだと聞かされていた。それをそのまま告げる。

 男は深く頷いて、これからの時代は海を渡らにゃならんと言った。

 退屈な授業では古くから海を渡る船は何度も出ていたと学んだ。天候に左右される過酷な旅だったそうだ。真水の保管や病気にも悩まされたという。

「航路、すなわち海の道を整備する必要がある」

 どうして男がそんな話をしてきたのか分からない。黙っていると男は豪快に笑った。すまん、自己紹介がまだだった、と。

 男は実業家だと名乗った。内陸に住む親父の紹介でおれを訪ねてきたらしい。なんでまたおれなんぞと不審に思っているとすぐに答えがでる。

 海には人魚がおるだろう。

 人魚に一番詳しいのは人魚釣りである。おれのうちは親父の代で人魚釣りを廃業にしたが、その尻拭いはおれが負っている。人魚のことを教えてくれと実業家は頭を下げた。

「親父は」

 先に親父に聞いてはみたらしい。親父は言葉に詰まって、海から離れて長いからとおれに話を振ったのだという。親父も海を忘れられないのだ。語ることのできなかった親父の心中に驚きと同情が顔を出す。妹のために海を離れた親父に免じて人魚のことを話す気になった。

「あんたは鯨を知っているか」

 鯨というのはそれはそれは大きな魚である。一般的な魚と形と違いいるかやふかに近い。肉質は人魚に似ているが人魚と違って気質がおとなしい。まれに近海に迷い込み、死骸が浜に流れ着くことがある。

 本の挿絵で見たという実業家に、人魚は集団で鯨を狩ると伝えた。

「鯨はおっそろしくでかいと聞いたが」

 流石に驚いたらしい。おれも聞いたときは嘘だと思った。人魚は狡猾だが獰猛で単独行動をする。群れないからこそ船釣りができるのだ。しかし亡くなった爺さんは実際に見たのだという。

 冬のおわりのことだった。魚がろくに捕れないからと大きめの船で沖にでるのに爺さんは人魚釣りとして同行した。大波に船が揺れるので海を見たところなにか大きなもの、つまり鯨が海で暴れていた。鯨の体からは血が滲み、周りでは人魚が十何匹も跳ねていたのて慌てて船を引き返したという。翌日流れ着いたずたぼろの鯨の死骸には見慣れた爪や歯の後が幾重にも見つかったそうだ。

「なるほど航路の障害だ」

 実業家は信じたようでうんうんと頷いていた。どのくらいの船を作るにせよ集団の人魚がなにをやらかすかはわからない。近海の人魚については知見があるものの、沖合の人魚は未知である。

「となると船には武器を積まにゃならん」

 おれは驚いて実業家の横顔を見た。どこか楽しそうな顔は見えない道を見ているようだった。

 近頃は人魚を殺すのは大悪だろう。おれの言いたいことがわかったのか実業家は大きく笑った。

 世間というものはころころ変わる。海の果てには欲しいものがあると分かれば意見なんぞいくらでもひっくり返る、と。欲しいものとはなにか。まずは他所の国の珍しいもの、引いては国益だと。話が難しくなってきた。

「海には可能性がある。それを示せばいい」

 航路が開ければ海辺は栄えるだろうと男が笑う。なにもかも果てしなく困惑することばかりだった。

「人魚には話が通じるか?」

「あいつらは人間の言うことは分かる」

 話は通じないだろう。人魚は圧倒的強者である。話というのは力関係が近いときにしかできない。

 ふむ、と実業家は悩んで見せる。おれは沈黙の間にようやく考えがまとまった。この男は海を人間のものとしたいのだ。

「海は人間のものじゃないだろう」

 思ったことを説明もなく口にしてしまう。音になってからあまりにも説明がなさすぎると反省したが、実業家は意にも介さず豪快に笑った。

「人魚は海のものだが、海は人魚のものではない」

 時期が来たらひとをやるから、海と人魚について詳しく教えてやってくれ、謝礼は弾む。実業家はそういって立ち上がった。

 あとに残されたおれは途方に暮れて海を眺める。

 海はなにも語らない。波の音がいやに耳についた。

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