代わりに人魚を殺めること

 朝一番に人魚の釣り方を教えてくれと乞われた。

 おれの家は親父の代で人魚釣りを廃業した。子供の頃から手伝っていたから釣り方は心得ているものの、人に教えられるほど技量があるわけではない。返答に困っていると眼の前の男は膝をついて頭を下げてきた。慌てて立ち上がらせて家に上げる。

 子供が人魚に魅入られました。まだ若い男は拳を震わせて絞り出すように事情を話した。大層大事にしてきた一人っ子が目を話した隙に海辺に遊びに出て人魚の目を見たのだという。

「日がな一日、海を見て、人魚のことを話します」

 細められた目は無念に満ちている。子供の話ではきれいで少しさみしそうな人魚だと言う。キョウチクトウの人魚でも鉱石人魚でもなさそうだった。

 直に海に入ってしまうだろう、その前に子供の前で人魚を殺めたい。男は続けた。恨まれましょう、それでも。それでも。あとは涙ばかりである。これにはおれも困ってしまった。

 人魚を釣り上げて、ちょうどよく子供の前で殺める。言葉にすれば簡単そうだが人魚は派手に抵抗するだろうし子供も暴れるなりなんなり障害になる。最悪、人魚の盾になって命を落としかねない。

 どうするかと室内を見渡して、キョウチクトウの人魚の花弁に目が留まる。残りあと二枚になった花弁はガラスの器で揺れていた。蓄光性の人魚が花弁を飲み込んで死んだのも思い出す。キョウチクトウの人魚の毒は他の人魚に効くのである。

「おれが釣ります」

 人魚釣りを廃業してなお、おれが海に残ったのはこういう事態のためである。下手に男に助言して死なれても後味が悪い。

 迷う男からどんな人魚か聞き出して準備をする。

 尾びれらしき部分はなく尻尾は丸まり、鱗もなくゴツゴツとした下半身の人魚。タツノオトシゴの人魚である。憂い顔をした雌だと聞いて先日訪ねてきた人魚に魅入られた男を思い出した。同じ人魚の可能性がある。海辺で待っていれば餌である人間が釣れると学習したのだろう。

 人魚釣りの道具から竿を取り出す。男には先に帰ってもらい用意を頼んだ。近隣の家を巡り獣の肉を仕入れ、家に帰って肉をたたき草を練り込む。ガラスの器からキョウチクトウの人魚の花弁を一枚取り出して肉の中に詰め込んだ。

 竿を担いで餌を桶に詰め込み懐に小刀を入れると、歩いて待ち合わせ場所へ向かう。

 日は傾いて空が赤い。男は家族と近隣の大人を集めて待っていた。磯には篝火まで用意されている。きょとんとした子供はまだあどけない。来年から学校に通うのだと男が言っていたのを思い出した。しきりに海へと近寄ろうとするのを母親らしき女に宥められている。

 準備が整ったのを察して竿に餌をつける。それから思い切り遠くへ届くように投げた。話が正しければ人魚は釣れる。人魚は人間よりも強く人間なぞ恐れない。人魚はずる賢いから釣り餌の向こうに人間がいることを知っている。人魚は獰猛である故に、あえて釣られて人間を食うことがある。

 波の音が耳にうるさい。固唾をのむ音がしそうだった。篝火に火が入れられる。波に揺られる餌の感覚が分かる。

 ぴくりと竿の先が揺れた。確認するように数度引っ張られる。それから竿が一気に重くなった。立ち上がって竿を引く。ほとんど抵抗もなく人魚が磯に打ち上がる。

「わあ!」

 子供の喜ぶ声が異質だった。

 ゴツりとして鱗がなく尻尾が丸い。目的通り釣れた人魚は釣り針を避けて餌である肉を噛みちぎる。自由になった釣り針が戻ってくるのを捕まえた。

 人魚、人魚だとはしゃぐ声を後ろにタツノオトシゴの人魚から距離を取る。念のため小刀の柄を握った。手汗に舌打ちがでる。

「離して、人魚のとこ行く!」

 子供の無邪気な声にタツノオトシゴの人魚はそちらを向く。ここからどうするのかと観衆の視線が痛い。まだか、まだかと祈るように待つ。

 タツノオトシゴの人魚がわずかに震えた。瞬く間に震えは大きくなり、倒れてのた打ち回る。子供の絶叫がうるさい。動かなくなったタツノオトシゴの人魚に近づき祈り言葉を唱えて腹を割いた。甲高い呪詛のような泣き声がする。すがりついて宥めている親の声も泣いているようだった。

 きりの良いところまでバラして振り返れば子供と目があった。敵意に満ちた暗い瞳をしていた。十分に効果があったようだ。少なくともこれで海には還らない。

 タツノオトシゴの人魚の肉を磯から海に落とす。他の人魚の寄せ餌になるから普段は禁じ手だが、こうでもしなければ人魚に魅入られたやつは生肉でも食べてしまいかねない。毒の回った肉だ、ひとにも効くだろう。タツノオトシゴの人魚の肉を全て海に返して、小刀を海水で洗ってしまう。竿と桶を持って頭を下げる。すすり泣く子供を数人がかりで足止めしたらしい大人たちも頭を下げる。後は無言で帰った。

 のろのろと体を清めて布団に潜る。竿の重みを手が覚えている。キョウチクトウの人魚を釣ったときも重かった。

 そういえばキョウチクトウの人魚ははどうしておれを食わなかったのか。すっかり頭から抜けていた疑問はまぶたが落ちる頃にはまたどこかへいってしまった。

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