第78話

 さて、とマクス様は手を擦り合わせた。

 指先で描いたものが実体を持つ。三頭身くらいの、可愛らしい小さな女の子に見えるモノ。どうやら、精霊を模したもののようだ。それが、ふわふわと私たちの周りを舞ってから消える。


「説明は受けていると思うが、改めて確認をしよう。召喚魔法は術師自身を媒介に、精霊をこの世に呼び出し、彼らの力をそのまま使ってもらうような魔法だ。精霊が姿を表している間、常に術者の魔力・生命力が精霊たちに送られ続ける。彼らがどの程度の時間こちらに留まれるのか、またどの程度の力を発現させられるかは、精霊自身の強さもあるが術者の体力や精神力が肝になる」

「はい」

「術者の精神力が弱かった場合は、精霊に精神を乗っ取られて自分の意思で彼らをコントロールできなくなる。まあ、魔法自体が人間にとっては暴走の恐れのある力だからな。なおかつ、彼らのすべてが人間にとって都合のいい思考をしているわけではない。精霊の力の種類によっては、人間の社会に甚大な被害を与えることになる可能性だってある」


 だからこそ、アレク先生は召喚魔法についてとても慎重だったのだ。しかし、マクス様曰く、私の契約しているルクシアもノクシアもどちらかと言えば人間に好意的な上に、私の意識を乗っ取ろうとはしないだろう、とのこと。アミカにも彼女の意思で魔法を使ってもらうことは可能だし、そもそも肉体を持ってここにいるから存在するのに私の力を介する必要はなく、彼女が暴走しても私自身には(魔法に巻き込まれない限りは)影響がない、と説明を受ける。


「生命力が枯渇しても同じことが起きる。つまり、精霊に与えられる魔力と生命力量がどれだけあるかというのも召喚魔導師にとっては重要ということになる。精霊を呼び出せても、たいしたことない魔法一発で枯渇してしまうのなら使い物にはならないだろう?」

「そうですね」

「まぁあなたの場合は、アミカが受け入れれば彼女の魔力や生命力までビーのものとして使うことができるからなぁ。他の術者に比べたら有利だよ。人工精霊といえど、ヒトと比べればアミカの魔力量は遥かに多い」

「そうなのですか?」

「私の力を、使っていただけるのですね」


 アミカを見れば、なにか強く決心したような顔を見せる。彼女は、両手を組んで胸の前で強く握り、半歩私に身を乗り出した。


「では、精霊召喚の際には私の力をお使いください。強力な魔法は使えませんが、魔力量ならそれなりにあります。奥様が危険に晒される必要はありません」

「そんなことを言われても困るわ」


 それでは、彼女を儀式の生贄に捧げろと言われているような気分になるではないか。私の魔力ストックとして使ってしまうようなもので、そんな悪役のようなこと、できるとしてもしたくはない。

 断固として拒否するが、彼女は譲らない。アミカの魔力や生命力を使い切ってから私の力を使えばいいとまで言ってくる。しばらくは黙って私たちのやり取りを面白そうに見ていたマクス様だが、話が堂々巡りを始めたあたりで口を挟んできた。


「あーアミカ、そう言いたくなる気持ちはわかるが、あくまでもビーが呼び出すのだから、彼女の力が中心になくてはいけないんだ」


 ショックを受けたようにアミカがふらつき、クララに支えられる。もっとお役に立てると思ったのに、と呟いた彼女に「だが、同時に使うということはできる」とまた余計なことを言う。キラっと目を輝かせたアミカは「だそうですよ」と期待を込めた視線で見てくる。


「マクス様!」

「ふたりの魔力の波長を合わせなければいけないから、難易度は高いぞ。しかし、一度覚えてしまえば、その後は簡単だ。いつ必要になるともわからないから、練習しておきなさい」

「はい、旦那様。奥様、よろしくお願いいたします」


 使命感に瞳を輝かせるアミカを止めることは出来なさそうだ。もうっ、と憤る私の頭を撫でたマクス様は「次に」と長い指を立てる。


「ビーが召喚に失敗して暴走するのを止めるための術、についてだが――アレクから詳細は聞いているか?」

「いいえ、まだ」


 今日は、それどころではなかったのだ。先ほどまでのマクス様のままでは、この話すらできないのではないかと思っていた。

 首を横に振れば、マクス様は少し考えるように顎を撫でていたのけど「ならば」立ち上がるとおもむろに私の手を引いた。そして、アミカとクララに部屋から出ていくように命じる。ふたりが礼をして部屋から出ていったところで、彼は私をベッドに座らせてから横に腰を下ろした。


「マクス様、ここでなにを……?」


 どうしてベッドの上なのかしら、とどぎまぎする。


「その術を掛けるのは、私がやろう。他のものに任せることはできないからな」


 そう呟いた彼の表情は、無と言ってもいいようなものだった。ゾクリと背中が冷える。

 ――ああ、なにか嫌な予感がする。

 彼の唇に視線が誘われる。ゆっくりと開かれたそこから、言葉が紡がれる。


「ビー、ショックを受けないで、落ち着いて聞いておくれ」

「はい」

「これからあなたに掛ける魔法は、召喚魔導師として公的に認められているもの全員に掛けられているものになる。これは、暴走時に周囲への影響を最低限におさめるためのもので――具体的に言えば、精霊の制御を失った時、術者の命を奪うもの、だ」

「……っ」


 真剣な顔で、私の手を両手で包んだマクス様は続ける。ドクドクと喉元で心臓が鳴る。告げられた言葉の内容に、呼吸ができなくなる。

 つまりそれは、召喚魔法に失敗したら、私は死んでしまうということ。


「あなたの心臓に、印を刻む。暴走時には、自動的にその動きを止めるように作用するものを、な。これを掛けられるのは、私を含め上位の魔導師だけだ。しかし、誰も私の妻の生殺与奪の権など握りたくはないだろう」


 それに、と彼は私と額を合わせて、ふっ、と笑う。


「あなたのやったことの責任であれば、夫である私が取るのが必然だ」


 彼は、身体を離して改めて柔らかく微笑んだ。その表情に、真っ白になっていた頭が少しだけ冷える。


「あなたならそんな事態は引き起こさないだろう。あくまでもそういう規定になっているからやるだけだ。脅すつもりはない。危ないから使うなとも言わない。ちゃんと、鍛錬して、自分の限度を理解して、その範囲で使役するのなら、なんの問題もない」

「だったとしても、なにがあるかはわかりません。ああ……嫌なお役目を押し付けてしまって申し訳ありません」


 手が震えている。私は無意識に、暴走を止めるというのは、意識を奪う程度のものだと思っていたのだろう。術者が意識を失えば、発動している魔法が消えるということは知っている。呪いなど、一部法則の違う魔法はあるが、召喚は術者の力を以って精霊を呼び出すもの。だから、動力を失えば精霊はあちらの世界に戻るのだろうと思っていたのだ。

 私の命を奪う魔法だなんて、マクス様だって掛けたくなどないだろうに。


「嫌ではないよ。あなたは大丈夫だから、この術が発動することはない」


 いつもなら信じられるマクス様の言葉が、今日は、今は信じ切れない。

 信じられないのは彼ではなくて、自分自身。

 まだ、何一つ始まってすらいないのだから当然と言えば当然。しかし、デメリットが大きすぎて。本当に使いこなせるのか、自信がない。練習時には、師となる魔導師がコントロールしてくれるというが、それだって危険なことに変わりはない。

 ――でも、私がもし失敗することがあれば、被害が出る前にマクス様が止めてくださるということよね。

 他の誰でもなく、彼の手で奪われるのなら構わない、だなんて、少し健全ではないことを考えてしまった。


 では術を、と言い出したわりに、マクス様からは困っているような空気が漂ってくる。なにか道具でも必要なのかしら、と思っていると「あー……ビー」彼はとても言いにくそうに顔を逸らした。


「その、術を掛けるのに、心臓の上に触れなければいけなくて」

「はぁ……」

「あー、その、だな? 心臓、というのは、その」

「あ。」


 胸に触れなければいけないと言われているのだと気付いて顔が赤くなる。


「直に、でしょうか」

「……すまない……なるべく見ないようにするから」

「マクス様になら、構いません」

「っ。いや、それは」

「夫婦なのですから」


 ただ、見せられて楽しいようなものではないだろう。そこまで胸が豊かなわけではない。肌はクララとアミカが磨き上げてくれているから滑らかなのが救いだ。ちらっと私を見たマクス様は気まずそうな様子で、それがおかしくなってわずかに口元を緩める私に、覚悟を決めたように彼は深く息を吐いた。


「じゃあ、始めようか」

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