第52話(最終話) 記録官ゼシカの実記
「っは~! 楽しかったけど疲れた……!」
夫婦の私室として用意された大きな部屋。
その中の豪華なベッドに突っ込みながら背中を伸ばすとアズラニカの笑う気配がした。
結婚式の後は披露宴があり、それが終わってから王都のパレードが行なわれたおかげで丸一日ずっと祝賀ムードだった。様々な迫力ある生演奏を聴き続けたからか耳がちょっと遠い気がするわ。
そうして私たちの結婚式はつつがなく終わり、湯浴みや着替えを済ませて帰ってきたのが今さっき。多分日付が変わった頃合いね。
「このまま眠ってしまいたいけれど――」
「あー……ゼシカ、疲れているのなら私は明日以降でも、その」
「まずは今日あったことを書き留めておかないと!」
「そ、そっちか」
アズラニカが何やらもごもごしているので首を傾げたものの、一拍置いてようやく私も思い至った。この世界にも初夜という概念があるのね。
そういえば今日は色々ありすぎて気にしていなかったけれど、いつもより良い香りのお湯に浸けられて普段とは違う石鹸を使われた気がするわ……!
さすがにアズラニカも気を悪くしたかもしれない。
そう心配したものの、彼の方から「覚えているうちに書くといい」と勧めてくれたのでお言葉に甘えることにした。
日記ではなく記録なので文章は簡素に。
けれど『人間の姫とクォーターの魔王の結婚式』という今後の歴史で少し注目されるかもしれない部分なので、行なった催しやベレクが作った特製ウェディングケーキとご馳走、そして式場の準備の過程や参列者の情報などは細かく書き留めていく。
味の感想も参考になるかもしれないから書いておきたいけれど……これは後で別のコンセプトの本に纏めた方がいいかもしれないわね。あの味は数日は忘れないと思うから。
「……そういえばアズラニカのお母様やおばあ様の結婚式はどうだったのかしら」
ハーフの母と、私より先にナクロヴィアに嫁いだ人間の女性だった祖母。
彼女たちについては過去の記録にはあまり残っていない。だからこそアズラニカからカミングアウトされるまで知ることができなかった。
小ぢんまりとしていたのか、はたまた盛大に行なったのか、もしくは式を挙げなかったのか……。それも情報として追記しておきたかった。
するとアズラニカが少し困ったように頬を掻いて言う。
「あれから私も魔王の執務室を整理する機会があったのだが、その時にこれを見つけてな」
そう言って取り出したのは手のひらサイズの手帳だった。完全にプライベート用なのか随分と雑に扱った痕跡がそこかしこに見られる。
アズラニカは「父、ラジェカリオの日記だ」と表紙を指す。
「書庫の日記より個人的なものだったのでな、ゼシカに見せようか迷っている間に式の準備と仕事に追われて機会を逃していたのだ」
「……! もしかしてそこに何か書いてあった?」
アズラニカが言いづらいことでも書いてあったのかもしれない。
けれど言いたくないならそのまま胸に秘めていてもいいわ。だって記録官は国に起こったことを記録するのが仕事だけれど、人の秘密を暴くための職業じゃないもの。
そう言うとアズラニカは小さく笑った。
「いや、やはりこれはゼシカも知っておいた方がいい。――記録官のオトがいただろう?」
「ええ、メルーテアの祖父よね」
「そんなオトは人間嫌いだったらしい」
古代の神ほどではないだろうが、と付け足してアズラニカは話し始める。
なんでもオトは当時としては珍しく人間の商人と仲良くなったことがあったが、結局その人間はオトを騙しており危うく奴隷として売られるところだったという。
その時は難を逃れたが、オトにとって人間は完全に敵になってしまった。
そんな時に仕えている魔王が人間の妻を娶ったことで一悶着あり、その時期はかなり荒れたそうだ。
「とはいえ祖母は人柄が良く世話焼きでな、若干絆されたようだ――と人から聞いた話として父は書き留めていた。しかし仲良くなる前に祖母は寿命が来たらしい」
「そうだったのね……」
「しかし祖母の娘、つまり私の母であるロゼマリアにもオトは心を開けなかった。それ故に結婚当初の様子が記録としてはっきりとは残っていないらしい」
仕事にめちゃくちゃ私情を持ち込んでる……!
でも当時は今とは感覚が違ったかもしれないし、友人同士だとしてもラジェカリオとオトはかなり年齢に差があったみたいだから仕方ないわよね。でも反面教師にしましょう。
「あ、もしかして日記や記録でアズラニカが誕生した頃の記述がボカしてあったのもそれが原因――あれ? でもお父様の方の日記ではボカす必要ないような……」
「それは父が配慮した結果だとこちらの日記に書いてあった」
ラジェカリオが妻との結婚に関して書いた際、彼女が人間とのハーフであることは書かなかったが試し読みをしたオトの反応はいまいちだった。
今後も記録を管理してもらうなら、まあオトも読みやすいようにしてやるか、というラジェカリオの気遣いだったそうだ。
「もう、後から見る人のために記録するものなのに……!」
「……私もゼシカが記録官としての誇りを持っているのを見てこなければ、その、似たようなことをしたかもしれぬ。我々にとっては五百年ほど経っていても一昔前という感覚なのでな……」
そういえば前にも似たことを聞いたわね。
大人の魔族から見て五百年くらい前の話は学生時代の話程度の感覚。だからそこまで情報の管理に身が入らなかったのかも。
紙じゃそのうち劣化するし、そんな『そのうち』は魔族の感覚からすると遠くない未来にやってくる。だからといって古代のように石板に記すと大変な量になるので記録に関しては世代交代の早い人間より大分ふわふわになるんだろう。
そう考えるとオトはこれでも記録官に向いた魔族だったのね。
でもこれからは古代の神との約束を守るためにも意識を変えていかなくちゃならない。
そう言うとアズラニカは笑みを浮かべた。
「さすが、我が国の立派な記録官だ」
「ふふ、そう言うあなたにも記録は付けてもらうわよ。のちの文献になりそうなものは多いほど良いもの」
アズラニカは少し面食らった顔をしたが、それでも「なら私も日記をつけてみよう」と乗り気だった。今度一緒に日記帳を買いに行こうと約束する。
「――まあ、そういうわけで母や祖母の結婚式の様子はどこにも記されていないのだ。母とはその後、生きている間に和解したようでレシピもしっかりと残してくれていたが……」
アズラニカとの距離を縮めるのに一役買ったルプラリンゴのカレー。
あのレシピはオトがロゼマリアと和解した後に保存しておいたものだったらしい。わざわざ王族の記録に含めたのはハーフの彼女を王族として認めたってことよね。
流れた時間と共に感情が変わっていったことが伝わってくるわ。
……これも昔の記録から読み取れる情報なのかもしれない。
「記録が残っていないのは残念だけれど……これから私たちの子孫が同じ気持ちにならないよう、しっかりと書き残していこうって改めて思うきっかけになったわ」
そうアズラニカに微笑みかけてからこれまで書き記した部分をぱらぱらと捲る。
そこには攫われた後に起こった出来事とその詳細、解決方法、私だからこそ書ける以前のファルマの内情、各地の文化や気候などを含めた情報、そして古代の神の一件が羅列されていた。
わかりやすいよう図も交えて記してある。
「……」
攻略本みたいだ。
けれどここはただのゲームと同じ世界じゃない。ステータスなんて見られないし、初めて見る動植物はいるし、様々なことが天候に左右されたりする。ゲームとは異なる部分の方が多いと各地を見て回って知った。
そして、ここでは沢山の人たちが生きている。
だからこの本に攻略本という名前は付けないでおこう。
もし付けるとしたら――実記。ありのままの事実を記録したもの。
引き続きペンを走らせる私をアズラニカが見守ってくれているのが気配でわかった。きっと彼はこれからもこうして見守り続けてくれるんだろう。
私が人間として二度目の生を終えた後もずっと。
アズラニカは私より長くこの国で生きていくことになる。
そんな彼に寄り添ってくれる思い出が損なわれないように、自分の気持ちをペンとインクに乗せて書き残していくわ。
「アズラニカ。私をあの日攫ってくれて――いいえ、迎えに来てくれてありがとう」
「こちらの方こそ、私のもとへ来てくれてありがとう、ゼシカ」
「ふふ、おかげでナクロヴィアが第二の故郷になったわ」
自分が思っていた以上に嬉しそうな声が出たけれど、不思議と驚きはなかった。
その気持ちもしっかりと文字にこめられたと思う。
さあ、平和になった第二の故郷で今日も明日も、その先も記録をつけていきましょう。
――私が記録官として生きた証を、未来に届けるために。
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