第45話 我は嘘を言わぬ

 何かを考えているのか、動きを緩めた古代の神はゆっくりとこちらへ向き直る。

 ――いや、これはサヤツミが魔神だと気づいて警戒しているんだわ。


 古代の神は他の神を吸収することができるけれど、我を失っていた時はそんな様子はなかった。きっと吸収っていうのは意識しないとできないことなのね。

 そしてもしその際に隙が生じるなら、さっきみたいにボコボコにされちゃうから警戒するのも頷けるわ。あのサヤツミの勢いは凄かったもの。

 古代の神は暗い声で言う。


『お前は……魔神か。人間好きの変神へんじんめ、お前が我を止めようとすれば巻き添えで大陸が消えるぞ』

「あはは、もっと叩きのめしたいのは山々なんだが、俺はただの送迎兼護衛だよ」


 サヤツミはそう言って私を地面に降ろした。

 古代の神はまったく戦闘に向いた姿ではない私を見下ろし、重々しい圧をかけるように巨大な顔を近づける。腐葉土に近いにおいがした。

 あまりにも大きな人外の存在が目の前にいる、そう否応なしに思い知らされる。

 でもここで気圧されてなんていられない。


「……元ファルマの第一王女、そして魔王アズラニカの伴侶のゼシカよ」


 私は人間であることを示し、今の立場を伝えた。

 結婚式はまだできていないけれど、ファルマを離れる時に宣言したあの瞬間から嫁入りしたも同然。そのおかげか周りのみんなも婚約者というより、すでにアズラニカのパートナーとして扱ってくれている。

 そして私も……お互いに気持ちを確認しあった今は、これからを共に歩む人としてアズラニカを見ていた。

 だから名乗る言葉に澱みはない。


 古代の神は新たに現れた人間に対する嫌悪感と、その人間が魔王の伴侶を名乗っていること自体への嫌悪感を示したものの口汚く罵ることはなかった。

 けれど理解してくれたわけじゃない。

 古代の神はどこか諦めたような声音で言う。


『人間の混ざった魔王に、その伴侶を名乗る人間。我の目覚めた世は最悪な状況に陥っているようだ』

「……ごめんなさい。私はあなたの嫌悪感をどうにかすることはできない。でもこれが不毛な争いだってことはあなたもわかっているはず。だから話し合いをしたいの」


 古代の神は私に謝られたことに不思議な反応を見せた。

 どうやら戸惑っているみたい。――虫嫌いの人間で例えるとゴの付く虫に謝られたようなものよね、それは戸惑っても仕方ないわ。

 私は古代の神が人間に嫌悪感を持つこと自体を悪だとは思わない。

 人間だって全部の生き物に等しく接することができるわけではないし、それどころか同じ種族内でそういう感情を向け合うことすらある。なのに人間を嫌悪しているから悪なる存在だ、とは言ってはならない。


 ただ、理由は何であれ危害を加えられることは避けたいし、互いに争いを避けられるならそうしたい。

 その一心で自分から古代の神に声をかける。


「人間を好きになってほしいなんて決して言わないわ。だから折衷案を探しましょう」

『人間よ、我と同等だと思い上がってはいるまいな』


 古代の神はぐらぐらと煮立つ鍋のように笑うと、頭上に巨大な黒い炎の塊を作り出した。熱風が吹き荒れ髪の毛が上空へと吸い寄せられる。

 目を見開いていると古代の神が挑発的に言った。


『これを凌げれば話を聞いてやろう』


 自分と同じステージに立つにはそれだけの覚悟が必要だ。古代の神は言外にそう言っている。

 次の瞬間に放たれた炎の塊は目で追うのもやっとなスピードで私目掛けて落ちてきた。

 もう熱風なんてものじゃない。炎で直接炙られているかのようだった。

 眼球が一瞬で乾き、けれど閉じる間すらないまま炎の塊が目前まで迫り――それをアズラニカとサヤツミが同時に切り裂き、そして死角から滑り込んだクランが私を庇うように立って炎の欠片を叩き落とす。

 背後からはメルーテアの槍が飛び、残りの炎の欠片を見事に貫いて砕け散った。


 粒子になった氷と炎が舞う視界の中、震える足に力を込めて姿勢を正してから古代の神を見上げる。

 古代の神は静かな表情をしていた。


『よく逃げなかったな』


 ――そう、目で追うのもやっとなスピードだったけれど、目で追えないわけじゃなかった。逃げようと思えば逃げられた。

 けれど一歩も動かなかった私を見て古代の神はそう言う。

 恐怖で足が竦んだわけじゃない、ということは私の様子を見ていて理解してくれたらしい。

 つまり、それだけしっかりと観察するくらい、初めから私の反応を見るためにああしたわけだ。


『人間に、魔族に、混ざりものに、神に……すべてが団結して動くさまなど初めて見た』

「……私が自分の力でどうにかしなかったことを嘲らないの?」

『お前が誰の力にも頼らずに凌げれば、などとは言わなかっただろう。我は人間のように嘘は言わぬ』


 古代の神は頭を低く下ろす。


『矮小な塵虫ごみむしでも、命を晒し相応の覚悟を示したのなら話くらいは聞こうという気になるというもの。言ってみろ、人間の小娘よ。ただし……』


 そして、どろどろの瞼の向こうで鈍く光る目をこちらに向けながら古代の神は言い放った。


『欲に塗れた碌でもない話ならば、我はお前も国もすべて滅ぼす。たとえ我が身が潰えようとも』


 我は嘘を言わぬ。

 古代の神はもう一度そう言い重ね、私の目を覗き込んだ。

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