第19話 勇者の怯える理由

 勇者の少年は名前をクレイスといった。

 ゲームの主人公のデフォルトネームでもある。


 私が前世でプレイしていた時は昔飼っていた犬の名前――ケンと名付けていたので馴染みは薄いものの、たしかに入力画面で見たことのある名前だ。


 私たちはひとまずクレイスを城へ連れ帰り、今後について話し合うことにした。

 最悪勇者をその場で殺すことで危機を回避することになるかも……と心配していたものの、命を脅かされるかもしれないアズラニカ本人が「まだ何もしていない子供の命を奪うのは避けたい」と申し出たからだ。

 ……やっぱり『魔王』なんて肩書きとは思えない良い人ね。


 クレイスには保護するために連れてきたと説明し、今は体を清潔にして休んでもらっている。

 もう少しすれば普通の食事も食べられるようになるはず。それから詳しく話を聞きましょう。

 彼は怯えがちなものの善性が強く主人公然としていて、安全だとわかると世話をしてもらうたび頭を下げて感謝していた。とりあえず城の皆と敵対する心配はなさそうだ。

 相変わらず私に対してだけビクビクしているのが気掛かりだけれど――それも話を聞けばわかるわね。


 まずはクレイスの回復を優先。

 アズラニカは例の森の警備を強化する作業。

 そして私は得た情報を記録官として纏める作業に入る。


 そうして時間が経過し――ある時、そっと私に近づいたメルーテアが「陛下から招集の言伝を預かりました」と知らせてくれた。

 向かったのは会議室だ。それなりの人数が入ることができ、玉座の前のようにクレイスが緊張しない場所を、と気を配ってくれたらしい。

 そんな会議室にはアズラニカの他に数人の補佐官がおり、私の席も用意されていた。


「ゼシカ、その席は記録官としてのものだ。……母国の悪い話を聞くことになるやもしれん。不快な思いをする可能性もあるが、クレイスの話を記してもらってもいいだろうか」

「ふふ、そんなに気を遣わなくてもいいわよ」


 故郷の悪い部分はよく知っている。

 少し前までそんな国に頭の先まで浸けられていたのだから。


「故郷は故郷だけれど、嫌な面は沢山見てきたわ。それに今は記録官としての仕事をする方が大事だもの!」


 だから任せて!

 そう言ってペンを握ってみせると、アズラニカは少しほっとしたような顔をして頷いた。

 さあ、記録官として任された仕事としては大分大きなものになるわね。しっかりと役目を果たさないと。


 その時、クレイスがおずおずとこちらを見ているのに気がついた。

 まだ私を怖がっているみたいだ。なるべく優しい笑顔を浮かべて話しかけよう。


「クレイス、私のことはファルマの王女ではなくナクロヴィアの王妃として見てちょうだい。だからファルマのことをどれだけハッキリと言っても大丈夫よ」

「は、はひ……」

「それに――こんなに物々しくしちゃって申し訳ないけど、もし何てことない理由だったとしても気にせず教えてね。大切なのは『理由が判明する』ってこと自体だから」


 するとクレイスが久しぶりに私の顔をしっかりと見た。

 目が合う。

 やっぱりその瞬間がクレイスから怯えの感情を強く感じる瞬間だった。


「ゼ……」

「ゼ?」

「……ゼナキス王太子に捕えられたんです」


 兄の名前が出た瞬間、私はクレイスが怯える原因を理解した。

 私のこの金色の目は兄であるゼナキスと同じものだ。

 髪色はそれぞれ父と母に似たので共通はしていないものの、王族に多いこの金色の目はクレイスにゼナキスを思い出させるトリガーになっていたらしい。

 そして、それだけ兄から酷いことをされたと察することもできた。


 クレイスはおずおずと話を続ける。


「ぼ、僕、ただの人間って言いましたが、ご先祖様が凄い人だったらしくて……」


 勇者は人間の守り神、聖神せいしんの末裔という設定があったはず。きっとそのせいね。

 白いアザもその血筋を表すもので、勇者として覚醒した後はもっとはっきりと見えるようになっていた。

 時期的にクレイスはゲーム開始時のヒヨッコ勇者にすらなれずにゼナキスに捕らえられたらしい。


「その血筋を知られて、その、い……生贄にされそうになったんです!」

「生贄?」

「他にも魔力が多い人たちが集められてました。何日も何日も少しずつ血を抜かれたり髪や歯を持って行かれたりして……僕は特殊な血筋なので血だけで済んでましたが、最後には殺されるところでした」


 だからがむしゃらに逃げ出した、とクレイスは語った。

 その目は嘘を言っているようには見えない。


「その首謀者は兄……ゼナキスなのね?」

「は、はい」

「一体何のための生贄だったか聞いてる?」


 クレイスはこくりと頷く。


「一度だけ言ってました。自分が実権を握って強い国にするために、古代の神を蘇らせたい、と」

「へえ! 古代の神! たしかに力が強いから、何か目的があるならうってつけだけど……人間がそれをやるのは良い手じゃないなぁ!」

「ふぎゃっ!?」


 突然真上からぶら下がるように登場したサヤツミにクレイスは仰天し、イスごとひっくり返った。そのイスが床につく前にサヤツミが掴んで引き戻す。


「んなななっなっ……天井から人が……!」

「古代の神が眠る前に栄えていたのは魔族だ。俺が人間を愛でるように、あれが愛でているのは魔族だよ。そんなのを人間が呼んだら酷いことになる」

「……こ、古代の神とお知り合いですか……?」

「俺は魔神だからね」


 クレイスはつい場違いな質問をしてしまったと恥じるような顔をしていたが、サヤツミのあっけらかんとした返答を聞くなり「まッ! 魔神ッ!!」と言って再びひっくり返りそうになった。

 初めて会った時から思ってたけど、この子のリアクション面白いわね。

 そう思っているとサヤツミが器用にクレイスのイスの背もたれに乗って言った。


「人間が崇めてるのは聖神だろ? 俺の愛するお姉様だ。ゼナキスとやらはなんでそっちを呼ばないんだろう?」

「サヤツミのお姉さんだったの!?」

「お、今度はゼシカが驚いたね。双子のようなものさ、ただ俺は姉が大好きだけど、姉は俺が大嫌いだから呪われちゃったけれど」


 サヤツミの受けていた呪いは聖神によるものだった、ということだ。

 ラジェカリオたちが心を割いた呪いをかけたのがサヤツミのお姉さんだったなんて……とても複雑な事情があるのかしら。


「光と影が持ちつ持たれつなのに、どちらかが強まるともう片側に害を成すようなものさ。強い光は影を消し、濃い影は光を覆い隠す。俺たちの心もそういった本能的なもので揺れ動くんだ」

「バ、バランスが崩れててお姉さんは呪いをかけるほどサヤツミを嫌ってるけれど、サヤツミはそれでもお姉さんが大好きってこと?」

「元から大好きだけど、輪をかけて大好きになったからそうだね!」


 しかしべつに光と影そのものじゃないから、お互いに予想できるものでもないとサヤツミは言う。神様って不思議ね……。

 そんなお姉さんはあまりにもバランスが崩れたため、現在自主的に休眠中だという。

 サヤツミはそのことを復活後に知ったらしい。


「お姉様も元は俺をここまで嫌っちゃいなかったからね。大方俺に呪いをかけた後、とんでもないことをしたと自覚して一瞬正気に戻ったんじゃないかな」


 その時にバランスを少しでも正すために自ら休眠状態になったのでは、というのがサヤツミの見解だった。

 聖神はファルマで一番広まっている宗教の主神でもあるので、たしかに真っ先にそっちを呼び出さないのは不思議だった。

 ――けれど、私にはなんとなくわかる。


 古代の神はゲームの裏ボスだった存在だ。

 古い神が故に他の神の血を吸って強くなることができ、そうして醜く成長した恐ろしい敵だった。私は勝ったことがない。

 聖神をも凌駕する、そんな可能性を秘めた醜悪な強さをどこかで耳にしたなら……その力を利用しようと考えてもおかしくはなかった。


 兄がそんな存在を復活させようと計画しているなんて悪夢みたいだ。


(でも……今はショックを受けたからって手を止めてはいられない)


 重要な話だ。

 私は紙にペンを走らせ続ける。――ナクロヴィアの記録官として。

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