第16話 漫遊記の壺泥棒

「ごめんくださーい! ……何回呼んでも出てこないわね」

「まだ昼寝中なのではないか?」


 アズラニカがドアを見つめながら言う。

 もうお昼とは呼べない時間になっているけれど、昼寝をして深夜に起きた経験がある人間としてはありえないとは言いきれない。そして訪ねた家の住人の種族を考えれば納得もできた。

 ただ、もし中で倒れているとかだったら怖いわね……と、そう思っていると少し離れた所からサヤツミの明るい声が響く。


「二人とも、こっちへ来い! カーテンの隙間から中が見えるぞ!」

「そんな泥棒みたいな真似――」

「……うん? あそこにあるのは件の壺じゃないか?」


 サヤツミの言葉に私はアズラニカと顔を見合わせ、今は緊急時だからアズラニカの王様特権で確認しに行きましょうということになった。

 たしかにカーテンの隙間から家の中が見える。

 小型の家具の中、テーブルの上に置かれた壺は周囲のサイズに見合わない大きさをしていた。この家の住人はレプラコーンよりやや小さい種族だけれど、レプラコーンはわりと体のサイズに見合わない壺を持っているので違和感はない。

 あれがもしコルムのものなら、だけれど。


「事前に壺の特徴は聞いたが、ふむ……」

「丸くて口が大きな壺、っていうわりと没個性なものなのよね」


 もっと近くで確かめられればいいのに。

 そう思っているとサヤツミが首を傾げた。


「まあ可能性は高いんだろう? それに中で倒れてたら一大事だ! というわけでアズラニカの王様特権をもう一回活かして突入しようじゃないか、ほら」


 サヤツミは窓枠に人差し指をぺたりと付ける。

 すると内側からかちゃりと音がした。


「……うっかり閉め忘れた鍵も開いてることだし!」

「あなたって人は……」


 魔神の自由さはここでも健在らしい。

 でも言っていることは間違いではないわ。あれだけ呼んでも出てこない上、村のどこにも居なくて村から出た形跡もないなんて、さっき心配した通り何かあった可能性がある。

 そう自分に言い聞かせ、私たちは窓から家の中へと入ることにした。


 まずサヤツミ、アズラニカが入り、私も靴を脱いで室内へと降り立つ。

 そして壺へと近づき――


「……あ」

「いた」


 ――その壺の中でスヤスヤと眠る住人を見つけた。


     ***


 ケット・シー。

 これは聞いたことがある人も多いかもしれない。レプラコーンと同じくアイルランドの伝説に登場する猫の姿をした妖精だ。

 ゲームでも元ネタの出身が同じだからかレプラコーンと同一の地域で出てくるモンスターで、すばやさが高く苦戦することが多かった。毛色は色々とあるけれどこの家の住人は茶トラで、薄茶色の服を着ている。


 そんな彼はしばらく壺の底で丸まって眠っていたものの、さすがに室内で呼びかけられると飛び起き――そして状況を理解するなり土下座した。

 猫の土下座なのでほぼスフィンクスのポーズだったけれど。


「すみませんニャ、すみませんニャ! どうしてもこのフィット感が手放せず……!」

「とりあえず……ゼシカ、ここはコルムを呼んでこよう。壺が本人のものか確かめてもらっ――」

「そう言うと思ってササッと連れてきてやったよ!」


 アズラニカが言い終わる前にサヤツミがコルムを小脇に抱えて戻ってきた。

 いつ出ていったのかわからなかったけど、やけに静かだったから私たちがケット・シーに説明している間にコルムのところへ向かったのかも。

 ケット・シーはコルムが壺の持ち主だと知るとシュンッ! と器用に土下座ポーズのまま前へと移動した。


「アナタがこの壺の持ち主ニャ!?」

「そ、そうです」

「お金なら出すから譲ってほしいニャ、こんなに気に入る壺は後にも先にもこれだけニャ!」


 ええっ、とコルムは戸惑いつつも驚いた声を出す。

 なんでもケット・シーは日干しされているこの壺をある日たまたま見かけ、魔がさして中に入ったことがあるという。そしてその入り心地が忘れられず様々な壺を渡り歩き、結局これしかないと思ったそうだ。

 しかし人様の壺なのは重々承知の上。

 我慢に我慢を重ね、そしてその我慢が限界に達し、我を失って勝手に持ち帰ってしまったらしい。

 私の隣でアズラニカが声を潜めて言う。


「……ゼシカの予想は当たっていたようだな」

「え、ええ、まさかここまでピッタリ同じシチュエーションとは思わなかったけれど」


 ここに来てから感じていた『壺を無くした話』に対する既視感、それは母国で読んだ漫遊記に含まれていた一つのエピソードによるものだった。

 政治に関わらせてもらえず、母の着せ替え人形になっていた頃の数少ない気分転換として読書をしていたのだけれど、その中の一冊にそれが含まれていたのだ。


 漫遊記には見たこともないような話が沢山詰まっていて、かつてケット・シーの村に赴いた商人が商品の壺を盗まれた話が二ページほど組み込まれていた。その話を思い出してここへやってきたのだけれど……ドンピシャだったわね。

 ただ漫遊記のケット・シーは壺と一緒に保管されていたマタタビで正気を失っていたのだけれど、このケット・シーは壺の寝心地に心奪われすぎたのが原因らしい。


「猫鍋みたいなものかしら……」

「フ、ファルマでは猫を鍋にして食べるのか?」

「あっ、いや、ただの言い間違いよ」


 アズラニカは「一体何を言い間違えた……?」と首を傾げていたけれど、私は深く追求される前に話を切り替える。


「それより犯人がわかったわけだけど、あのケット・シーはこれからどうなる――」

「だめですよぉ! この滑らかなカーブを見てください、同じものに出会えないのはこっちもですから!」

「そこをニャんとか! カーブの良さは僕もよーくわかってますニャ、背骨がフィットして最高!」


 コルムはケット・シーと激しく言い争っていた。

 このまま手が出たら大変だわ。それにケット・シーもまだ興奮していて反省の色が見えないのはそのせいらしい。こんなの取っ組み合いの喧嘩秒読みじゃないの。

 まずは落ち着いてもらおうと間に入ろうとしたところで、サヤツミが私の腰を掴んでひょいと下がらせた。


「大丈夫だ、人間の子。もう少し見守ろうじゃないか!」

「でもあれは……」

「世界のコレクターを何人も見てきたが、あれは本当に大丈夫だと思うよ。君はこの一連の出来事を記録に纏める準備を頭の中でしておくといい」


 記録官としてこの事件が解決したらノートに纏める気ではいたけれど、それを今?

 サヤツミはあれこれ悩んだり一喜一憂するのがもったいない時間だとでも言いたそうな顔だ。完全にこの先の流れを予想しているらしい。

 疑問を浮かべている間もコルムとケット・シーの声が響いていた。


「もしこのカーブを再現できたとしても、このワンポイントの模様は無理でしょう!」

「それはわかるニャ! まるで画家ハロック・ハーロのような繊細な筆さばきで描かれた模様! それに包まれて眠る素晴らしさったら!」

「この持ち手のシンプルさも先祖のこだわりで……」

「わかるニャ! 大き目のフォルムに対して控えめな持ち手は可憐だニャ!」

「……」

「……」


 突然無言になった二人はしばらく見つめ合い、そして更に突然お互いの手を握った。


「まさかここまでこの壺の良さをわかって頂けるとは……!」

「僕もアツくなりすぎましたニャ。あなたの壺愛はホンモノですニャ……!」

「ここは和解しましょう。毎日交代で手元に置くのはどうですか? こちらは代わりに壺について語り合えればいいので」

「それは願ってもない申し出ですニャ!」


 でも申し訳ないからお借りする日は魚も持って行きますニャ、とケット・シーはにこにこしながら言い、コルムも満足げに頷く。

 無言のままサヤツミを見上げると彼もにこにこしていた。

 私はそのままアズラニカに視線を移す。


「これって人助けっていうより……」

「ゼシカ」

「壺マニアのトラブルに巻き込まれただけなんじゃ……」


 アズラニカは目を細めつつ口の前で人差し指を立てた。混乱しているところに別角度から混乱するから唐突に可愛いポーズをするのはやめてほしいわ。

 思わず閉口しているとサヤツミがけらけらと笑った。


「帰りに俺おすすめの特大パフェを奢ってあげよう」

「ええ、うん、まあ、言いたいことは色々とあるけれどそれで手を打ちましょう」


 帰ったら色々とノートの書き方を考えなきゃいけなさそう。

 そうひしひしと感じながら、私はサヤツミに言われた通り記録に纏める準備を頭の中でしておくことにした。

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