攫われ姫ゼシカの実記 ~攫われる姫に転生しましたがこの国はもう駄目なのでこのまま嫁いで記録官として生きます!~

縁代まと

第1話 攫われた方が平和なわけで

 足を滑らせ橋から転落死。

 それが私の死因だ。


 橋の下には大きな川が流れていたけれど、高さから考えると落ちた段階で即死していてもおかしくない。もし生きていても身動きが取れず溺死していただろう。

 と、そんな風に死因についてあれこれ考えていたのは死んだ瞬間を思い出せないから、というのもあるのだけど――最も大きな理由は、目覚めるとまったくの別人になっていたからだ。


 平均的な日本人の成人女性だったはずなのに、鏡に映ったのは薄水色の長い髪に金色の目をした女性だった。

 氷の彫刻のような美しさに『鏡との間に美人の写真が貼ってある』と錯覚したくらいである。

 しかしその錯覚を裏切るように、鏡に映っていたのは『私』だった。


 そんな事実に眩暈を覚えたのが丁度ひと月前の朝のこと。


 あれよあれよという間にこの年まで生きてきた月日の記憶が蘇り、周囲から得た情報も合わせたことで私はファルマという国の第一王女ゼシカ・アンバーロートだということがわかった。


 そのゼシカ、私の記憶が確かなら18歳の誕生日に魔王アズラニカに攫われてしまうはずだ。


 なぜそんなことがわかるのか?

 答えは簡単、この世界が以前プレイした古典的王道ゲームの世界だと気づいたからよ。

 あまりにも昔すぎて記憶の彼方に消え去っていたけれど、名前や容姿から徐々に思い出し、細かな符合を確認していってようやくはっきりした。


(あの時死んだのだとしたら、私はゼシカとして生まれ変わった? それとも憑依した? もしくはこれは夢の中で、本当は病院のベッドで眠っているだけ……?)


 どれも確かめようのないことだ。

 けれど憑依と呼ぶには私は私という自我を保ったままゼシカ・アンバーロートとしての記憶を持っているし、今はそれまでと同じゼシカとしての思考をできる。

 記憶が安定してからは自分がゼシカだという事実にも違和感を感じなくなっていた。

 同化しちゃったんじゃないかとも思ったけれど、私がこれだけはっきりと自我を保って記憶を共有しているのに独立したゼシカの自我がまったく見当たらないっていうのはおかしいだろう。


 これが夢の中……っていうのもあり得ない話ではない。

 ただすべてがあまりにも鮮明だし、お腹が空いたり眠くなったりもする。疲れはきちんと感じるし、イスに足をぶつけた時は痛みに悶絶した。本当に痛かった。

 それに私の知らない知識を持っている人も多くて、そんな知識まで整合性を保ったまま夢の中に再現したとは思えない。


(つまり消去法であのゲームっぽい世界に転生したってことなんだろうけど……人の名前や国の名前に違いがないってことは、これからの展開も概ね同じになる可能性が高いってことよね)


 そんなゲームの最初のイベント『魔王に攫われる姫』が発生するのが明日だ。


 普通ならここで危機を回避するために試行錯誤するところだろう。

 イベントが発生した翌日に魔王を打ち倒す勇者、つまりゲームの主人公がファルマに来るはずだから、少なくともそれまで逃げおおせれば守ってもらえる。

 まあ開始直後のステータスのままだったらどうなるかわからないけれど、この世界で人のステータスを見るすべはないので、守ってもらいたいなら数値に関わらず勇者は魔王に勝つと祈るしかない。


 しかし私には祈る必要なんてなかった。

 なぜなら、そう、私はそのまま魔王の国ナクロヴィアの一員になる気満々だからである。



 ファルマの王、つまり私の父グローネストは愚王であり暗君中の暗君。

 贅沢大好き人間で、その贅沢に慣れすぎて大抵のことは『当たり前』の日常的なものだと思っている。

 その何となく作らせて適当に残した高級料理にどれだけのお金と他人の時間が消費されたかなんて目もくれない。

 もちろん国の財政も傾いていて、税を重くするだけでなく新たな税を追加までしていた。

 なによ呼吸税って。

 ファルマ国内の空気も国の財産のひとつである、って名目らしいけどおかしすぎるわ。


 そんな父の妻、私の母メランチアーネは『若さ』に固執したヒステリックで幼稚な性格。

 若さを維持するためなら何でもやる人で、それも財政が傾く原因の一つになっていた。あと正直言って維持はできていない。

 加えて自分は生き物に優しい人間だと思っているようで、犬猫に無尽蔵に金を使う一方、人間に対しては粗雑に扱っており、野生動物のハントを眺めたりヘビをわざと戦わせて競わせたり、毛皮集めに余念がない。

 犬猫は可愛いし罪はないけれど、これで生き物に優しいと言い張るのは少し無理があるわ。


 そして兄であり王太子でもあるゼナキス。

 彼は私から見ても権力に固執して人の心がない。

 それだけならまだしも、兄は妹である私を生贄に魔法を使い力を得ようとしていた。たまたま誰かと言い争う声が聞こえて私の知るところとなったが、どうやら兄は私の誕生日の翌日に儀式を行なおうと考えていたようだ。


 どのみちここに居ても碌なことにはならない。


 ……ゲーム内でもこんなに腐った国だったかな、と一瞬疑問に思ったけれど、考えてみれば主人公にすべて丸投げしていた国だもの。これくらい腐っててもおかしくはないわよね。


 そんなこんなで私は知り得た情報をすべてノートに纏め、どうしても持っていきたい私物を纏めて誕生パーティー会場へと赴いた。

 まるで今から旅行にでも行くような出で立ちに両親と兄様だけでなく来賓たちも目を丸くする。

 そのうち何人かが私のご機嫌取りのためかドレスを誉め始めたが、これはパーティーのためではなく手持ちの服の中で最も動きやすいものを選んだ結果だ。パーティー用ではないのは一目瞭然で、口にしたのがお世辞だと丸わかりだった。


(ああ、これで魔王が来なかったらとんだ赤っ恥だけれど――)


 そんな心配は杞憂に終わった。

 天井に嵌め込まれた美しい丸窓が割られ、真っ黒なドラゴンに乗った男性が会場に舞い降りる。

 彼は角を生やし、長い黒髪を高い位置でお団子のように纏めてから垂らしていた。

 目は涼しげな水色で、私の髪と似ていて少し親近感が湧く。服は黒を基調とした質の良いもので、夜明けのような群青色のマントが体を包んでいた。


 彼こそがファルマのゼシカ姫を攫う魔王アズラニカだ。


 アズラニカは駆けつけた兵士たちを黒炎で牽制すると私の手を引いて抱き寄せた。

 そしてその場にいた全員に聞こえるように言い放つ。


「第一王女ゼシカは私が貰い受ける!」


 きちんと予定通り姫を攫いに来たアズラニカにホッとしつつ、私も全員に聞こえるように言い放った。


「私たち、結婚します!!」

「……」

「……」

「――は!?」


 一番ぎょっとしたのは私を手中に収めたアズラニカ本人だった。

 私が彼のもとへ行った方が――嫁いだ方がいいと思った大きな理由。それは魔王アズラニカがゼシカに惚れ込み、今回の誘拐事件もゼシカと結婚するために決行したということだ。

 悪役ではあったものの姫への愛は確かなものだったと記憶している。

 もしかしたら細かなところは間違えて覚えてるかもしれないけれど、そもそも主人公視点で物語は進んでいくため、二人の出番は最終戦まで無かったから印象深かった。多分合っているはず。


 万一間違っていてもファルマに留まるよりは良い結果になる。

 それに、ゲームをプレイしていた当時の私には推しが居た。推しという言葉すらまだ無かったけれど、一番のお気に入りだったので相違はない。

 その推しは過去の魔王の国ナクロヴィアで活躍した偉人四人組で、その中にはアズラニカの先祖も含まれていた。


 つまりナクロヴィアに行けば聖地巡礼も出来るといった寸法だ。


 私の思惑を露ほども知らないアズラニカは混乱を極め、そしてようやく私の言葉の意味を理解したのか――目にも留まらぬ早さで真っ赤になった。ご丁寧に尖った耳の先まで赤い。

 それどころか首元まで赤くない?

 そう思っていると兵士たちが騒ぎ始めた。


「おのれ! 魔王め、姫様を洗脳したか!」

「なッ、……え、ええい、そうだ! 私はゼシカと結婚する! 腐り果てた人間の国とその民よ、さらばだ!」


 仕切り直したアズラニカは私を抱いたままドラゴンに乗り込むと、天井の大穴から広い空へと飛び立つ。

 さあ、私のこの行動が吉と出るか凶と出るかはわからないけれど――


「し、仔細を話すのは我が国に帰ってからだ。いいな?」

「ええ、もちろんです!」


 ――未だに赤さの引かない彼の横顔を見ていると、やっぱり故郷に居るより良いと確信できた。

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