【短編】腐る前に死体を片付けなければ!

佐久間 譲司

腐る前に死体を片付けなければ!

新納篤彦にのう あつひこは、自宅にあるガレージに入った。その途端、粘つくような熱気が全身を包み、つい顔をしかめる。


 この熱気は、八月に入り、急激に気温が上がったせいで発生しているものだ。行楽真っ盛りの夏が来たとは言え、今年は異様な気候が続いていた。まるで、日本全土が熱帯化したかのような状況だった。


 このガレージには、空調設備がない。そのため、溜め込んだ熱を外に放出できず、温室のような環境になっているのだ。


 本来は、ここに車が置いてあるはずだったが、理由があって、車は外に出している。いくら温室化しているとは言え、外の直射日光に比べれば、ここの方が、まだ車は熱を持たない。にも関わらず、外に出しておく必要があった。


 その原因が、ガレージの中央に見える。


 篤彦は、『それ』に近付く。『それ』は、天井から伸びたロープによって、吊り下げられていた。ロープは、天井に打ち付けられた杭によって支えられている。そして、真下には、大きな金ダライと、ビニールシートが敷かれてあった。この作業を行うだけで、滝のように汗が流れ、脱水症状を起こしかけてしまった。それで、先ほどまで、自宅にて休んでいたのだ。


 それでも、完全に回復しない体調のまま、再び作業へ戻らざるを得なかった。


 時間がないのだ。『それ』は、この暑さによって、すぐに臭気を発する。そうなれば、近隣にその臭いが届き、大騒ぎになるだろう。


 篤彦は、『それ』に鼻を近付け、臭いを嗅いだ。僅かだが、生ゴミに似た臭いがする。早く事を進めた方がいい。


 篤彦は、『それ』の前に並べてあった刃物類に目を落とした。これらは、猟師だった父が愛用していた物だ。三年前、父が亡くなり、どう処分しようか考えあぐねていた所に、今回のトラブルが発生した。こんな形で役に立つとは思わなかった。


 篤彦は、刃物の内の一本を手に取った。それは、よくある家庭用の包丁よりも、鋭角的なシルエットをした、骨スキナイフだ。藤寅工業製のコバルト合金の重厚な刃物で、本来は骨と肉を分離するために使われるのものだが、その切れ味と汎用性により、解体全般に適用することが可能となる代物だった。


 篤彦は、『それ』の喉元に骨スキナイフを刺し入れた。入念に手入れをしたため、抵抗なく、ナイフは、吸い込まれるようにして埋没する。


 そして、喉元から、腹部まで、切り開いていく。可能な限り、内臓は傷つけないようにしなければならない。胃や腸の内容物が外に溢れると、独特の臭気が発生する。それは、まずかった。


 腹部まで難なく切り開いた後、中に手を突っ込み、内臓を掻き出す。すると、驚くほど簡単に内臓は外へと取り出せた。薄ピンク色をしたこれらの内臓は、ただ単に、肉の袋の中に収めてあっただけだとわかる。生き物は、いかようにも単純な造りをしているのだ。腹を割かれただけで、腸が飛び出すのも得心がいく。


 ただ、肛門と食道は繋がっているので、切り離す必要があったが。


 取り出した内臓類は、下に置いてある金ダライの中に入れた。思ったより内臓そのものの臭いはなく、辟易する心配は無用だった。


 ぽっかりと腹が切り開かれた『それ』を前に、篤彦は、しばし考える。


 皮を剥ぎたいが、先に解体した方がいいのだろうか。それとも剥ぐのが先か。


 少し考え、皮を剥ぐことにした。やはり、ワンシークエンスごと、しっかりと作業を行わなければならない。


 篤彦は、骨スキナイフを置き、新たに刃物を手に取った。


 その刃物は、先端がマシェトのように湾曲した刃物だった。ドイツにある刃物メーカーの老舗、ゾーリンゲン社の皮剥ぎ用ナイフであり、刃は炭素鋼で造られている。粘りの強さと、非常に鋭い切れ味を誇っている、優れた一品だった。


 篤彦は、首元に切れ込みを入れ、そこから皮と肉の間にナイフを挟み込む。そして、皮を引っ張りながら、肉と皮の角度が鋭角になるようナイフを添わせ、剥いでいく。


 糊で張り付いている布を、引き剥がすような感覚に似ていた。内蔵の時もそうだったが、思ったよりもスムーズに、剥ぐことができている。創造主は、生物のパーツを単純に組み合わせただけで済ませたようだ。ちょっとしたことで、これらのパーツは、バラバラになってしまう。


 とは言え、いくら簡単に進められても、相当の重量物だ。おまけにこの暑さである。終わる頃には、汗だくになっていた。再び、脱水症状を引き起こしそうだった。


 篤彦は、皮をほぼ全て剥ぎ終えた『それ』に目を向ける。豚や牛の解体工場に吊り下げられているような、肉の塊と化していた。しかし、『それ』の原型はまだ損失しておらず、生々しさと、グロテスクさは健在だった。ブロック分けすれば、今度こそ本当に、解体工場の肉と化し、気持ち悪さはなくなるだろう。


 ゾーリンゲンのナイフを置いたところで、背後に人の気配があった。


 振り向くと、ガレージに入ってくる美代の姿が目に入った。手には、糸鋸と、水の入ったペットボトルを持っている。


 「どう? 進んでいる?」


 美代みよがペットボトルをこちらに手渡しながら、そう訊く。


 「まあまあだよ。思ったよりスムーズに捌けているけど、時間はかかりそうだ」


 篤彦はそう答えると、受け取ったペットボトルを開け、中の水を一気に飲む。相当喉が渇いていた。それを察して水を用意するとは、さすが美代。長年連れ添っただけのことはある。


 「あとどれくらいかかりそう?」


 美代は、篤彦の肩に手を載せる。つい、その手に触れそうになったが、今は手が汚れていた。美代の手を汚したくはないので、我慢する他ない。


 「完全に解体するまで、三時間といったところかな」


 「そう。わかった」


 美代は、頷く。美代は左手に糸鋸を持ったままだった。美代の妖艶な肉体と、糸鋸という物騒な道具のギャップに、異様なほどの色気が、美代から発せられている気がした。


 「どうしたの?」


 篤彦の舐めるような視線に、美代は怪訝な表情をする。


 「美代」


 篤彦は言った。


 「キスしてくれ」


 篤彦の唐突な頼みに、美代は面食らう。その顔付きですら、愛おしい。


 「もう」


 美代は、すぐに柔らかい笑みに変わった。自身にかけられた頼みが、嬉しくて仕方がないといった様子だ。


 美代は篤彦の正面に回り込み、優しく口付けをしてくる。本当は抱き締めたかったが、手のせいで、それはできない。


 キスを終えた篤彦は、再び作業に取り掛かった。


 皮を剥ぎ終えた『それ』の手足を切り離すことにした。よりコンパクトにするためだ。


 首はすでに落としてあるので、四本分、行わなければならない。


 最初は、美代が持ってきた糸鋸を使い、四肢の間接部から切り離そうとしたが、上手くいかなかった。どうやら糸鋸は、肉や骨を切り落とすことには不向きらしく、すぐに使い物にならなくなった。その原因は、糸鋸の刃に纏わり付く肉片と油だった。直刃ではないギザ刃であるため、刃の間にそれらの物質が入り込み、機能を著しく損なわせるのだ。


 篤彦は、糸鋸の使用を断念した。そして、これまでと同様、骨スキナイフをを使い、切断を試みる。


 当初は上手くいくかと思ったが、これも難儀した。筋や肉は問題なく切ることができたのだが、骨が障害だった。特に大腿骨は太く、頑丈であるため、骨スキナイフでは難しかった。元々、そのような用途に適している刃物でもない。


 そこで、小振りの鉈を使うことにした。骨を露出させ、そこに目がけて鉈を振り下ろすと、簡単に切断することができた。そして、その後は、再び骨スキナイフで残りを切る。


 そしてようやく、足の一本を切り落とすことに成功した。


 残りの手足のことを考える。


 始めから鉈を使うことも考慮に入れたが、鉈は遠心力がないと機能しない。そのため振りかぶる必要があった。そうなると、同じ場所に何度もピンポイントで叩きつけることが困難で、『それ』の体をひどく痛める危険性があった。おまけに、振りがぶって叩きつける動作により、周囲に肉片や血を撒き散らす恐れもある。それは避けなければならない状況だった。


 ここはやはり、先ほどと同じように、骨スキナイフと鉈のコンビでいくしかなかった。


 篤彦は、再び作業に取りかかった。



 

 『それ』の四肢を全て切断し、切り落とした手足の先も分離させる。この分離させた手足の先は、後ほど細かく砕く必要があった。


 一通り作業が一段落し、篤彦は、ホッと息を吐いた。目の前の『それ』に目を向ける。


 腹が抜かれた、皮のない胴体のみの物体だ。こう見ると、生肉工場で、これから加工される動物の肉と何ら変わりがない。原型がある間はおぞましさがあったが、こうなると、何も感じなくなるのは、不思議なものである。


 篤彦は立ち上がった。それにしても暑い。この暑さのせいで、『それ』が即刻痛んでしまう。よりによって、異常気象がこんな時に重なるとは。この夏は、ついていない。


 それでも篤彦は、休憩を取ることにした。目処が立ったし、これ以上続けてしまうと、本当に倒れてしまう。


 篤彦は、ガレージに備え付けられた水道で手を入念に洗うと、自宅へと入った。


 その場に吊り下げられ、肉の塊と化した『妻』を残したまま。


 家に入った篤彦は、美代と共に、シャワーを浴びた。美代は汗をかいていないはずだが、篤彦の願いで、共に入ることになったのだ。


 シャワーを浴びながら、篤彦は、美代の麗しい肉体を堪能する。美代の嬌声が、風呂場に響き渡った。


 これがしたかったために、作業を一旦切り上げたと言ってもよかった。さきほど美代と触れ合った時から、欲求が溜まっていたのだ。


 やがて二人は、風呂場を出て、二階の寝室へと向かった。そして、そこにあるダブルベッドにて、体を重ねる。ここで、幾度となく、美代の肉体を貪ってきた。本来は、妻の『沙織さおり』と共に寝るために購入したベッドであったが。


 もちろん、『沙織』とも何度もここで行為を行ってはいた。夫婦であったため、当然だった。


 自身の体の下で喘ぐ美代をさらに攻め立てながら、篤彦は今は肉の塊になった『沙織』のことを考えた。


 あのくそ女め。


 篤彦は、心の中でかつて妻だった女を毒づく。


 美代との関係を知った『沙織』の罵倒を今でも覚えていた。夜叉のような顔、とはあのような顔付きを言うのだろうと、篤彦は確信した。人間の醜悪さを凝縮したような、醜さがあった。


 美代との関係が発覚したのは、まさしく、この部屋、このベッドの上だった。『沙織』が休日出勤でしばらく帰ってこないだろうと、すっかり油断していた。今にして思えば、『沙織』はすでに二人の関係を看破しており、確信を持って戻ってきたのではと思う。もしかすると、休日出勤自体、嘘だったかもしれない。


 篤彦は、悶え続ける美代に、口付けを行った。美代は夢中で吸い付く。


 戻ってきた『沙織』は、行為に及ぶ二人を発見し、強く罵った。汚物でも見るような目で二人を見てきた。


 しかし、許されないことが起こった。『沙織』は、美代を平手で叩いたのだ。あのゴミ女が。俺の美代を。


 頭の中がマグマのように真っ赤に染まり、気が付いたら、『沙織』を絞め殺していた。目玉が半分飛び出て、舌が驚くほど外へと垂れ下がっていたのを今でも鮮明に覚えている。


 かつて妻だった死体を前に、篤彦は後悔はなかった。もとより、美代の方を愛していた。『沙織』など美代に比べれば、取るに足らない存在だった。世間体のために丁度良い女だったから、結婚したまでだ。


 そもそも、美代は、『沙織』と結婚する前からの付き合いなのだ。『沙織』と結婚したのは二年前だが、美代との付き合いは、それよりも遥か前からあった。深い関係になったのは、三年前。妻と初めて体を重ねるより前に、篤彦は美代を抱いていたのだ。


 美代との絆は何よりも深い。篤彦はそう確信していた。だから、この逆境も、乗り越えられる。


 篤彦は、美代とほぼ同時に果てた。美代は、汗にまみれ、精魂尽き果てたように、ぐったりとしている。篤彦は、そんな美代に、再び優しく口付けを行った。


 その後、二人は再度、シャワーを浴びた。美代の汗ばんだ白い肌を洗っていると、首筋に、いくつか赤い斑点があることに気が付く。これは、自分がつけたキスマークだ。


 そこで篤彦の中に、悪戯心が生まれた。首筋に、何度も口付けをする。わざと、跡が残るように、強く吸う。篤彦の意図を知った美代は可笑しそうに、やめて、と笑ったが、まんざらでもなさそうだった。


 シャワーを浴び終え、二人は昼食に移った。メニューはハンバーグだ。真夏の昼には重い食事だが、精がつくようにと、美代が作ってくれたものだ。慣れ親しんだ、美代の料理。


 食卓で、テーブルを挟んで食べている篤彦に、美代がハンバーグを一口サイズに切り、箸を使って食べさせようとする。あーんと、美代は甘えた声を出す。


 篤彦は、口を開け、美代が差し出したハンバーグを口に入れる。


 篤彦は、同じように、ハンバーグを切り、箸を使って、美代の前に差し出す。


 「さあ、母さんも」


 思わず、美代を代名詞で呼んでしまい、篤彦は口を噤んだ。美代が責めるように睨む。いけない。もう俺達は親子ではなく、恋人なんだ。


 篤彦は、かつては母親であり、今は恋人の美代に、ハンバーグを食べさせた。そして、お互い、微笑み合う。心の底から、愛おしさと暖かさが込み上げてくる。

 

 さあ、食事を終えたら、解体に戻ろう。もう暑い夏は来てしまった。妻であった『沙織』が腐敗する前に、片付けてしまおう。美代とこれから幸せに暮らすために、この困難を乗り越えよう。俺達は負けない。


 篤彦は、決心した。

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