屋上に、瞳の焼ける

 婚約がどうとかいう話を保健室でした翌日、登校して初めて感じたのは奇異の視線だった。

 そりゃあそうだ。何せ俺は転校生だ。転校生というのはそれだけでそれなりにちやほやされるものである。

 その為に、俺もちやほやされるのを待っていたのだが……誰一人として話しかけには来ない。


 と、クール(当社比)かつシニカル(当社比)な笑みを浮かべて席に座っていると、遠巻きに俺を見つめていた集団の中から、B+++がどうとか言っていた、派手めな女生徒がこちらに歩み寄ってきた。


「ねぇ、例の噂って本当なの?」


「すまないが、例の噂とは……? 生憎、浅学非才なものでこの学園の事情はとんと来ないんだ」


 クールかつ理知的なキャラを目指して作った慇懃な態度で応答する。

 時代は熱血系よりもクール系だ(個人の感想です)。


「この学園を運営する一族……宵ノ宮家の分家、夜歌のお嬢様と貴方が婚約した、っていうの」


 情報が広まるの速すぎないか?

 一体何処から漏れたんだ。あの場には俺と夜歌さんと保険教諭──盈月えいげつ華月かづき先生しか居なかった筈なのだが。


「……それは」


 と、そこまで口に仕掛けて視界の端に、夜歌さんが教室に入ってくる様を捉えた。

 このままだと嫌な予感──具体的には姦しい話が始まりそうな予感──がするので、此処は夜歌さんに任せよう。


「おっと、すまないが入方教諭に呼ばれていたのを思い出した。悪いが、この話はまた後でも良いかな?」


「おぉ〜? なんだねその反応は〜!」

「あの反応……! 噂、やっぱり本当なんじゃ……」

「あいつ……! 夜歌のお嬢と……いや、羨ましくは無いな。あの人面倒くさそうだし……」

「お前、そんなだからモテねぇんだよ」

「は? なんだそう言うテメェは彼女居るのかよ? あぁ!?」

「居るから言ってんだよ。ほら、見ろよこのロケット」

「ぐぁぁぁぁぁあ! き、貴様ぁぁぁぁッ! 俺達を、裏切ったのか!? あの日の、太陽への誓いを……! 貴様ァッ!」

「ユダだ、ユダが居るぞォッ!」

「生かして帰すな、殺せェェェェ!」

「神楽だなッ!? 磔刑だ! 磔にしろッ!」

「ちょ、お前ら、辞め──ぐぁぁぁぁぁ!」


 ……なんか乱闘が始まった。おかしいな、普通、姦しい話題になって、こう、嫉妬される流れじゃないのか?

 いや、嫉妬されたい訳では無いのだけれど。


「……何故、古きカタチの決闘が始まっている? それに、何故ユダが出てきたんだ。裏切り者の代名詞だぞ?」


「あー…………。非リアの怨みか……」


 女生徒や夜歌さん、いつの間にか登校していた雪名君達と共に、殴り合いの大喧嘩を始めた男子生徒達を見つめる。

 傍から見たらバカを見る目をしている様に見えるのだろうか。

 ……後、本当に此処は名門なのか?


「──静まらぬか」


 と、澄んだ声が響く。さして大きな声量でも無いはずなのだが、なんでかそれは教室全体に響き渡るようにも思えた。


「15にもなって乱闘を始めようとは……。其方ら、皆纏めて処分を降されたいのか?」


 改造に改造を重ね、何処か振り袖の様になった黒の制服を身に纏った、夜歌さんの声だ。

 その一喝を耳にした途端、殴り合いをしていた男子生徒は慌てて服装を正し、真面目な生徒ですよー、とでも言いたげな済ました表情で席に着いた。


「良いか、次は無いぞ? 宵ノ宮一門の名に泥を塗る様な真似は許さぬ。其方らはこの"宵宮"の生徒故なぁ、貴様らが制服を纏っておる間は、その言動は全て宵ノ宮が責を持つのだ。故、生徒である間は如何なる狼藉も許されぬと知れ」


 空気に僅かな緊張が走る。乱闘していた男子生徒達がぎくりと、身体を震わせるのを見届けた途端、夜歌さんは教室から出て行った。


「雪名君、夜歌さんって一体……?」


 薄々感づいてはいたが、夜歌さん、この学園内でかなりの権力を持っているらしい。教師陣には何人か『兄』『姉』と呼んでる人がいるし、それが許されている。夜歌さんが何らかの弱みを握っているか、その立場が上なのだと思わざるを得ない。


「あれ、知らなかった? 此処の理事長は彼女の──夜歌家の本家、宵ノ宮の御当主様なんだよ。月架さんの従兄にあたる方らしいね」


「それに、宵ノ宮一族の人が何人か先生やってるわね。入方先生とか、保険の盈月先生とか。数学の東雲先生なんかもそう」


 権力云々じゃなくて、単純に親戚だから『兄』『姉』と呼んでただけなのか……


「夜歌さんというか、宵ノ宮の不興を買ったら一発で退学になるかもしれないから気をつけろよ〜?」


 雪名君と話している内に、人が集まってきていた。

 だが、昨日は早退してしまった為に名前が分からない。


「あ、自己紹介まだだったよね。皆、頼めるかな?」


 それを見透かしてか、雪名君が皆に声をかける。

 その次の瞬間、派手めな女生徒が手を上げて早速喋り始めた。


「花園千智でーす! 宜しくね、B+++君!」


 だからそのランクは何なんだ。

 周りの男子生徒は妙に驚いてるし。


「結城優弥。趣味は……強いて言うなら、スポーツかな。宜しく、折上君」


 次は明るい髪色をした、優しげな風貌の男子生徒だ。

 サッカーとかやってそう。


「白峰明。図書委員。本、借りに来てね」


 端的にそう言ったのは、お下げ髪に、丸眼鏡──いや、何だ、コイツ。パーティグッズヒゲ眼鏡掛けてやがるぞ。頭おかしいんか?


「氷室玲だ。風紀委員をやっている。……夜歌様の婚約者との事だが、君達はまだ未成年だ。清く正しく、健全な交際を……」


 お次は、制服をかっちりと着こなした女生徒だ。

 見るからに真面目、といった見た目。

 だが、ハサミを逆手に持った右腕を左腕で必死に押さえ付けている。怖い。


「富国春輝。帰宅部のエース。全日本帰宅大会で優勝した日本最強の帰宅者リターナーだ。そんな俺が所属する、競技制帰宅部に興味は無いか?

 ──そうか無いか。取り敢えずお前の席を入れておくな」


 やめろ。というかなんだその部活。

 帰宅部に競技制もクソも無いだろ。

 ……無いよな?


「相田日向。なぁ、知り合いに可愛い女の子は──ぐぼぁっ!」

「サイテー。……あ、私は鹿室文。弓道に興味無い? 

 ……そっか、無いか〜」


 次から次へと、クラスメイト達がやってきては端的に自己紹介を繰り返す。数分間もみくちゃにされていると、入方先生が教卓にやってきた。

 そのまま出欠を取るとの事で、皆めいめいに自分の席へ帰って行った。


「月架ー? まさかサボりかー?」


 ちらりと、左隣の席を見た。

 ──空席だ。


「あー……折上君、悪いんだけど屋上まで行ってきてくれないかい? 多分あそこに居るから」


 そう言って、入方先生はパチリとウィンクする。

 美形は何をやっても様になる。

 全く羨ましいぜ。


「遅刻扱いにはしないで下さいねー」


 †


 屋上に向かって階段を登る。

 登っている途中で、鍵が要るんじゃないかと心配になったが、今更戻るのも面倒臭いし夜歌さんが屋上に居るのなら鍵は開いている筈だ。

 多分、きっと、おそらく。


「あ、開いてた」


 ガチャリとドアノブを回し、金属の扉を押す。

 そうして視界に広がる青空に、目が眩んだ。

 ──蒼い、蒼い、どこまでも蒼い空だ。


「────っ」


 視線の先に、少女が一人。

 地面に座り、遥かな蒼空を見上げていた。


 高天を見つめるその姿が。全身に朝日を受けるその姿が。

 どうしようも無く──美しく、儚く、輝いて見えた。

 空に瞬く星の様な、優しく輝く月の様な、深く広がる夜空の様な……その少女は神話に謳われる美の体現者とすら思える程に。


「────ぁ」


 息を吐くのも忘れて、どこまでも美しい黒髪の少女を見つめる。

 ──ちらりと、少女がこちらを振り向いた。


「──っ!」


 銀色の、綺羅星の瞳。

 星の輝きを押し込めた、月白の瞳。

 どんな輝石だろうと及ばぬ輝きを宿す、その双眸が、俺を射抜いた。


「ふ、なれの言いたい事を当ててやろう。

 ──『ホームルームに顔を出せ』だろう?」


 くらりと視界が白く霞む。

 かはっと息を吐く音が聞こえる。

 どくどくと心臓が早鐘を打つ。


 ──四肢が弛緩し、膝を付く。


「な!? 折上、どうし──酸欠か!」


 慌てた表情を浮かべた、少女が走り寄って来た。


「何故呼吸をしていなかった!」


 夜歌月架の美貌を瞳に焼き付けて、それを最後に意識がブラックアウトした。


 †


 意識が急速に浮上する感覚。

 がんがんと頭を叩く様な鈍い痛み。

 それらを脳髄の奥底で感じながら、目を開く。


「……ここは……」


「目は覚めたか。吾が婚約者よ」


 嫌味ったらしく、態々『婚約者』と呼ぶ声。

 鈴の音の様に澄んだその美声には、これでもかと呆れの感情が詰まっていた。それはもう、どこぞのチョコレート菓子もびっくりな位、最後までたっぷりと詰まっている。


「蒼い、空──」


 開いた両目に蒼空が写った。

 ──となると、ここは屋上か。


「呼吸を忘れて酸欠に陥り、挙げ句気を失うとは……。なれは阿呆か?」


「……あまりにも、君が美しかったから」


 真正面から、思った言葉をぶつけた。


「──ふん、そうか」


 と、言い残すと夜歌さんはそっぽを向く。

 心なしか、微笑んでいる様にも見えた。


「……そろそろ起きよ。足が痺れてきた」


 その言葉と同時に、鈍っていた思考能力が冴えてきて、頭の下に柔らかい感触を感じた。

 ──恐らくは、膝。そして太もも。


 つまりは、ありとあらゆる男子学生が学生生活の内に抱くユメ、幻想。

 そして、実際にやっている奴らを見たら冷やかしたくなるアレ……。

 そう、伝説の『膝枕』を俺は、たった今経験しているのだ──!


「な、何故泣いている! まさか、そんなに苦しかったのか……!?」


 深く感じ入った俺は、両の眼から雫が流れ出し、頬を伝うのを自覚した。


「これが、伝説の……!」


 この瞬間、俺は人生の勝者となった。……気がした。

 クラスの奴ら殴り合いしてた連中に自慢してやろ──あ、俺変なキャラ付けしようとしてたんだ。

 チッ、迂闊にあいつらを煽れねぇじゃねぇか。

 キャラ付けなんざ辞めちまおうかな。そうしよう。


「おい、おい!」


「……へ? 何かな?」


「人間という物はな……存外重たい物なのだ」


 そう言って、夜歌さんはじろりと俺を睨む。


「イエス・マム!」


 そのままだと、こう……殺られそうな雰囲気を感じ取った俺は、直ぐ様飛び起きた。


「分かっておるとは思うが……無用に触れまわれば、最早幸福には暮らせぬと思え」


「具体的には──」


「無論、この地で起きた総てだ」


 そう言って、一欠片たりとも、俺を信用していない、とでも言いたげな目線を向けてくる。

 誰だよ、非リアの連中に自慢しようなんて思ってた奴。

 クラスの皆には内緒に決まってるよなぁ!


「何を百面相しておる、疾く戻るぞ。ホームルームなぞ、とうに終わっておるわ」


「え。……あ、本当だ」


 スマホで現在時間を確認してみれば、ホームルームなどとうに終わっているであろう時間だった。


なれ、今何処からソレを取り出した?」


 夜歌さんは狐につままれた様な表情でそう言った。


「隠しポケット」


「……なんと?」


「隠しポケット。制服の内側に上手いこと作った隠しポケットに突っ込んでた」


 見つかりそうになったら直ぐ様しまって隠蔽ができる様に、ボタンを1つ開けるだけで取り出せる様な位置に作っている。


「……何故、そのような事を」


「スマホの持ち込み禁止でしょ?」


「それは、そうだが……そこまでして持ち込む物か? 皆、持っているとは聞くが……」


 ……もしや、夜歌さんスマホ持ってないのでは?


「今時の学生はスマホが無くては生きていけないんだよ。SNSっていう闇から生命活動に必要なエネルギーを摂取してるからね」


 俺に悪魔が『からかってやれ』と訴えるので、ある事ない事を吹き込んでみる。生憎天使は出てこなかった。

 良心なんてそんなものだ。


「な、なんと……! 昨今の学徒は、その様な生態を……!?」


 アレ? 信じてる?


「因みにだが、SNSとやらからエネルギーを摂取せねばどうなるのだ?」


『冗談だよ』と口にしようと思った途端、夜歌さんは酷く驚いた様な表情を浮かべ、何やらぶつぶつ呟き始めた。


「まさか、死に至るとでも言うのか!? な、ならば吾もスマホを入手せねば……! ──情報提供感謝しよう!」


 吹き抜ける風の様な速さで、夜歌さんは駆けて行った。

 それになんでか、俺の言った冗談を真に受けているっぽい。

 

「おーい、冗談だって!」

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