隣の席の変な女子
夜月詠
プロローグ、或いは出会い
中学校3年の春、俺──
父が新たな事業の責任者に抜擢されたらしい。所謂栄転だ。それに伴い、今まで暮らしていた中国地方から京都に引っ越す事となった。2年生の時の冬の事だ。
当然、俺たち家族は大慌てだ。俺や妹の転校に関する手続き、今まで暮らしていたアパートの片付け。引っ越し先の家探し。そのお陰で3ヶ月はバタバタしていた。
非常に忙しかったので友人達との別れを悲しんでいる暇なんて無かった。それはそれで有り難かった。
別に、一生の別れという訳でも無いのでそこまで悲しむ必要も無いだろうと飲み込んで、無数の
そうして4月3日、私立宵宮学園──中高一貫の私立だ。それもかなりの名門。父は凄く頑張った──の始業式に出席する。
†
担任の入方先生と並び立ち、横開きの木製の扉に手を掛ける。だが、緊張のせいか手に力が入らない。
それを見通したのか、入方先生が声を掛けてくれる。
「はは、緊張してるね。分かるよ、私も大学進学の時とか同じように全身が弛緩したからね。あぁ、本当はもう少し時間を上げたいんだけど……」
そう言って、入方先生は日本人離れした銀色の瞳を腕時計に向け、整った顔立ちを僅かに曇らせた。
「時間が無いんだ。悪いが今回は私が開けるよ」
そう言って、黒髪銀眼、長身の担任──入方月葉は扉を開いた。その瞬間、俺の鼓膜に生徒達……いや、同級生達のざわめきが入ってきた。
「せんせ、彼が転校生?」
「くそ、男かよ! 賭けが……!」
「はい、俺の勝ち。ジュース奢りな」
「ん~、Bって所? いや、あのタレ目は誰かに刺さる可能性が……B++に修正しときましょうか」
おい待て、人の性別で賭けしてる奴がいたぞ。ここ一応由緒正しい名門校の筈だよな。
あと派手めな女生徒の言葉が怖いんだけど。B──いやB++って何? 喜ぶべきなの?
──と、そんな事を考えている内に入方先生に教壇まで来る様言われたので完璧なポーカーフェイスかつキリッした(当社比)表情をとって移動する。
その最中──窓側の一番後ろの席、妙なポーズをとった女生徒が妙に目に付いた。
「さ、折上君。自己紹介頼むよ」
「──から来ました。折上佳汰です。趣味は天体観察、特技は暗算で、四桁位までなら即座に計算できます。一年間──いや、違った。四年間宜しくお願いします」
無難極まる自己紹介の後、一礼。
すると、皆優しいのか万雷の拍手で迎え入れてくれた。
「天体観察……良い趣味ね。B+++に修正しましょう」
だからソレ何?
「よしよし、それじゃ、折上君の席は彼処だ」
我等が担任、イケメンの入方先生は窓側から2列目の一番後ろの席を指さした。
「あー……
なんだか微妙に歯切れが悪い。
それにクラスの皆も何処か『あー……災難だな』とでも言いたげな空気を漂わせている。
……不安になるんだが。
「……その、宜しく?」
指し示された席に移動し、左隣の女生徒の方を向く。
黒のボブカットに蒼色のメッシュ、入方先生と同じ様な銀色の瞳の少女。異様なまでに整った顔立ちに気後れしそうになったが、隣の席の人に話しかけないのもアレなので息を飲んで話し掛ける。
「ふ、そう張る必要はあるまいよ。
──変な人だった。何と言うか……こう、言葉遣いが古めかしい。というか間近で見たら制服もゴリゴリに改造している。何かこう……和服っぽい。明らかに専門の人間の手が入ってる。改造なんてレベルじゃねーぞ、おい。
「あ──はは、折上君、びっくりしてるね」
驚きのあまりフリーズしていると右隣の女生──いや、男子生徒か? に声を掛けられた。
くりっとした長めの黒髪、まん丸の大きな瞳、桜色の頬……美少女といっても差し支えない容姿だ。
だが──骨格は男子そのものだ。脳がおかしくなりそう。
この学校、妙な奴多くないか?
「彼女──
言い難そうに、目を伏せる仮称:男の娘。
「言動がアレなんだ。大目に見てあげてね?」
「りょ、了解……」
そう言うのがやっとだった。何せクラス……というかこの学校の敷地内に入ってから変な奴か妙な人しか見てないのだ。隣の女生徒とか、隣の男の娘とか。
あと入方先生も大概だ。あの人アイドルになれそうな位容姿整ってるぞ。
「あぁ、そうだ。自己紹介まだだったよね」
そう言って、仮称:男の娘はつらつらと自己紹介を始めた。
「
男の娘──雪名君は、そう言い切ってパチリとウィンクする。
(ぐ……! か、可愛──)
咄嗟に舌を噛む。口内に広がる鉄臭い血の味と、鈍い痛みが俺に冷静さを与えてくれた。
「ぐふ……!」
「ど、どうしたの!? きゅ、急に血が……!」
危ない。ときめいて恋してしまう所だった。
だが雪名君は男だ。
「せ、先生──!」
俺の口元の出血を見て、青褪めた雪名君は慌てて入方先生を呼ぶ。が、左隣の席の
「む、待たれよ。月葉兄は元より皆は始業式に出席せねばならん。折上殿は吾が華月姉の元まで連れ行こう。
──月葉兄よ、それでも良いかの?」
やはり古めかしい言葉を使う
「あぁ、月架は保険委員だったね。良いよ、折上君は任せた。あ、月架は始業式ちゃんと来いよ〜」
え? 任せちゃうの? 不安とは言わないけどこの人、やりにくいんだけど。
「相承った。では行こうか、折上殿」
有無を言わさぬ無言の圧。にこりと微笑んでいるのだが、速く動けと言外に圧されているようだ。
「ひゃ、ひゃい……」
噛んだ舌が発する鈍い痛みのせいで呂律が回らない。そのせいか間の抜けた返答をしてしまった。
恥ずかしい。
「うむ。よほど痛む様だな。うん、貴殿の症状を共に診ていたとなれば式に遅れても問題はあるまい」
がしりと、俺の手が掴まれた。
──と、そんな事を考え呆けていたのは一瞬だった。
「あ、こら! 月架サボる気──くっ、速い!」
俺の手を掴んだ
転けて痛い思いをするのもいやだし、
「廊下を走るな──!」
クラスメイト達の呆れた様な笑い声と、入方先生のお叱りを耳にしながら、教室を幾つか通り過ぎた。
その頃には、出血は止まっていたが未だ鈍い痛みは残ったままだ。
「好し、これで面倒な始業式から逃れられる。その上目的地に辿りついた。保健室は此処だ」
そう言ってニヤリと不敵な笑みを浮かべた
だが──、
「
「な、何──きゃ!」
それなりに勢いの付いた俺が突然停止できる筈もなく、それなりに勢いのついたまま、立ち止まっている
「痛っ……!」
咄嗟についた左手に走る鈍い痛み。それと同時についた右手には何故か柔らかい感触を感じるが、左手の痛みでそれどころでは無い。
凄く痛い。いやもう本当に痛い。
「な、ななな……!」
「あ、ホントに無理。マジで痛い……!」
が、左手の痛みでそれどろこでは無かった。
歯を食いしばって、ゴロゴロと廊下にのた打ち回る。ゴロゴロと転がりながら、ひっひっふーと息を吐くと痛みは多少マシになってきたが、それでも痛い。
「な、
夜歌さんが何か言っている様な気もするが、左手の痛みでそれどころでは無い。絶対骨折れてる。
早退して病院行こう。
「ごめん、夜歌さん……! 早退するから先生には宜しく言って──!」
そう言い残して、荷物を取りに教室に向かおうとしたその時、扉の開く音と共に、夜歌さんのものでは無い女性の声が間近で聞こえた。
「何してんだぁ〜、保健室の前だぞ静かにし給えよ〜」
白衣を纏い、黒縁の眼鏡をかけた若い女性。恐らくは保健教諭。この学園内に入ってから三人目の黒髪に銀眼だ。夜歌さんや、入方先生、それにこの女性は親族なのだろうか。
「〜〜〜!
「え〜、ほんとー? ほんとなら捕まえて
「何を
「あ〜、その慌てふためき様からしてほんとなんだろうねぇ〜」
「そうだと言っておろう! 疾く捕縛するぞ!」
恐ろしく不穏な会話が聞こえた。というか、俺はいつ夜歌さんの胸を──あ、まさか、転けた時の柔らかい感覚は……。
「すいませんでした────ッ!」
冷や汗が浮かぶのを自覚しながら、流れる様にスライディング土下座を敢行する。
完璧なフォームから放たれる芸術的なまでの土下座によって、その芸術性を以て許しを請うという折上家、一子相伝の秘奥義だ(成功率50パーセント。記録上何回か失敗してる)。
「ぬ、大人しく頸を差し出すとは……中々骨のある──では無く!」
夜歌さんの激情が、憤怒が、雰囲気だけで手に取るように伝わる。そりゃあそうだ。事故とはいえ、赤の他人に突然身体──それも胸を触れられて怒らない女性が居るものか。
「其の罪、
そこで一旦、何やら思案するかの様に口を噤んだ。
「……吾等が宵ノ宮一門の掟だ。
「事故以外は"首"だもんね〜、この御時世じゃその辺り面倒だし事故で良かったよ〜」
さらっと恐ろしい事を言わないで欲しい。
"首"って何だよ打ち首獄門か? 怖すぎる。
「あ〜此処じゃ面倒だし
「む、そうだな。此処ではもう暫くで教諭陣や生徒達が集まってしまう。──立つが良い、話は内でだ」
保健教諭(仮)と夜歌さんに促され、立ち上がる。制服についていた埃を払って保健室内に立ち入る。
──清潔さを感じさせる白の壁紙、なにやら無数の書籍が詰め込まれた本棚、枕と掛け布団が敷かれたベッドが2つ。
典型的な保健室だ。
「さ〜座って〜。少年の〜、処遇を決めないと〜」
間延びした喋り方をする保険教諭(仮)。
なんだか眠くなってくるが、真正面に腰をおろした夜歌さんに睨まれた気がするので意識を保つ。
「否、その前に彼奴の治療を行う。手首と舌であったな?」
「あ〜、怪我人でもあったのか〜。すぐに治療を……あぁ、薬剤師免許と医師免許は両方持ってるから安心してね〜」
なんだこの人。本当か? 両方国家資格だぞ?
「宵ノ宮の権力でちょーっと、ズルしたけどちゃんと試験と研修は受けてるよ〜」
俺のそんな疑問を読み取ったのか、保険教諭(仮)が言った。なんだか知ってはいけないモノの雰囲気を感じるので深く切り込むのはよそうと思う。
「はーい、口開けて〜。あ〜、血は止まってるけど〜、一応止血しとくねぇ。ついでにお薬をぺいっと」
「ごっふぇ!?」
開けさせられた口の中に、謎の粉薬を流し込まれた。
それが腔内の粘膜に触れた途端、凄まじく苦味が発生して喉の奥底から酸っぱいものが込み上げてくるが、なんとか飲み込んだ。
「服用するタイプの鎮痛剤だよ〜。私が個人的に調合したのだから効果は保証しないけど〜。あ、あともう一つ飲んでねぇ」
そう言うやいなや、再度粉薬を流し込まれた。
次のそれは、苦いことは苦いが常識的な苦さだったので拒否感は出なかった。
「抗生物質〜。舌の出血箇所にも掛けといたから感染症は多分大丈夫〜」
多分って何だよ多分って。不安になってきたぞ。
「次は左手〜? ──此処は痛い〜?」
今度は俺の左手をとって、俺が痛がる場所を触って俺の反応を確かめている。何ヶ所か触られたが、最も痛かったのは手首だ。変に体重が掛かったのだろうか。
「あ〜……捻挫だねぇ。取り敢えず冷やしちゃお〜」
と、保険教諭(仮)が言った瞬間、夜歌さんが何処からか氷水の入ったビニール袋を持って来た。
「安心するが良い、ただの白氷と冷水だ」
そしてそれを、優しく患部へと当ててくれる。
「──ありがとう」
「感謝は要らぬ。その怪我は吾の責任でもあるからな」
夜歌さんは苦々しい表情で、そう言い切った。
しかし──
「だが、吾が躯に触れた事を見逃す訳には行かぬのだ。吾が夜歌家……宵ノ宮一門の未婚の女子の、秘すべき場所に触れておいて、ただで帰す訳には行かん」
怖気を感じる凄まじく圧迫感を纏いながら、そう言った。
「ゆ、許して貰うには……」
「そうも行かないんだよねぇ〜ここ数百年こんな事無かったとはいえ、きっちりと一門の掟書に記されてるから〜」
薄々分かってはいたが、恐らく夜歌さんはどこぞの名家のご令嬢、というヤツだ。なにせ複数回繰り返し出される『宵ノ宮一門』とか『掟』とかあからさま過ぎる。
そして俺は、そんなお嬢様の胸に触れてしまった、という訳だ。そう。名家のお嬢様である。
そりゃあ詰められる。
「
そう言って、夜歌さんは人差し指をすらりと立てる。
「1つ。
初手でいきなり切腹だ。え? 名家ってそうなの?
血生臭過ぎないか?
「2つ。吾と決闘を行い、その勝敗を以て罪を裁く道。吾はきちりと武道を仕込まれておる故、決して敗北せぬ」
お次は決闘と来た。臓腑が〜とかいってる時点でアレだが、決闘罪とか適用されないのか?
「……3つ」
最後の1つ。苦々しい表情で薬指を立てた。
「責任をとって、吾と婚約を結ぶ道。好きなものを選ぶが良い、と言いたい所だが。吾としては3つ目を、押そう……!」
……はい?
「あの、責任を取れと?」
「なんだ、切腹や決闘が良いのか?」
呆れを含んだ声色で夜歌さんはそう言った。
その瞳は『別にどれを選ぼうと俺の自由だが、死なれると寝覚めが悪い』と如実に物語っている。
というか実際に口に出して言った。
「責任、とらせて、頂きます……!」
死ぬのは嫌なので、3つ目を選ぶ他無い。それに、事故とはいえ女性の身体に触れてしまった手前、責任を取らないというのはどうかと思う。
それ故、3つ目を選ぶしか無かった……!
──折上佳汰、15歳。中学3年の春、婚約する。
あと、早退して病院に行ったけど結局ただの捻挫だった。
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