第18話 ただそばにいるだけで……

 見晴らしがいい場所は、まわりから目撃されやすい、ということでもある。

 わたしとアクストが、毎日村のすみの平地で酒を飲んでいる、というのはみなのウワサになっているみたいだ。

 カレンの耳にも当然、それは伝わっていた。


「じゃあ、今日も行ってくる」

「毎日お外でお酒を飲むのが領主のお仕事なのですか?」

「……だと思ってる」


 カレンはあきれ声で言うが、本気でとがめているわけじゃないようだった。

 でなければ、エール酒に合うようなつまみをわざわざ作ってはくれないだろう。


 わたしに向けられるのは、あの冷たいまなざしじゃない。

 むしろ、どこか好意的に見送ってくれているようにすら思うのは、気のせいだろうか?


「あまり深酒しないよう気をつけてください。ひどく酔っぱらって帰ってくるような人に、毎日ご飯、作りたくありませんから」

「ああ。キモに銘じる」


 カレンのご飯が食べられないのは困る。

 今日もアクストをあおって飲み競おうかと思っていたけど、ほどほどにしておこう。


 彼を無理に説得しようとは思わなかった。

 カレンがそばにいてくれるだけで、わたしは救われている、と気づいた。

 だから、わたしもアクストのそばにいよう。


 何もできなくても、一緒に酒を飲みかわし、寄り添うくらいのことはできる。

 領民に寄りそうのも、きっと領主の務めなはずだ。


 さすがに、初めて会ったときのように、終始無言ではない。

 お互いのことを少しずつ話すようになってきた。


 アクストの口からは、ぽつりぽつりと亡くなった家族のことを聞く。

 妻は彼より三つ下、幼なじみだったという。

 男女の関係になる前からよくいっしょに遊んでいたそうだ。

 先代の鍛治師の工房を継いだ際、妻としてめとった。

 それからは、この村のために、農具や身の回りのものを造りつづけた。


 ところが、初子を出産するさいの産褥熱さんじょくねつで、妻が亡くなり、その三日後に生まれたばかりの赤子も亡くなったという。

 その喪失感がいかばかりか、想像するにあまりある。


 わたし自身は両親の顔も形も見たことがないから、誰かの股のあいだから産まれたという意識があまりない。


 けれど、出産が死の危険をともなうものであることくらい、もちろん知っている。

 よくあること、と言えばそうなのかもしれない。


 けど、それが自分の身近で大切な人の身に起こったら……。

 幸せの絶頂のはずが、絶望へと変わってしまったなら……。


 なぜか、アクストの話を聞いて脳裏に浮かんだのは、カレンの姿だった。

 まだいっしょに暮らしはじめて三ヶ月。

 それも、同性同士で主人と世話係という関係でしかない。


 けれど……。

 もし、いまカレンがわたしのそばからいなくなってしまったら……。

 すぐに立ち直れる自信が、わたしにはなかった。


「情けねえとは自分でも分かってる。けど、どうしたって女房とガキの顔がチラつきやがる。つちを握る気になれねえんだよ」

「いい。無理をするな。飲め、アクスト」


 男泣きに泣くアクストに、わたしの目にも涙がにじむ。

 誰かにもらい泣きするなんて、初めての経験だった。


 説得も何もあったもんじゃない。

 ただ、二人で号泣し、カレンの作ってくれたつまみを酒で流しこむ。

 

 またある日は、酔ったアクストとともに怪気炎をあげ、誰に対してでもなく吠えることもあった。


「オレはな、もともとこんな田舎で終わるような男じゃねえんだ!」

「そうだ、お前の腕なら王都でも十分通用する。ともに名を挙げるぞ!」

「ああ。けど……これからだってときに女房のやつが」

「バカやろう、ウジウジ悩むな、さっきまでの勢いはどうした!? わたしとともに名を上げるんだろうが!」

「けどよぉ……」

「酒が足りてないんだ、酒が。飲め、アクスト。酔って吠えろ。わたしも必ず宮廷騎士に返り咲いて、カオフマン宰相に一泡吹かせて見せるぞ!」


 こんな調子で、二人だけの酒盛りの日々は過ぎていった。

 さすがに領主の仕事に支障をきたすわけにはいかないので、アクストと酒を飲むのは昼を回ってからだ。

 日の長い時期なのがさいわいだった。

 アクストも、わたしがやってくるまでおとなしく待つようになっていた。


 ある日、気づく。

 あいかわらずアクストは赤ら顔だ。

 けれど、その目はにごっていなかった。


 毒気が抜け落ちて見える。

 彼はもうだいじょうぶ、そう思った。


「アクスト。今日は酒抜きで語らおうか」

「……悪くねえ」


 短く言いかわし、手ぶらでいつもの平地へ向かう。

 エール酒がないぶん、なんとなく手持ちぶさただったが、彼と無言でいる時間には慣れていた。

 腰を下ろし、いつものように、村の様子を眺める。

 最初に口を開いたのは、アクストのほうだった。


「……おかしな領主様だな、あんた」

「そうか?」

「毎日酒飲むのがあんたの仕事かよ?」


 カレンと同じことを言ってくる。

 たぶん、わたしたちのことを目にした村のみなも、同じようにあきれてることだろう。


「おまえにだけは言われたくないな、アクスト」

「ちげえねえな」


 アクストが小さく笑い、釣られてわたしも声をあげて笑った。


「……てっきり、あんたもオレに説教しにきたんだと思ったんだがな」

「最初はわたしもそのつもりだったさ」


 けっきょくわたしには、彼を働かせる知恵も手段もなかった。

 せいぜい、いっしょに酒を飲んで話を聞くことしかできなかった。


 それでも――

 誰かがただそばにいるだけで、気持ちはずいぶん違ってくる。

 カレンがいてくれることで、そう気づけた。


 一人うじうじと悩んでいたとき、彼女が淹れてくれたミードの甘さと温かさを、まだわたしは覚えていた。


「けど、そろそろ、酒ばかりの日々に飽きがきたんじゃないか?」

「……かもしれねえな」

「妻と子を忘れろとは言わない。だが、とりあえず手を動かしてみろ。動くうちに、気力も湧くかもしれんぞ」


 出会った日にそう言ったところで、彼が受け入れることはけっしてなかっただろう。

 けど、いまのアクストになら届く。

 彼は、小さくだけど、首をたてに振っていた。


「この剣をどう思う?」


 だしぬけに、わたしは腰の鞘から自分の剣を外して、アクストの前に置いた。

 なんの変哲もない、騎士団の支給品だ。

 彼は手に取ることもなく、軽く目をやっただけだった。


「……よく手入れはされてるがもう寿命だな。研ぎ直しすぎて刀身が悲鳴をあげてる。折れるのも時間の問題だ」

「さすが、正確な見立てだ」


 わたしはもう一度、声を立てて笑った。


「これに代わる、わたしの剣を打ってほしい。ただの剣じゃない」

「どういうことだ?」

「領主としての剣だ。その剣でもって領民たちを守る。魂がこもってなければならない。それを任せられるのはお前だけだ」


 まっすぐに、彼の目を見る。

 もう彼の意識は、過去にとらわれていなかった。

 わたしの目の前に、いた。


「……しかたねえな。引き受けよう」


 ◇◆◇


 それから十日後。

 アクストから受け取った、打ち立てほやほやの剣はずしりと重かった。

 けれど、不思議と手になじんだ。


 宮廷騎士団入隊のときからずっと使っていたかのような錯覚を抱く。

 わたしは、屋敷の中でカレンに向けて、剣をかかげてみせる。

 騎士道ロマンス小説の表紙絵をイメージして、カッコよくかまえてみた。


「カレン、どうだ、かっこいいだろう?」

「はぁ……。わたしには剣の良しあしなんてよく分かりませんが、いいんじゃないですか?」


 気のない返事ながらも、わたしはいたく満足だった。

 新しいおもちゃをもらった子どものように、ひとりはしゃいでいた。


 そして、この剣はアクスト復活の、のろしでもあった。

 彼はその後、農具や身の回りの品の製作にも取り組み、わたしの相談にも積極的に乗ってくれるようになった。


 さらには、村の若い男三人を弟子に取り、彼の工房は活況を見せている。

 酒におぼれていた日々が、ウソのように精力的だった。

 すぐにとは言えないが、これでわたしの抱えている問題のいくつかも、解決のめどが立った。


「ほんとに毎日いっしょにお酒を飲んだだけで、あの人を立ち直らせたんですか?」

「ああ。カレンがそう教えてくれたからな」

「はっ? 身に覚えがありませんが……」


 けげんそうなカレンに、わたしは笑顔を向けた。

 彼女のいぶかしげな表情が、さらに深まる。


 まだまだ、彼女のことをよく分かっているとは言えない。

 またケンカすることもきっとあるだろう。


 それでも、ただそばにいてくれるだけで、心が助けられているのは間違いのない事実だった。

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