第17話 とりあえず飲むべ

 はたして、あれはケンカと呼べるものだろうか。

 翌朝には、カレンは何事もなかったかのように、ケロリとしていた。


 いつもどおり、内心のよく分からない無表情ではあったけど、少なくとも怒っている様子ではなかった。

 だから手紙を読んでくれたかどうかも、聞きそびれてしまった。

 

「では鍛冶師アクストのところへ行ってくる」

「ええ、どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ、レイリア様」


 けっきょく昨夜のことは何も言えずに、そろそろと屋敷を出た。

 一人になっても、なんとなく、モヤモヤが晴れない。


 もっとカレンのことをよく知りたい、と思う。

 主従の関係とはいえ、同じ家に暮らしているのだから……。


 けど同時に、あまり深く踏み込まれたくないというカレンの抵抗も感じる。

 ふだんの会話でも、カレン自身や彼女の家族の話になると、強い拒絶の意志を感じることが、しばしばあった。


 その気持ちもなんとなく分かる。

 わたしだって、素の自分を誰かに見せるのには抵抗がある。


 宮廷騎士団を出てしばらく経つけど、あいかわらずナターシャ様のマネはやめられなかった。カレンに対してもだ。


 どこか、さぐりさぐりの関係から抜け出せないでいる。

 もどかしくもあるけど、それ以上距離を近づけるのも怖い。


 けど、昨夜のようなことがあると、距離を置いたままの関係を続けていたら、いつか取り返しのつかない形でカレンを傷つけてしまいそうな気がして、それも怖い。


 一度だけ、カレンにはだまって彼女の実家を訪れたことがある。

 木こりをしているという彼女の父親に会ったが、寡黙な人だった。


 彼女の無表情は父親譲りだろうか。

「娘をよろしく頼みます」と頭を下げられたけど、内心でどう思っているのかは分からずじまいだった。


 わたしには二親がいないからはっきりとは言えないけど、さして広くもない村内にいるのだから、もっと頻繁に親娘とも行き来があってもいいと思うんだけど……。

 カレンが実家に帰りたいと言い出すことも、カレンの親や兄弟がわたしの屋敷をたずねることも、まったくなかった。


 ううん、いったいどうしたらいいんだろう……。

 と、昨夜とはまったく別のことで、悩みの袋小路におちいってしまう。


 気づくと、目的地はすぐそこだった。

 鍛冶師アクストの家は、村のはずれ、丘陵地帯のふもとにある。


 どうしよう。

 けっきょくカレンのことばかり考えているあいだに、家についてしまった。

 何を話すかまったく決めてない。

 ……まあ、とにかく、会ってみないと始まらないか。


「アクスト殿、おられるか」


 返事はない。

 ドアに手をかけると、力を込めなくてもあっさりと開いてしまった。

 村の者に、鍵をかけるという風習はほとんどない。


 村人たちが、よその家でもお互い平気で上がり込んでいる姿をよく目にする。

 わたしも今回は、その習慣にならうことにした。


 平屋づくりの小さな家だ。

 家の中は昼前だというのに、うす暗かった。


 そして、家の片すみでうずくまるように床に座る、一人の男の姿が目に留まった。

 偉丈夫いじょうぶといっていい立派な体格だが、赤ら顔と酒ににごった目に威厳はない。

 髪もひげもぼさぼさに伸び放題で、体臭とアルコールの入り混じった異臭が部屋に漂っていた。


 男のかたわらには、両手に持てるていどの大きさの樽とさかずきが転がっていた。

 開けた戸から差し込む陽光に眉をしかめ、男の目がのそりとわたしをとらえた。


「……なんだ、あんたは?」


 みじろぎ一つせず、部屋のすみにうずくまったまま、問いかけてくる。


「なんだ、はないだろう。この村の領主、レイリアだ」

「……ああ、あんたが新しい領主様って人か」


 ひとり言のような調子で、ぼそりとつぶやく。

 驚いた。

 この小さなカナリオ村に、いまだにわたしの顔と名前を知らない人間がいたとは……。


「ほんとにおまえがアクストなのか?」

「……だったらなんだっていうんだ」


 茫洋ぼうようとしていたアクストの目に、警戒心がまじる。

 カナリオ村に着いてから、何度となく浴びてきた、よそ者を見る目だ。

 わたしも、もう慣れっこだった。


「お前の造り上げた農具や鉄製品を数多く見た。どれも良い出来だ。たぐいまれなる腕を持ちながら、なぜそれを活かさない」


 わたしの言葉に、アクストは力無く「けっ」と吐き捨てる。


「あんたも俺から酒を取り上げにきたのかよ」

「それは……」


 そう言われて、わたしは言葉に詰まった。

 この男から酒を取り上げて、仕事をさせにきた。

 たしかにそのはずだった。


 けれど……。

 彼の目を見て、わたしは強く出られなくなってしまった。

 そばに誰もいなくて、迷子になってしまったような目。

 

 ちょうどいまの自分と同じだ、という気がした。

 ヤケになって酒に浸りたい気分は、よく分かる。

 同居人の気持ち一つめないわたしに、彼に酒をやめろ、などえらそうに言えるだろうか?


 領主として、命令することは簡単だ。

 けど、それではなんの問題の解決にもならないことは、カレンから学んでいる。

 鍛冶は職人技だ。

 魂のこもらない、無理やり造らせたものが、良いデキになるはずがない。


 けっきょく、わたしは力無く息を吐きだしていた。


「いや、わたしにその資格はない……」

「はっ?」


 アクストと対峙しながらも、昨夜のカレンの姿がいまだに頭を離れない。


 ――なんですか、それはッ?


 至近距離でわたしを睨む、美しい彼女の顔がちらつく。

 強い非難の声が何度もこだまする。


 ……むしろ、こっちが酒に溺れてしまいたい気分だった。


「その樽はエール酒か?」


 家に漂う異臭の中に、かすかな麦の香りがまじっている。

 もともとは、芳醇ほうじゅんな良い匂いのする酒なのだろう。

 アクストは困惑気味に、何も返してこなかった。

 かまわずに、わたしは続ける。


「よし。わたしも一緒にエールが飲みたい。ただ、家の中では暗くて気が滅入る。外で飲もう、アクスト」

「お、おい、よせ。これはオレの酒だ!?」


 困惑する彼から、わたしはエール酒の入った樽を素早く奪い、片手に持った。

 奪い返そうと伸ばされた彼の腕を逆に取り、立ち上がらせる。


「足りなくなったらわたしが買い足す。だからわたしにも飲ませろ」

「……ぐっ、はなせっ」


 腕の中で暴れようとするが、酔っぱらい一人などわたしの敵ではない。

 もともとの腕力は大したものと見えるが、アルコールが足にきてるのか、力の入りかたがめちゃくちゃだった。


「ほら、暴れるな。なにも酒を取り上げようというんじゃない。外でいっしょに飲もうというだけなんだから」

「くそっ、なんだってんだよ……」


 わたしが軽くその手をひねりあげると、アクストはしぶしぶ抵抗をやめた。

 樽を持って歩くわたしのうしろに、おとなしく付いてくる。


 わたしは、道から少しはずれた小高い平地に腰をおろした。

 まだ村を囲む柵のうちだが、周囲には家屋もない郊外だ。

 家々や畑がよく見まわせる。


「うん、この辺りがいいな。風が気持ちいい」

「酒なんてどこで飲んだっていっしょだろうがよ」

「そんなことはない。さあ、飲もう、アクスト」


 あっけにとられた顔ながらも、アクストもわたしの向かいに座った。


 そういえば、さかずきを持ってこなかったな……。

 まあ、いいか。樽から回し飲めば……。


 村のエールのデキには前々から興味があった。

 けど、カレンはお酒が飲めないので、屋敷ではなんとなく遠慮していたのだ。

 一緒に飲める相手がいるなら、わたしとしても歓迎だった。

 まずはわたしからぐびっと一口、樽をあおり、ぷはぁ、と息を吐きだす。


「うん、なかなかうまいな。アクスト、おまえも飲め」

「……もともとオレの酒だ」


 苦みとほのかな麦の香りが、暑い日差しに火照った身体に心地よかった。

 もっと飲みたい気持ちをこらえて、アクストに樽を回す。


 カナリオ村のエールはうまい。

 王都で飲むものよりも野趣やしゅがあって、香りが芳醇ほうじゅんだ。

 水と麦がいいのだろう。

 

 エール工房ではおもに、村の若い娘たちが働いている。

 できるなら、エールも増産して町に売れるといい。

 今度、工房も視察してみよう。


 軽く酔いの回った頭で、そんなことを思う。

 アクストも無言で樽をあおり、突きつけるように樽を返してきた。

 わたしも無言のまま、もう一口ごくごくとやる。

 

 無言のまま、そんなやりとりをずっと繰り返した。

 何も話さず、顔すら見ない。

 ただ横にならんで座って、前をぼうっと見たまま酒を飲むだけだ。


 酩酊感めいていかんが頭を揺らしても、口は軽くならない。

 この期に及んで、いまだカレンの突き刺すような視線が頭を離れなかった。


 ……そう言えば、アクストは妻と子に先立たれたという話だった。

 酔った頭で、気づくとぽろりと聞いていた。


「アクストは妻とはケンカしたことはあるか?」

「……………」


 脈絡みゃくらくのないわたしの問いかけに、彼は何も言わなかった。


「アクスト?」

「……んなもん、しょっちゅうだ」


 もう一度呼びかけると、ボソリとそれだけ返してくる。


「そうか。そういうとき、どうやって仲直りしたんだ?」

「……覚えてねえ」


 うつむきながらも、彼の目はどこか遠くを見据えているようだった。

 彼の目を見れば、過去の記憶の中に彼の意識があることが分かる。


 “覚えていない”のではなく“こっちに意識を戻す気がない”というのがほんとのところだろう。


 それならそれでかまわない、と思った。

 彼にとって、妻と子の記憶はおいそれと他人が立ち入れない領域に違いない。

 彼を知る村の者ならまだしも、新参者の領主のわたしならなおさらだ。

 仲直りの方法だけは教えて欲しかったけど……。


 それからは酒樽が空いてしまうまで、互いに無言だった。

 けっきょく、彼と交わした会話はそれだけだ。


「どうする? エール酒でいいなら、買い足すぞ?」

「……いや。なんだかシラけた。帰って寝る」

「いい身分だな」


 苦笑したが、怒る気はなかった。

 わたしも同罪だし……。

 今日はこの頭じゃもう、ろくに領主の仕事はできないだろう。


「じゃあ、明日もまた来る」

「……正気かよ?」

「ああ。次はつまみを持ってくる」


 ……と言って、料理はカレンにまかせっきりだけど。

 はたして、頼めばつまみを作ってくれるだろうか?


 わたしとアクストは、頭を少しふらつかせながら、それぞれの家路についた。

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