夏の章 領地経営とふたり暮らし

第15話 夜のお悩み相談

 早いもので、わたしがカナリオ村の領主に赴任ふにんしてから、三ヶ月が過ぎた。

 季節はすっかり夏のさかりだ。


 日は長く、何もしてなくても汗ばむ陽気が続いていた。

 カナリオ村の周囲は、深い緑に包まれる。


 そのあいだ、領主としてのわたしの仕事が順調だったかというと……。

 けっして、そんなことはなかった。


 意気揚々とかかげた村の生産高を上げるという目標も、あまりかんばしい成果をあげていなかった。

 村の現状を頭に叩きこむのに手いっぱいで、とても村の一員としてみなに認めてもらえたとは思えない。


 エリンズを中心に新耕地の開拓をすすめてはいたものの、あまり労力も金銭もさけられず、大きな進捗はない。


「うぐぅぅ、どうしたもんか……」


 そんな状況の夏の一夜。

 わたしは、自室で資料を広げ、一人頭を抱えていた。


 羽根ペンを動かし、ぐちゃぐちゃと考えを書きつける。

 ここでは紙を手に入れるのも一苦労なので、裏も表も使って、びっしりとすき間なく書きつけているうちに、自分でも何を書いているのかよく分からなくなってきた。


 実際のところ、本気で作物の生産高を上げようと思ったら、考えなければいけないことは山積みだった。


「う〜ん、この辺りの土地はどうだ? 土壌も悪くなさそうだが……。エリンズに聞いてみるか?」


「……いやいや、前に視察したとき、土が硬すぎると言われていたとこか。すぐに耕すのは難しいな」


「鉄製のクワやスキが足りなすぎる。もっと質のいい農具を増やさないと新耕地なんてできないな……」


「む、灌漑設備かんがいせつびを整えるのが先か? 治水をどうにかしないと、どれだけ土地をひらいても意味がない……」


「記録を読むかぎり、五年前の水害はひどかったようだな。やはりまずは……」


「あっ、そうか。牛数頭を使った有輪犂ゆうりんすきを使うのはどうだ? これならば……」


「いや待て待て、手近なところで肥料の改良を……。新しい土地を使うなら、土に合わせないと」


 問題点と改善案だけなら、次から次にあふれてくる。

 それこそ山積みだった。


 けれど、だいたいのアイディアは「その金をどうする?」というとこで行きづまってしまう。 

 あっちを立てようとするとこっちが立たない。

 本気で新耕地を開発し、生産高を安定させようと思えば、村の中だけでやりくりするのはむずかしかった。


 どうしてもそれに、多額の費用がともなう。

 村の特産品や余剰生産を作り外貨を獲得できればいいのだが、そのためにもやはり資本となる金がいる。

 堂々めぐりだった……。


「あうぅ……」


 結局のところ、どれもこれも案だけで行きづまり、う~んと頭を抱えるしかなかった。

 どんどん、悩みの袋小路ふくろこうじに迷いこんでいく。


 カレンは「おいしいものをお腹いっぱい」と言ったのだ。

 ただ腹が膨れればいい、というわけにはいかない。


 芋や豆類、大麦に小麦、野菜にハーブ、肉に魚に卵にと、バラエティ豊かで栄養バランスに富んだ食事を、村人みなが取れるのが理想だ。


 けれど、現状ではどうしても災害に強く安定した収穫が期待できる、ココ芋の耕地を優先したくなる。

 それはそれで間違いじゃないんだろうけど……。


 毎日ココ芋のまんじゅうばかりじゃ味気ないし、栄養バランスもよろしくない。

 うぅん、そもそもココ芋の生産を安定させることだって、うまくいってると手放しでは言いにくい……。

 もしも、いま飢饉ききんを招くような災害に襲われたら……。


「はぁ……。こんな調子で領主なんてやっていけるのかな……」


 いつしかそれは、自己嫌悪のため息へと変わっていた。

 と、部屋をノックする音が聞こえた。


「失礼します」


 応じると、カレンがカップをトレイに載せて持ってきてくれた。


「ありがとう。ちょうど一息つこうと思っていたところだ」


 カレンの気づかいがありがたかった。

 けど、彼女はカップを机に置きながら、眉をひそめて返す。


「レイリア様、夜中にぶつぶつとうるさいです」


 投げかけられた言葉は、あまりありがたくなかった……。


「うっ、すまない。そんなに声が出てたか?」

「はい。誰かもう一人、部屋にいるのかと疑うくらいに……」


 ため息まじりにカレンは答える。

 悩んだときは、自分の中にいるナターシャ様に問いかける。

 そういうクセがついてたせいで、我知らずカレンの耳に届くほど、ひとり言を声に出していたらしい。


「熱心なのはよいですが、夜中の考えごとはたいていムダです。ランプの油ももったいないので、さっさと寝たらいかがですか」


 率直に思ったことを言ってほしいとはわたしも言ったけど、カレンの物言いは容赦がない。

 このごろはわたしが領主に赴任したときよりも、さらに遠慮がなくなってる。


「カレンまで起こしてしまったか。申し訳ない」

「まったくです」


 カレンはため息をつきながらも、まだ部屋を出ようとしなかった。

 その目線を追うと、机の上に散乱した紙を見つめていた。


「あっ、これは……」


 わたしはあわてて、手で隠そうとする。

 村の資料のほかに、ぐちゃぐちゃに殴りがいた自分のメモ書きもあって、とても他人に見せられたものじゃなかった。


 けど、カレンはその中の一枚をすばやく取り上げて、読みはじめた。

 そして、ぽつりと一言。


「……アクストさんに相談してみたらどうですか?」

「えっ?」


 驚くわたしに、カレンは無表情のままメモ紙を返す。


「この村の鍛冶師かじしです。鉄製のクワやスキを増やすのも、灌漑工事をするのも、あの人に聞いてみるのが一番早いと思います」

「な、なるほど……。というかカレン、字が読めるのか?」

「ええ、汚い字ですがなんとか判別できました」

「そこは置いてくれ」


 カレンの識字能力について話したつもりなのだが、思わぬ反撃を喰らうことになる。

 それにしても、文字が読めるとは……。

 聡明だとは思っていたけど、さすがに意外だった。


「カレンは文字をどこで覚えたんだ?」

「教区教会のシスター様に教えていただいたんです。何か、家の仕事の助けになるかもしれない、と」

「ほう」


 この村の教区教会がどこにあるのか、パッと頭に浮かばない。

 いままでこれといったいった用がなかったから、訪問する機会がなかったけれど……。

 カレンがそこで字を習ったと聞き、少し興味が湧いた。

 遅れながら領主赴任のあいさつに一度行ってみようか。


 カレンは少し自嘲気味に続けた。


「けっきょく、家業にはなんの足しにもなりませんでしたが……」

「いま、わたしの助けになっている」

 

 カレンが小さく笑った気がした。

 漏れ聞こえた息づかいをそう思っただけかもしれないけど。


「……ちなみに字を覚えるのに、小説とかは読んだりしたのか?」


 咳払い一つして、何気ない雑談をよそおって聞いてみる。

 けど、ちょっと語調が強かったのかもしれない。

 カレンは不審げに眉をひそめる。


「なんですか、いきなり? 読んだことありませんが?」

「そうか……」


 しょぼん、と肩を落とすのをこらえきれなかった。


「でも、せっかくなので、何か簡単な物語なら読んでみたい気もします」

「おお、そうか! それがいい」

「……何をたくらんでいるですか、レイリア様。喰いつきすぎてキモいです」

「別に何もたくらんでいない」


 ただ、純粋に騎士道ロマンス小説仲間を増やしたいだけだった。

 カレンがもしハマってくれて、毎夜語りあえたなら……。


 ぐふふふふ。

 いかん、想像しただけで顔がニヤけてくる。


「レイリア様、本気でキモいです。何を妄想してるのか知りませんが、用がなければわたしはこれで……」

「あっ、す、すまん」


 しまった。

 せっかくカレンが部屋を訪れてくれたというのに、空想の中の彼女と騎士道ロマンス小説について語り明かしていた。

 わたしはあわてて、意識を現実に引き戻す。


「……しかし、教区教会だったか。少し気になるな」

「もし徒歩で行こうとしたら、二、三日かかりますが……」

「ならスペルディアに乗っていくとしよう。うまくやれば日帰りで訪問できるだろう」

「そこまでして出向かなくても……。用がなければ無理に訪問する必要はないのではないですか?」

「それはそうだが……」


 この村も管轄かんかつに収めている教会なら、領主としてあいさつするのも別に不自然ではない。

 けど、カレンは賛同せず、わたしを教区教会に行かせたがらない。

 なんとなく、その話題を出したことを「しまった」と思っているような雰囲気が感じられた。


「カレンが世話になったというなら、一度わたしもあいさつしたい」

「急に保護者みたいなこと言わないでください」


 カレンはうっとうしげに首を振る。

 どうもこの話題は、彼女を不快にさせるようなので、もうやめにしよう。


 どのみち、いますぐ教区教会を訪問しなければいけないわけでもない。

 その前に考えるべきことが山ほど……って、あれ?


「カレン。わたしたち、もともとなんの話してた?」

「わたしが字を読めるわけをおたずねでした」

「その前」

「鍛治師のアクストさんに相談したらどうか、と提案しました」

「そう、それだ!」


 あやうく大事な話を忘れるところだった。


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