第8話 氷のまなざし

 あきれて、腹の底からため息が出た。


「これほどとはな……」


 税収の帳簿は、想像以上にひどいものだった。

 どうやら村人たちはみな、数字にはうといようだ。


 それをいいことに、かなり露骨な改ざんもあり、不明な箇所も少なくなかった。

 相当量を自分のふところに納めているはずだ。

 こんなものでごまかせると思っていたのだから、ザッハード家の不正よりはるかにずさんだった。

 

 徴税吏ちょうぜいりが使っていた部屋の中。

 わたしがあやふやな箇所を問いただすと、彼はどんどんちぢこまっていく。

 まるで審問台に立たされた罪人そっくりだった。

 わたしはため息とともに告げざるをえなかった。


「どうやらわたしの領主としての初仕事は、君をクビにすることらしいな」

「そんな……!」

「不服か?」

「当然です! 何をもってそのような横暴おうぼうが……」


 わたしは机をばしんと叩き、立ちあがった。

 書類の束を彼に突きつける。

 徴税吏は、怒りと怯えのないまぜになった顔で視線をさまよわせた。


「君が今の地位にしがみつくというなら、わたしは君のこれまでの働きを王都に報告しなくてはならない」

「……定められた税は収めておりました」

「過分な取り立てをふところにおさめた上で、な」

「それくらいは、このような遠方に勤める身の役得というものでありましょう。大した額ではありませんよ」


 居なおったような徴税吏の態度に、わたしの頭に血がのぼった。

 騎士として、悪事は見逃せなかった。


「それを判断するのは宮廷だ。いますぐ荷をまとめて去るというのであれば、見逃してやる。だが、あくまで争うというなら、法廷で相手するぞ」

「……ぐっ」


 徴税吏は顔を赤くしたかと思えば、今度は青ざめさせ、言葉を詰まらせていた。

 何度か口をパクパクと開けたのち、


「私にこのような扱いをしたこと、必ず後悔することになりますぞ」


 捨て台詞を吐いて、大股で役人部屋を出ていった。

 どうやら、荷物をまとめるほうを選んだようだ。

 彼が退出してからしばらく経って……。


 ――これでよかったのか?

 そんな疑問が湧いてくる。


 こんな田舎の村に飛ばされたのも、もとはと言えば、宰相につらなる不正に首を突っこんだせいだ。

 賄賂や不正を見るやすぐにカッとなるクセは、あいかわらずわたしの中に根強く生きている。

 これがまた、大きなトラブルのもとにならないだろうか?


 けど、その一方、間違ってないという思いもある。

 税金に手をつけるという行為は、大げさに言えば国家への反逆でもあった。

 彼が大っぴらにわたしを訴えることは不可能なはずだ。


 あまり権力を振りかざしたくはないが、地位から言っても領主であるわたしのほうが徴税吏より上だ。

 なにより、彼が私財を肥やすことによって苦しむのは、この村の人たちだ。


 そう、これでいい。

 ナターシャ様だって、きっとこうしていた、はず……。

 自分に必死で言い聞かせるものの、領主就任初日からトラブルか、と思うと憂鬱な気分もぬぐえなかった。


 とにもかくにも、徴税吏をクビにしたことを村の人たちに告げなければならなかった。

 実際のところ、帳簿を見た感じ、税の取り立てはわたし一人でも難しくない。

 役人が一人減るのだから、その分の給金も浮く。


 これからは、公明正大に定められた税のみを取り立てる。

 徴税吏の追放と合わせて、そうみなに伝える必要があった。


 わたしはジラフ村長に頼んで、もう一度手の空いている村人全員を集めてもらった。


 徴税吏の取り立てに、不正があったこと。

 そして、それを理由に村から追放したことをみなの前で告げると……。


「なんと! 我々のために身をていして、不正を暴いてくだされるとは。なんと公明正大な領主様だ!」


 村長のジラフさんが、おおげさなくらいの声を張りあげた。

 それを皮切りに……。


「そうだ。俺は前々からあの男が気に入らなかったんだ」

「ずっと取られ過ぎてるんじゃないかって、前々から思っていたのよ」

「ああ、やっぱりぼったくっていやがったんだな、あいつ!」

「領主様、ばんざい!」

「領主様、ばんざい!」


 村人たちの声は「ばんざい」の大合唱に変わった。

 ふぅ~、とわたしは内心胸をなでおろした。


 それと同時に満足感が湧いてくる。

 やっぱり、わたしのやったことは、間違いじゃなかったんだ。


「そうだ。おまえたちを苦しめた役人はもういない。このカナリオ村はこれから、領主としてわたしが守る!」


 わたしの宣言に「おおっ!」というどよめきが湧く。

 そのあとは、さっきの倍くらい大きな「領主様ばんざい」コールだ。

 最初の警戒心はどこへやら。

 みなが口ぐちにわたしを褒めたたえる。


 ふはははは。

 心の中で高笑いをあげる。

 気分が良かった。


 はじめての領地経営。

 どうなることかと思ったけど、どうやら彼らの信頼を勝ち取ることに成功したみたいだ。

 ある意味、あの不正を働いた徴税吏のおかげでもあった。


 わたしは胸を張って、鳴りやまない「ばんざい」の声に身をゆだねた。

 酒に酔ったような心地よい酩酊感が身を包む。

 気分よく、目の前にならぶ人々の顔を見渡す。


 と、興奮した様子の村人たちのなか……。

 ただ一人、声をあげていない者がいた。


 ぞくりと背が震えるほど冷めたいまなざしで、こちらを見ている。

 大勢の人の後ろに立っているが、あまりに冷ややかな目なので、気づかざるをえなかった。


 あれは――。

 控えめで線が細い印象ながら、ハッとするほど美しい顔立ち。

 見覚えがあった。

 川のほとりで、髪を洗っていた少女だ。


 敵意、というより、ただただ冷たいまなざし。

 その冷ややかな視線は喜ぶ村人たち、そして明らかにわたしに向けられていた。


 自分でも不思議なくらい、彼女の視線は胸に突き刺さり、いつまでも抜けない。

 みながあげる「ばんざい」の声も、ひどく遠くなったような心地がした。

 酔い心地も一瞬で覚め、底冷えするような思いに取って代わる。


 日の沈みかけた夕暮れに、彼女のまなざしだけがくっきりと浮かび上がっているようだった。

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