七十四輪目

 そのお願いを聞いてまず思ったのが、唐突だなというのと、樋之口さんらしいなということ。

 そして『ん?』と何かが引っかかった。


 前回家に来たとき『愛人とかどう?』みたいな事を言われているため、今回もそんな感じで言っているのかと思ったが。

 俺だけでなく、夏月さんと秋凛さんもいるのに直球でくるかなと。


 夏月さんと秋凛さんが何かを樋之口さんに頼んでいると思うのだけど、その対価が婚約者になってくれだなんて、流石にそこまで切羽詰まっている訳でもないだろう。


 色々と考えているけどもっと単純なのかもしれないし、何か深い理由があるのかもしれない。

 取り敢えず返事はさておき、そこらへんを詳しく聞いてみたいなと思っていたが。


「あでっ!?」


 樋之口さんの背後にスッと回った夏月さんが手に持ったスリッパで頭を思いっきり引っ叩いた。


 スパーンッと気持ちのいい音を響かせ、どこか満足げな夏月さん。と、何故か秋凛さん。

 こう言った場合は音だけでダメージはそんなでもないといったイメージがあるけど、そうじゃないらしく。

 叩かれたところを抑えた樋之口さんは床を転げ回っている。


「何するのよ!?」

「ライン越えだよ」

「超えてないわよ!」


 痛みが少しおさまったらしく、未だ頭を手で押さえたままだが立ち上がって夏月さんへと詰め寄っていく。


 いや、うーん……確かに俺的には越えてないと思ってるけど、それは感性がアレでアレだからである。

 本来なら一発アウトでお縄なんだろう。


 そう、本来ならアウトであろうことを樋之口さんは口にした。


 話を聞く限りこれまで上手くいっていない樋之口さんだが、ラインの見極めは上手いと思っている。

 大なり小なりわだかまりは残っていると思うが、さして問題になっていないようだし。


 だから今回も俺は大丈夫だからとそのような事を口にしたのだろう。


「ちょっとした冗談じゃない」

「どこがちょっとした、よ」

「でも優くんはそれほど気にしていないみたいだけど?」

「優君!?」


 急にこちらへ振られても上手い返しはできず、苦笑いが精一杯である。


「冬華ちゃん、お願いはしなくていいってことでいいの?」

「いや、するわよ」

「これだけ楽しくおしゃべりできたらもう満足じゃない?」

「え……秋凛、何か怒ってる?」

「全然怒ってなんかないよ?」


 それ怒っているやつ、とは口に出せなかった。

 樋之口さんも『そう……』とだけ呟いて深く聞くことはしない。


「ま、まあ、改めてお願いしたい事を言うわね」


 コホンと一つ咳払いをし、変になった空気を切り替え。

 そして俺の目を真っ直ぐに見ながら左手を拳にした状態で顔の辺りまで持ってきて、親指を人差し指と中指の間からニュッと顔出させた、所謂フィグサインをし口を開く。


「一発、ヤることヤってくれたら──」

「はい、ライン越え!」


 再び、スパーンッといった音が部屋の中に響き渡った。

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