十四輪目
「い…………や、急すぎないですか?」
いいですよ、と。
二つ返事で了承しそうになったが、なんとか踏みとどまった。
「それに迷惑かけるような気もしますし」
「全然迷惑なんかじゃないよ! むしろ一緒に過ごせて幸せというか、その……ね?」
先程、踏みとどまった自分を褒めたいが。
夏月さんに照れながらそんなことを言われたら、俺に断る意思など残らない。
同棲する方向へ気持ちはもう傾いている。
「そしたら引っ越しの準備だとか、役所にも色々と提出しなきゃ…………あ」
「そこら辺は私も手伝うけど、どうかしたの?」
「ここからの通勤ルートを調べておこうかなと」
テーブルに置いていたスマホを手に取り、調べてみたはいいものの。
通勤時間は変わらないが、乗り換えがある。
たったそれだけのことであるが、少しだけ同棲するのを躊躇ってしまった。
…………あと、ここの家賃は折半で払える金額なのだろうか。
「お仕事に関して、なんだけれど……」
「ん?」
「もし、できるならで構わないの。優くんには今の仕事を辞めてもらって、ずっと家にいて欲しいな。って思っているんだけど……」
つまりは専業主夫的なものになって欲しい、ということだろうか。
一人暮らしをしていたから一通りの家事は出来ると思っているが、料理は夏月さんに出せるようなレベルでは無い。
とはいっても非常に魅力的な提案ではあるのだ。
けどもいま、少し辛いとはいえやりたかった仕事についているわけで。
「あ、別に無理にやめてもらう必要はなくて。その、できればでいいんだ。優くんには好きな事をして楽しんで貰えたら私も嬉しいから」
長いこと黙って考えていたため、俺が怒っていると勘違いした夏月さんが少し早口気味に何か言っている。
「仕事を辞めることはできないですけど、それもふまえて少し考えてみます。何よりまずは自分の引っ越しを終えてからですね」
「なら明日、出来るように今から頼んでおこっか」
「明日……って早く無いですか?」
「善は急げって言わない?」
「……確かに、さっさとやらないとダラダラ長引きそうですけど」
決まっていく物事の理解が追いつかないままだが、既に俺の部屋も用意してあるらしく、そこへ案内してもらい中を見てみれば。
最近掃除をしたのか汚れなどない、新築かと思うほど綺麗な部屋がそこにあった。
広さも今の部屋とそう変わりはなく、俺と夏月さんのあまりの差に心が挫けそうである。
「あ、家賃とか……」
「そんなの気にしなくていいよ。私が無理言って優くんに引っ越してもらうんだから」
「それは流石に自分の中の何かが許さないといいますか」
「なら、私のお願いに出来る限り応えてもらう、って条件とかはどう?」
もとからこの状況を予想して用意していたと思うくらいの早さで出された提案だ。
そこまでする事のものか、とも思うので気のせいだろうが。
「まだ少し納得いかない部分もありますけど、どうしようもないのでお言葉に甘えます」
とんとん拍子に明日から同棲することが決まったが、ノドに刺さった小骨のように何かが自分の中で引っかかっている。
何か大事なことを忘れているような、そうでないような。
「あ、優くん。住所を教えてもらってもいいかな」
もう少しで思い出せそうな気がしたが、すでに引っ越しの申し込みを始めていた夏月さんからの呼びかけに頭の片隅へと追いやられ。
そのまま何かを思い出そうとしていたことすら忘れてしまった。
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