第27話 八鍬秀雄
関東山奥の研究都市での大災難が起こる少し前。
現地時間2021年7月29日。
ブーメランにも似た構造の音速機が一機、イギリスのブリテン島に向けて空を翔けていた。
搭乗しているのはたった二人の能力者。
一人は音速機の操縦者、十代半ばに見えるオレンジ色の癖毛が特徴的な少年。
もう一人は操縦席の後方にある長椅子で重々しい空気を放つ、白衣のコートを羽織った初老の男。
「少年よ」
眉間に深く刻まれた険しい
「は……っ、はぃ……」
言葉としてはたったそれだけ。
それにもかかわらず、少年の背中に凍て刺すような恐怖が這いずりまわった。
「名は、何と言う」
初老の男はただ呼びかけているだけに過ぎない。
なのに少年は恐怖に起因する吐き気さえも憶えていた。
目眩と呼ぶには強烈に過ぎるものが頭の中を駆け巡り、瞬時にひどい高熱に襲われたかのような感覚。
「か、
震えながらも、辛うじて応じる事は出来た。
その返答にフゥゥゥ……と初老の男が息を吐く。
その程度の反応に過ぎないのに、神谷孝介の心臓は早鐘を打ち、全身からは絶えず冷や汗が噴き出す。
「ソナタの組織は、
初老の男の気配に、声色に、孝介は全身が震えそれ以上返答出来る精神状態では無くなっていた。
ただただ必死に、音速機の操縦に専念する事でしか精神の安定性を保てないでいた。
──ピコピコン、ピコピコン
操縦席の脇に備え付けられている通信機が受信を知らせる。
震える指で孝介が応答ボタンを押すと、受信機からはカラッとした雰囲気を持つ少女の声。
『やあやあ随分な物言いじゃないのかいそれは。君達の組織のせいでどれだけ我々が迷惑しているのか分かっているのかい?』
頼むから男の神経を逆撫でしないでくれ、と孝介は受信機を睨み付ける。
もちろん声には出せないが。
「それは失敬。まさか聞こえていたとは」
『よく言うよ、気づいてた癖に。
まぁいいや、報告だよ
詳しい事柄は不明だけど、放っておいていても大丈夫なのかい?』
「構わぬ、元よりその事態は想定済みよ」
『ダイモンド関東支部長を務める君の事だ、その手腕を疑うわけじゃないけど念の為にその対応策を聴かせてもらえないかい。
我々の組織の理念としても、このまま黙って見過ごすわけにいかないのでね』
八鍬秀雄は短く切り揃えた口髭に手を添え、少し思案した後に口を開く。
目付きは鋭く、剣呑な気迫はそのままに。
「よかろう、元よりこちらが敵対する立場であるソナタ等へ極秘に協力体制を強いている身。必要最低限の情報共有は一向に構わぬ」
秀雄は白衣のコートの内ポケットからパイプを取り出し、火を付けて咥えてからゆっくりと煙を吐き出す。
「既に我が研究都市へは、公には出来無いルートから儂の次に信頼の置ける実力者を手配しておる。何かあればその者がイレイザー部隊と連携し対処するであろう」
『フーン。私達を差し置いてどこの馬の骨とも知らない人物を、ねぇ』
少女の言葉に、秀雄は呆れたように眉をひそめてパイプを口から離した。
「ソナタ等の組織は我が組織と敵対しているだろうに」
『それもそっか、この協定はあくまで君個人との密約だ』
「然り。余計なやり取りをして本部や
『そうだね、いくら不可侵を貫いてるとは言え、私達にとってもあの一族は大きな障害だ。そう言う意味では、今回のキミからによる協力要請は半信半疑ながらこちらとしては棚ぼただったよ』
「儂とソナタ等はあくまで協定を結んだに過ぎぬ。裏切りはせぬが、あまりこちらに対して気を置いてはくれるなよ」
『モチロンこちらとしても完全に気を許すつもりは無いさ。でもだからこそ、不可解な事がある』
「何かね」
少女の声が少し間を置き、語気を僅かに低めて問いかける。
『どうして、キミはダイモンドの幹部の席に身を置きながら自らの組織に反旗を翻す? 私にはどうしてもそこが理解出来ない』
秀雄は少しの思案の後に、頭をもたげて。
「……まあ良いか。明かした所で、ソナタ等に何が出来ると言う訳でもあるまい」
『へぇ? 舐めてるんだ、私達を』
「殺気立つでない、儂が認める能力者は闇の処刑人ただ一人。他の者では
そう言って、秀雄はパイプを咥え込むと再度火を付けた。
少しの沈黙の後、秀雄が口を開く。
「今のダイモンドは、幹部の殆どが愛を体現する十二心共に成り代わっておる。
ソナタ等も識っておろう、奴等の身勝手な
そんな者共が牛耳る組織など遅かれ早かれ人類に破滅を
故に儂が立ち上がらねばならない。例え相手が強大な
『そっか……うん、君の動機は分かったよ。でも
幾らキミが最優の能力者の一人とは言え、相手は愛を体現する十二心。素手で戦艦に挑むようなものだ』
「案ずるな、既に準備は進めてきておる。故に
『分かったよ、こちらとしてもサポートは惜しまないつもりだ。
ところでたった今報告が入ったんだけど、どうやらキミの研究都市で異時層が発生したらしい。だから今すぐこちらもメンバーを向かわせて──』
「必要無い。そのような事態を想定して、既に我が概念領域を限定発動させておる」
秀雄の言葉に、少女の声に戦慄の色が宿る。あまりにも常識外れなその内容に。
『なんだって! 君達、今カザフスタン上空を通過中だろう!? 概念領域は普通自分を中心に展開させる能力者にとっての奥の手の筈だ、それを外部展開……しかもこれだけ離れた位置から──』
「何、指定した範囲内の現実強度が一定値を下回った段階で自動で展開されるよう予め仕込んだだけの事。先程準備をしてきていると言ったであろう」
『い、いやでも普通は……う〜ん、まぁいいや。この現実世界に影響は無いんだろう?』
「然り。
『そ、そっか。まだキミの芸当が凄すぎて頭が追い付いてないけど、我々のノストラダムス演算機による未来検証結果からも問題無いとのデータが検出されている。
だから一旦はキミの能力を信頼するけれど、念の為何人かの能力者は配置させてもらうよ』
「フ、好きにせい」
秀雄が少し口角を上げた所で、孝介が恐怖を圧し殺して声を張り上げる。
同時に機体を襲う激しい揺れ。
「ぶ、ブリテン島上空付近到達! ででででも、ななな何スかあれ!!」
孝介が指した前下方、高度一万二千メートル上空から見下ろす一帯に、異常が起きていた。
広範囲に渡ってうねる竜巻の螺旋。
グネグネと雲海を生き物の様に泳ぎながら、その尖端をこちらに向けて嵐の顎を大きく拡げて襲い掛かる。
「ハッチを開けよ。儂が出るとしよう」
秀雄はそう言って立ち上がると、機内後方へと悠然と歩み出した。
「は…っ、はいっス!」
秀雄の目の前で音速機のハッチが開いていく。
濃厚な密度の空気の塊が機内に叩き込まれ、見渡す限りの視界には稲妻を帯びた灰色の風景。
「では、始めよう。組織の行く末を賭けた聖戦を」
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