第25話 超常決戦

 天に妖精國。

 地に魔窟。

 異界確立間際の異時層に囲まれし研究都市に於いて、人類の明暗を分ける闘いが今、繰り広げられていた。


 異界の絶望に置換されゆく建造物。

 鋼鉄とコンクリートの壁はドロドロの黒い皮膚に変質していき、窓という窓は捕食を求める【唇】に変化する。


──食べたい 喰べたい


──頬張らせて 平らげさせて


──噛み砕かせて 味わわせて

 これこそは醜悪なる異界の獣。

 際限の無い食を求め、満たされることの無い欲を口にし続ける暴食の権化。

 そして、その口に豪速で迫る背中が一つ。


──あーん

 その獲物を待ち構えるために大きく開いた唇は、しかして喰らうこと不能あたわず。


──ダンンッ

 その背中の主は暴食の象徴たる唇を踏みしめ、蹴り飛ばす。

 よって奇しくも、砕かれたのは暴食の獣の方だった。

 隣り合っていた建物だった暴食の獣達から苛立ちの悲鳴が上がる。

 だが、異界の獣を歯牙に懸ける者はこの場にいない。


 中空が爆ぜる。

 激しい衝突音、きしむ骨。

 喉から漏れる嘲笑の風啼かぜなきに対し、食いしばられた歯が奏でる妙響。

 直後に爆ぜて空中で離れる二つの影。


「イイネエ! サイコウダ!!」


「さっさと死ね、煩わしい」

 中空でビロードマントの様な蛾の翼を広げ狂喜する三メートルの人型の根源悪、アトン。

 対するは重力に従いながらも愛銃のDNEを構えたまま、もう片方の手に刀身が捻れた短刀を顕現させた黒衣の銃士、はんさだつぐ


 アトンが飛び込む、定紡が獣を蹴る。

 再びぶつかり合う両者。

 射撃  打撃  刺突  破壊

   虚数  暗瘴  瞬動  鎖刃

 兇笑きょうしょう  侮蔑  歓喜  殺気


 建造物を塗り潰した暴食の獣を、跳躍のためのもろい刹那の足場としながら宙域で繰り広げられる峻烈しゅんれつなる闘争。

 そしてその闘争の輪に加わりし第三の強威が天空の妖精國を背に、銃士を援護する。


最果ての未来は楽園にホープウィルアヴァロン

 宗教的ローブの様な紅青の衣を纏い、桃色の瞳を宿したその者こそ、この窮地に於いて覚醒を遂げた妖精使い、おとみやこと

 金色に輝く長髪をなびかせ、祝言を告げて。

 次々に顕現していく羽の妖精達。

 祝福の花弁が妖精國より流る旋風に乗って定紡の受ける傷を継続的に回復し、集中力を底上げする。


「ほんの手慰み程度ですが、今の貴方が欲するには充分な効果でしょう」


「感謝はしておく」

 琴海の微笑みに定紡は頭上を一瞥して壁を蹴ると、短刀の尖先をアトンに向けて砲弾の如き速度で飛び込んで行く。


 その様子を見送ると、琴海は遠方に視えるドームの上空へと目を向けていた。


 目に留まる程の異物は存在しない。

 だが確かに何らかの認識阻害効果を伴った気配がそこにはあり、その中で一際気配を掻き消している存在へと意識を向けて、琴海は苦笑する。


『ねーねーことみー。あそこ、なにかいるよ』

 不安げな表情を浮かべる赤色の服を着た妖精を、琴海は安心させるかのようになだめ、言った。


「彼が私の忠告を聞かず、場の雰囲気に呑まれて名乗りを上げたばかりに…どうやら時間軸にズレが生じたようですね。

 あの愛人まなびとが既に何かしらやらかしている気もしますが、彼女への報復は彼と、そして過去現在の私にとって必要な道程プロセス

 誠に口惜しいですが、あの少女の特性上今すぐ手を出してくる事は無いでしょう」


『ほんと?』


「ええ。なので然るべき時が来たら、私の力になってあげて下さいね」


『うん! わかった』

 安心したように笑う赤い服の妖精に微笑んで、妖精使いはその頭を指先で撫でる。


「おい、さっさと手伝え」

 乱撃の最中、定紡が銃口から貫通拡散弾を放ちつつ声を荒げた。

 三点バーストの如き勢いで放たれたその虚弾をアトンが霧散して避けると、背後で唇に侵食された建物の一部が砕け散り、堅牢な骨筋がドス黒い液体を噴き出して露出する。


──ギャアアアアアアアアア

「さて、私達も本格的に始めましょうか」


『うんっ』

 琴海は妖精に優しく笑いかけ、足先を空中で滑らせた。優雅に、柔らかな動きで。


 さあ、決戦の舞台は既に整えられた。

 天空に響く妖精の旋律と、地上を這う異界の咆哮が交錯する。


 短刀を逆手に構えながら暴食の獣と化した建造物の間を跳躍する定紡。愛銃のDNEを握りしめて。


「ハァアア──ッ」

 定紡は壁を蹴って空中を縫うように移動し、アトンの攻撃を回避しながらその隙を突く。

 人間の領域を超えた動き、まるで空間そのものを支配するかのような流麗さ。

 遅い来る鎖刃の猛威の中、僅かな隙を狙いアトン目掛けて撃ち放つ。

 しかし着弾点に姿は無く、真後ろから声。


「オォォソォオオオオイイィ」


「ちぃ──っ!」

 振り向きざまに一閃。

 然し確実に捉えた筈のその姿は、数百メートル離れた屋上に。


「やはり……ヤツの動き、まるで距離を無視してるようにしか思えない」

 定紡が吐き捨てるように呟く。

 残滓としてのアトンの能力、その本質は【距離の概念を曖昧にする力】。

 それにより、定紡の精密な筈の射撃をことごとく狂わせている。


 どれだけ正確に狙いを定めても、弾丸はアトンの周囲で不自然に軌道を逸らし、あるいは見当違いの方向に飛んで行く。

 まるで空間そのものがアトンの意のままに歪んでいるかのようだった。


「少し、試してみるか」

 定紡は暴食の獣となったビルの壁を蹴り込んで一気に加速し、アトンの立つ建物の屋上へ。

 刀身の捻れた短刀を構えながらの突進ではあったが、接触の寸前にDNEを構えて貫通炸裂弾を放つ。


──バガンン

 至近距離で突き刺さり、炸裂した虚数の弾丸。

 アトンの白い身体に黒い亀裂が入る。


「クハハ! ソンナコトシテモ無駄サ、黒衣の銃士ヨ!

 今ノキミノ攻撃程度ジャ、僕ノ存在ハ削リ切レナイ」

 瞬時に再生した亀裂。

 根源悪は嘲笑うかのように薄ら笑いを浮かべていた。

 その声色に、少年のような無邪気さと底知れぬ邪悪さを同時に湛えながら。


 アトンの言う通り、定紡の攻撃は確かにその白い肉体を傷つけたが、決定的な一撃には至ってはいない。

 アトンの身体は、まるでこの世界の法則から逸脱した存在そのものではあった。


「そうか、なら好きなだけ痛め付けさせてもらおう。どれだけ再生出来るのか見物だな」

 冷たく言い放つ定紡。

 DNEを近距離から連射しつつ、刀身が捻れた短刀を振り上げながら。


──ガキン

 アトンの顔面に弾丸をぶち当て、その一瞬の内に短刀を喉元の隙間に突き立てる。


「──ナニィ!?」


「せいぜい楽しみな」

 そして突き立てた短刀に自らの虚数を流し込むと、落雷にも引けを取らない程の電撃がアトンを体内から襲う。


「ギギ…コンナ、モノォオ……!」

 虚数の力を帯びてアトンの喉元に突き刺さった刀身は、確かに一瞬だけその動きを止めるに至った。

 だが次の瞬間、アトンはビロードマントのような翼を鋭く振り下ろし、定紡を吹き飛ばす。


「グッ……!」

 空中で体勢を立て直す定紡。未だ侵食されていない崩れかけた建造物の屋根に着地。

 だが直ぐにその足場も侵食が始まり、窓という窓が暴食の象徴たる唇に置換され、壁面がドロドロの皮膚に塗り換わっていく。


鎮化促す最果ての加護セイクリッド・バウンダリー

 その時、琴海の声が響く。

 彼女の周囲に舞い上がる無数の妖精達、キラキラと輝く鱗粉を撒き散らしながら。


 鱗粉は暴食の獣の唇に触れると、まるで浄化の炎のようにその動きを封じ、黒い粘液を白い光へと変えていく。

 そして侵食された建造物の一部が、元の鋼鉄とコンクリートの姿を取り戻していった。


「余計な事を。俺を気にする暇があったら少しでもヤツにダメージを与えたらどうなんだ」

 定紡は一瞬だけ琴海に視線を向け、すぐにアトンへと向き直る。

 定紡の態度に琴海は愛おし気な視線を送った後、空中をスケートのように滑り、新たに詠唱を開始。


希望の旋律を奏し最果ての楽園ハーモニー・オブ・アヴァロン

 彼女の周囲に、透明な湖面のような波紋が広がる。

 その波紋は空気を震わせ、虚数に干渉する振動となってアトンの能力による効果、即ち【曖昧になった距離の概念】と相殺。


「クハハッ、ソレデヤリ過ゴセタツモリカヨ」

 再度アトンが互いを隔てる距離を曖昧にする。

 然し琴海の放った詠唱の効果は終わってはいなかった。


 一斉に妖精達が言葉に依らない歌を放ち始める。

 それ等の歌声は互いに重なり合い調和を保つ事によって不思議な響きを帯び、まるで天上のオーケストラのように場を支配してアトンの能力を減衰させる。


「ク……ッ! アアモウ鬱陶シイナ」

 苛立ったように吼えるアトン。

 燃える鹿角の様な角を振り上げると、角の先端から放たれる暗黒の波動。


 暗黒の波動と琴海の波紋が概念的な衝突を引き起こす。

 空間に生まれた衝撃波。

 大気を揺らし、廃墟の窓ガラスを吹き飛ばす程に。


約束された勝利の剣カリバーン・オブ・プロミス

 妖精使いティターニアとして紡がれし尊大な告言。

 虚数の光子が集約、そして見上げるほどに巨大な光る長剣が琴海の手の中に。


 それは精霊幻槍とは異なる純粋な虚数の光の結晶でできた願いの剣。

 即ち【疑似聖剣エーテライトソード】。


 かつて精霊によって造られ、妖精達から騎士王に贈られたとされる選定の剣【カリバーン】。

 これはそう言った伝承を術式へ擬似的に変換して造られた対災厄粛清兵器であり、古代ブリタニアにいて滅びの厄災を祓ったとされる伝承の、術式兵装。

 故に、人類の脅威に対する特攻効果を有する剣形決戦術式なのである。


「くらいなさい!」

 琴海が剣を振りかぶり、全身を使って振り抜く。

 彼女の動きはまるで舞踏のように優雅で、妖精たちの加護を受けたその剣撃は、アトンのビロードマントを切り裂き、白い身体に深い傷を刻んだ。


「グアアアッ!」

 アトンが苦痛の声を上げる。

 しかし、深手を与えたはずのその傷もまた瞬時に再生し、アトンは嘲笑うように琴海を見上げた。


「ナンチャッテ。僕ノ存在定義ヲ超エラレテナイクセニ、本気デ殺レタト思ッチャッタ?」

 アトンの言葉に、琴海は一瞬だけ目を細める。だが、彼女の表情に迷いはない。


「存在定義を超えられていない? なら、私たちがその定義を置き換えてあげます」

 琴海は剣を振り被ると、妖精たちに新たな指示を飛ばす。


運命の鎖を紡ぎし妖精の円環ラウンド・オブ・アヴァロン

 一斉に円形に並び、空中に巨大な七色の花の魔法陣を形成する妖精たち。

 その魔法陣はアトンの周囲を包み込むように回転し、彼の動きを封じ込めていく。

 是により、アトンによる【距離を曖昧にする能力】が魔法陣の力によって完全に無効化。


「では、締めはお願いしますね」

 琴海の合図に定紡は即座に反応。

 DNEに妖精たちから溢れ出る特有の虚数の粒子を収束。

 最大限にまで溜め込み、ソレを銃身内で爆発的なエネルギーに変換。

 狙うはアトンの胸部。

 呼気短く、然して神経は鋭敏に。


「フ……─────ッ!」


──ズガアアアアアアアンンン

 まるでレーザーの如く放たれた幻想の弾丸。

 アトンの身体が貫ぬかれ、初めて明確なダメージを与える。

 アトンの白い身体に走った黒い亀裂の周囲は妖精達の魔力の効果で特異な熱によって焼け爛れ、再生が追いつかないほどの強力な抑止力が働いていた。


「ガァァァァァアアアアアアア」

 アトンの咆哮、燃える鹿角から放たれる暗黒の波動が周囲を薙ぎ払う。

 だが、琴海の魔法陣は尚もその動きを抑制し、定紡の攻撃を補助し続ける。


「ダメ押しだ」

 定紡は刀身が捻れた短刀を手に、アトンの懐に飛び込む。

 そして再度刀身に虚数の力を流し込むと、アトンの胸部、正確には再生の効かなくなった亀裂に突き立てた。

 それでも尚も抵抗を見せるアトン。

 闇の波動を体内から放出し、肉薄していた定紡も、妖精達をも弾き飛ばす。


「グ──っ……!」

 地面に叩きつけられた定紡は、思わず血を吐き出してしまう。

 至近距離から闇の波動を受けた事により、体内を流れる虚数回路がズタズタに。


 それでも定紡は精神を奮い立たせ、何とか立ち上がる。

 陰りを知らぬ殺意をその目に宿したまま。


「もう一押しだ、妖精使い……っ、ヤツの、動きを、完全に──っ…止めろ!」

 琴海はゆっくり頷くと、新たな魔法陣の精製に入る。

 一層強く歌い上げる妖精たち。

 更に鈍るアトンの動き。


運命を縛りし久遠の鎖チェイン・オブ・アヴァロン

 アトンを挟み込むようにして展開される複数の魔方陣。上空に三つ、地上に四つ。


 それ等の魔法陣からは無数の光の鎖が放たれ、アトンの身体を突き穿うがってそれぞれ対極の魔方陣に繋がった。

 アトンはもがき、咆哮するが、抜け出すことあたわず。


「マダ、マダダ! 僕ハ根源悪ナンダ! 

 人類ヲ根絶ヤシニシテ、数々ノ英雄ヲモ葬ッテキタ絶対的ナ勝者ナンダ!

 ダカラ僕ハ敗ケナイィ、コノ異界ト空間ゴト、全部全部取リ込ンデヤルゥゥゥゥ!!」

 アトンの慟哭が轟き、妖精國を覆い隠す程に一層濃くなる紫雲。

 空からは赤い稲妻が無数に落ち、研究都市全体を破壊し尽くそうとする。

 だが、琴海は動じない。


「ここまでヤケになってしまえば、たとえ根源悪であろうと他の小物と同列ですね。ですが厄介きわまりない事は確かですので、決着を付けさせて頂きます」

 琴海は光剣術式を握りしめ、アトンを見下ろす。

 すると妖精たちの力が琴海に集結していき、彼女の衣が、髪が、光に包まれ鮮やかに輝く。


終焉を断ち切りし希望の聖剣アルティメット・エクスカリバー!」

 桃色の瞳が一層輝きを増して、琴海がアトンへ決定的な一振りを見舞う。

 剣撃は空間そのものを切り裂き、アトンの身体を両断。


──ズアアアアアッ

 真っ二つに斬り裂かれたアトンの胴体。

 同時に斬り付けられたアトンの背後の空間からは、ドス黒い瘴気が。

 されど琴海の攻撃は終わらない。

 光剣術式は尚も振り続けられた、流れるような動作で。


 二撃、三撃、四撃。

 一振り一振りが繋がるよう型を変え、向きを変え。

 そうして確立間近であった異界ごと、アトンの存在そのものを削り取っていく。


「グアアアアアア! コレハ……マサ………カ…!」

 アトンの声に混じる恐怖の色、絶対的な隙。

 そんな千載一遇の機会を黒衣の銃士は逃さず狙い定めていた。

 根源悪に向け、地上から。

 無機質であって冷徹な、確殺の意と共に。


「叛真定紡の名にいて告げる、永眠ねむれ」

 DNEから放たれる虚数の強弾。

 それは正に、極小サイズにまで圧縮されたトマホークミサイルと同等、或いはそれ以上の破壊力を伴ってアトンの頭部に直撃。


 周囲を薙ぎ払う爆発的な衝撃波。

 アトンの身体が崩れ落ち、空間に刻まれた亀裂へと吸い込まれて行く。


──ゴゴゴゴゴゴゴ

 アトンの身体が闇の粒子となって消滅。

 徐々に晴れていく紫雲。


 地面に空いたクレーターに満ちていた深緑のマグマも、そこから伸びていた鎖刃も含め、異常な虚数的存在のことごとくが消滅していく。


 今や研究都市には静寂が戻りつつあり、異時層による侵食の影響は、徐々に収まりつつあった。


「ハ……っ、ハ……っ…やっと、終わった、のか?」

 息を切らし、定紡はDNEを下ろした。

 琴海も光剣術式を解き、静かに微笑む。


「ええ、終わりです。少なくとも、最果てにまで到った私の物語は」

 感慨深気に呟く妖精使い。

 その言葉は、どこまでも遠い未来を見据えるように。


 戦いの終わりを告げるかの様に広がる晴天の大空。

 紫雲が晴れ、明るく太陽が地上を照らし………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………太陽?

────太……陽…………?



 異変に気付いた定紡が携帯に表示された時刻を咄嗟に確認する。

 時刻は深夜零時。

 丁度異時層が異界へと昇華し、確立するまでの時間。


「そんな…」

 上空を見上げていた琴海の表情が徐々に険しくなっていく。

 見れば太陽を中心に暗いひずみが拡がり、まるで眼の様に。


〔緊急生存形態の破棄〕


〔地球廃棄システム【根源悪】、界域形態による再構成完了〕


「何が……起きているんだ……」

 まるでこの世界そのものから発せられているかのように響く、無機質な音声。

 戸惑いを抑え切れない定紡は、その正体に思考が行き着く。


「まさか……この声は、アレが──?」


「……えぇ、恐らく」

 定紡の推測に琴海は張詰めた気迫のまま首肯し、そんなやり取りの最中にも音声は流れ続けていた。


〔警告 警告 これより新世界構築世紀を開始します。時空震にご注意下さい〕


「異界の確立にしては妙だ、俺達の世界の物質は全て現存している」


「大気中の虚数濃度も問題ありません。むしろ、普段の我々の世界と全く遜色がないかと」


「ならばこの光景は……一体、何なんだ? まるで空間が、ひび割れているようにも…」

 最優の能力者である黒衣の銃士も、最果ての戦場より来たりし妖精使いも、上空で起きている出来事に理解が追い付けずにいた。


 ソラが──割れている。

 空間が……割れている。

 そして、あり得ざる光景があらわれている。

 アレは、何だ。

 歪んだ空の狭間からこちらを覗く、太陽と同等にまで地上を照らす、アレは。


 …………アレは正しく、瞳だ。

 考えるまでもなく、認識している通りに、瞳だ。

 地上を覗き込んでいる、新たな太陽だ。


 次の瞬間、光が──はしった。

 それは天上からの極高速の、一瞥。

 辛うじて、然して迷わず二人は動いていた。即ちそれぞれの能力を最大限に活かした完全防御姿勢。


 定紡は崩壊寸前の虚数回路を無理やり喚起させ、能力を発動。

 自身に【一度だけ絶対に敵の攻撃が当たらない状態】を付与。

 琴海は妖精達による魔法陣を前方に展開、伝承防御である【堅牢なりし不動の巨城グランド・キャメロット】を顕現。


──ガダアアアアアアアアンンン ガガガガ

 辺りを埋め尽くす程の閃光により超々高高温のホワイトアウトと共に弾け飛ぶ大地。

 瞬間的に放たれしは六千度にも迫る太陽の一撃。

 研究都市は僅か一秒にも満たない時間で雲散霧消うさんむしょう

 そして瞬間的に冷やされた事で残ったのは溶けてガラス化した半径十キロメートルにもなる広大なクレーター。


 絶対回避の状態に在った定紡はともかく、琴海の構成した最硬概念防御は耐え切れずに砕け散り、それを維持していた妖精達は全て光の粒子となって消えて行く。


「一瞥しただけで、この威力だなんて……」


「おい…妖精使い。この際だから全て教えろ」

 あまりもの熱気に膝を突く琴海に、定紡は過度なダメージを負った虚数回路による影響で痺れる体を抑え込みながら睨め付ける。


「オマエは、遥か彼方の時間軸で、何と、戦っていたんだ。流石に、この強さは異常過ぎる……尋常じゃない、強さだぞ」


「ええ……その通り、なのですが」

 琴海はそこで言葉を切り、上空の様子をうかがう。

 天空の瞳に変化は見られず、有り体に言えば地上を覗き込んだままであった。

 だがその焦点は二人に降り注いでいるようでいて、その実二人を認識していない。


 まるで普段動物達が地面を認識しつつも、その表層を蠢くバクテリアを視認していないのと同様に。

 従って、直ぐに不用意な二撃目が来る事も無いと琴海は判断して定紡に目を向けた。


「空の狭間より私達を覗き見るあの瞳は、恐らくですが……アトンの新たなる形態です」


「アレがか?」


「ええ。残滓の状態にまで弱体化していた事で、不覚にも無意識の内に油断していました。

 本来であれば、異界確立一分前に切り刻まれた事でアトンは異時層ごと消滅し、大団円を迎えられたでしょう。

 しかし私の決戦術式によって敗れ去る直前、ヤツはと判断したのだと思います。

 そして、恐らくですが……私が時空ごと切り刻んだ事を利用し、成立間近で消滅しかけていた異界を自らの内に取り込み、自らの存在を異界そのものへと昇華させたのです」


「なるほど。で、そもそもアトンとは何者なんだ?」


愛人まなびとについて、ご存知ですね」


「ああ。能力者の存在定義を唯一上回る、地球上に於ける最強種。世界に十二人しか確認されていないのと、その特性から愛を体現する十二しんなんて御大層な名で呼ばれているがな」


「ええ。アトンはその十二心全ての源、大本おおもとなる存在なのです」


「どういう意味だ」


「貴方の宿敵を含めた愛を体現する十二心はアトンの有していた無数の権能を分割していたものに過ぎません。

 そして今のアトンは異界の時空と一体となった、言わば超常の神。

 存在の定義だけで言えば愛人以上の…まさしく過去、現在、未来を含めた我らが世界の全てを凌駕する、ソラの神」


「規模が大き過ぎてややこしいな。つまり今、俺達の頭上で空の全てを覆っているあの恒星そのものが敵で良いんだな」


「そのはず……ではあるのですが」

 琴海はそこで言葉を濁すと、天空の瞳を見上げる。


「なんだ、歯切れが悪いな」


「あそこには──何も無いのです。

 悪意も、善意も、これまでアトンから感じていた気配や思想の悉くが、消え失せています。

 アレはただ、其処そこに在るだけの──宇宙の狭間」

 琴海に告げられた事実に、定紡は絶句。

 それ程にまで規格外の存在に、これから能力を封じられた状態で挑まなければならないのかと思うと、軽く目眩すら憶える程に。


 すると再度、天眼と成ったアトンが動きを見せ始める。

 響き渡るアナウンスは無機質に、一切の抑揚も無く。


〔地球上に臣民と文明を検知、不要と断定〕


〔地球上に知性と精神を検知、不要と断定〕


〔地球上に反映と滅亡の痕跡を検知、不要と断定〕


〔地球上のあらゆる要素、不要と断定〕


〔根源悪としての権能を再構成〕


〔警告、警告、破壊神プログラムの構築に成功〕


〔資源の強制押収を決定〕


〔地球総体積の40%の押収を決定〕


〔地球上の全生命体は至急、絶滅して下さい〕


「……問題は、アレとどうやって戦うかだな」


「ええ、私の概念世界も先程の一撃で量子分解されてしまい、アトンに吸収され動力の一部となってしまったようです。

 先程から概念世界の再構築を試しているのですが、どうやらアトンの権能によって無効化されてしまっているみたいですね」

 琴海は天空に向かって虚数を放出するものの、見えない障壁に弾かれているかのように霧散してしまう。


「それを加味したとしてもだ、ヤツとの距離は目測で三万キロメートル。

 俺達には其処そこに到れるまでの継続的長距離飛行の手段が無い。

 仮に辿り着けたとしても戦場は成層圏の外側、宇宙空間での戦闘になる。

 宇宙空間での戦闘は俺達能力者にとっても未知の領域だ。

 奇跡的に辿り着けたとしても、十中八九それで終わりだろう」

 二人を襲う先行きの見えない状況。

 方法を模索している間にも、状況は刻一刻と劣勢へ。


〔警告、資源押収シークエンス開始〕


〔全ての生命は心安らかに瞼を閉じ、生命活動を停止しましょう〕


〔量子変換までのカウントダウン開始〕


〔それでは、良い終焉を〕


「……おい、妖精使い。一つ質問だ」


「ええ、何なりと」


「あとどれ位の時間、覚者でいられる。 それと、仮に概念世界を再構成出来たとして、それを維持し続けられる虚数量はどれ位だ」

 琴海は目を閉じ、自らの身体状況を確認した上で口を開く。


「覚者でいられるのは精々があと二時間が限度と言った所でしょうか。

 ですが虚数総量のみの観点で言えば、一ヶ月程度であれば余裕で概念世界を維持出来る量は残っています」

 定紡は妖精使いの返答にゆっくり息を吐いて、渋々と言った感じで琴海に背を向ける。


「ハァ……。上出来だ、今から俺の虚数回路とお前の虚数回路を繋げてくれ。

 机上の空論でしか無い術式ではあるが、これだけの状況が揃っていればもしかしたら実現は可能かも知れん」


「何か、思い付いたのです?」


「ああ、と言うよりこれしかない。

 本当は俺の肉体が許容量を超えて爆裂四散する可能性がある上に、発動したらこの地球のエネルギーが枯渇して生命が死に絶える確率が物凄く高い。

 それ程のリスクを負って実行したとしても、不発に終わる可能性の方が一番高いから博打も良いとこなんだが……現状この窮地を乗り切るにはもうこれしか無いだろう」


「……わかりました、貴方の判断に委ねます。して、何をするつもりなのですか」


「説明している時間も惜しい。出来れば何も言わずに俺と虚数回路を繋ぎ、俺の身体を通してお前の体内を流る覚者としての虚数を巡らせてくれ」


「…分かりました、そのように」

 琴海はフワリと宙を漂って定紡の肩に手を起き、虚数回路を繋げようとする。

 しかし──


「叛真さん。貴方、虚数回路が……!」


「構わん、早くしてくれ」

 定紡の虚数回路はもう、手の施しようが無い程にズタズタになっていた。

 これまで動き回れていたのが不思議な程に。


「いいえ。少しでも成功率を上げるため、少し手を加えさせて頂きます」

 琴海は複数の妖精を顕現させると、それぞれの妖精達に引き裂かれた虚数回路へ祝福を与えさせる。

 すると修復はしないまでも、通常時と遜色ない程にまで定紡の虚数回路の性能が戻っていた。


「! 凄いなこれは」


「ありがとうございます、ですがほんの一時的に出力を爆発的に高めただけの事。さ、効果が切れない内に、お早く」


「ああ、存分に胸を借りさせてもらう」

 フッと短く息を吐いて、定紡の気配が沈化。周囲の空気は止まり、音は消え。

 静かな動作で定紡はDNEを天眼アトンに合わせると、詠唱のための宣告を開始。


終焉拘束解放シール・ディマイス

 異聞議決開始ヴォート・スタート

 途端、琴海は自らの内から絶大な量の虚数が定紡の中に流出していくのが解った。

 確かにこれだけの規模と量の虚数を提供するには、ただの能力者程度では焼け石に水。

 能力者に覚醒したばかりの万能状態である覚者でなければ厳しかったであろう。


 是より放たれる一射はただ一人の能力者のみが使用を決めるにあらず。

 世界線の脅威を撃ち滅ぼせしめる詠唱。


 世界を護るために放たれるべき最凶の一射は、個人が手にする術式としてはあまりに強力過ぎるが故に、他の世界線による平行世界の犠牲の認可が下りなければ放つ事は出来ない。


 それに加え、外的要因による不当な世界線の消滅と云った事態でのみ平行世界による議決は行われるのだ。

 故にこの外法とも呼べる手法を実行に移せた者は、世界広しと言えどこの二人だけであろう。


「是は、世を滅ぼし得る脅威との戦いである」

──可決


「是は、あらゆる生命の歴史と未来の繁栄を掛けた戦いである」

──可決


「是は、他世界を否定する戦いではない」

──可決


「是は、絶対悪との戦いである」

──可決


「是は、存続するための戦いである」

──可決


「是は、真実のための戦いである」

──否決


「是は、世界を護る戦いである」

──可決


「そして、是は、運命を覆す戦いである!」

──可決

 決して術式を見出し、手にした者ではなく。術式錬成に至った平行世界が全てを裁定する。

 数多の世界線の中から僅か七拘束のみの解放。

 されど準備は今、整った。


「叛真定紡の名に於いて告げる。

 消えろ! おぞましき根源悪よ。

 キサマが覚醒めざめるべき刻は現在いまではなく、そして此処ここでもない!」

 今、定紡の愛銃であるDNEへ、定紡の肉体を通してかつてない規模での充填が開始される。


 其れは、地球の生命エネルギーを触媒にして放つ、対界決着術式。

 故に如何な能力者であろうと、その絶大な負荷による影響から逃れる事あたわず。


「───っ! グ─ッ──ア────ァ─」

 まるで、地球そのものを一か所にねじ込んでいくかのように、膨大なエネルギーが定紡の肉体を伝ってDNEに収束していく。


 流れ込むエネルギーによってはち切れそうなほどに膨らむ虚数回路。

 目玉は半ば飛び出しかけ、身体の内外から血が皮膚を突き破って噴き出す。

 想像を絶する程の苦痛の中、それでも尚定紡はその手を降ろさない。


 自らを信じて手を貸してくれている妖精使いの想いを裏切らぬため。

 そして、復讐に捧げし自らの運命を完結させるために。


 大地に亀裂が入り、重力の影響すらも不確かになって小石や岩が浮き上がり始める。

 崩壊の兆しを見せ始める地球規模の大地震。

 地球と云う生命の揺り籠を支えていたエネルギーは今、その四割がDNEに納まっていた。


 銃口から発せられる小さな螺旋。

 地球上の空気を巻き込んで更に巨大な空気のひずみを生み出し──その全てが銃の元へと集い、銃口の前で圧縮されていく。


 物理的な限界を超えても尚密度を高め続けていく空気の層は、やがて万物を切り裂く凶器と化し、空間そのものを呑み込み始めた。

 音や光すらも歪みの中へと収束し、超音波と闇が銃の顔前で渦巻き始める。

 そして、まるで生き物のように唸りを上げ始めたDNEのグリップを定紡はより強く握りしめ、引き金に指を当てた。


「我がDNE愛銃よ、存分に飛び立て…………惨禅世界地球砲ワールドエンド・アースカノン!」


 歪みが──弾けた。


 銃口に収束し、極限を超えて圧縮されていた森羅万象が、一発のエネルギー弾と共に解放される。

 放たれた圧力は周囲の空間そのものを破壊し、その狭間の虚無に引き込まれる形で世界そのものが反転していく。


 破壊された空間の狭間から生まれる虚無が更に周囲を引き裂き、弾丸の軌道を中心に世界そのものが無数の亀裂に侵食されていく。


 硝子の大地は砂場の様に粉々に引き裂かれ、空も雲も無作為に切り刻まれていく。

 まるで写真に現像された風景がミキサーにかけられるが如き地獄の光景。

 斬道という名の侵食が、地球を捻り裂きながら天空の眼へと突き進む。


 浩蕩こうとうたる力が天地を蹂躙し、世界そのものを切り砕きながら迫る中、天眼アトンは初めて迎撃行動に出た。


 瞳の中心へと集約されていく超々高高温のエネルギー波。

 一瞥した際に余波として放たれた六千度の閃光とは訳が違う。

 発射準備に入った時点での温度は脅威の百五十万度。それが成層圏外から暴虐的な猛嵐の弾丸へと放たれた。


 その衝突は、確かに人類からすれば天災のぶつかり合いに等しい程の苛烈さだったかも知れない。

 だが惑星単位で比べれば、地球のエネルギーではたとえ束になったとしても太陽が保持する熱エネルギーには到底叶わないのだ。


 それ故に、結果的に言えば定紡の放った世界を破壊し尽くすほどの脅威の一射は呆気なく打ち破られてしまい、滅却の光撃は瞬刻の内に地上へ迫っていた。


 正しく、破滅の光威。

 地球の全エネルギーを投じても抗えなかった一射。

 常世を滅する光撃が二人の身に迫る、その瞬間──


「本命はこっちだ」

 大地が、いた。

 次元が歪み、DNEの銃身が引き延ばされる。


「叛真定紡の名に於いて告げる。滅べ、永久とわに」

 渦状の亜空間を生み出して撃ち出された絶大な銃撃。

 虚数による蒼黒いエネルギー弾のようにも視えるが、その本質は時元修復効果。


 算定──ガンマ線バーストに匹敵する虚数量、破壊力。

 地球のエネルギーと二人の能力者によって編み上げられた弾頭の初速はマッハ百。


 大いなる虚数の螺旋を抱きながら放たれた虚空の弾丸は、一万度の光線を呑み込みながら乗算的に速度を増して進み、発射から僅か0.006秒後には成層圏を脱し、天眼アトンに迫っていた。


 光の速度をも遥かに凌駕した必終の一撃。

 避けること──能わず。

 防ぐこと──能わず。

 迎撃を試みること──能わず。

 結果、発射から0.00601秒後には、着弾。


──ズゥォン、ズォンズォンズォンズォンズォンズォン─────…………ガガアアアアアアンンン

 着弾による衝撃波が万物を流転させた。

 文字通り世界が七度滅び、八度生まれ出る程の威力。


 そして惨禅世界地球砲ワールドエンド・アースカノンによって崩壊する運命だった地球も、八度目の世界生誕により無事にその時代も、歴史も保持された状態で再誕を遂げていた。


 着弾時、具体的にどのような影響を二人が、観戦者が、人類が受けたのかは此処ここでは言葉に出来ない。

 故に今は、結果だけを伝えよう。



  その閃球、確かに空を切り裂きて。

     根源悪:天眼アトン。

   驚愕のこえも無く闇に散る。

     即ちは、是にて。



     人類の脅威、撃滅!

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