2-15

 精霊と触れ合えるのが聖女だけなら、私にイフリートの声が聞こえるのはおかしいじゃない! ましてや実体化なんてするわけがない! 私はヒロインじゃない! 聖女じゃないんだもの!


「わ、私が聖女だなんて! なにかの間違いよ! そんなわけない!」


 思わず叫んだ私に、イフリートがきゅるんと目を丸くする。


「なんで?」


 な、なんで!? なんでときた!? いや、そう言われると困るんだけど……。だって、それは私が私であることを、火が火であることを、イフリートがイフリートであることを、「なんで?」って訊いているようなものだもの。


 私は悪役令嬢だ。

 それは、揺るがない事実。


 聖女になるのはヒロイン。悪役令嬢じゃない。

 それも、この世界のはじまりとともに定められた原則だ。


 この世界の理(ことわり)と言ってもいいほどの――。


「お前はオレさまの声を聞いた。オレさまを実体化した。それがすべてだぞ?」


「……それは……」


 イフリートの言うこともわからないでもない。たしかに、目の前で起きてしまったことを今さら否定することはできない。


 でも、エンディングを迎えてすでに二年経っているのよ? 本来なら、クライマックス直前から精霊たちはヒロインと交流を持っているはずだし、二年経った今はとっくに受肉して、ヒロインは聖女としての地位を確立しているはずじゃない。

 それが行われていないだけでも問題なのに、悪役令嬢に唯一無二であるはずの聖女(ヒロイン)と同じことができてしまうなんて――どうしてここまでのズレが生まれてしまっているの?


 いったいなにが起こっているのよ?


 唇を噛み締める私を見上げて、イフリートが不思議そうに首を傾げる。


「聖女って、国から大切にされるんだろ? 嫌なのか?」


 私は無言のまま首を横に振った。


 嫌とか、そういう問題じゃない。

 私はあくまで悪役令嬢――アヴァリティア・・ラスティア・アシェンフォード。


 エンディングを迎えているとはいえ、ヒロインに成り代わるような行いは絶対にしてはいけない。それは罪だとすら思う。


 でも、それをイフリートやアレンさんに言うことはできない。言えるはずもない。イフリートやアレンさんが、作られたフィクションの中の存在にすぎないなんて――そんな残酷なこと。

 そして、ここが乙女ゲームの世界であることを知らない人に私の考えが理解できるはずもない。


 今、起きている異常を認識できるのは、ここが乙女ゲームの世界であることを知っている者だけ。

 誰にも相談できない以上、それはつまり私だけということだ。


 だったら――私がなんとかするしかない。


「っ……あのさ、イフリート……」


「オレさまは嬉しいぞ! オレさまは受肉したくてたまらなかったんだ~!」


 聖女と精霊について詳しく知るべく口を開いた私の鎖骨あたりに額を擦りつけて、イフリートが嬉しくて嬉しくて仕方がないといった様子で笑う。


「え……? そ、そうなの?」


「そう! オレさまは食事ってもんをしてみたかったんだよ!」


「食事? あ、そっか。精霊ってものを食べないんだっけ……。合ってる?」


「合ってる! あ~! 楽しみだなー! 『おいしい』ってどんな感覚なんだろ?」


 イフリートが好奇心に目をキラキラさせてカスタードクリームを見る。


 やんちゃな男の子が大好物を見るような反応に、思わずほっこりしてしまう。――ふふ、可愛い。


 ああ、そうだ。イフリートが悪いわけじゃない。彼はカスタードクリームに惹かれて話しかけてくれただけ。それが、なんらかのバグによって悪役令嬢の私にも届いてしまっただけだ。

 念願の受肉が叶ってトキメキとワクワクが止まらない――その気持ちに水を差すような真似は、。絶対にするべきじゃない。


 すぅっと大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。


 ――落ち着いて。ここで取り乱したってなんにもならない。


 それよりも、今はイフリートが器を得たことを祝ってあげよう。

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