第二章 パンで猫が釣れました?
2-1
「ティア!? ティアじゃないか!」
げんなりしつつ部屋に入ると――カウチに横になっていた男性が弾かれたように起き上がった。
「玄関ホールのほうが騒がしいなと思ってたら!」
そのまますばやく立ち上がって、駆け寄ってくる。
一つにまとめた腰まである艶やかな黒髪に、鋭くも色香溢れる緋色の双眸――。攻略対象たちに負けずとも劣らぬ美貌の青年。年齢は現在二十六歳。
アルザール・ジェラルド・アシェンフォード。七つ年上の――アヴァリティアの兄だ。
うわ……。また面倒臭いのがいる……。
「どうしたんだい? ――ああ、そうか。なるほど。ようやく家に帰ってくる決心をしたんだね?嬉しいよ!」
「あ、いえ、そういう……」
わけではないのだけれど。
しかしその言葉は最後まで言わせてもらえない。
それよりも早くガバッと抱き締められ、そのままマシンガントークがはじまってしまう。
「ああ、ティア。僕も父上も母上もどれだけ寂しかったかわかるかい? いや、僕らだけじゃない。使用人たちもだよ。みんな、ティアの気持ちが変わるのをずっとずっと待っていたんだ」
――でしょうね。出迎えた執事もメイドたちも、私を見た瞬間泣き崩れたもの。
彼らをなだめるのに三十分もかかったんだから。
「今夜のディナーはティアの好きなものをたっぷり作らせよう。またティアのために腕を揮えて、シェフも喜ぶよ。ああ、そうだ。新しいドレスとアクセサリーも必要だね。明日、すぐに仕立屋と宝石商に来てもらおう。それから……」
あー! 待って待って!
「お兄さま、落ち着いてくださいませ」
これ以上話が進んでしまうと、もっと面倒臭いことになる。私は慌ててお兄さまを止めた。
「わたくし、明日の朝には帰りますから」
だって、家からここまで馬車で一日半かかるんだよ? 往復で三日。長居なんてしてられないよ。やることいっぱいあるのに。
「え? どこに帰るって言うの? 君の家はここだよ?」
お兄さまが『なにを言っているんだ』とばかりに眉を寄せる。
「あんな辺鄙な森の中で一人で暮らすなんて、完全に僕のアヴァリティアの無駄遣いじゃないか!もうやめよう、ティア。あてつけってのは、残念ながら相手にそれを理解するだけの知能がないと意味をなさないんだよ。つまり、ミジンコレベルの馬鹿には通用しないんだ。わかるかい?」
ミジンコレベルの馬鹿って……もしかして王太子殿下のこと? な、なんて暴言を……。
「それでも悔しいって言うなら、僕があの愚か者どもを全員ぶっ殺してあげるから! ねっ?」
ねっ? じゃない! その『愚か者ども』の中には王太子殿下も含まれてるんでしょ? 発言が完全に反逆罪なんだけど!
私は額に手を置いて、はぁ~っと深いため息をついた。
「そろそろ妹離れしましょうよ……。お兄さま……」
もういいお歳なのに独り身なのは、そのせいもあると思いますよ?
「なにを馬鹿なことを! 僕から妹を取ったらなにが残るって言うんだ!」
「そ、それが駄目だって言ってるんですけど!? なにを堂々と言ってるんですか!」
っていうか、あなたからシスコンを取ったら、それこそ完璧になるじゃないですか!
史上最年少で第一騎士団入りを果たし、在学中に人生経験と称して身分を隠して商会を立ち上げ、その商才をいかんなく発揮して一財産を築き上げ、商会を手放してからもその財産を元手に投資を積極的に行ってアシェンフォード家の資産を倍に増やした。そんなことをしていたにもかかわらず王立学園は首席で卒業。文武ともに超一流、経営手腕においては右に出る者がいない――なんて、できすぎもできすぎ、天に一物とか二物どころかすべてを与えられた超天才なんだから!
攻略対象ではないのに顔もスタイルも最高で、能力もハイスペックってレベルじゃないあなたは、実は私の最推しだったんだよ。転生してから、この尋常じゃない病(シスコン)を知って冷めたけれど。
「今日伺ったのは、ほかでもないその王太子殿下とアリス・ルミエス嬢についてなのですけれど」
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