【書籍化】【コミカライズ】断罪された悪役令嬢ですが、パンを焼いたら聖女にジョブチェンジしました!?

烏丸紫明

プロローグ

 ドキドキと胸が高鳴る。


 ああ! いよいよだわっ……!


 エリュシオン王立学園の卒業パーティー。

 学生としての学びを終えた者たちの新たな門出を祝福する、良き日――。


 しかし、会場を満たしているのは、ひどく不穏な空気だった。

 学生たちだけではなく、王や多くの諸侯たちまでもが揃っているにもかかわらず、物音一つせずシンと静まり返っている。


 私は横目であたりの様子を窺った。


 精緻な彫刻が施された純白の壁に、わずかな曇りもなく磨き上げられた大理石の床。整然と並ぶ金の装飾が施された白亜の柱に、煌びやかなシャンデリア。優美な曲線を描く高い天井には美しい精霊たちが見事な筆致で描かれている。

 王宮のそれと比べても、遜色ないであろう美しい大ホール。


 ふと、笑みが零れてしまいそうになる。


『断罪』の舞台としては申し分ない。


「アヴァリティア・ラスティア・アシェンフォードよ。なにか申し開きがあるなら、最後に聞いてやらないでもない」


 投げかけられた横柄な言葉。シナリオどおりだ。

 私は深呼吸をして、目の前に立つ王太子――クリスティアン・オーネスト・エリュシオン殿下をまっすぐに見つめた。


 陽光のごとき金髪に強い意志に彩られた輝く金色の瞳。まっすぐ通った鼻筋に薄く形のよい唇。そして、スラリとした長身。文句なしの美男子だ。


「あるいは、謝罪するつもりはあるか?」


 その言葉に、フッと不敵な笑みを浮かべる。


『ご冗談を』


 そして、肩にかかった艶やかな黒髪を優雅な仕草で払い、さらに目を細めた。


『わたくしが、謝罪をせねばならないようなことがございまして?』


 クリスティアン殿下が怒りにギリリと奥歯を噛み締める。

 その傍ら――彼に寄り添う女性は、ひどく悲しげに瞳を揺らした。


 彼女の名はアリス・ルミエス。この乙女ゲーム『エリュシオン・アリス』のヒロインだ。


 小柄で華奢。トロリとした艶のあるチョコレート色のストレートヘアに、抜けるように白い肌。ふっくらした頬も、薔薇色の小さな唇も、なんとも可愛らしい。

 かすかに震える手も憂いに満ちた表情も、男性の庇護欲を大いに刺激する。


 いいよ! さすがはヒロイン! 言葉を発さずとも百点満点のリアクション!


「告発にある、身分による差別や聞くだけで耳が汚れそうな暴言、おぞましい虐めの数々、すべて身に覚えがないとでもいうつもりか?」


『いいえ。でも貴族と庶民との違いを教えて差し上げただけですわ。身分は尊ばれるべきものではございませんこと?』


 憎々しげにこちらを見るクリスティアン殿下ににっこりと笑いかける。


 まるで悪びれる様子のないセリフに聞こえるけれど、実際そのとおりなのだ。私がしたこと――ゲーム内でアヴァリティアがしたことも、身分関係なく好き勝手に振る舞うヒロインを叱責したり、二度と同じことをしないよう制限したりしたぐらい。虐めなんて言うほどのことはしてないのよね。


 虐めをしたのは、アヴァリティア以外の人間だ。アヴァリティアさまのためにって――都合よくアヴァリティアを隠れ蓑にして。


 でも、そんなことは言わない。

 ただ、誇り高く堂々と顔を上げる。

 自分はなにも間違っていないとばかりに。


「私の妃になるということは、いずれは国母になるということ。お前が蔑み、踏みつけた者たちは、この国の民! 私が生涯をかけて守っていくべき存在なんだぞ!」


 そんなアヴァリティアに、クリスティアン殿下はさらに激昂する。


「そんな簡単なことすらわからないのであれば、お前に私の婚約者たる資格はない!」


 ああ、いよいよ! いよいよだ!


 期待に胸が膨らんでゆく。

 頬が緩んでしまいそうなのを必死に堪えながら、その言葉を待つ。

 そして、クリスティアン殿下が観衆をぐるりと見回して、声高らかに叫んだ。


「ここに宣言する! 私――クリスティアン・オーネスト・エリュシオンは、今この場をもって、アヴァリティア・ラスティア・アシェンフォードとの婚約を破棄する!」


『ッ……!』


 き…キタ――――! よっしゃ、婚約破棄宣言きた!


 思わずニヤけてしまいそうなのを必死に堪えて、シナリオどおりのセリフを紡ぐ。


『そんな! 正気ですの? そんな……そんな……ものの数にも入らない庶民の女のために!?』


 震える手でヒロインを指差す。ヒロインはビクッと身を震わせて、怯えたようにクリスティアン殿下の腕に縋る。


「……アリスは関係ない。お前が人の上に立つにふさわしいかどうかの話だ」


 殿下が愛のこもった仕草でその震える肩を抱いて、私をにらみつける。


「ものの数にも入らないだと? 守り、慈しむべき民をまだそのように!」


 金色に輝く双眸が、苛烈な怒りに燃え上がる。


 よし! そのまま激情に任せて、最後の一言を!


「不愉快だ! 顔も見たくない! 今すぐ出て行け!」


 キタぁ――――っ! やったあぁぁぁっ! やりましたぁあぁああーっ!

 あとは、この会場から連れ出されるだけ!


『クリスティアン殿下!』


 縋るように手を伸ばす。みなの目に美しく映るよう、指先まで意識して。

 その手を乱暴につかみ上げられる。私はギリッと奥歯を噛み締め、その相手を見据えた。


 クリスティアン殿下の側近――ギルフォード・マークス・アルマディン侯爵令息。片目が隠れる艶やかな黒髪に厳しく冷徹な漆黒の瞳。長身で鍛え抜かれた無駄のない体躯。厳格で正義感が強く、不正を絶対許さないまっすぐな性格。未来の騎士団長と目される人物だ。


「――殿下に近づくことは許されません」


『くっ……! 放しなさいっ!』


「さぁ、退室を」


 そのまま強引に扉のほうへと引きずられてゆく。


『殿下っ! こんなことが許されていいわけありませんわっ! 殿下っ!』


『顔も見たくない!』の言葉どおり、さっさと背を向けてしまったクリスティアン殿下にその声が、訴えが、届くことはない。


 それでも叫ぶ。

 ここが悪役令嬢――アヴァリティアの最後の見せ場だから。


『殿下ぁあぁああぁっ!』


 廊下へ引きずり出され、目の前で音を立てて分厚い扉が閉まる。


「…………」


 私はきょろきょろとあたりを見回して誰もいないことを確認すると、グッと両の拳を握り締めた。


「~~~~っ!」


 や……やり遂げた! やり遂げたわぁぁっ!

 一時はどうなることかと思ったけど、しっかりと悪役令嬢をまっとうできた!

 これでアヴァリティアのゲームでの役割は終わり。ここからは私として生きても大丈夫なはず。


 やったぁぁぁっ! 解放されたあぁああっ!



 今すぐ万歳三唱したい気分だけれど、家に帰るまでが『断罪イベント』です!



 私は素早く踵を返し、ツンと顎を上げて、足早に歩き出した。



 美しい髪をなびかせ、カツカツと靴音高らかに、実に悪役令嬢らしく――退場!




 

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