手のひらで踊る ~Fairies 短編~

西澤杏奈

第1話 災難

 この物語は2010年が舞台となる。キャサリンがペストとなる時より13年前のことである。




 人間。霊長類ヒト科。高い知能をもち、高度な技術を生み出した。


 ペスト。語源は「pest」。意味は害虫。突然変異生物。人間の姿をしているが、高い再生能力、身体能力、そして5つの種類がある自然魔力をもつ。


 ペストは人間の街を襲い、焼き払う。

 人間は組織を作り、抵抗する。ペストの脅威から人を守る組織。

 銃や刃物で攻撃し、黒い特別スーツを身に着ている。エアーバイクと呼ばれる空飛ぶ乗り物を使い、ペストと戦う。


 組織の人間はペストを撃ち、殺す。

 分かりあうことはない。ただただ危険な因子を処分するだけ。

 組織は安全保障隊といった。


「あと三人だ!」


「了解!」


 空飛ぶ車、エアーバイクのエンジンを最大限に加速し、その間から安全保障隊隊員たちは奴らを撃つ。ペストたちは数体。羽を伸ばしながら、スイスのアルプスに向かって飛んでいく。奴らは人が多い正午に急に姿を現し、物品を盗んでいったのだ。

 ペストは全員殺す。その思いを胸に、安保隊(安全保障隊の略称)の兵士たちは敵を追いかけていった。いくら自然魔力が使えても、それは人間の技術に対しては無力だ。


「くらえ!害虫め!」


 銃口から銃弾がぱらぱらと出た。


「うっ」


 弾がペストの一人にあたり、彼は地面へ落ちる。仲間は彼を助けようとしたが、隊員たちが取り囲んだため、ただ上空を不安そうに舞っただけだった。

 だがもちろん落ちたペストは死ぬことはない。なぜならば再生能力を持っているからだ。心臓か脳を撃たないかぎり、奴らは死なない。


「くそっ」


 銃弾一発くらいじゃなにも聞かないことを、新人だった安保隊員は実感してギリィッと歯ぎしりをした。けれども、今はもう囲まれてしまったのだから逃げられない。

 しかし、ペスト側も馬鹿じゃない。危機を感じた彼は、羽をハチドリのように速いスピードで動かし、突風を発生させた。それは空飛ぶバイクに乗った兵士たちを混乱させる。そのすきを狙って突然変異生物は大空に飛び立つ。


「逃がすなっ!」


 邪魔をされて頭に血が昇った新人隊員は、そのままエンジンの速度を敵を追いかけ続けた。班長が後ろで止めようと叫んだ声も聞こえずに……。




 気づけば兵士は山のかなり上のほうにいた。ペストたちを結局見失ってしまい、まずいと気づいたときにはもう遅かった。エアーバイクのガソリンはほとんどなく、下へ戻ることは不可能であることが判明した。

 なにしろここはスイス。今、自分が立っているのはアルプスの上だ。見上げれば巨大な岩壁が見える。その山の名はアイガー。それは険しくひどく高いため、多くの者が過去に滑落している。登山道具なしでは上ることなど不可能だ。



 ちなみにスイス政府はアルプスの登山を禁止する法律を2004年に執行している。観光用のロープウェイも鉄の道を残して、今は運行していない。理由はペストの集落がそこにあるという噂があり、一般人が入るには危険すぎるとされているからであった。ではペストを山ごとそのまま爆弾でも落とせばいいではないかと思うであろう。


 だがそれが自然を巻き込むこと、山の形を崩してしまうこと、スイスがもともと中立国であることがそれを行うのを妨げていた。それに集落があるのは噂だけで実物を見た人はいない。アイガーは登るのが大変難しい。そんなところに、軍隊を送って証拠のない噂を調査させるのは不可能だった。


 飛行機や人工衛星で視察しようともしたが、集落の姿は見あたらなかった。だが、ペストたちが決まって出没したあと、山に向かって飛んでいくのは確かであり、社会の「害虫」の居場所がなかなかわからない安保隊は、それに頭を悩ませていた。



 新人隊員で19歳のバロン・ファーラー(Barron Furrer)はそのような恐ろしい山のそばで、困った表情で下に広がっている村々や小さな低い山の連なりを見つめた。下の風景は小さく、絵に描かれたもののようだ。もう自分の力だけではそこには戻れない。救助が来るには何日かかるのだろう。


 とりあえず、彼は役に立たなくなったエアーバイクを置いておき、少し歩き回ってから連絡をしようと無線を手にした。しかし、そのときちょうど彼の足元から植物が生えてきた。それはまるで生きている人間の腕のように、安保隊員の足にぐるりと巻き付いた。そのまま人間の体をおもちゃで遊ぶように、彼の体をひっくり返す。


「うわっ!」


 いきなり視界が反転して彼は思わず叫び声をあげたが、すぐに腰にある短剣を抜いて植物を切ろうとした。


「あ、あ、あー。それはだめだ」


 突然後ろから声が聞こえ、もう一つ植物が生えてきたと思ったら、今度はバロンの手から短剣と銃を奪った。その人物はバロンの目の前に姿を現す。

 茶髪のボブをした男。見た目は普通の人間だ。だが目が違う。異様に鮮やかな緑色をしているのだ。


 ペストは自然魔力をもっている。種類は五つで、どれも危険なものだ。攻撃力の高い、炎を生み出す「火の能力」、突風を操り最も速く飛ぶことのできる「風の能力」、水を操り凍らすこともできる「水の能力」、岩や植物を動かすことができ再生能力が一番高い「大地の能力」、他全ての能力の防御となりまたそれらを破壊することができる「闇の能力」の5つの種類があるが、そのうちいずれか、もしくは複数の自然魔法を使い、虫のような羽を使って空を飛ぶことができる。


 目の前の彼の目が鮮やかな緑ということは、大地の能力を所有しているに違いない。それなら植物を操れることとも辻褄があう。


「あー、君、安保隊じゃないか。どうしたんだい、こんなとこで一人でさまよって。これはうちに持ち帰んなきゃいけないね」


 そいつはからからと笑った。


「っふざけるな!」


 バロンは怒鳴った。彼はなんとかぶらんと宙に浮いていた無線機を掴もうとしたが、その前にペストの男に気が付かれた。


「あー、これなんだろ? 面白いなー」


 ペストは無線機を取って、まじまじと観察した。


「おい、やめろ! 返せ!」


「やだねー。……なるほど、携帯電話みたいだ。これで僕たちがここにいることをチクられないように壊しておくね」


 ペスト特有の怪力で、一見ひ弱に見える青年はバキッと音を立てて無線を真っ二つに折った。


「……」


 バロンは青年を睨みつけた。


「ごめん、ごめん、でもここは僕たちの縄張りだからね。ルールに従ってもらわないとだめだよ。よし、行くか」


 青年は植物を使って、きつく安保隊員の体を自分の背中にリュックサックのようにくくりつけると、速いスピードで走り始めた。景色がどんどん流れていく。


 バロンは抵抗はしなかった。しても振り落とされて痛い目に合うのと、このペストから逃げられる気はしなかったからだ。それにこいつにそのまま連れられたら、今まで不明だったペストの集落の場所がわかるかもしれないと期待していた。


 どうにか情報を伝えられれば、自分は英雄になるだろう。バロンは縛られてあまり動かせない手でなんとか自分のマガジンを取り出して、銃弾を少しずつ落としていった。


 仲間が来たときに、自分の居場所がわかるように。

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