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 私は三日間、教会の仕事を休むことになった。クラリーネ様が私の体調を心配したからだ。

ルカ君も幼少部で元気に過ごしているらしい。眠り薬のせいで誘拐されたことは何も覚えておらず、仮面男のがおすらほとんど忘れているのはむしろ幸運だった。

 誘拐事件の日にオルセンの教会が空だったのは、こうがいものが出てそのとうばつをしていたからとのことだった。

 ペーレ草原に出たヘルハウンドの群れ、そして巡回中に現れた翼竜。この二つの事件と今回の誘拐になんらかの関係があるのか、聖騎士団と王宮騎士団で調査中のようだ。

 アレク様はさらに、誘拐犯が廃屋に残した魔法陣も調べているらしい。

 三日目の休日は彼も非番のようで、私と一緒にのんびりと朝食を取っている。


「ヴィヴィ、一緒に出掛けないか?」


 食事が終わるころ、アレク様が私に言った。


「いいですよ。特に予定もないですし」


 内心では「やった!」と思っていた。誘拐事件から明らかにアレク様の様子がおかしいのだ。 前はちょくちょく腹黒い『素』を出していたのに、ここ数日はどこか私にえんりょしている気配さえある。


(完全におかしいわ。『素』のあなたはそんな大人しくないはずでしょ)


 こうなったらパーッとストレスを発散させて、元のアレク様に戻ってもらおう。それにはなるべく、非日常な場所がいいかもしれない。


「ちなみに、どこへ行く予定ですか?」

「……はっきりとは決めてないんだ。でも静かな場所がいいな」


 やっぱり疲れがたまっているんだろうか。


「じゃあお弁当を持って、公園にでも行きましょう! 料理長に頼んで来ますね!」


 私はウキウキとちゅうぼうへ行き、料理長にお弁当を頼んだ。彼はすぐに用意してくれて、お弁当が入ったバスケットを受け取ってげんかんへ行くと、アレク様はすでに出掛ける準備が整った様子だった。

 いつものラフな服装の上に、一目で上質だと分かる上着を羽織っている。


(また同じ服だわ。もしかして自分の服をあまり持ってない? 多忙だから、私服で出掛けるようなひまもないのかもね)


 それに何よりも、アレク様はかざることが好きじゃないんだろう。何を着ても似合いそうだから、勿体ない気はするけど。

 彼はバスケットを持ってくれて、逆の手で私の手をにぎった。二人で一緒に玄関を出てきゅうしゃへと向かう。


「馬には乗れる?」

「はい、乗れます」

「じゃあ一緒に乗ろう」


 ――うん? 一緒に乗るって、一頭の馬に? 二人で?


(そんなことしたら、必要以上に、か……体が密着することに、なりますけど?)


 どうようする私に気づく様子もなくアレク様は馬を引いてきた。立派なくりの馬だ。先に私を軽々と持ち上げて馬に乗せ、次にアレク様が私の後ろに乗る。

 背後から長い腕がびてきて、私を閉じ込めるように大きな手がづなを握った。


(……っ、ひい……! 背中、背中が温かいんですけど!)


 後ろにアレク様が乗ってるんだから当然だ。でもその当然の事実が私をじわじわと追いめていく。抱き締めたバスケットがミシッと変な音を出した。


「苦しくない?」

「っ、だっ、大丈夫、です!」


 もう少しで悲鳴を上げるところだった。


(耳のすぐ横で|喋《しゃべ)らないでぇ! はがあぁ……!)


 馬が歩き出して、体にしん)|動《どうが伝わってくる。ついでにバクバクしてる私の心臓の音もせないだろうか。


「中層の外れにある公園に行こうか。あそこなら貴族にも会わないだろう」


 アレク様が静かな声で言った。なんの波風も立たないような静かな声で、だんだん私のきんちょうは解けてきた。


(興奮してるのは私だけだわ……。だっていつものアレク様なら、絶対変なことするって思ってたのに――……って! 別にガッカリなんかしてないし! 私そんな破廉恥な人間じゃないし!)


 もう誰に言い訳してるのかも分からないまま、馬はパカパカと道を進んでいく。なぜか大通りではなく、裏道を選んで進んでいるようだ。


(さっきのアレク様、貴族には会いたくないみたいな言い方だったわね。やっぱり仮面男の「偽の公爵」発言が関係あるのかな……)


 今日のアレク様もやっぱりどこかおかしい。私と一緒に話していても、何か別のことで頭がいっぱいになっているような感じがする。

 でも私としては自分から聞き出すつもりはなく、アレク様が話してくれるのを待とうと思っていた。顔をそうはくにさせていた彼の様子からして、かなり深刻な話なのは間違いない。

 上層と中層を繫ぐ橋をわたると、ふんががらりと変わった。道には商店が立ち並び、行き来してるのはほとんど労働者だ。活気が溢れている。

 そこを離れて中層の外れまで来ると、広い公園があった。川沿いに作られた細長い公園だ。広場ではボール遊びをする子どもたち、川ではのんびりとりを楽しむ人の姿がある。

 ここまで来るとさすがに貴族の姿はない。

 地面に降りて川の近くまで行き、馬に水を飲ませてからかげに移動した。 バスケットを開けてみると、下にくための布まで入れてある。


「料理長はすごく気がきますね。私は完全に忘れてました」

「俺もだ。せっかくのデートなのに、ここまで考えてなかったな」

(あ、一応デートっていう意識はあるのね)


 しかし今の私にそれを気にしているゆうはない。デートどころか、アレク様は何かを思いなやんでいる様子。デート、デートと騒ぐ気にはなれなかった。

 二人で木陰に布を広げると、布しに草のやわらかな感触が伝わる。

「私の故郷って、こういう草がたくさん生えてるんです。弟と一緒に、草の上で何度も昼寝しました」

「それは気持ちがよさそうだな……。いつか、きみの故郷へ行ってみたい」


 ささやくように言って布の上にごろんと横になる。ちらっとぬすみ見ると彼は目を閉じていた。


(アレク様らしくない言い方……。まるで、その『いつか』なんて永遠に来ないみたいな……)


 なんだってこんなに後ろ向きなのか。肩でもんであげたら元気になるのかと手をわきわきさせていたら、彼はぽつりと言った。


「……あの仮面男、俺のことを偽の公爵だとか言ってただろ」


 私は手の動きをとめて、アレク様の顔を見つめた。あおむらさきひとみは空をぼんやりとながめている。


「俺と父は、本当の親子じゃないんだ。聖女がどこかの男と駆け落ちして、小さな村で産んだのが俺で……生みの母はくなり、実の父はむすを捨ててどこかに消えた。引き取って育ててくれたのが今の父なんだ」


 私は驚いたが、表情に出さないよう静かに彼の話を聞いていた。それにここで何か言ったら、アレク様が話すのをやめてしまうような気がする。

 彼はやはり空を眺めたまま、また口を開いた。


「子どもの頃から俺には妙な力があった。でもヴィヴィみたいなみんなに喜ばれる加護じゃなくて、俺の目を見た相手の自由を奪う化け物みたいな力だ。村にいた神官が俺のことを父

に相談したから、たまたま親子になれたけど」


 いったんそこで言葉を切って、目を閉じる。


「……そうでなければ、俺は自分のことを化け物だとしか思えなかっただろう。父と母が本当の息子のようにわいがってくれたから、今の俺があるんだ」


 父と母と口にした時、アレク様の声がすごく温かかった。


(よかった……。アレク様はちゃんと愛されて育ったんだわ)


 私はまだ会ったこともない彼の両親に、深々と頭を下げてお礼を言いたくなってきた。

 アレク様はむくっと起き上がって、遠くの景色を眺めている。でも何かを見ているというよりは、ただ瞳に景色を映しているだけのようだ。


「両親が俺を引き取ったのは、子宝にめぐまれなかったという理由もあったと思う。俺は本当に運が良かったんだ。二人に出会えたのがうれしくて、期待に応えたくて、ずっと努力してきた。誰もが認めるような、本物の公爵になろうと……」


 話すのがつらくなったのか、アレク様は口を閉じてうつむいてしまった。でも彼が言葉にしなかった部分は、私にも容易に想像できた。


(きっと他の貴族たちは、アレク様の努力を認めなかったんだろうな……)


 貴族は血筋にこだわって生きている。ルシャーナじょうがいい例だ。上位貴族ほどそのけいこうが強いから、公爵家に引き取られたアレク様は地獄を味わったことだろう。

 次期公爵という立場なのに、無視やかげぐちを叩かれるのはにちじょうはんだったに違いない。

 彼があまり服にこだわっていないのは、私用で外に出掛けることが少なかったから……貴族たちと会うことのないように。


(あの仮面男が言ったみたいに、他の貴族から偽ものって言われ続けてきたのね。……そして多分、そのことを誰にも相談できなかったんだわ)


 両親の期待に応えたいアレク様は、二人の前で弱音を吐いたりしなかったはずだ。どんないやがらせをされてもだまってえてきたのだろう。

 小さなアレク様が一人でまんしている姿を想像したら、じわっと涙が出てきた。


「……きみは俺が公爵だから、取り引きしてくれたんだよな」


 目元をこする私の横で、アレク様が俯いたままボソボソと言う。


「失望させてごめん……。でもこれが本当の俺なんだ。嫌になったなら」

「嫌なんてひと言も言ってません!」


 叫んだらアレク様がビクッと体をらし、目を丸くして私を振り返った。


「さっきからなんですか、勝手にひとのこと決めつけて! 確かに最初は公爵って立場はおいしいと思ってましたけど、誰も失望なんてしてませんから!」

「お金のない俺でも、失望せずに一緒にいてくれた?」

「…………仮定の話をするのはやめませんか?」


 金づるあつかいしていた話を持ち出されるとかたが狭い。自分が悪いんだけど。


「少なくとも、今の私は…………あなたが公爵じゃなくても、お金がなかったとしても――」


 そこでピタッと思考が停止した。


(……え? 私、何を言おうとしてるんだろ。どう続けるつもりだったの?)


 まさか「好きですよ」なんて言うつもりだったのか。いやいや、まさか。

 顔がじわじわと熱くなって、体中から変なあせが出てくる。ふっとう寸前の私をアレク様が食い入るように見ている。


「お金がなかったとしても、何?」

「…………」

「今の流れだと、それでも俺のことが好きだと言いそうな雰囲気だった。そう思っといていいんだよな?」


 ギギギッと目玉をぎこちなく動かすと、アレク様は晴々とした顔で笑っていた。


(はい、復活しました! 意外と早めの復活でした!)


「と、とりあえずお昼にしましょうか。おなかもすきましたし」


 ギギッ、ギギッと動く私を青紫色の瞳がじっと見ている。でもさぐるような視線というよりは、おもしろがっている様子だ。


(あ~っ、もう完全に『素』が出てるわ! でもいいか、それぐらい元気になったってことね)


 とりあえず水でも飲んで落ち着こうと、バスケットを開けて水の入ったボトルを出す。

 でも動きがぎこちなかったせいか、グラスに注ぐちゅうで左手にこぼしてしまった。


「あっ、ごめんなさい!」

「これ使っていいよ」


 アレク様が差し出したのは若草色のハンカチだった。お礼を言って受け取ると、かなり年季が入ったしろもので、何年も大切に使ってきたのが分かる。


(ご両親にプレゼントされたハンカチかな。……あれ? これってせいもん?)


 ハンカチの角の部分に、見覚えのある図形がしゅうされていた。でも私が知っている聖紋と少し違う。円と内接する二つの正方形、中央に一つの聖クラルテ文字――それが従来の聖紋のはずだ。


(聖クラルテ文字の周りに、葉っぱみたいな刺繍があるわ。こんな聖紋もあるのね。オシャレで可愛いなぁ)


 よく見ると反対側の角にも個性的で目を引く鳥の刺繍があって、思わずまじまじと見てしまった。アレク様にしては変わったしゅだけど、すごく私好みの刺繍だ。

 料理長が用意してくれたバゲットをうすく切り、ハムや野菜、チーズをはさむ。外で食べるお弁当はとてもおいしかった。

 アレク様の悩みが無事に解決したから、という理由もあったかもしれない。


「ヴィヴィのおかげで元気が出た。ありがとう。……最後まであきらめずに頑張るよ」

「……? よかったです」


 最後ってなんのことだろうと思ったけど、アレク様が意味深な笑顔を浮かべているので何もけなかった。

 とりあえず彼の悩みを晴らすという目的は達成できたから、それだけで満足だった。




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