第8話

 ばあちゃんは看護師さんに呼ばれ、結局『ぎっくり腰』ってことになった。

 骨は折れてないから、コルセットしてればいいみたい。入院も無し。

 家で無理しないように動いてだって。寝たきりはダメってことらしい。


 ほっと一安心した俺達は、もう空にまんまるい月がぽっかり浮かぶ時間に、やっと帰路についた。

 検査やらお医者さんの話の待ち時間でばあちゃんは疲れたのか、珍しく車の中でうたた寝していた。

 ばあちゃんは助手席のリクライニングを倒し、目を瞑る。

 月明かりが差し込む車内は青白く、ほの暗い。時々街灯の灯りが白色の線のように流れ、俺達の顔をぼんやり照らした。

 疲れた体は、口を重くし車内を夜気に溶け込むような静けさで満たす。


 車窓を流れる油断すると吸い込まれてしまいそうな暗闇。


 ふとばあちゃんに視線をやる。

 これは誰だ?

 目を閉じたばあちゃんは規則的なリズムで静かに胸を上下させ、お腹の上で指を組む。

 月明かりの青白い光に照らされた、肌の真っ白い手は小さくシワシワで、指は細くがりがり。

 深いしわの窪みは翳り、真っ暗な色の濃さは車窓の外の暗闇を思わせる。


 ばあちゃんの手はこんなんじゃない。

 俺の手より大きくて、硬い。

 力いっぱい握られるあの手が。

 俺にとっての『安心』の象徴。

 揺るぎない安らぎと包み込むような温かさが。


 いつの間にか、一気にこんな弱々しい手に変わってしまった。


 ……違う。俺が気づかないうちに、変わっていたんだ。

 病院の食堂の椅子が低くて膝をぶつけたのも、車椅子にのるばあちゃんの背中が小さいのも。

 俺が大きくなっていくと同時に、ばあちゃんは年をとり体が老いていく。

 ただそれだけ。

 当たり前のことなのに、脆い『今』という現実を理解できるほど俺は賢くもないし大人ではなかった。


 今の俺の手は白いし男だから骨ばっている。だけど肌の張りはあるし、シミやシワ何てない。


 変わっていく。

 なにもしなくても、時間は過ぎて周りは勝手に変わっていくんだ。

 じゃあ、このままなにもしない俺は?


 悔しい、怖い。でもやっぱり俺も変わりたい。

 『今』の消えてしまいそうな脆さや、儚いからこそかけがえのない尊さも大切にしていきたい。

 恐がっていたり、嘆くだけじゃない。

 前向きにとられて、今と未来を大切にする為。心も成長させたい渇望。

 ぎゅうと手に力を入れたら、手の甲に青い血管がぷくっと浮かび上がる。

 ほら、こんな簡単に手の形だって変わるんだから。同じように俺だって少しは心の時間を進めていけるはず。

 

 せっかく気づけたんだ。些細な成長かも知れないけど、自分の時間を前に進めて行こう。

 まずは目の前のことから少しずつ、始めていけばいい。


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