桜を見られるほうに

明(めい)

第1話

九月三十日


よくわからない。もう、わからない。これからどうすればいいのだろう。


寛解していたうつ病が再発した。ちょうど一ヶ月前の八月終わりに。


高校の第一志望受験日の朝、電車の中で酷く酔っていたおじさんにセクハラの如く絡まれて精神ダメージを受けたまま試験に臨み、落ちた。第二志望受験日の朝も電車の中で痴漢に遭い、半分泣きながら試験を受けてまたまた落ちた。


受かったのは親が大層入れたがっていて、私自身はあまり気の進まなかった女子校だ。



女子校のギスギスした人間関係や、学校内での不可解な決まり事やあまりの校則の厳しさに少しずつ精神を壊し十八の頃にはうつ病と診断された。



なんとか私でも入れる短大へ合格したあともほぼ無気力状態で過ごし、卒業する頃には重症化していた。



ろくに働くこともできず、二十代はあちこちの心療内科へ行って治そうと試みたものの、薬の大量投与による副作用で余計に頭が働かなくなり動けなくなっていく日々だった。



心療内科へ行ったところで薬を処方されるだけ。死にたいと言えばすぐに入院を勧められるだけ。


根本的な治療はほぼ不可能だと思った私は、二十六歳の時親に土下座をして、生活費とアパート代六万円を出して貰い、環境を変えようと思って誰も知らない土地で一人暮らしを二年ほどしていた。


情けないと思ったけれど、それが私の思いついた治す手段だった。そうして新しい環境で最初の頃は横になってばかりいたものの、日の燦々と当たる部屋で自分と向き合う時間を作ったり、瞑想したり、なるべく規則正しい生活を無理矢理心がけるようにして、本当に少しずつ、二年をかけて回復していった。



だが、今度は処方されていた薬の離脱症状に苦しめられた。医師に薬を飲まなくていいと診断されたにもかかわらず断薬してからけいれんを起こして倒れて入院をすることになり、実家に戻る羽目になったのだ。



薬を完全に断ってからはずいぶんと症状もよくなり、漸く正社員として働き出すようになって五年。そしてまたうつが再発して今三十五歳。



普通の人が普通に送れる日々を、なぜ私は送れないのだろう。三十五にして働いていたのはたったの五年だ。今感覚的に自己判断では中度うつ。だんだんと死ぬことしか考えられなくなる恐ろしい病。


また精神が蝕まれて死にたくなり始めている。



それがうつという病なのだから仕方がない。そうして本当に死んでしまう人もいる。


一人暮らしを始める前までは、あらゆる自殺方法を調べては脳内でシミュレーションをしていた。実際未遂をしたこともある。



かまってちゃん。メンヘラ。甘ったれ。



うつ病になったことのない健康な人々がよく使う言葉。よくネットで見かけた言葉。


過去のネットの書き込みが、言葉の刃となって刺さっている。私に向けられた言葉ではないけれど、自分が言われたことのように感じられて些細な言葉でも傷つくようになる。



再びよくなりたいと昨日は会社帰りの途中にあるデパートの地下で占い師に未来を占って貰ったらどうでもいい前世のことを言われてしまった。



「あなた、前世でちやほやされていたのよ。やりたい放題生きていたの。だからなんにも努力なんてしていないの。欲しいものはみんな手に入れていたのよ。死ぬときはなんにも持っていけないのにね。頭の中はゴミだらけね。あなたはゴミの中で生きている。ゴミの人生を送っているの。うつはそのカルマよ」



大層傷ついた。的外れもいいところだ。だったらちやほやされていた前世の記憶を見せてみてよ。カルマとか、この人はなにを言っているの。今を生きているのだから前世なんて関係ないじゃない。


ゲーテだって躁鬱病だったけれど素晴らしいものを書いて世に名を残していたし。



「頭、大丈夫ですか。あなたも病気ですか。私はうつが治るか聞いたのです。前世が見えるからといって人を傷つけていい理由にはなりません」



席を立った。占い師は金を受け取るとなにかに憑依されたかのような気味の悪い目つきでニヤニヤとしていて、そのような占い師のもとに行ってしまった自分を酷く責めた。



今日は退職日で最後の仕事を終え、レインボーローズ五本にかすみ草の花束をもらって引き上げてきたところだ。


誰もが見れば綺麗だというのに、ただの花としか認識できなかった。そこに付随する形容詞はなく感情も動かない。暗闇の中から花のシルエットを見ている、そんな感覚だ。綺麗、楽しい、嬉しい、そんなポジティブな形容詞が実感ごとまるまるまる消えてしまうのもうつの特徴である。



なんで再発したのだろう。忙しかったのを無理したから?



肩までの髪は手入れをしなくなってから大分経つ。


外見も気を遣うのがおっくうになったから化粧も適当だ。



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