第1章 12話 水音に似た声

「こ、の、や、ろー!」

「……だ、だ、だって、まだ心の準備ができてないんだもん。せめて、あと三十分くらい」

 

 風花は後ずさる。

 川原の桜の方に駆けていって、幹に隠れた。


「無理っ。オレ帰るんだ!」

 

 飛雨はまた、一瞬で風花の隣に立つ。風のように速く走るのだ。

 風花は幹の反対側に回った。

「お願い、飛雨くん。お願いしますっ。もうちょっとだけ!」


「うるせっ」


 飛雨は風花を追いかけ、風花たちは幹の周りをぐるぐる回る。何周目かで風花は根に足を取られた。転倒し、体をしたたかに打つ。


「痛ぁ……」

 

 風花はうめいた。

 転ぶ前に、風花の左手はなにかを掴んでいた。見ると、手の中に桜の枝があった。


 転んだ拍子に折ってしまったらしい。

 枝は花びらが落ちて、痛々しく揺れていた。


 ……ごめんね。

 風花は桜を見上げた。


「……だいじょうぶ?」

 ふいにそんな声がした。

 水音のような涼やかな声だ。


 顔を上げる風花の目に飛び込んできたのは、夏澄だった。大きな瞳が風花の心を引き寄せる。


 夏澄はそっと風花を覗き込んでいた。


 髪がやわらかく風に揺れていた。

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