第30話 お母様は神絵師です!え?遠慮したい、ですか?


(しまった、ここには黒板がないわ)


 いつもお母様に推し活を教える時は、黒板にわかりやすく物事を整理してから教えていた。何分お母様にとっては初めて触れる世界なので、少しでも丁寧に説明する必要があったから。


(紙は……お母様がほとんど消費してしまったみたいね)


 きょろきょろと辺りを見渡せば白紙の紙は残っておらず、手段が口頭しか残っていなかったので頭の中で言葉を考え始めた。すると、お母様が私の方を優しい眼差しで見つめた。


「イヴちゃん、黒板よね?」

「あ……はい」

「それなら隣の部屋にあると思うわ。昔はそこで授業を受けたこともあるから。移動しましょうか」

「……はい!」


 当然のように黒板の存在を考えてくれたお母様に、胸が温かくなりながら後をついて行くのだった。




 さすがは授業用に作られた黒板。ルイス家にある移動式のものよりも、どっしりとした作りと見た目は、黒板なのにどこか高級感があふれていた。ささっとお母様が黒板の前に椅子を用意してくれた。


「ありがとうございます」

「気をつけてね」

「はいっ」


 お母様は黒板から一番近い席にすとんと座った。


「こほん。では新しい推し活についてですが……お母様、先程絵を描かれた時はどのようなことを考えていらっしゃいましたか?」

「えぇと……もちろんユーグリット様のことを」

「それはグッズを作る時と似ていませんか?」

「た、確かに……!」


 そうなのだ。グッズも絵も、そしてケーキも一つに創作物として括ることができるのだ。


「ということで、お母様の先程の絵を描くことも立派な推し活と言えるのです」

「絵も推し活の一つなのね……」


 無意識に描いていたのか、推し活とは少しも思わなかったようだ。


「ちなみに、どうして絵を?」

「えっ! ……え、えぇとね。め、目が覚めてしまって」

「昨日早くに眠ったからでしょうかね」


 何故か動揺するお母様に不安が過った。


「そ、そうかもしれないわ。良くない夢を見て、その。心を落ち着かせるためにも、かしら?」

「良くない夢……大丈夫ですか?」

「心配しないで、イヴちゃん。絵を描いたらもう忘れてしまったから」

「それなら良かったです」


 どうやらお母様は怖い夢を見て、推しに癒しを求めたようだった。しかしグッズはないので新たに自分で何か作ろうとしたのだろう。いや、改めて考えると凄い行動力だ。


「それにしても出来栄えが素晴らしい絵ばかりでした」

「ありがとうイヴちゃん」

「お母様は……神絵師を名乗っていいと思います」

「神……絵師?」


 初めて聞く言葉にきょとんとした瞳になるお母様。これこそ説明が必要なので、黒板を再び使い始めた。


「はい、神絵師です。こう書きます。えぇと……お母様、画家はわかりますよね」

「もちろんよ」

「絵師は画家とだいたい同じ意味で、絵を描く人のことを言います。特に推し活で絵を描く方は画家ではなく絵師という言葉の方が使われていると思います」

「絵師」


 絵師の二文字を指さしながら、お母様の復唱に頷いた。


「推しの絵を描く方を絵師と呼ぶこともあり、その出来栄えがとてつもなくお上手な場合はその前に神、とつけることがあるんです」

「それが神、絵師」

「そうです」


 言葉の説明を終えると、お母様は神絵師の文字をじっと眺めていた。何か考えているようで、沈黙の後に困った顔をしながら私の方を見た。


「…………イヴちゃん。私、神絵師という言葉は遠慮したいわ」

「……遠慮、ですか」

「えぇ……その、私が神は恐れ多いもの」

「なるほど……」


 お母様からすれば神という言葉は負担のようだった。説明をし直そうか考えていると、お母様は更に驚く発言をした。


「それにね、神はユーグリット様でしょう? ほら、推しは神様って」

「!」

「だから、その。ユーグリット様と同義にだなんてなれないわ。それこそ失礼で迷惑にもなってしまう気がして」

「……なる、ほど」


 まさかそんなツッコまれ方をするとは思わなかったので、戸惑いながらもお母の視点が新鮮で面白く感じてしまった。


「つまりはあれですね。“神”という言葉を遠慮したいんですよね」

「えぇ、私は名乗れないわ」

「……それなら、天才絵師とかならいかがでしょう?」

「て、天才だなんて! イヴちゃん、恥ずかしいわ!」

(神とほとんど意味変わりませんよ、お母様)


 きゃっとなるお母様に心の中でツッコんでしまった。


(……でも、これはお母様のこだわりよね。大切にしないと)


 そう思いながら、お母様に“神”はあまり使わないことを決めるのだった。お母様のこだわりが見えたところで、部屋の扉がノックされ、ステュアートお兄様が朝ご飯だと呼びに来てくれた。


「わざわざありがとうね」

「いいえ叔母様。せっかくイヴと過ごせる数少ない時間ですから」

「それは大切にしないとね。さ、イヴちゃん、行きましょう」

「行こう、イヴ」


 そう言うと、二人に同時に手を差し出された。その瞬間、沈黙が流れる。


「……叔母様、数少ない時間なのでイヴをお借りしても?」

「あら、駄目よ。イヴちゃんは私の娘ですもの」

「困りましたね。私もあまり譲れないのですが」

「そう……イヴちゃんはどっちがいい?」

「イヴ」


 そう優しく尋ねる二人だが、何故か静かに火花が散っている気がした。


(駄目だ、この空気は耐えられない)


 そう急ぎ判断した私は、右手でお母様の手を、左手でステュアートお兄様の手を取った。


「私は欲張りなのでどちらもですね」


 選ぶなんてことはできそうになかったので、両手をつなぐことにしたのだった。その選択は間違っていなかったようで、穏やかな空気が戻って来たのだった。

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