第28話 ユーグリット様との出会い(オフィーリア視点)


 出会いは偶然だった。


 学園に入学したての時は、まだ友人もおらずに一人で行動していた。不安になることもあったが、きっと良い友人ができるはずとどこか楽観的でもあった。


 私がユーグリット様と初めて会ったのは、まだキャロラインと出会う前だった。

 それは忘れもしない、私が高等部の一年生のある日。あの日は雨が降って雷が鳴りそうな空の日だった。


 雷が苦手な私は、本格的になりだす前に帰ろうと急いでいたのだ。それが原因で、階段から足を踏み外してしまった。といっても、残り二、三段のところだったので軽症で済みそうと反射的に思いながら、どうにか着地しようと足を伸ばした。


 しかし足が衝撃を受けることはなく、体がふわりと浮いたのだ。


 何が起こったかわからず、自分が助けられたことに気が付いたのは地面にそっと下ろしてもらってからだった。


「勝手に触れてすまない。怪我はないだろうか」

「……は、はい。ありがとうございます」

「それなら良かった。雨の日は足元が滑るから、気を付けた方が良い」

「は、はい」

 

 助けてくれた人は、何の見返りも求めず、名前すら名乗らずにその場を去ってしまった。あっという間の出来事だったが、初めて人に、異性に力強く引き上げられた私は、動揺し続けていた。頭が混乱しているうちに、彼はいなくなってしまったのだ。


 それからというもの、私は恩人が誰なのか気になって仕方なかった。


 どうにか調べて、彼の名前がユーグリット・ルイスということを知る頃には、私はキャロラインと親しくなっていた。


 名前を知っても、臆病でユーグリット様に声をかける勇気はなかった。けれども視界に入れば自然と目線はユーグリット様に向いていた。そこから私がユーグリット様に想いが芽生えるのに時間はかからなかった。


 人脈がなく、ユーグリット様のお名前を知るのにも時間がかかった私に、二歳上のユーグリット様と学園生活を共に過ごす時間はあまり残されていなかった。

そんな焦りからも、キャロラインの“婚約”という言葉には引き付けられてしまったのかもしれない。


 もしも私があの時、キャロラインに相談せずに自分の口でユーグリット様に声をかけられていたならーー。


「ユーグリット様」

「君は……」

「オフィーリア・フォルノンテと申します。ユーグリット様のことをずっとお慕いしておりました。それでーー」

「すまない、私は君のことをそう見たことは一度もない」


 ユーグリット様にもしもそんなことを言われたら。私は立ち直れない気がするーー。




 バッ!! と起き上がった。あまりにも目覚めの悪い夢を見てしまい、心は疲弊していた。カーテンの隙間からは微かに光が差し込んでいるだけで、まだ朝の早い時間であることがわかった。


 額に触れば、自分が嫌な汗をかいているのがわかった。


「……夢、なのね」


 ユーグリット様に想いを伝えても願いは叶わなかった、悲しい夢。胸が苦しくなり始めたが、ふと隣を見れば最愛の娘が穏やかに眠っていた。


「……イヴちゃん」


 ぐっすりと眠る寝顔は、どこかあどけなく子どもらしさを感じさせた。天使の寝顔には、反射的に微笑む。しかし、なかなか消えない夢がまだ頭の中に色濃く残っていた。


「ユーグリット様……」


 夢のようになってしまうのが怖くて、ずっと逃げ続けた結果が今に至る。答えを聞くのが怖かった私は、思えばユーグリット様に一度も気持ちを尋ねたことがなかった。


「…………夢の中の私は凄いわ」


 例え望まぬ答えが返ってこようとも、夢の中の私は伝える努力はしたのだ。


「……臆病ね」


 ユーグリット様が好きだから。好きで、好きで仕方なくて。心から愛しているからこそ、聞きたくなかった。明言されれば、それが事実として心に刻まれてしまう。だが逆を言えば、聞かなければ妄想をして希望を抱くこともできるのだ。


 段々と自身に嫌悪感が増していく。

 臆病でユーグリット様に気持ち一つも聞けない自分。

 その上、キャロラインの指示通り動いていた自分。


 こんなにも自身が嫌ならばーー私は、変わるべきだ。今よりももっと。


「私は……自分の意思で動くと約束したわ」


 そっとイヴちゃんの頭を撫でる。


「イヴちゃん、私……頑張る。頑張ってみるわ」


 ユーグリット様から答えが返ってくるのが怖いのなら、まだ今は聞かなくてもいい気がする。相手の気持ちを求めるよりも、まずは先に自分が伝えなくてはいけない。


 大切なこの事実に気が付かせてくれたイヴちゃんに胸を張れるように。


「……ユーグリット様に想いを伝えないと」


 あの悲しい夢がたとえ現実になってしまっても。後悔しないために、これ以上逃げないために……私は力強く決意した。


「そうと決まれば……」


 そっとベッドを下りると、クッションを片手にソファーに座り直した。


「ま、まずは練習をしないと」


 ちょこんとクッションを隣に置くと、私は背筋を伸ばしてクッションを見つめた。深呼吸をすると、言葉を考えながら発し始める。


「……ユ、ユーグリット様。私はユーグリット様のことを……ずっとお慕いして参りました」


 しーん。


 当然ながら、クッションから返事はない。


「だ、駄目だわ。これだと全然緊張しないわ。クッションじゃ神々しくない……」


 しょんぼりしながら、部屋の中を歩き始める。


「ユーグリット様の代わりになるもの……」


 もちろん、一番は人を相手にすることだが、さすがにそれは別の意味で恥ずかしすぎる。せめて人ではない何かで、見立てられないか。そう思いながらキョロキョロと探し続けた。


「ティーカップ……ユーグリット様のような高貴さはあるけれど、小さすぎるわ」

「ドレッサー……結局自分の顔を見て練習しても意味ないわ」

「ベッド……駄目よ、大きすぎる。それにイヴちゃんが起きちゃう」


 自分でも気が付かないうちに、独り言を呟きながら部屋の中を見渡していた。その瞬間、真っ白な紙とペンが目に入る。何故か二つがある方に吸い寄せられていくと、じっと見つめながら無意識にこぼしていた。


「……描いてみようかしら、ユーグリット様」

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