孤独な推しが義弟になったので、 私が幸せにしてみせます。 ~押して駄目なら推してみろ!~

咲宮

第一部 お母様の闇落ちを防ぎます!

プロローグ 闇落ちを防ぎます



「あぁ、どうして今年も来てくださらないの……」


 ルイス侯爵家の食堂で、悲しげな女性の声が響く。声の主は誰かを待っているようで、しかしその相手は一向に姿を現す気配がなかった。


「ユーグリット様……何故なのですか」


 ユーグリット、その名前が指す人物は私の父である。


 そして、先程から悲壮感溢れる声を出しているのが、私の母、オフィーリア・ルイス。流れる涙も美しく見えるほど、お母様の顔は非常に整っている。


 今日は二人の結婚記念日なのだ。


 いつもより少し特別な十回目の記念日。しかし、父がその祝いの席を訪れることはまずない。理由は簡単。彼にとっては祝うべき日でもなんでもないからだ。


 元々は公爵令嬢だった母が権力を盾に、無理やり押し進めたこの婚姻。父は結婚したのだからあとは好きにさせてくれ、と言わんばかりにお母様を放置していた。


 結婚したは良いものの、結局一番大切な心までは手に入れることができなかった哀れなお母様。


 かくいう娘である私は、そんな同情心からお母様の様子を覗きに来たーー訳ではない。


「ユーグリット様、貴方は今年も来てくださらなかった。わかりましたわ、貴方が私を愛してくださらないことが」


 こっそりと部屋に入ると、暗く重たい声色が部屋の中に響き始めた。


「あぁ、ユーグリット様。私を愛してくれない貴方などいりませんわ。それならーー」


(殺してしまいしょう、ですよね? その先は言わせませんよ、お母様!!)


 急ぎ走ってお母様の視界に入ると、大きな声でその続きをかき消した。


「お待ちくださいお母様!!」

「…………あら、イヴちゃん」

「はい。娘のイヴェットです」


 虚ろな瞳が私を捉えた。お母様の意識は、闇落ち寸前でまだ堪えている気がした。


(私が認識できるなら、私の声は届くはず!!)


 ぐっと手のひらに力を入れると、お母様の目を見て声を出した。


「愛することを諦める必要はないのではないでしょうか?」

「……いえ、無理よ」


 はっと自嘲するように笑うお母様。


「手紙を送ったり、会いに行ったり……一通りできることは全てやったわ。でも、ユーグリット様は来てくださらなかった」


 しかし、お母様の心には全く届かない。


(知ってますとも。狂気じみた愛の押し付けをしていたことを、長年見てきましたからね)


 決して言葉には出さず、けれども本人に気が付かれないように、うんうんと頷いていた。


「だからもういいの」

「まだです。お母様がまだ一度も試していない方法があります!」

「試していない方法……?」


 その復唱は、興味があるような声色だった。


「はい、押して駄目なら」

「知っているわ。引いてみろというやつでしょう。それもやったの……だけど無駄だった」


 食い気味に否定されてしまった私の意見だが、まだ言い終わってなかった。


「いいえ。押して駄目なら、推してみろ!! ですわお母様!!!!」

「…………」


 ですわお母様!! ……お母様……様。


 私の声はお母様の嘆いていた声より遥かに大きく、部屋の中だけで反響していた。 

 お母様といえば、ポカンとしながらこちらを眺めている。私はニッコリと微笑んでいた。


「押して駄目なら押してみろって……? 結局は押すってことよね。それならもうやったわよ……?」

「いえ、その押しではありませんよ」

「イヴちゃん……何を言ってるの?」

「私の言う“おし”とは、推し活の“推し”ですお母様!」

「おしかつのおし?」


 短く説明したは良いものの、お母様の頭上にはこれまでにない大量の疑問符が浮かび上がっていた。


 しばらく経つと、その思考は放棄され「うちの子がおかしくなった……!」という眼差しへと変化したのだった。確かに九歳の我が子が突然こんなことを言い出したら驚くことだろう。


「イ、イヴちゃん。ありがとう、私を慰めてくれたのね……」

「お母様、私は本気ですよ!!」


 そう力強く言えば、先程までの虚ろだった瞳と悲壮感は消え去り、私を本気で心配する眼差しへと変わっていた。


 こんな不思議かつとんでもない提案をしたのには、もちろん大きな理由がある。話は私が前世の記憶を思い出した瞬間までさかのぼる。


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