夜のハコ

「あっ。ノボルさん……もうちょっと上です。奥まで――」

「こ、こうか?」

「そこっ。そこです。今度こそ、いく……」

「いっちまえ。そのまま出すぞ」

「中はダメ。外に……っ」

「いくぞソーハさん」

「あっ……」


 ぽとり。


 ノボルの操作するアームは、残念ながら途中でぬいぐるみを落とした。ソーハが欲しがっていた恐竜ぬいぐるみが、そのままクレーンゲームの中へと戻っていく。

「外まで連れてこれなかったかぁ!」

「惜しいです。出口の淵までは持ってきてました」

 ここでノボルの財布から、100円玉が尽き果てた。

「ソーハさん。両替してくる」

「え? いやいや、そこまでしなくても……その」

「うーん。やっぱりいいか」

「はい。諦めます」

 時計を見れば、そろそろ良い時間でもあった。暇つぶしとしては充分だろう。

「それじゃ、そろそろ行きましょうか」

「おう。そうだな」




 ソーハには山登り以外に、最近できた趣味がある。それが意外と言えば意外なのだが、

「なんっていうライブハウスだっけ?」

「ティッシュショット9ってハコですね。この辺では有名なんですけど――」

 ロックバンドのライブ鑑賞。おおよそソーハらしくないというか、ソーハのイメージからかけ離れた趣味だ。

「ちなみに、その格好で行くのか?」

「え? ダメですか?」

「いや、俺にはそういう場所の雰囲気とか、なんか分からん」

 ソーハの格好は、いつも自転車に乗る時のサイクルジャージにレーシングビブ。ぴっちぴちトップ&ぴっちぴちボトムで決めた、何とも悩ましい服装だ。

 ヘルメットを脱ぎ、高い位置で縛りなおしたポニーテールは可愛い。短めでぴょこぴょこする跳ねっ毛と、そこそこ長い部分が混在する縛り方だ。

「で、ちょっといいもの持ってきてまして……」

「ん?」

「じゃーん。推しバンドのTシャツなんですけど、ど、どどどどどうでしょう?」

「ずいぶん緊張してるな」

「えへへへ。こういうの着ていくの、初めてなので」

 見たことも聞いたこともない、なんならプリントすら安っぽいTシャツだ。サイズが全く合ってないので、ソーハが着るとダボダボである。肩にギリギリで引っ掛かっている程度のシャツが、まるでワンピースみたいな丈と相まって、

「……かわいい」

「え?」

「いや、何でもない」

 ちなみにこれ、売れてないバンドの自主制作ということもあって、ワンサイズしか流通していない。ので――

「ノボルさんのぶんもありますよー。いわゆる布教用です」

「お、おう。サンキューな」

 高身長かつ筋肉質なノボルには、少しだけキツい。サイズ的にも、知らないバンドのTシャツ着せられるという精神的にも、

「ところで、そのバンドってどんなバンドなんだ?」

「んー、そうですね。ただのアマチュアバンドなんですけど……」

 ソーハは唇を尖らせ、そこに指を当てながら空を見る。もちろん空に答えなど書かれていない。

「じつは、ボクの学校の先生が参加しているバンドなんです」

「ああ、そういうことか」




 ここでクソどうでもいい話を挟むと、アマチュアバンドがライブをやるのは、意外とお金がかかる。

 たった一晩だけのライブでも、機材の搬入やリハーサルなどを含めると丸一日、そのライブハウスを貸し切る必要があるのだ。数十万円が一晩で吹き飛ぶ。

 これを解消するため、バンド側は知り合いなどにチケットを買ってもらう必要がある。一定の枚数を売り切らなかった場合、その金額は自腹でのお支払いになる。これが俗にいう『ノルマ制』なのだ。

 なので、学生がクラスメイトにチケットを売ったり、少しだけ値引きしたりはよくある光景なのだが、先生が生徒にチケットを売るのは珍しい気がする。逆はよく聞く。




 そんなライブ会場の楽屋は、だいたい静かである。場合によっては対バン相手と仲良くなったりすることはあるが、何か喧嘩のようなことが発生するのは珍しい。

 つまり、今日は珍しい日だった。

「つじげーん。お前さあ。リハーサル前に言ったよなぁ?」

「言われたなぁ」

 ソーハが見に来る予定だったロックバンドが、メンバー同士で揉めていた。原因は単純明快で、

「お前が適当なソロから入るから、こっちも段取りが出来ないんだよ! 練習通りにやれって言ったのに、なんで本番どころかリハでミスってんだよ!?」

 というのが、ボーカルの主張だ。30代中盤くらいの男性で、短い黒髪をつやつやのワックスで固めている。

 その一方で、

「ミスじゃなくてアドリブだっての。それにオレらなんて固定ファンという名の身内しか見に来ないんだから、毎回同じことしたって飽きられるだけだろ」

 と主張するのが、同じバンドのギタリスト。見た感じ10歳くらいの少年で、つんつんヘアーが特徴だ。髪の毛の先まで含めても、他のメンバーの胸ほどまでしかない低身長。

 ギターを抱えているというより、ギターに背負われているような子だ。

「あんだと!?」

「やんのかコラぁ」

 ついにボーカルがレッドブルの空き缶を投げ捨てて、ギタリストに詰め寄る。ギタリストも負けじと、小さな体でギターを突きだした。

 ……そこで、

「ストップ。二人とも暴力はいけない」

 止めに入ったのが、このバンドのドラム担当だ。

「つじげん。お前が明らかに悪い。でもNARIAKIRAもダメだ。殴っちゃだめ」

「でもよシン・太郎」

「気持ちは分かる。……なあ、つじげん」

「なんだよ」

「お前、もし次からも好き勝手なことするなら、このバンドを辞めてくれないか?」

「!?」

 ドラムのシン・太郎が出した提案に、ボーカルのNARIAKIRAも頷く。

「な、なんだよ。オレら、高校の時からずっと、自由を求めてバンドしてきたじゃないかよ。こないだの同窓会だって、ダチから応援されてたじゃないか」

「だからだよ。お前がいると、その応援にも応えられなくなる」

「シン・太郎の言う通りだよ。お前は邪魔だ」

「黙ってろNARIAKIRA」

 調子に乗ったボーカルを、ドラムは大声で制した。そしてつじげんに、優しく語りかけるようにつぶやく。

「悪いな。選択肢は二つ。つじげんが決めていい。『俺らと一緒にバンドを続ける』か、『お前の言う自由を求める』か、どちらかだ」

「オレは――」

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