たまには市街地

もしかしなくてもデート

 夏も本番を迎えそうな季節。

 じっとりとした空気と、じりじり肌を焦がすような日差し。それらは学校が終わった後の夕方でさえも、真昼と変わりなくノボルを蒸し焼きにしていた。

(日照時間も随分長くなったなぁ。こりゃ長時間の山登りも楽しめる時期か)

 期待に胸を膨らませるノボルだったが、今日は言葉と裏腹に、街の方に来ていた。服装もカジュアルで、装備も何一つ持ってきていない。

 それもそのはず。今日はソーハと一緒に買い物の予定だ。

(こ、こんな感じの恰好で良かった……んだよな?)

 似合うと思って買ったティアドロップのサングラスをくいっとあげて、珍しくワックスで固めたソフトモヒカンを整える。

 着慣れないタンクトップと、最後まで迷ったサーフパンツで決めた今日のファッション。普通に考えたらダサい格好であるのだが、高身長で筋肉質なノボルが着るからこそ様になる。筋肉に勝るファッションはない。

(ま、まだかな。ソーハさん)

 そわそわしながら、駅前の謎モニュメントの前でソーハを待つ。壁も天井も無い屋外にドアだけが開きっぱなしで設置されている、通称『どこにもドア』だ。くぐってみたが、どこにも行けない。頭をぶつけただけである。


 ぶろろろろろろろ……


 遠くから、何かを転がすような音が聞こえ始めた。エンジン音とも違う、まるで岩を転がすような音だ。

「ん?」

 そちらを見ると、あまりにも太いタイヤを装備したバイクが向かってくるのが見えた。

 自分の乗る軽自動車よりもタイヤが太い。おそらくオートバイの中でも競技用でしか見ることが出来ないほどのタイヤだろう。しかし、本体は……

「自転車!?」

 ノボルが想像する大きさよりも、数段ほど大きなフレーム。圧倒的に長いハンドル。全てが馬鹿デカい自転車は、大きな音をたてながらノボルの前に停まる。音の正体は、このタイヤ表面のボコボコが、地面に連続で叩きつけられる時のものだ。

 そんな大きな車両に跨っていたのは、とても小柄な――

「そ、ソーハさん?」

「はい。お待たせしました」

 自分の肩幅の倍はあるハンドルを、腕を伸ばして無理やり持ち、

 ギリギリ届くくらいのサドルに、形のいいお尻をちょんと乗せて、

 幅の広いペダルを漕ぐため、足を左右に開きつつ、膝は内側に曲げたままの少女。

「それ、明らかにサイズ合ってないだろ」

「えへへへ。じつは最後の在庫ってことで、ショップの人に安くしてもらったんですけど、身長180センチ以上が適正らしいですね」

「俺でもギリギリだぞ。……ちなみに、ソーハさんの身長は?」

「ひゃくご……160センチです」

「ちょっと盛ったな?」

「……」

 そのツッコミに、ソーハは答えてくれなかった。



 さて、二人が今日こうして集まったのは他でもない。ノボルが自転車を始めたいと言い出したので、

「それなら、ボクが良いショップを知ってますよ」

 と、ソーハの行きつけの店を教えてくれるらしい。

「ところで、それってここから遠いのか?」

「いいえ。割と近くです。3キロくらい」

「なら歩きでも余裕だな。今日はクルマ乗って来てないから、助かるよ」

 話しながら、ノボルが歩くペースに合わせて、ソーハも自転車で進んでいく。

「その自転車、ずいぶん遅いんだな」

「はい。一応11段変速を入れてはいるんですけど、最大が50Tなので軽いですね。フロントも22Tですから」

「んー……いや、分からん。その辺の用語も教えてくれるか?」

「いいですよ」

 大きな自転車のせいで、相対的にいつもより小さく見えるソーハが、それでも同じ視線の高さで応えてくれる。ノボルにしてみれば変な気分だ。

「自転車のギア比は、ペダル側のフロントチェーンリングっていう歯車と、後輪についているリアチェーンリングって歯車の大きさで決まります。基本的に、軽くなるほど遅くなりますね」

「スピードを求めれば馬力が無くなるし、馬力を求めればスピードが無くなるって話だな。俺もいちおうマニュアル車に乗ってるし、中学くらいまでは自転車使ってたから分かるぜ」

 ノボルもじつはクロスバイクに乗ったことがある。といっても通学で使っていたくらいで、遠出をしたことは一度も無かったが。

「それで、歯車のギザギザの数を、トゥースとか丁とかの単位であらわすんです。22Tとか、22丁とか」

「ふーん。字面は似てるんだな」



 ソーハが自転車好きなのは分かっていたが、筋金入りだ。普段は口数も少ないくせに、話し出すと止まらない。これほど楽しそうな彼女を見たのは、山に行ったとき以外では見たことが無い。

「――それで、同じ11段でも全然違う性能になるんです。11-50Tだと、大きく変則出来る代わりに、微調整が効かない感じ。これが11-28Tなら、微調整は利くけど思ったより軽くならないんですよね」

「俺はてっきり、ギアの枚数なんか多ければ多いほど軽くなるんだと思ってたよ」

「中には、軽くならない代わりに重くなるギアもありますよ。ボクが今日乗ってきた自転車は、フロントが34-22Tで2段変速ですけど、いつも乗ってる自転車は50-34Tなんです」

「ああ、そっか。今日は小さいギアと中くらいのギアの2段だけど、いつもは中くらいのギアと大きいギアの2段なのか」

「はい。同じ2段なのに、面白い違いですよね」

 などと話しているうちに、ノボルの中によく分からない嫉妬心が湧いてきた。


「なあ、ソーハさん。自転車と山歩き。どっちが好きだ?」

 答えの分かり切った質問ではあるが、ついうっかり聞いてしまう。

「え? どっちも好きですよ」

「どっちかって言ったら?」

「選べないですねー」

 にこー、っと笑ったその顔を見ていると、それ以上なにも言えなくなる。

 ただ、

「ノボルさんに出会ってから、ボクにとって山歩きも趣味になっちゃったんです。ノボルさんのせいですから、責任取ってくださいね」

 なんて言われたら、なんだかノボルのもやもやも急に晴れてしまった。

「どう責任を取ればいいんだ?」

「ボクにもっと登山とか、いろいろ教えてください」

「もし俺が今日、自転車にハマったら?」

「ボクがいろいろ教えますよ。責任取りますから」

「それじゃあ」


「週末、サイクリング行こうぜ」

「週末、登山に行きませんか?」


 二人の声が揃った。

「どっちも行くか」

「はい。いっぱい、しましょうね」

 そのためにも、今日はノボルの自転車を購入する。その気持ちは高まる一方だ。

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