エンドレス・エンデュランス

 キタローは最初、グラベルロードの方に乗っていた。ソーハが荷物を満載したエンデュランスロードを、軽々と走らせていく。

「そ、ソーハちゃん。ちょっと速いかなー」

「え? ああ、ごめんなさい。時速30キロくらいをキープしていたつもりなんですが……」

「それが速いって言ってんのよ。なーんでそんなにスピード出るのー?」

「それじゃあ、ちょっと速度を落としますね」

「半分くらいにしてねー」

 自転車の扱いというのも、なかなか難しい。もっとも、キタローの借りた自転車は変速ギアが22段もある。それだけあれば楽だと思っていたのだが……

「あ、あれー? 重っ……きゃわーん!」

 上り坂でギアを下げたつもりが、逆に上がってしまう。踏み込めなくなったペダルが止まり、転びそうになった。

 間一髪で足をついたキタローは、ソーハを呼ぶ。

「ソーハちゃん。これギアが下がらなかったんだけどー」

「え? あれ? おかしいな。えっと、左手は内側のレバーだけ倒せば大幅にシフトダウン。右手は外側のレバーを倒せば小さくシフトダウンですよ」

「それなんだけどさー。なんで右と左で操作が逆なのよ」

「そう言えば変ですよね。ボク、気にしたことがありませんでした」

 ソーハが生まれるよりずっと前から、変速ギアと言えばこの仕組みになっていた。なのでソーハ自身はそういうものだと思って乗っていたし、今ではすっかり身体に馴染んでいる。


「っていうかー、さっきは操作間違ってなかったのに、きちんと変速しなかったしー」

「あ、それはきっとチェーンにテンションかかってただけだと思います」

「テンション? あーしのテンションは下がってるけどー?」

「気分じゃなくて、張力ですね。強くペダルを踏みながら変速すると、チェーンが引っ張られ過ぎてギアが入らないんです」

「でも、ペダル回しながらじゃないと変速しないんでしょ?」

「ですから、ちょっと勢いをつけて、その後に軽い力でペダルを回すんですよ」

「えーっと、マニュアル車で加速シフトするときに、アクセル踏んで弾みをつけてからクラッチ踏むみたいな?」

「いや、ちょっと自動車は分からないです。ごめんなさい」

 と、ソーハには分かりにくい例えだったようだが、キタローの解釈でだいたい合っている。一度加速して、勢いに任せて進んでいる間に変速。この仕組み自体はマニュアル車でも自転車でも同じだ。

「あ、半クラッチを入れる方法もありますよ」

「自転車でも出てくるのその用語!?」

「えっと、内側レバーを使う時は、2回押して2段変速した後に、すぐ外側レバーを押してギアを1段戻す感じですね。外側レバーを使う時は、1段ともう半分押して変速する感じ。それを半クラッチって言います」

「クルマの半クラッチと違う意味で使ってるー!?」

 キタローでなくても、この辺は混乱するところかもしれない。




「ね、ねえっ……ソーハちゃん。ちょっと休憩しない? つーか、もうダメ。帰らなーい?」

 キタローが限界を迎えたのは、走り出してからほんの1時間ほどが経過したころだった。距離としては20キロメートルも進んでいない。

「だ、大丈夫ですか?」

「ダメ。あーしやっぱ自転車も向いてないわ。ゴメンねソーハちゃん」

「そ、それじゃあ、もう少しだけ走りましょう。この先に公園があるんです。そこで座って休みましょう」

「……うん。わかった。そーする」

 その『もう少し』が、あと10キロメートルほど先であることを、まだキタローは知らない。




「だ、大丈夫ですか? キタローさん」

「……」

「疲れましたよね。えっと、公園到着です。休みましょう」

「……」

「そ、そのー、生きてます? お腹すきました?」

「……」

 キタローちゃん、ちょっと怒ってます。理由はもちろん、

「うそつきソーハちゃん」

「え?」

「もう少しって言った。うそつき」

「嘘のつもりは無かったんですが、すみません……」

「……」

 笑うときは激しく笑うが、怒るときは静かに怒る。キタローの流儀である。つーん。

「あ、あの、キタローさん。お、お弁当、食べます?」

「え? あるのー?」

「はい。こないだのBBQキャンプの時、朝ごはんとかいろいろご馳走になりましたし、少しでもお礼がしたくて――」

 とっくにお昼の時間は過ぎていたし、キタロー的にもお腹が空いているのは確かだ。というより、お弁当というワードを聞いて初めて空腹に思い至った。今までそんなことを考えもしなかった。

「ボク、ちょっと浮かれてました」

「んー?」

「キタローさんが自転車に興味を持ってくれたのが嬉しくて、どうにか楽しい日にしようって……先週メッセージ貰った時から、ずっといろいろ考えてたんです。どんな自転車を持って行こうかとか、どこを目指すコースにしようかとか」


 ソーハは、あまり人前で困った顔をしない。いつも飄々と笑っているか、何を考えているのか分からない顔でどこかを見ているか、そのどちらかだ。

 キタローはソーハと出会ってから間もないが、それでも彼のことを『無尽蔵の体力だけで何でも解決する天然ちゃん』だと思っていた。

 でも、本当は――

「あのっ。ボクが勝手に暴走しちゃっただけで、自転車は悪くないっ、ですから……嫌わないでください」

 本当は、友達とどう接すればいいかもわからない、ちょっと不器用で、ちょっと距離感のおかしな男の子だ。いや、『ちょっと』で済むかどうかと、本当に男の子かどうかは怪しいが。


「あー、別に自転車も嫌いじゃないしー、ソーハちゃんも大好きだよー。ちょっと疲れただけだって」

「ほ、本当ですか? ぐすっ」

「ほんとほんとー。だから泣かないの。男の子でしょー。あーしも男なのに弱音を吐くのが早くてゴメン。ねー」

「嫌わないですか?」

「あーしらズッ友だよー。男同士の約束だって」

 絵面としては非常にツッコミどころの多い、男同士の約束である。

 肩を震わせるソーハを抱き寄せながら、キタローも肩を震わせていた。もっともこっちは笑いをこらえるのに必死なだけだが。

(さすがに、ここは笑っちゃダメだよねー。ほとんどあーしのわがままにつき合わせた結果だしー、ソーハちゃんは本気で困っちゃったみたいだしー。今回はあーしが悪いわ)

 まあ、そう自覚はするものの……

(それでも、この状況で泣けるのって、悪い意味でも女の子みたいだねー)

 ちょっとだけ、ソーハを嫌いになりそうな点も見つけてしまうのだった。

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