第3話 戻りたい当たり前

「あ、結以ー。次の授業なんだっけ」


「んー。なんだっけ」


 俺は今、結以のことを観察している。我ながら変態やストーカーだと思っているけど、これはしょうがない。


 結以に告白しようとしていた男子のことが気になって仕方ないのだ。断ったのか、そうでないのか。あの男子はクラスメイトでないし、直接聞くにも聞きづらい。


 ていうか、そもそも断られたかどうか聞くのは人としてどうかしている。それを結以から聞こうとしているのもおかしいけど。


 結以のことを観察しているといってもずっとではない。たまたま俺の前に現れた時だけ見ている。

 つまり、今がその時。たまたま廊下で結以を見かけた。


 友だちと話しているようだけど困った顔をしている。本当に忘れたんだな。いつもはちゃんとしているのに、どうしたんだろう。


「覚えてないかー。」


「ごめんねー。あはは」


 結以はいつものように笑っている。だけど、俺にはそれがいつもの結以でないとすぐに気づいた。


 そのまま結以は友だちと一緒に教室に戻っていったのだが、その後ろ姿がどんよりとしていた。

 それに、さっきの笑顔が引きつっていた。作り笑いだ。笑って誤魔化すなんてこと、結以がするはずない。


 なんでそんなことをしたのかわからなくて心配だけど、告白のことについては問題なさそうだ。

 何度見かけても彼氏の話題を聞かない。そもそも本当に告白したのかも怪しいけど、安心した。


 ……安心した?


 俺は今、結以のまわりに浮ついた話がなくて安心しているのか?

 でも、確かに緊張は解けた。こそこそしていることがバレないか怯えていただけ、だと思いたい。


 あれ、なんでだ。口元が緩んできた。


 安心と同時に、嬉しさを感じている?


 なんだ、この感情は。


「おーい。何ニヤニヤしてんの」


「し、してない!」


 昨日話しかけてきた俺を気にかけてくれるクラスメイトに向かって思いっきり否定した。まるで、隠し事をしていることがバレそうになった子どものように。


「うお!? そんな大声出さなくてもいいじゃんか」


「あ、ごめん……」


「そんなことより、今日はどうしたんよ」


「なんもないよ」


「そんなわけないだろー」


 クラスメイトがそう言うと、顔を近づけてきた。思わず顎を引いたが、耳を貸せと手招き。俺は仕方なくそれに従った。


 クラスメイトはまわりに聞こえないように小さい声で続ける。


「……四ノ原さんのこと見てたろ。それも、がっつり」


「……え、見てた?」


「おう。食いつくように見るもんだから、ちょっと、キモかったぞ」


「マジか……」


 その言葉は俺の胸に深く刺さった。まさか見られていたとは。それに気づけないほど、俺は結以を見ていたということになるのか……。


 変な勘違いをされていなければいいけど。ニヤニヤしてるとか言われたし。


 そんなことを思っていると、クラスメイトは前のめりになっていた体を起こし、少し溜めてから口を開いた。


「んー。ま、井本くんが元気ならいいのかな」


「どういうこと?」


「ここ一週間さ。ずっと考え込んでたみたいだったから、何か悩んでいるんだろうなって思ってたのよ。実際そうなんだろうけど。ま、感情が戻ってきたならいいんじゃね」


「なんだそれ。俺が生きてなかったみたいな」


「いや、さっきの顔と昨日の顔見比べてみたら一目瞭然だわ」


「うるせ」


 俺がぶっきらぼうに返すと、クラスメイトは肩を震わせて笑い出した。


 感情が戻ってきた、か。


 もしかしたら、結以がいない日常に慣れてきているのかもしれない。それが俺にとっていい事なのか。


 ――嫌に決まってるだろ。


 だから、観察してたんじゃないか。結以を見ていたんじゃないか。

 もし、このままでもいいと妥協しているのなら、そんな行動を取るわけがない。


 また一緒に話したいから。また一緒に登下校したいから。また一緒に過ごしたいから。


 戻りたいから、悩んでるんじゃないか。


「……あのさ」


「お?」


 俺は、自分でも声をかけた理由は分からなかった。心のどこかで答えを求めていたのかもしれない。ある特定の状況下で心の奥底から湧いてくる感情の答えを。


「例えばの話だよ。今まで当たり前だと思っていたものが急になくなって、初めて気づくことってあるじゃん。しかも、それはずっと大事にしてきたものでさ。それ以外はもうあり得ない、みたいな。それでずっと悩んでるんだよね」


「ほ、ほう? 一度距離を置いたら気づくってやつか」


「まあ、そんな感じ。でも、戻れないっていうか。どうしたらまた前みたいになれるのかって」


 ああ、また暗い顔をしているんだろうな。だんだん声は落ち込んでいっているし。指摘されそうだけど、最初からしたくてしてるわけじゃない。言われてもまた流せばいいか。


 しかし、俺の考えは浅はかだった。


「……んー、なるほど。俺の中ですべてが繋がった。とりあえず、戻りたいんだよな?」


「え? ま、まあ」


「なら、それを正直に伝えればいいじゃん。いつまでも抱え込んでちゃ、今が当たり前になっちゃうぞ」


 結以がいない日常に慣れを感じ始めている。それは、今が当たり前になってきているということ。クラスメイトに言われてやっと気づいた。


 俺はそれが耐えられない、嫌なんだ。だから、戻りたいんだ。


 それなら、俺がすべきことは――

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