◇
「ゆいと、龍って居ると思うか?」
「え?」
給食の時間。机をくっつけて、横には彼が、向かいには女子が座っていた。騒がしい、いつもの時間。
ぼくは箸で挟んだ、丁寧に殺菌処理されたキャベツを口に入れる寸前だった。
彼は、給食の時間になると、殆どの時間、教室にいなかった。いつもそうだった。彼は普段、昼時になるとぶらりと姿を消してしまい、誰もそのことを止めようとしない。
そんな彼に急にそんなことを言われて、ぼくはというと、ただただ呆然としていた。
ぼくの事を、彼は透き通るような翠色の瞳で、まっすぐに見ていた。彼の指は、袋に入ったままのコッペパンを、リズムを取るように小気味よく叩いている。
彼が再び、口を開いた。
「……だからさ、龍だよ。龍が、この世界に居るかって、聞いてるんだ」
ぼくは箸で摘んでいたキャベツを下ろしつつ、答える。
「真面目な話?」
彼は頷く。
「真面目な話だ」
ぼくはしばし考え込む。
「だったら……」
……彼が何故、いきなりそんな事を訊いてきたのか、皆目見当もつかなかったが、無下に扱う気にもなれず、そこでぼくは、改めて龍について真剣に考えた……というよりも、力強くぼくは想像した。
ぼくの居るこの現実世界に、もしも龍がいるとしたら。
少しの間を置き、言った。
「俺は、龍、いて欲しいな。多分、いると思うぜ」
ぼくの一人称は、『俺』だった。理由は語りたくはないが、強いられるのであれば、それはぼくにとっては、世界に対峙する際のギリギリの防衛ラインのようなもの、というところだろう。それなしに、ぼくが平静を保てる気が今の自分にはしなかった。
彼はぼくの返事を聞くと、「そうか」と言って、笑った。
朗らかな笑みだった。
「……そうか……。なら良いんだ。……まあ、『ゆいと』はそうなんじゃないかと思っていたよ。……ゆいとなら、多分……。そう、言ってくれるだろうって」
そう言うと、彼は、窓の外の景色を見るような奇妙な目をして、それから突然、立ち上がった。そしてそのまま、教室を出て行った。
給食は配られたままの姿だった。
ぼくは彼の背中を、ただ見ていた。
向こう側で喋っていた女子が、彼について急に噂話をし始めた。謂く、彼はいつも給食の時間にいないだとか、実は生肉を食べているのだとか、彼の親は実はやばい人なんだとか、そういった与太話だ。
その日は何故か、ぼくも給食を早めに片付ける気になり、自然と教室を出た。それから彼の後を追うわけではないが、校内を歩いた。止める人は誰もいなかった。
校内を、彼の姿を探しがてらにぶらついていると、気がついたら、まるで人気のない校舎裏に来ていた。そこには一つだけ、水飲み場がある。
何故か彼は、一人でそこにいた。
Tシャツ姿になっていて、袖からは細い真っ白な腕が伸びている。
両腕を掲げ、彼は何かを感じていた。
蛇口は全て解放され、それらは全て天に向かっていた。水はシャワーのように、彼の頭へと降り注いでいた。
彼は身動き一つせず、水の動きを受け止めていた。
それを見ていると、瞬間、ぼくの中に、錯覚かと思うような何かが、鋭く走った。
瞬きをして再び彼の事を見ると、彼が水を浴びる姿がーー一瞬、巨大な龍の姿のように見えたのだ。翠色の、美しい瞳と、桃色の鱗を帯びた、龍。
彼が振り返り、ぼくの方を見た。彼を、蛇口から迸っている水が、線となって覆っている。
彼が一瞬、ぼくの事を鋭く見据えてから、徐に蛇口に近づくと、捻って水を止めた。
ぼくの方を見て、彼は言った。
「視た?」
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