蜥蜴

ナキ

蜥蜴

 僕には幼稚園の頃だけ、決まって一緒に過ごしていた少女がいた。三日前の夕飯さえ覚えていないほどには忘れっぽい性格のはずなんだけど、今でもその時の記憶はかなり残っている。これから語るのは、その少女の思い出にまつわる一連の体験談だ。

 その子は自分のことを「ゆーちゃん」と呼んでいた。先生も僕もその名前で彼女を呼んでいたし、そもそも本名は知らなかった。でも今でも僕は彼女の身なりをはっきりと憶えている。彼女はいつも髪が三つ編みで、白いブラウスを着ていた。それから首元にはフリルが付いていて、走るとそれが可愛らしく揺れる。親の趣味なのか、彼女自身が望んだのかは定かではないけれど、彼女の容姿は他と違ってお嬢様のようだった。僕の目にはそれが可愛らしいものとして映っていたはずなんだけど、彼女の周りは彼女から距離を置いているようにも感じたし、しかしそれを彼女は気にも留めていないようだった。

 僕と彼女が仲良くなったきっかけは放課後だった。もっと言えば、放課後しか接点を持たなかった。変に気を遣っていたのか(そんな年頃では断じてないからおそらく違うのだが)、お互い普段は別々で遊んでいた。そもそも彼女とはクラスが違っていて、普通なら関わるはずもなく、廊下でたまに見つけた時も彼女は部屋の隅でおままごとをしていたし、僕は仲の良かった男子とふざけ合っていた。それでもお互い親の迎えが遅かったので、他の皆んなが帰った後は毎日のように日が暮れるまで一緒に遊んでいた。別にどちらから話しかけたというわけでもなく、残った二人で必然的に一緒に遊んだという、いわゆるなりゆきの付き合いだった。

 彼女はよくブランコに乗っていた。赤と青の椅子が付いたブランコの赤い方に彼女はいつも乗る。それに続くように、僕は青い方に乗った。だいたい僕が向かう頃には彼女は既に、ブランコに座っていたので、僕が赤いほうに座った記憶はない。そして、ブランコに揺られ風を感じながら、僕たちは他愛のない話をするのだ。その時間は他の誰にも介入されなかったし、二人だけの世界のようで僕はすごく好きだったように思う。日が落ち始める頃にはふっとブランコを降りて、親の迎えが来るまでに帰る支度を終わらせる。その繰り返しだった。元々僕は砂遊びが好きだったので、一度それを誘ったことがあったが、彼女はそれをとても嫌がった。理由は聞かなかったけれど、今考えればどうということはない。僕だって素敵なお召し物を汚すのは気が引ける。それだけのことなのだ。

 ある日のこと、日が落ちかける夕暮れ、いつものようにブランコを漕いでいると、ゆーちゃんが僕にこんな質問をした。

「ねえ、蜥蜴って知ってる?」

「うん、知ってる」

 ゆーちゃんはよく、僕を試すように「知ってる?」と聞いて会話を始めた。僕が頷くと、彼女は少し踏み込んだ質問をまた投げかける。それを繰り返して、僕が折れた、つまり知らないと反応したとき、ゆーちゃんは初めて質問をやめる。それから淡々と、僕に説明するのだ。特に自慢するようでも、先生みたいに教えるようでもなく、ただ話すだけ、そんな感じで。そしてその日も例の如く、ゆーちゃんは僕に質問を続けた。

「蜥蜴って、しっぽを掴むとジセツするのは知ってる?」

 聞いたことのない言葉に、僕は首を傾げた。

「ジセツ?」

「うん、自切。自分でしっぽを切って逃げるんだって」

 僕は痛そうだね、と返した。彼女はうん、と頷いたけど、「でも、かっこいい」と呟いた。

 かっこいいという言葉に、僕はさほど共感できなかった。なぜ彼女はかっこいいと思ったんだろう?ずっと引っかかるものがあった。自切をどこで知ったのか訊ねると、ゆーちゃんは先生に教えてもらった、と言った。その日、僕たちは今度実際に探してみようと約束をして、暗くなるまでブランコに乗った。

 次の日の放課後、僕がいつものようにブランコへ行くと、ゆーちゃんの姿がなかった。いつもはむしろ、僕より早くブランコに乗っていることのほうが多いというのに。僕はとても、奇妙に思った。

 それからも、彼女を見ることはなかった。しかし僕は、先生にゆーちゃんのことを尋ねることはしなかった。放課後だけの関わりで、他に縁がない彼女のことを他人に話す気にはなれなかったのだと思う。親も例に漏れず、友達の話はすれどもゆーちゃんの話題をあげたことは一度もなかった。僕は何度か、ひとりで蜥蜴を探そうかなと考えたが、その度にやめた。僕にとって大事だったのは蜥蜴のジセツなんかではなく、彼女との時間だったから。当時はそれを言語化できなかったが、今思い返してみればそういうことなんだろうと思う。結局あの日の約束は果たせないまま、僕は幼稚園を卒業した。


 ゆーちゃんとの思い出話はいったん、ここまでになる。


 話は終わったわけではなかった。ここからは後日談というか、僕のその思い出の括りになる。

 僕が地元を出て大学を一年ほど過ごしている頃、木枯らしが時折肌に沁みる12月の頭に、僕は訳あって実家へ帰ることになった。訳を聞きたい人のために断っておくと、縁起のいいものではない。叔母が倒れたという理由である。結果として大事には至っていない様子だったが、心配性の母親は気が気でないようだった。普段の家事に手が回らず、父親も日夜仕事であるから、暫くの間6つほど年の離れた妹の面倒を見る「お世話係」としても、僕は帰ってこざるをえなかった(というか、そっちが本当の目的だったようにも思う)。自分で言うのもなんだが、大学の講義にはほとんど休まず真面目に出席していたし、進級の単位はおおかた取れていたので、その点で心配はなかった。帰省した時の実家は、なんだか古びれていたというか、もの寂しさを帯びていたというか、僕が思っていたよりもずっと影を落としていた。母は放心状態なのかあまり口を聞かず、洗い物が溜まった状態で本を眺めていた。父は家にいないことが多く、あいも変わらず仕事漬けで、妹は日中学校にいるので、なんとも気まずい空間のなかに僕はいた。

 そんなこんなで数週間、実家で過ごしていた時のこと、ふと思い立って郵便受けを覗いてみた。当分取り出していなかったのか、郵便受けの中には新聞や水道の領収書、封筒がぎっしりと詰まっていた。忙しすぎるあまり取る暇がないのか、そもそも取り出す気が起こらないのか、あるいはその両方だろう。ここまで放置された郵便受けに無理矢理詰め込む配達員もいかがなものかと思うが、多分それ以上に配達員の方が苛ついているだろうと思うと、郵便物の杜撰な入れ方を見ても文句は言えなかった。僕はその紙の束を半ば強引に引っ張り出して、その内容をひとつひとつ確認した。新聞、新聞、新聞、茶封筒、葉書、定期購読書、新聞、領収書…

 僕が手を止めたのは下のほう、新聞と新聞の隙間に挟まっていた封筒を見つけたときだった。それは小さいシンプルな白い封筒で、おそらく糊で口を留めてある。塗り方が雑なのか、縁が剥がれ始めていた。そして何より奇妙なのが、表を見ても裏を見ても真っ白で、何も情報が書かれていないことだった。怪訝に思ったが、迂闊に開けないほうがいいかもしれない、そう思って僕は他の郵便物と一緒に持ち帰ることにした。

 母に心当たりを尋ねたが、首を傾げるだけだった。その後、いちおう律儀に妹と父が帰宅するのを待って同様に確認をとったが、いずれも反応は変わらなかった。ますます気になったので、僕はその封筒を開けてみようと決めた。封筒の感触は軽かったが、表面を触るとすこし凹凸を感じるのが分かった。おそらく手紙が三つ折りになって入っているのか、もしくはキーホルダーのような何かが入っているのか、少し振ってみるとかさかさ、と小さな音が聞こえた。まさかラブレターではあるまいか、冗談半分でそんなことも思ったが、この時代に家の郵便受けにラブレターなど、皆無ではなくともあり得ないだろう。可能性があるとすれば妹への告白だろうが、妹宛てに愛の言葉を連ねている文面を見る僕を想像して、馬鹿馬鹿しくなってやめた。外回りも真っ白で、ラブレターにしては不自然すぎるくらいにシンプルすぎる。テンプレートを熟知しているわけでは無いけれど。

 しかし封を丁寧に切り、出てきたものを見て、驚きで声が漏れた。それはラブレターなんてものでは到底ない、もっと奇妙なものだった。奇妙だったが、それを僕はよく知っていた。果たして中に入っていたのは蜥蜴の尻尾だった。チャック付きのポリ袋に、二つに折り畳んだ紙と合わせて出てきた。僕は蜥蜴の尻尾を見た瞬間に、件の幼稚園の記憶が思い浮かんだ。というより、思い当たる節がそれ以外にない。

「送り主はまさか…」

 紙を広げると、大きく拙いひらがなで3文字、「じせつ」と書いてあった。その文字、その言葉は幼稚園の記憶と合致するものだった。やはり、ゆーちゃんの出した封筒で間違いなさそうだった。

 とはいえ自切した蜥蜴の尻尾を送られたところで、有り難くは少しも思わなかった。むしろ少し迷惑な気もした。ゆーちゃんとの僅かな思い出の形見にはなるだろうけど、保管しようと言う気持ちにはならない。たとえ、彼女があの会話のあと、この尻尾を取って好意で入れたのだとしても。

 だとするともう一つ、不思議な点があった。およそ15年ほど前の些細なやり取りで出てきた「蜥蜴の尻尾」が、なぜ今になって届いたのだろう?小学校のころに埋めたタイムカプセルのようにも思えたが、タイムカプセルとして渡すほどの代物ではないように思える。何も知らない人が開けてもみれば、なんて悪い趣味だと揶揄するかもしれない。

 しかしながら、今の僕にその理由を突き止めることなどできそうにもなかった。僕は結局、彼女のことについて詳しいことはほとんど知らない。あれだけ遊んでいたのに、その名前さえも。今は何をしているのだろう。今でもフリルつきの、お嬢様みたいな真っ白のブラウスを着ているのだろうか。

 そうやってそっと封筒の中に戻そうとした時、封筒のフラップの内側に手書きの文字を認めた。開ける時は意識していなかったし、中に戻そうとしなければおそらくずっと気づかなかっただろう。そこには先程のひらがなよりは達筆な文字で、電話番号だけが書かれていた。僕は少し逡巡したが、書かれている番号に電話をかけることにした。

 電話は意外にもすぐに繋がった。相手は僕と同じか、もしくはそれより少し年上のような声の男だった。

「はい、深部です」

「あの、私──と申しますが、少しお伺いしたいことがありまして」

 電話に対応した男は、はじめ僕の名前を聞いたことがないような反応をしたが、苗字を小言で反芻して、そして思い当たったように「ああ、優衣の」と答えた。

「郵便受けに入っていた封筒を開けたら、蜥蜴の尻尾とこの番号があって…封筒を入れたのはあなたで合ってますか」

「はい、間違いないです。私は優衣の兄で亮祐といいます。あなたとは直接関わりはないんですが、妹が小さい頃お世話になりまして…記憶にはございませんよね、かなり昔のことですので」

 受け答えから察するに、やはりゆーちゃん絡みであることは間違いないようだった。しかしそこで「いえ、くっきり鮮明に覚えています」と答えるのも変だと思ったので、遊んだ記憶はありますとだけ答えた。

「本当ですか、それは優衣も喜ぶだろうなあ」

 懐かしむような声色で、彼は言った。暫く会っていないのだろうか。ゆーちゃんの本名が優衣だということも初めて知ったのだけれど、僕は彼女に直接尋ねてみたくなった。

「優衣さんとお話をさせてもらえませんか?」

 亮祐さんは「そうですねえ」と曖昧な返事をして、それから「電話でお話するのはなんだし、今度日を改めてどこかでお会いして話しませんか」と提案した。できることなら直接優衣さんに繋げて欲しかったのだが、言及はしなかった。なにか今では都合が悪いことがあるのだろう。僕は了解の返事をして、彼のメールアドレスを確認してから通話を切った。


 かくして、僕は15年越しにゆーちゃんと再会する機会を得たのだ。これも何かの縁なのか、はたまた偶然の産物なのか。呼び名と当時の記憶しかなかったのに、直接会うことになるなんて一体誰が思っただろう?生きていればこんなこともあるものだなと思った。

 そうして、亮祐さんと日を決めて約束の日に待ち合わせのカフェへ出向いた。亮祐さんは変わらず地元の大学に通っているそうで、予想の通り僕と同年代だった。僕はあまり地元の方に長居はできないので、元々戻ると決めていた日に間に合うように日程を決めた。幼稚園が同じだったものの、家は意外にも離れていて、僕の実家から2つほど離れた駅の近くに住んでいるそうだ。そういえば、途中で引っ越したのだと亮祐さんは電話越しに説明していた。

 果たして待ち合わせの席にいたのは、亮祐さんらしい男ひとりだけだった。恐る恐る名前を確認すると、僕に気づいた亮祐さんは「ああ、君が──君ですね。初めまして」と丁寧にお辞儀をした。

「あの、優衣さんはいらっしゃらないのですか」

「まあまあ、とりあえず席に着いてください。コーヒーでも飲みながら、お話しましょう」

 優衣さんを探す僕に、彼はその問いかけをいなすように椅子を引いた。僕が従うと、彼はスタッフを呼んで「エスプレッソをひとつ」と頼んだ。続けざまに注文の番が僕に回ってきて少し焦ったが、「おすすめのやつで」とだけ頼んで取り繕った。

「すみません、決めてもないのに呼んでしまって。早とちりなの、直さないとと気をつけているんですけどね。厄介な悪癖です」

「まあ、迷うよりはましなので…」

 行きつけの店でないと、メニューで迷ってしまうのは僕の悪癖だ。それが避けられてよかったと、そう思うことにした。

「…それで、さっそくですけど、この前の電話の続き、お聞かせ願えませんか」

「ええ、もちろんです」

 亮祐さんは二つ返事で話を始めた。


「まず、あなたが最も気になっているだろう優衣のことを話しましょうか。あなたもご存知の通り、優衣はあなたと同じ幼稚園に、確かに通っていました。私と優衣とは2つだけ歳が離れているので、私も優衣と同じタイミングで、同じ幼稚園に通っていた時期があったんですよ。もっとも、優衣と私が幼稚園で一緒に遊ぶ、ということはほとんどありませんでしたが…優衣は多分、家と外で自分を区別していたんだと思います。私も頭の弱い子供ながら、その雰囲気は感じ取っていました。なので私も、特に言及することはなく、私は私で、幼稚園を過ごしていたと思います」

 注文していた飲み物が届く。僕に届いたのはベリーミルクティーだった。曰く、この時期の新作らしい。話を戻す。

「私たちの家庭は、少し複雑でして。実は、私の実母と、優衣の実母は違うんです。父は外資系の仕事をしていて、かなり遊び人だったようです。膵臓の癌で早逝して、もうこの世にはいませんが。父の最初の妻との間にできたのが私で、生まれて数年で離婚しました。離婚する前から父は相変わらずいけしゃあしゃあと遊んでいたようで…痺れを切らした母はある日ぱったりと消えていなくなりました、私を置いたままで。何も告げないまま、どこかへ行ってしまったんです。父はそんなことも気に留めず、私をほとんどいなかったものとして遊び続けました。父は私のことを隠したまま、次の新しい妻を作り、義母は優衣を産みました。義母は心の優しい人で、優衣を産んだ後に私のことを知ったようですが、何も言わずに私のことを受け止め、私と優衣の面倒を見てくれました。義母は服が好きで、愛娘に可愛らしい服を着せるのが楽しみだったようで、妹も母の喜ぶ顔が好きだったそうです。ただ、義母は生まれつき体が脆弱だったようで、かなり無理をしていたみたいです。環境ももしかすると良くなかったのかもしれません。遊び続ける父と、体の弱い母の中で育ってきた私たちは、特に何を言わずとも助け合って過ごすようになりました。お互い、父とは滅多に家で顔を合わせず、会話もほとんどした覚えがないと話していたほどです。そして優衣が幼稚園を卒業する6ヶ月ほど前、義母が急に倒れました。私もよく覚えています…その時一緒に居合わせていたので。小学校の帰りに、買い出しに出掛けている時に倒れてしまって。最寄りの病院で入院するようになったのですが、その少し後に大きな病院へ移ることになったんです。それに合わせて、暫く別の場所で過ごすことになって。面倒を見てくれる人がいないので、親戚の家で過ごすようになりました。その時期から私たちは一時的に学校を休むことになりました」

 ゆーちゃんがぱったり幼稚園からいなくなったあの日を思い出す。ようやく話が繋がってきたような気がした。

「結局優衣はそのまま幼稚園を卒業した形になり、私も空白の6ヶ月を残して進級しました。そのタイミングで、どういう風の吹き回しか、父が最初の妻と復縁したんです。私の実母だった人ですね。一度家を出た母も、なぜよりを戻そうと思ったのかは、正直今もよくわからない。ただひとつ言えるのは、それがきっかけで、私たちの家庭はさらに悪化していきました。私と優衣は母を母とは思っていなかった。ぶっきらぼうな性格の母と比べると、義母のほうがよっぽど愛情を感じていたし、私も義母のほうが好きだった。復縁したために元の家に戻るかと提案されたのですが、私も優衣も拒否しました。親戚の家の方が義母の病院に近くて、お見舞いに行きやすかったからです」

 亮祐さんはエスプレッソを飲み切ったようで、スタッフに2杯目を注文した。「はなしていると喉が渇くもので」いっぽうの僕はといえばまったく口をつけていない。ミルクティーが冷め始めているのがわかる。

「一番重荷を抱えていたのは、言うまでもない優衣だったと思います。義母は入院して半年後、さらに症状が悪化しこの世を去りました。しかも、同じ頃に転校先の学校で嫌がらせを受け、優衣は学校に行かなくなりました。親戚には学校へ行くと言い登校の時間帯に外へ出て行くのですが、実際は近場の公園にいたようで、下校の時間になると家に帰って来ていたようです。優衣はあまり自分のことを他人に話さない性格でしたが、保健室の先生には前から打ち明けていたようで、上手くその先生が説明したのか、学校から家への連絡はほとんどありませんでした。私も優衣が事情を打ち明けられる数少ないうちのひとりでした。親戚の家では心苦しいようで、いつも通う公園に私を呼んで、私に色々話していたんです。その中で優衣は時々、お母さんに会いたいと呟くようになりました。義母が亡くなったのを聞いたときは涙ひとつ流さなかった優衣が、次第に私も死にたいと泣き喚くようになりました。死んだらお母さんに会えるから、お母さんのいない日々が辛いって。頭の足りない私は優衣の話を聞きながら、頭を撫でることしかできませんでした。…私はあまりにも非力すぎた」

 亮祐さんの唇が震えているのがわかった。彼の頼んだ2杯目のコーヒーは、減った形跡がほとんどなかった。

「ある日、下校の時刻になっても優衣が戻ってこない日がありました。私は親戚に、居残りだろうから自分が迎えに行くとだけ告げて優衣を探しに行きました。今考えれば、私も幼い妹をひとりで外に出しているなんて、なんという愚行だったのかと今でも思います。誘拐の不安も過りましたが、いつも遊んでいる公園に行き、2時間ほど探してようやく見つけた優衣は、茂みの陰で蹲っていました。何をしているのかと尋ねても返事がなく、覗き込んでみると──」


 亮祐さんはあの後、一通り話し終えると「こんどうちに来てください。まだまだ優衣の物が残っているんですよ」と言って席を立った。でも僕は大学に戻らないといけない。事情を話すと「ああ、そうなんですか。じゃあ次に、こちらに帰ってきた時にでも」と言って別れた。

 今でも実感があまり湧かない。ゆーちゃんが自殺してもうすぐ10年経つなど、僕の頭では到底思い浮かばなかった。亮祐さんが彼女を探しに行った日、彼女の足元にあったのは大量の蜥蜴の尻尾だったという。その日は珍しくゆーちゃんがあまり亮祐さんに口を割らなかった。彼女が自殺したのはそれからわずか2日後。死因は窒息によるものだという。亮祐さんと僕は直接の面識がなかったのに、幼稚園での蜥蜴の約束を僕としたということを何故突き止められたのかと別れ際に聞くと、「そりゃあもちろん、あなたとの思い出話はたくさん聞きましたから。彼女はあなたの名前もちゃんと憶えていましたよ」と亮祐さんは答えた。「私たちが親戚の元へ行って、転校先の小学校に通っている間も、優衣はあなたのことを忘れていなかったみたいですしね」と、続けて亮祐さんは言った。


 実家に蜥蜴の尻尾を置いていくのは気が引けるので棄てようと思っていたが、ひとつだけ、あの封筒に入っていた尻尾だけは取っておくことにした。次尻尾を受け取ったら、その時は棄てればいい。ゆーちゃんが生前に、唐突に尻尾を集め出した動機までは、亮祐さんは知らないそうだったが、僕にはなんとなくわかる気がした。自切──外敵に捕捉された際に肢や尾等の生命活動において主要ではない器官を切り離すことで逃避できる可能性を作り、個体そのものが捕食される確率を下げるための適応(「Wikipedia」より引用)。自切をかっこいいと言ったゆーちゃんは、あの時から蜥蜴のようになりたかったのかもしれない。そして僕はいつも考えるのだ。あの約束の次の日に、もしゆーちゃんがいつも通りブランコを漕いでいたなら、どうなっていただろう。僕はきっと、彼女の本当の名前もわからずじまいで、ただの古き幼き日の、些細な会話の思い出として、記憶の片隅に仕舞い込んでしまっていたのではないか、と。

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蜥蜴 ナキ @Natsuki0727

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