海岸おじさん
うもー
第1話
トンネルを抜けると、全開にした車の窓から磯の香りが流れ込んできた。
「うわ、海の匂いだ!」
助手席に座っている美咲が子供のようにはしゃぐ。
僕も一年ぶりの香りをスーと鼻で吸い込んだ。
「もうすぐ着くぞ」
僕の言葉に美咲の顔がしゅんっと元の表情に戻る。
「ねえ、やっぱり緊張しちゃうよ」
「大丈夫だって、もうよぼよぼの爺さんと婆さんだぜ」
僕は今日、嫁の美咲を連れて、隣県にある父方の実家に向かっている。いつ死ぬかわからない爺さんと婆さんに、冥土の土産として嫁の顔を見せてあげるためだ。
「帰りに海寄ろっか」
僕の提案に、美咲の顔がぱあっと明るくなった。
「いいね!今の時期ってクラゲいるよね!」
「うーん、どうかなー」
少しでも嬉しいことがあるとすぐに笑顔になる美咲が可愛くて、僕も口元が緩む。
「もしかして、この貝殻、この近くの海で拾ったの?」
よそ見をせずとも、美咲がなんのことを言っているのかすぐにわかった。
助手席側のドリンクホルダーには、十円玉くらいの大きさの貝殻が小瓶に入れて飾ってある。内側にかけて深まっていく青色のグラデーションが艶やかに輝いていて、まるで宝石のような貝殻だ。
「ああ、そうだよ」
「きれいな貝殻......。私も帰りに探そうっと」
夏の終わりを告げる涼しい風が、僕の腕を撫でる。赤信号で車を止め、隣を見ると、美咲はまだ貝殻をまじまじとみつめていた。
本当はその貝殻は拾ったのではなく、貰ったものだ。あの日も確か、ちょうど今くらいの時期だったか。今でも鮮明に覚えている、二十年前の思い出――。
小学一年生の夏休み、僕は一人で海岸沿いの遊歩道を歩いていた。目の下の頬には涙が伝った痕がある。
「おにじじいめ」
そうつぶやきながら、道に落ちている石ころを思い切り蹴る。
その年の夏も、家族で父方の実家に遊びに来ていた。
でも、帰る日の前日、僕はじいちゃんとケンカした。ケンカの原因は、自転車の練習をサボる僕をじいちゃんが叱ったのだ。それで、僕は反抗心を込めたプチ家出として、一人で徒歩十五分の海岸まで来ていた。
夏も終盤で、海水浴に来ている人はまばらだった。浜辺では自分と同じくらいの年齢の子たちが砂のお城を作って遊んでいる。僕も家族で海に来た時には、決まって浜辺で遊ぶのだが、今は到底そんな気分にはなれない。
なんで僕だけ自転車に乗れないんだろう......。
友達のケンちゃんやタクミはもう補助輪なしで乗ってるのに、僕だけがまだ補助輪付きだ。
「練習しないと乗れるようにならんぞ」さっきじいちゃんに言われた言葉が頭をよぎる。
わかってる。
わかってるけど。
「......転んだら痛いじゃん」
また愚痴が漏れる。
しばらく歩くと、しだいに砂浜は無くなり、海と遊歩道の間にはコンクリートの堤防のみがあるだけとなった。さっきの浜辺は多少の賑わいを見せていたが、ここまで来ると家もまばらになり、とても閑散としていた。
残りの体力を考え、そろそろ家に帰ろうかと思い始めたとき、前方に人影を見つけた。
ただの人影なら気にも留めなかっただろうが、どうやら堤防の上に立っている。それでいて、人影から海に向かって何か放出されているように見えた。
僕は好奇心に駆られ、その人影のもとへ駆け寄った。
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