第2話 すぐに変われるのなら苦労しない

 宮殿内は広かったが、イメージしていたよりは地味な内装だった。全体的に無彩色が多く、黄金の装飾などは数えるほどしかない。それはまるで、ディアン本人の格好を表しているかのようだった。しかしそれは、あくまで魔族領のイメージの話。装飾や置物の数に関しては、人類領の王宮であるゼオリム家の方が、圧倒的に少ない。王家が贅沢を尽くせるような時代は、もう過去の話になりつつあるのだ。

 入口は広間につながっており、そこからは正面と左右に廊下が続いている。私の荷物を持ったエスコートとは広間で分かれ、ディアンは私の手を引いて廊下を進む。何回か曲がったところで、彼は一つの部屋の前で止まった。その間、案内などは一切ない。ただ走ってただけ。手を振り解きたい衝動もあるにはあったが、なんとなくそのままにしておいた。

 同伴しようとする従者はいない。ここの従者が放任主義なのか、もしくはディアンの指示なのか。まあ後者だろう。


「ある従者が、四時にここに来ることになっている。少しの間だが、夫婦で仲良く会話を交わすには十分だ」


 ディアンが扉を開けると、独特な雰囲気の空間が広がっていた。その光景に、ディアンの発言を否定するはずの言葉が引っ込んだ。

 高かった天井が一気に下がる。

 向かいの壁にある窓からは自然を活かした庭が見え、その手前には焦茶色の塗りを施された大きな机が置かれている。

 広さは、私が使っていた部屋よりも少し広いくらいか。


「ここが俺の書斎だ。見事だろう」


 テンプレートなのか、そのセリフは。心から自慢げな顔もさっきと全く一緒だ。

 ただ、今回は本当に見事だと思った。華やかさとか豪勢さとかではなく、書籍の量に圧倒された。一面が、いや四面が、本棚と化していた。


「……はい。これだけの本、拝見したのは初めてです」


 悔しいが、認めるほか無い。本はとても高価だ。それをこれだけ集めるとなれば、相当な額を費やした事だろう。


「なあに、これはクライノート家の大図書館にある魔導書の中から、俺に合うものだけを持ってきたに過ぎない。少し前に、先の戦争で焼けた分を補充しようとしたのだが、少し欲張り過ぎてな」


 ディアンは照れ臭そうに、だがにこやかに言う。

 この量が一部だというのなら、その大図書館とやらには一体どれだけの本があるというのだろう。恐ろしい話だ。

 それにしても魔導書か。見るのは初めてだ。魔導言語とやらで書かれているはずだから、私が読むことはできないのだろうが、そもそも読めたとしても意味がない。人間には魔法が使えないからだ。


「殿下の魔法技術もこの場所から生まれたのですね」


 適当にそう返しておいた。

 というか、「先の戦争」という表現はやめてほしい。百年前の出来事は、こちらからすれば数代前の話だ。実感がない。「少し前」という表現も全く信用できない。


「そうだ。魔術の本質は探究および研究だからな」


 ディアンはそう言って、無数の魔導書たちを軽く見回す。

 魔法についてはよくわからないが、たしか、習得するにはかなりの時間と労力を必要とするのだったか。おそらく、剣術とともに修めるのが難しい理由はそこにあるのだと思う。

 しかし、この男はそれをやった。環境がかなり悪さしていたとはいえ、私は剣術一つでさえ満足に極められていない。そんな私からしたら、魔法と剣という二つの長き道をどちらも選び、その両方を極めたディアンが、少し羨ましくもあった。


「殿下は、どのような魔法を使われるのですか?」


 僅かな好奇心でそう聞いた。すると、ディアンは少し驚いたような顔をした。彼は「ほう、興味があるか」と言って、ニヤリと笑う。私はほんの少し後悔しながらも、肯定した。


「いいだろう。お主になら見せてもよい」


 特別に、というような言い方だった。他人に易々と見せるものではないらしい。妻の特権といったところか。複雑な気分だ。

 ディアンはごく自然に右手を出して、手のひらを上に向けた。そしてその手を握り込む。

 何をする気なのだろう。

 一、二秒して、彼の手がゆっくりと開き始める。

 微かな冷気が肌を伝った。私は、思わず目を見開いた。

 ディアンの手のひらの少し上、空中の一点に、キラキラと光を反射する水蒸気のようなものが集まっていく。そこに氷の粒が一つできたかと思うと、それはみるみるうちに大きく成長し始めた。数秒のうちに彼の手のひらのサイズになると、氷の成長は途端に複雑になり、やがて一つの造形を成した。

 それは、薔薇の花冠。氷でできた美しい花が、開花したかのようだった。


「これが俺の魔法だ。気に入ったか?」


 氷の成長が止まると、それはディアンの手のひらに落ちた。よく見ても、それは紛れもなく薔薇。本当に見事な出来だ。

 彼はその手を、私の方に差し出した。私はその薔薇に、恐る恐る手を触れる。


「……つめたい」


 そう言ってから、自分の当たり前すぎる感想に気づいて、恥ずかしくなった。


「このレベルの精度でこの発動速度を実現できるのは、お主の夫だけなのだぞ」


 いかにも自慢げな顔が鼻につくが、きっと話を盛っているわけではない。私が知っている魔法はたしか、詠唱するもしくは魔法陣を描いてから、深い集中を経てやっと発動するものだったはずだ。だが今のディアンの魔法は、詠唱も魔法陣も無しに発動し、そして集中に耽る様子もなかった。


「お見事です。だから魔剣のディアンが成立したのですね」

「む、その呼び名を知っているのか」

「ええ。ゼオリム宮殿にも書物はありましたので」

「そうか。まあその通りだが……」


 彼は差し出していた手をそっと閉じた。すると、氷の薔薇は一瞬にして砕け、見えないくらいの粒になって散った。

 彼は引き攣った笑顔を浮かべていた。初めて見る顔だった。


「あの頃の俺は未熟だったからな。思い出すと気恥ずかしくなる」

「そう、でしたか。失礼いたしました、殿下」


 人類に恐れられた時代を、「未熟だった」、か。この男に限って謙遜ということは絶対にあり得ない。どういう意味で未熟と認識しているのだろう。


「お主……」


 ディアンが唐突にそう言って私を見た。じっと目を細めている。

 彼は私に目線の高さを合わせて、ぐいっと顔を近づけた。


「その喋り方、なんとかならぬか」

「は……コホ……喋り方、ですか」


 切り返しにしては、威力が変則的すぎた。そのせいで、危うく素が出るところだった。


「お主の好きに生きよと言ったではないか。今のお主の喋り方はまるで、行き過ぎた飾りつけのようだ。素を好む俺には鬱陶しくてかなわん」


 癪に障る言い方をしてくれる。これでも私なりにマナーを遵守しているというのに。


「は、はあ」

「思ったように申してみよ。俺の呼び方も呼び捨てで構わん」

「……」


 本気で言っているのかこいつは。嫁にそんなことをさせるのは、常識はずれというものだろうに。一応は国王なのだから、周りの目も気にする必要があるのではないのか。魔法に少しでも感心していた自分がバカらしくなってきた。

 夕方の温かみを帯びた光が、窓から差し込んできた。少しだけ眩しくて、目を細める。


「ほら、ここにいるのは俺とお主だけだ。呼んでみよ。ディアンと」

「……」

「どうした、恥ずかしがることはない」

「……善処します。ディアン さ ま 」


 堪えきれず、イラつきを口調に出してそう言った。その直後で、しまったと思った。案の定、ディアンは笑顔だった。


「やはりお主は愛いな、エル」

「こんの……」


 嵌められた。

 悪態をつきそうになって押し止まり、顔を逸らす。

 一旦落ち着かなければと思い、咳払いをした。もしもこの腰に剣があれば斬りかかっていた。


「おっと、そういえば、お主に言っておかねばならんことがある」


 彼は部屋の奥に歩きながら、日差しを腕でさえぎりつつ、別の事を喋り始める。

 人の気持ちを振り回しておいて、切り替えが速すぎる。混乱している私がおかしいみたいではないか。本当に腹が立つ男だ。

 私は入り口付近に立ったまま、感情が顔に出るのを抑えつつ、彼の話を聞いた。


「七日後に式を挙げる。当然だが、我がクライア王国の民にもお主を紹介する」


 私はため息をつきかけた。わかってはいたこと。というか、ずっと懸念していたことだった。魔族と人類の溝はまだ深い。人である私を易々と認める魔族は、きっとこの男くらいしかいないのだから。

 ディアンは机の椅子に腰掛け、私を見る。


「なあに、お主は楽しみに待っていればよい。民の理解を得られれば、お主の理想は真の意味で叶う」


 理想、か。確かにその結末は、私の理想ではあるのかもしれない。だけど、なぜか少し違うような、納得しない気持ちもあった。


「心配はいらんぞ。理解は必ず得てみせる。お主のことは、例外なく皆が好くようになるだろう。なにせ、この俺が惚れたのだからな」

「……それはもう聞き飽きました」


 これほど当てにならない自信もそう無いだろう。


「と、そろそろだな」


 ディアンがそう言うと、部屋のドアがノックされた。

 本棚の間に挟まっている柱時計をチラリと確認してみると、針は四時ちょうどを指していた。


「入れ」

「失礼致します」


 扉が開く。振り向いて見ると、一人の女性が入ってきた。

 私よりもいくらか鋭い目。清潔に保たれながらも使用感のあるメイド服。そして、小さいながらも尖った二本の角と、後頭部で縛られたライトブルーの長い髪。魔族は皆暗い髪色なのかと思ったが、どうやら違うようだ。

 彼女は部屋に入るなり私には見向きもせず、その胸に手をあて、ディアンを見て頭を下げた。

 何がとは言わないが、まあまあある。


「お呼びでしょうか。ディアン様」

「よく来た、サラ。我が妻に宮殿内部の案内をしてやってくれ」


 サラと呼ばれたメイドは、淡々とした声で「かしこまりました」と言い、私の方を向いた。

 よく見ると、首から顎にかけての右側面に火傷の痕がある。いや、右腕のほぼ全体も火傷痕に覆われているのを見るに、少なくとも右上半身には広がっているようだ。


「お話は伺っております、エル様。わたくしはサラと申します。本日より貴方様の専属を勤めさせていただきます」


 そう言ってから、私に同じようにして頭を下げた。

 専属か。前の家ではそんな者はいなかった。だからこそある程度こそこそと好き勝手ができたのかもしれない。ここに来たからには、ありがたいと認識しておくべきなのだろうか。


「よろしくお願いします、サラさん」


 私は笑顔でそう返した。すると、ディアンがこちらに歩いてきた。なんのために椅子に座ったのだろう。


「サラは優秀だ。何かあれば彼女を頼るといい。俺はここでやることがある。俺が案内してやっても良いのだが、お主の機嫌が悪くなりそうだからな」

「お察しが良いようで助かります」


 想像するだけで疲れる。

 ん? そんな気遣いができる男だったのかこいつ。


「ははは、会いたくなったらいつでも来ていいのだぞ?」

「さて、参りましょうかサラさん」

「はい、エル様」


 謎の高笑いを続けるディアンを尻目に、華麗に踵を返し、妃らしく優雅に部屋を出ていった。

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