並んで歩く王妃なら
紳士やつはし
第1話 出会いは存外に平凡なはず
ステンドグラスから差し込む陽光が、その人の顔を照らした。
「お主……」
黒の分厚いマントが翻る。彼は私の足元に跪き、手を差し伸べた。
「俺と共に生きてくれ」
太陽の光が明るさを増し、陰気くさい空間と心を浄化する。窓の外で鳥が飛び立った。
「え……嫌です」
*
クライア王国は、魔族領にある国のうちの一つだ。
今日、このゼオリム王国宮殿に、クライア王国の国王が直々に視察に来る。そういった話だった。
視察というのは建前でもなんでもなくて、れっきとした要件のはずだった。百年近く前、人類が魔族に対して戦争を仕掛け、そして負けた。その戦いはまさに悲惨の一言で、両側ともに多大なる犠牲者を出したという。だから、人類がもう戦争など起こさないために、魔族側は定期的に視察に来るのだ。
その視察のために、国王自らが赴くというのだから、王宮内はそれはもう大騒ぎだった。
しかもその国王、ディアン・クライノートは、人間嫌いとして有名な人だった。
威圧的な態度に加え、人間側の記録や発言に少しでも不都合があると、しつこいくらいに追求してくる。と噂では聞いている。
私が一番可哀想だと思ったのは、掃除を担当する従者たちだ。彼女らは正体不明の威圧感に怯えきってしまっていた。そのせいか、この日のずっと前から、庭の前の街道から別塔にある厠の裏まで、一新してしまうような勢いでピカピカになっていた。
ゼオリム国王である父も警戒していたようで、姉や弟に何か話しているのを何度か見た。内容は想像したくもない。次女に生まれてきて本当に良かった。
私のすることと言えば、ディアン殿下とその従者を適当にもてなすくらいだと思っていた。仕事がないのは、私が父に気に入られてないというのが原因でもある。私は昔から、父に対してあまり従順ではなかったし、ゼオリム家の特徴である金色の髪が若干薄いのも起因しているかもしれない。
でも正直、仕事がないのは楽だ。こんなことを言うと弟のロイには文句を言われそうだけど、成果を得られたところで嬉しくはない。だから今日は、私だけにとっては特になんでもない一日になる。はずだった……
宮殿の中に入った殿下を、王宮の人間全員で出迎えた時。事件は起きた。
想像に反して若い青年のような見た目のその男は、お辞儀する父の「ようこそいらっしゃいました」という言葉を綺麗に無視。あろうことか、私の前で立ち止まり、わけのわからない求婚をしたのだ。
まずそこで、その場にいる全員が固まった。
そしてさらに、私がそれを反射的につっぱねてしまった。本音がうっかり漏れたのだ。その瞬間、その場は固まるどころか凍りついた。私を含めて全員が。もはやピシリと言う音が聞こえてきそうなくらいだった。
さて、問題はつっぱねられた本人だが、今、なぜか笑顔を浮かべている。目が笑っていないとかでは全然なくて、どこか温かみのある、ちゃんとした笑顔で私を見ているのだ。
*
「ここが俺の宮殿だ。見事だろう」
その男、ディアンは、自分の王宮をバックにして両手を広げ、私に言った。外まで迎えに来るとはご苦労なことだ。
気分が嫌になりすぎてため息が出そうになる。どうしてこうなった。答えの分かりきっている疑問がまた私の中で反響する。単純だ。父が了承したから。当然だろう。私が考えたってわかる。父の切り札である姉ではなくて、私が一国の王の妃になるのだ。父は魔族が嫌いなわけではない。故にこの話は、最低限のリスクで格上の王家と縁を結べるチャンスということになる。父からしたら願ってもみないような美味しい話だ。私の意思を一ミリも聞かずに了承したところも流石という他ない。
そう言うわけで、私は後日すぐにクライノート姓となり、家を出てここに至る。だいたい、このディアンとかいう男はなんなのだ。反射的に零してしまったとはいえ、一度拒否する意思を見せたのに、記憶が飛んだかのように普通に接してくる。立場的に結婚が断られないと信じきっていたのか。汚らしい性根をお持ちのようだ。
宮殿を眺めるふりをして色々思考を巡らせた後、私はエスコートの手を借りながら馬車を降り、彼を見た。嫌な顔をするのを必死で抑える。着心地の悪いドレスを揺らす風は、もう暖かい。
強い日差しがまた彼の顔を照らす。人間とそう変わらない肌の色が白を帯び、頭部に生えた二本の黒い角は、光を吸収してその色を保つ。
ディアンの服装は、先日よりもさらにシンプルだった。全体的にスラリとしたシルエットで、装飾も少ない。加えてその黒髪も妙にさっぱりと切り揃えられている。私のレベルに合わせたのかとも思ったが、おそらく違うだろう。どうやら魔族というのはイメージ通り、黒い色調を好むらしい。
宮殿に関しては、ウチとあまり変わらない大きさだ。まあ、高さはそれなりにあるし、装飾も多少豪華なようだが。
「はい。見事でございます、殿下」
私は無理やり笑顔を作ってそう言った。するとディアンは、私を見て満足げに「フッ……」と笑い、こちらに近寄ってくる。「男は「見事」で大体喜ぶ」と言う姉の言葉はここでも使えるらしい。ただ、その後が案外面倒で、このまま調子に乗って話を……
殺気。目の前から、剣先。
薄い金色の髪が散り、輝いた。
「ディアン様!」
エスコートが悲鳴まじりに叫ぶ。
視線を横にずらした。そこには、直剣の腹。金属の冷気が頬を撫でた。
ディアンの腰の鞘から抜き放たれた直剣が、私の髪をかすめて通過したのだ。
「やはり、この程度の突きなら避けるか」
ディアンは尚も笑顔だった。一瞬の殺気は、綺麗さっぱり消えている。彼は満足そうに剣を納めた。さっきのは満足した顔ではなかったのかもしれない。
「なんのつもりですか」
私は苛立ち気味に問う。焦っていた。反射的に避けてしまった事を。一国の王女がとっていい動きではないし、何より、人類が武を極めることは、魔族によって制限されている項目の一つなのだ。
意味のない問いの隙に考えろ。この状況、どう言い訳する……?
「やっと素の表情になったな」
いきなり顎を掴まれた。顔を上に向けられる。視界の中心には、大きく開かれたディアンの目。それはまるで、私の頭の中を……いや、全身を、全てを、串刺しにするような目だった。
「少しかじった程度であろうが、俺にはわかるぞ。戦い方がわかる者は同類からすれば、立っているだけでも常人と差がつく。特にお主は、隠し方を知らんらしい」
そうか、魔剣のディアン。不可能と言われた剣術と魔法の両立に成功し、人魔戦争で多くの人類を屠った男の話をどこかで聞いた。こいつだったとは……。
やられた。バレていたのなら、私はこの男にとって潰さなければならない因子ということになる。隠れて修練していた剣術が、まさかこんな形でバレるなんて想定していなかった。
私を連れてきたのは人質……いや、見せしめに殺すためか。
「だが安心しろ。俺の王宮なら存分に己を鍛えられる」
「はい……?」
ディアンは私の顎から手を離し、背後にある自身の宮殿を一瞥した。
鍛える? なんのために。
「なんだ? その反応は。お主は好きに生きたいのだろう。人並みならぬ欲が体から滲み出ているぞ」
彼は再び私を見て、上からこの目を覗き込む。
「故に、好きに生きれば良い。惚れた女にそれくらいの機会も与えてやれないほどヤワではないぞ、このディアンという男はな」
ん……?
「……惚れた、と、おっしゃいましたか?」
惚れた。惚れたって、なんだっけ。
「そうだ」
何を言っているんだこいつは。初対面だったんだぞ。一目惚れだとでも……
「これは俗に一目惚れというらしいな。だが、一緒にされるのも考えものだ。なぜなら俺には、人を見る目がある。情報量が違うのだから」
急に喋る速度が上がった。
「ああ、どこに惚れたか知りたいのだな。お主の愛い箇所はいくらでもあるが、あえて一つ上げるとするならば、周りに合わせる事を知りつつも己を決して潰さぬ、その強い精神力だ。おっと……」
彼は何かに気づき、顔をゆっくりと私に近づけた。
「お主、赤面することもできたのか」
「うる……少し黙ってください」
不意を突かれ、反射的に後ろを向いた。そしてその仕草を悔やむ。
本当に、なんなのだこの男は。私に惚れただって? 恋愛なんて私は知らないし、聞いたこともない。王族には無縁と言ってもいい言葉ではないか。なのにこの男は、それをまるで当たり前のように、私だけが知らない当然の事のようにペラペラと……。
まさか……だからあの時、笑っていたというのか。この男が惚れたという私の本性そのものを、確かめられたから。私が思った通りの女であることを理解して、笑ったというのか。
「では、改めて言おう。王妃エル・クライノート」
ディアンは私に手を差し伸べた。今度は、立ったままだった。
「王族に個の意思は無用だ」「姉を見習え」「国のために従え」そう、言われ続けてきた。
「俺と共に生きてくれ」
こんな求婚があるか。何が「王妃エル・クライノート」だ。既に王妃をつけているし、姓も変わっている。一度私の意思を無視したくせに調子に乗るな。
だけど……
「……わかりました」
生き方を認められたのは、初めてだな。
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