炎のレアメタル

しおとれもん

第1話炎のゼロ戦


長編「炎のレアメタル」


1章「炎の特攻隊」


 満州事変に驚愕の真実があったとしたら?

もしゼロ戦が月まで行ったとしたら?

もし大日本帝国がレアメタルエンジンを作っていたなら?


そんな問い掛けを残して爺ちゃんは死んで行った。



「新之助!権太!」

「帰って来いっ!」勇二の無線が届かず水盃の夕べに従い米海軍のエンタープライズの左舷に激突し、海の藻屑となり、玉砕する!・・・。

「クソォオーッ!」二機のカミカゼが散った。

「お前らっ!」

「立派なサムライや!」 

 操縦かんを前へ押す!

 ゼロ戦の機銃が唸る! ダン! ダダダ! ダンダン! ダダダダダダ!

グワングワン! 


グワングワン! ダダダ!ダダダダ! ダダダダダ!

右へ左へ艦砲射撃をかわしエンタープライズの右舷に回る!

 操縦かんを前へ倒す!

左に倒す!「突撃ーッ!」

ゼロ戦の鼻先が前方下へ向き、左下へ旋回し、エンタープライズの右舷前方を捉えた! バー、バババババブォーーーズドブァアーン! 


 「満州事変はな…。」極秘の滑走路を後にして、黄昏貯水池方面へ歩みを向けるケンと勇二はしみじみと二人向き合って想いを打ち明ける事に躊躇いは無かった。

「新しい国を創る訳では無かったんや!」大日本帝国の真実を憶測で語り出した勇二はいつになく饒舌だった。

「月を征服するために作られる予定やったんや!」

「えっ、なんで?月なんてアポロしか行けないよ?」勇二の顔をマジマジと見るケン。

 ケンは未だ中学生だった。

「それが行ける。」

「レアメタルがあったらな、ケン?」

「奴らが、宝の山が有る場所を知っとったら・・・。」

「どうしたやろうな・・・。」

 大日本帝国は、密かに地球内の地下燃料を狙っていた! 

中東の石油燃料は、世界経済を左右する産出量で、日本も乱高下する原油価格に大概に苦しめられていた。

 それが国連の日本大使の小耳に挟んだ話を政府に溢した事から事態は急展開した!

 中国の満州近辺に眠っているレアメタルを使用すれば必ず日本の自動車産業は、デトロイトを尻目に右肩上がりに延びていく。

 しかも宇宙開発も夢ではない。

 レアメタルの使用量は、大量消費を必要とせず、然程少なくて構わない。

 低燃費・高出力だから使わない訳には行かずマサにハイブリッドなる鉱石だった。

 資源が少ない日本に新しい地下燃料を所有する事は、今アメリカが慣行してきたニューディール政策をモノともせず無頼に大日本帝国を運営出来る! ヒトラーよムッソリーニも下肢付く筈だ!

  

 政府は早速に満州略奪を検討し始めた!それが満州事変を引き起こす要因だった! しかし付け焼刃的な理由では満場一致で可決されず国連の全否定、全否決に怒り国連脱退により国連の禁輸制裁で、日本は窮地に追い込まれ真珠湾奇襲や東南アジアと満州を領土にし、太平洋戦争にまで及んだ。

 

大本営解体から75年後。

 最新鋭はやぶさは月面の裏側に回っていた。

そこには翼の折れた零戦が浮遊していた。

一機や二機ダケではない! そこには操縦管を握ったまま死後硬直しているゼロファイター達が・・・。

 嘗てエースと呼ばれた名だたるゼロファイター達がそこにいた。

「レアメタルとヘリウム、採取します!」月面に降りるではなく、地上スレスレのホバリングは、技術的にも理論的にも可能だが長時間留まっていられない大宇宙の法則があった。

 極小の隕石が朽ち果てたゼロ戦本体やゼロファイターたちの頭を貫通していた。

 頭の向こうの青い地球が見えたからだ!

「お、お父さん!?」サリは眼を疑った! JAXA有人人工衛星が、地球を超えた太陽光が月面に這うと同時に視界が広がり・・・、いつもそこで眼が覚めた。

「続きが見たいね・・・。」目覚めの悪いケンは両腕を上げ、ググッと伸びをし、一回大欠伸をした後、ノロノロと身支度を整え菊水山学園へ登校した。



  学校から帰ると玄関戸には黒い縁取りの忌と書かれた紙が貼ってあった。

 もう考える時間を持たずに庄屋三咲と疾走してきたが、最初のリアクションに俊巡しながらガラガラと、玄関戸を引き開けたと同時にお父ちゃんの妹、所謂ミサコ叔母さんが立っていた。

 ケンの両肩に掌を置いて抱き締めるように「ケンくん・・・お爺ちゃんがね、死んだんよ?」ケンにショックを与えない様に優しく、優しく・・・。

 ケンにとって元ゼロファイターの勇二は英雄だった。


 8年前・・・。 

「降りてこんかいワリャア!」

 モーニングニュースのキャスターが黄昏貯水池に女の子の水死体が浮いていたと、報道していた。

「朝から不吉や!」

頭から爪先まで風呂上りの様だった。

「え、核戦争?」バケツの水爆弾を落とされ濡れた頭と顔を 手ぬぐいでふき取り、それから勇二はアメリカ人を罵った。

「おいアメリカ! 戦争に勝ったと思って偉ぶるな!」ガイジンを見上げて怒鳴る勇二を大木と枝の狭間から色白で茶髪の雀斑頭が二、三個程度、ジッとこちらの様子を伺っていた。無言だった。

 勇二の背中に画かれた「死んでもらいます!」健さんの台詞と鯉の滝登りや登り竜など、背中に貼りついた白いチヂミが濡れて透けていたから、下手くそなマンガの背中の落書きを映し出していた。

 ある梅雨の昼下がり、蒸し暑くてシャツを脱いだ深いしわが浮き出た狭い背中と、ダラリとなった皮だらけの痩せた腹を左横に左の腕枕に、上半身裸の勇二が昼寝の時、そういう場面は珍しかったから寝返りをうって爆睡中だった勇二の背中に油性のカラーマジックでそッと刺青の真似事を画いた。

 昇り竜や鯉の滝登りを話に聴いている限りの知識を搾り出し絵を描いた。序に「死んでもらいます」と台詞も書いた。

 弘法にも筆の誤りという諺が在る通り、いくら神様でも絵はへたくそだった。

 その日は、朝から夢野村(ゆめのそん)全域に台風十六号の大雨注意報を発令されるほど、厚い黒い雲に覆われた不気味な空が不快指数86%だった。

 低く垂れ込んだどす黒い雲は二階建ての屋根瓦を飲み込んでしまうと、子供のケンには思えて為らなかった。

 それほど低く垂れ込めていたからだ。

 7月19日の外気は明日から夏休みだというのにネガティブにも蒸し暑く早起きしたクマゼミがジャンジャカジャカ!と、 鳴いているいつもの朝と変らなかった。

 目覚めた時からウキウキしているケンは、早めに登校しようと表へ出たが、ケンより先に勇二が玄関先に勇二が立ち、ケンが玄関から出てきたのを知ると、セミの声のする方へ顔を向けて、「ウルサイのう朝から。」

「あのガイジンとこの木や!」

「 セミ退治するかケン?」

 ケンに見せる様に人差し指を差して白い顎鬚を突き出し、「ついて来いッ!」有無を言わさずケンを引き連れてウウーンと唸っては、颯爽と歩き出した勇二は第二次世界大戦での元海軍軍人ゼロファイターの頃の癖で両手を大きく振り、膝を腰までの高さに上げ律儀に歩みを進める戦争かぶれの一市民のようだった。

 ケンがそれを言えばしこたま殴られるので勇二の後ろを付いて黙って歩くだけだったが・・・


 ケンの自宅に元軍人の勇二が居て、朝な夕な寝起きしている事は、少しの自慢だった。それの起因は多々あるが、唯一の不可抗力にアメリカの世界恐慌が布石だった・・・。

 日本・ドイツ・イタリアと三国軍事同盟を結んでいた当時の大日本帝国は、満州事変による満州国建国を国連加盟国の全会一致で否決され怒り心頭で国連を脱退し、連合国のアメリカによる石油の禁輸制裁を受けていて、燃料が無いというのに無謀にも大国に戦いを挑んだ! もはや奇襲しかない。奇襲の後満州に乗り込んで世界を征服する!

 短期決戦で勝利出来ると想っていた。

連合国にはアメリカ・イギリス・フランス等大国が揃い踏みしていて軍事力の事前調査で思い留まる事が出来た筈だが、日本はそこまで追い詰められていた。 真珠湾の奇襲は成功裏に終わり日本軍は意気揚々と帰国した。

 しかし開戦の後になるに連れて進攻した領土、フィリピン・グアム・マレー・ルソン・ラバウルの全域をアメリカに奪還され日

本本土の主要都市にアメリカの爆撃機による空襲を受け更に長崎・広島と、二発の原子爆弾を落とされた!

 そして起死回生の不沈艦大和が誕生進撃した!  勇二は大和の護衛に就く筈だったが離陸直前に任務変更を言い渡され奇しくも指を銜えて大和の撃沈を知る羽目になる。

 それもこれも燃料不足が起因だった。

 勝てる筈の無い嘘の楼閣に翻弄された勇二達は、足場固めをしてから戦いに挑む事を学んだ。

 それ故に曲がり角家のケンカは、相手を殺す気持ちで殴り合う!のが定石になった。

「石油の一滴は血の一滴と、思え!」モノを粗末に扱うケンに戒めの格言を怒鳴る勇二は背筋がシャキッ!と伸びていた。

 だから怒ると中々元に戻れない性を背負った男の背中に哀愁漂う鯉と竜に引き継がれていた落書き刺青の勇二だった。

 高さ約2メートルの石積み擁壁を宅盤にしてどデカイお屋敷の中庭に一本の大木が生えていて幹や枝に無数のクマゼミが群がっていた。

 それを観たケンはゾワッと、全身に鳥肌が立ち悪寒が走った!

 それは種の保存を実行するため大木にビッシリと隙間なく張り付いていて一心不乱に腹中を絞り雌を呼ぶクマゼミの姿が圧巻だった。

天を仰いで虫取網を伸ばした所へ水の爆弾が落ちてきて僕達は、被爆した!


「第三次世界対戦が始まる!」ケンの脳裏にフッと過ぎった瞬間、

「なんじゃコリャア!」勇二の口が火を噴いた!


「ワタシタチノセミヲトラナイデクダサーイ!」カタコトの日本語だった。


「名前でも書いとんのかワレェ!」迎撃ミサイルの様だった!

  兎に角、アメリカ人を見たら怒鳴る癖のある爺ちゃんが雷に撃たれた様に白い頭髪を逆立て拳を上げてシバクぞオーラを発光させていた。

「降りてこんかいワリャア!」小さい身体だがポテンシャルは流石元軍人、凄まじいベクトルで、アメリカ人の子供達を威圧し、攻撃していた。

「第三次世界対戦が始まるかもな直志?」

 真っ赤な顔をして 怒り爆裂中の爺ちゃんを尻目に自宅前でラジオ体操帰りの幼なじみの直志を掴まえて、立ち話をした。

 実は昨日から夏休み前のケンは、夏休み初日に直志と昼の三時頃おだいしの山に行く約束をしていたから、その確認をし、サッサと分かれた。

 

 「あ! ゼロ戦!」

「 捕まえなさいよケン?」いきなりすっとんきょうな声を上げた曲がり角芽衣子(まがりかどめいこ)に驚いたケンと槍直志(やりなおし)が芽衣子の方を見た丁度その時、ケンと芽衣子の遥か上空では、ケン達を歓迎しない山が風神と雷神の力を借りてピカピカ!ゴロゴロゴロ!とケン達を威嚇していた。

 セミ時雨は自宅のラジオが電波状況が悪くザワザワと聴き取りにくい野球中継の様な鳴き声を奏でていた。

 足許の沢には沢蟹が芽衣子の足の脇からサササッ!と、左横へ足早に移動して驚いた石影のコオロギが小さな沢をピョンピヨン!と、向こう岸へ跳ねて逃げた。

 ケンは大日本帝国が、無条件降伏をして16年後、残暑厳しい曲がり角家の晩夏に産まれた。

 

  眩しくない濃厚な曇り空の天を仰いで両目を見開き「芽衣子、あれはゼロ型戦闘機・・・。」

「凄い大きいリモコンだな、・・・。」ヴォーーーババババーー!

 フルスロットルのエンジン音が聴こえた!

 「この時代にゼロ戦が飛んでる?でもリモコンか・・・?」  ケンは目を疑っと。

 重厚なリモコンの存在感はリアルで子供のケンでも圧倒されて後退りした。

と、同時に言葉を飲み込んだ。

 ケンが目で追うリモコンを見ていた。「オニヤンマみたいだネ! とでも言うと思ったケン?」

「アンタおもちゃの事ばっかり。」

「鼻垂れ小僧みたいよネ?」

 チビの癖に上から目線でツン! と、小鼻を膨らませ憎々しげに言い放った負けず嫌いの芽衣子に、「もう四年生なんだぞ!?」という憤りを覚えたケンに直志の「早くいこうぜ!」と言う声に促されてジャポン! 沢に片足を突っ込んだケンは、運動靴の中をジュポジュポ言わせて、冷たく濡れた靴下を気にしながら独り山頂へ向かった。

 上半身は暑くて汗が噴き出ているのに左の足底は死後の世界に足を踏み入れた様なビキビキと今にも音を立てて腰まで冷熱が上がり、全身が凍りつきそうだった。

 

 ここは、六甲山系西外れの(おだいし山)の山麓だ、播磨市夢野村(ゆめのそん)の人々が口を揃えておだいしと呼んでいた山だったが、別名を首吊り山とも呼ばれていた。

 勾配45度に切り立ったおだいしの山肌には、松の木群が幾何学的に生い茂り麓に届く山肌に太平洋戦争での防空壕出入り口が大きな岩に閉ざされていて、当時の名残がそこにはあった。

縦2メートル横3メートル奥行き十メートル弱の防空壕には、その昔日本兵と地域住民が、逃げ込み米軍の火炎放射によってあっ! という間に数十人もの日本人が焼かれ黒焦げ死体がゴロゴロと出て来たと言う。 

 黒こげ死体がおだいし周辺の住民で、所帯主を失ったた遺族は、戦中戦後の混乱と疲労で将来の礎と心の支えを亡くした事を苦に次々とおだいしの松の木々で、首を吊って行き一家心中を図った。

 それからと言うものおだいしの麓には焼け焦げた人と怨念まみれの遺族の幽霊が出ると言われ続けていた。

 おだいしは大型の台風16号が近付いているせいで相変わらず余所余所しいくぐもった蝉時雨が風に流されながらも夏唄を奏で続けていたが、それとは関係なくケンは怒りに任せて幅員百五十センチほどの山道を一人足早に登っていた。

「オニヤンマなんか捕まるかよ!」先ほどの憤りを殆ど投槍に上書きするプロトコルは間違いなかった。

 が、ケンは何故か大きなトンボに対して冷めた考えを持っていた。

 ケンがオニヤンマにトラウマを持つ羽目になったのは、小学一年生の時、素手でオニヤンマを捕まえられたら未来永劫幸せになると言う「オニヤンマ伝説」を信じ素手で捕まえようとして40幾日、累計80回もの失敗を繰り返し、ピカピカの一年生初の夏休みを棒に振ったからだ。 

「今日のおだいしは愛想無しだな。」と思いかけた矢先、「待ってよお兄ちゃん!」ケンが振り返ると直志に手を引かれた芽衣子の頭上をオニヤンマがやっと目で追えるスピードで追い越すのが見えた。

 こうしてみると憎たらしい芽衣子も可愛いものでケンが小学二年生の時に「妹」というタイトルにて「僕は妹が嫌いだ!」と、高らかに宣言した作文が文集に掲載された事を思い出していた。

 ケンがふと山頂方向に眼をやると、遥か山頂の方から老夫婦がニコやかに歩いて降りてきている姿が見えたと同時に天空から地上へ、ギャーッ!ヒュルルーーン!ドドーン!ダダダダダダ! 人の叫び声と機関銃の銃声のような丸で天空の竜がケン達の背中スレスレの処を襲ってシャーーッ!と山道の砂や小石を蹴散らして一直線のミサイルの様な旋風が、地面に激突し続けて背筋が寒々しくなっていたところで、大人の人に会えたからにこやかな優しげな顔面がこれ幸いと何とも優しい老夫婦の笑顔に魅了されて「山に子供が来たらイカンぞ、ハヨ帰り!」と家路に追い立てられる事も無かろう。

 時々地面の蟻と老夫婦の姿とを交互に見ながら歩を進めていた。

沿道の木々がそれぞれ腕を延ばして葉を広げ、静寂な木漏れ日が風に揺れる、山鳩が松の木の太い枝に留まる。

 老夫婦が互いに見交わす、ホホッホー、ホホッホー、ホホッホー、ホッホー・・・ザッザッザッザッザッ!無数の木漏れ日から軍隊が整列して進行するような足音が奏でられてケンや直志や芽衣子の耳にも足音が聴こえていた。

 ケン達の肩よりも高い処で・・・。

 老夫婦がケン達の眼前まで近づいた時、四回鳴いた山鳩が松の木の太い枝から飛び去った! あれほどザワザワ鳴いていた余所余所しい蝉時雨がピタッ! と止まっていた。

 ケンが老人の顔を見上げる!

  草鞋と白い足袋と白い着物が眼に入った!

 面持ちを見るためにもっと視線を上げる。

芽衣子が直志の影に隠れた!

 老人が通り過ぎようとした!この間約4秒、「目が深く闇だ!笑ってない!」 眼窩の闇を見たケンのシックスセンスだった。

 生命反応がある瞳はキラキラと光を反射させる。

だから生きている人の眼は活き活きとして光が見えるが、この老人は艶のない薄ぼけた黒が存在していた。

 負のエネルギーが渦巻いていた。これもケンのシックスセンスだった。

 ザッザッザッザッザッ! そして・・・整列行進の足音は次第に大きくなりまだ聴こえていた。

 老人は心優しい笑顔を残さず、朗かに見えた二人の佇まいには全く生気がなかった。

 口許は固くギュッと一文字に引き締め土気色の怒っている様な表情には血色が失せていて土気色の虚無の世界に居て何を臨んでいるのか光を完全に閉ざしていた。

 隣の老婦人も然り、表情が固く真っ直ぐ前を向いてケン達の存在を全く無視して何か差し迫った事でもあるかの様にサッサと過ぎ去ってしまった。

 ザッザッザッザッザッ!

整列の足音は老夫婦が通り過ぎる間にも聴こえていたがようやく通り過ぎて徐々に小さくなり聴こえなくなって行った。

 その離れた背後にはもう一人、黒い古びたマントの様な物を羽織った老婆が立って居た。

 直感で死神の様な!? と思っていたケンだったが、「早く行かんかいなーッ何をイヤイヤ歩いとんじゃあーッ!」と、地鳴りがする程の怖ろしくも激烈なオニの様にしわがれた大声で先程擦れ違った老夫婦に背後から鼓膜が破れる程の濁声で罵声を浴びせた後にスローで老婆の首が回り・・・、ケンと直志と芽衣子の方をぐるりと振り向きながら瞳がブルーな眼を眼一杯、見開きニタニタと、「ヘッヘヘヘッ、私は死神やねんけどな、死に神て見えへんやろ普通のお婆さんやろ、あんたら子供は生きないとあかんわなあ・・・。」高らかに笑って行ってしまった。

 「・・・意味が分らん。」そう呟いたが直志も芽衣子もチンプンカンプンだったから、その話題については、反故にして帰る事にした。

 

   回れ右をして家路に就いた三人は、言葉を失っていた。

あの沢山の足音は、何だったのか?ケン逹三人の両肩が、重く固くなって子供ながらに疲労感さえ覚えていた。

 ようやくおだいしの麓に降りた頃には肩から襷に提げた麦茶の入っている水筒が満タンだと気付き改めて芽衣子と尚志の顔を見ると放心状態満載だったから何も言わずに帰った。

 ケン逹の天空では、大型台風16号のどす黒い雲がウネリ、その雲の上は、蒼白い閃光と殺人的な雷鳴が、沢山の足音に紛れて乱闘しているかの様にドタバタと蠢く気配があったが先程のリモコンのゼロ戦は、もう飛んで居なかった。

 ボタボタ、ボタボタ・・・、ザザーーーッ!「雨だ!?

走れ!」ワーッ! と一斉に走り出して、芽衣子が脱げたサンダルを取りながら泣いていたから直志がそれを拾って丁寧に履かせていたが、ケンはシャツが濡れるのを気にしていた。

 でも・・・、もう濡れた靴下など、気にしなくていいか?と考えたらスッカリ気分が軽くなって芽衣子と手を繋いでやって山の銭湯の前を通り過ぎた。

 ハアハアと、フラフラになった濡れ鼠のケンが帰るとバアちゃんと母ちゃんが夕御飯の支度をしていた。

 オカズがケンの大好きなコロッケだと言うので、カナリヤと文鳥の世話をしながら出来上がりを待つ事にして、玄関の上がり框に爺ちゃんと腰掛け菜っ葉をやり稗と粟を混ぜた小鳥の餌を入れ換えた。

「おだいしにはなあケン お大師さんが拓いた山やからあの世と、この世に繋がる道があるんや。」今まで黙っていた爺ちゃんが重い口を開いた。


  元カミカゼの生き残りの爺ちゃんは、生き残りと言われると、ブチ切れる。

カミカゼ特攻隊は、1944年、所謂第二次世界大戦末期に日本軍が編成した。

 陸海軍合計二千五百機もの攻撃機が出撃したが、本土決戦のためにあらゆる種類の航空機が投入され水上機、練習機や小型グライダーが、開発された。

 戦死者は、約二千五百二十人余りにも登り日本軍は人命軽視したと揶揄・批判されている。

 「クレイジージャップと言われたんやぁ、今はクレージーキャッツが居るけどな・・・。」と言う爺ちゃんは、人間魚雷回天の話をしてくれた。

 ケンは、夕食時に酔っ払った爺ちゃんから戦争中の話を良く聴かされていたが、またその話しかと思いチョッピリ耳を傾けていたが、それはそれは、メンタマをヒン剥く程の衝撃的な話だった!人が魚雷に成るなんて!せっかく作った飛行機をワザワザ船にぶつけて壊すなんて!今の日本では考えられないキチガイ染みた日本軍の暴挙は、A級戦犯を裁くならば軍隊の上層部を裁けばいいのにと、ケンは、コロッケにドバドバとソースを掛けてジャブジャブしながら食べてビールを飲んでいる爺ちゃんを黙って見ていた。

 爺ちゃんは、カミカゼ特攻隊に所属していた。

でもこうしてケン達に囲まれて平和そうにビールを飲んで、コロッケに思い切りソースを掛けてパクパク食べながら 生きている。

 実は出撃したのに、軍の命令で引き返して来たから不幸中の幸いで生きている。

この国の戦犯は将来の見通しも暗いまま、無責任な作戦を決行したから国民を路頭に迷わせる舵を切った。

 未だに戦争の傷の癒えない爺ちゃんが、酔っ払うと戦争の話で持ちきりになる。

 何故かと言うと素面では、平然とその話しが出来ないからだ! その話しをする時は酒でも飲んで居ないとマトモに口を開けないからだ・・・。

 でも爺ちゃんのWARLDWARⅢと、ケンのオニヤンマ伝説は、同時に走り出した。


「そやから生きとう人でも参るしな、死んだ人でもそれが分からんからお参りするらしいのう。」

「あんまり子供らで行かん方がええぞ?」ポツリポツリと独り言を呟く様にケンに言っていた。

 爺ちゃんの眼は生きている人だからキラキラ光ってギョロギョロと動いていた。

「ご飯出来たよー。」

「・・・って、お爺ちゃん寝てるやないの!」

「恐ろし屋の鐘が鳴るわ!」

「 早く起こして食べに来てねケン?」

「何時の間に寝たの爺ちゃんご飯出来たよ?」と、爺ちゃんを起こして食卓へ爺ちゃんと行った。

「おだいしの頂上には何があるの?」気になっていた事を藪から棒に聞いて見た。

「それはなあ、ンッガ・・・。」

「んんんンマイッ!」

「 福寿院や。」軽くあしらわれた感が、ケンに二回、聞かせたが・・・。

「小さい祠があるだけやケンお参りに行くんか?」爺ちゃんは老眼鏡をかけて両手に箸を一本づつ持ち、コロッケを半分割ったその切り口からジャガイモの皮を器用にも丁寧に取り出してとんかつソースを山盛りに掛けてモグモグ食べながらビールをゴクゴクと喉を鳴らして乾杯をし、プハーッと、至福のときを味わった後で、「独りで行ってみろ。」と、ケンの眼を覗き込み

「死んだ人に逢うけどな。」恐ろしい事を平然と言ってのけた。

「それでも構わんかったら一人で見て来い。」

「ほんでな、祠の裏には、反対側に降りられる道が有るさかいに、その道を降りて家まで帰って来るんやケン?」

「黄昏村があったけど黄昏の貯水池には、絶対入ったらイカンぞケン?あそこはワシが昔・・・。」と、言いかけて次の言葉を飲み込んで、「昨日子供が池に落ちて死んだからな。」最もらしい言葉に摩り替えて、話題を変えた爺ちゃんの事をケンだけが見抜いていて、「ビールもう一本くれい。」その真実が聴きたくて仕方が無かった。

「和光はまだ帰らんのか?」父ちゃんの仕事は、靴販売店を経営している。

 最近ズックが売れるから忙しいと言って湊川商店街が閉まるまで店を開けていたから帰りは遅かった。

 爺ちゃんの話は尽きることなく、おだいしから裏山の黄昏貯水池まで言及していた。

 黄昏貯水池には元々、黄昏村(たそがれそん)が存在していたらしい。

 今は昔、黄昏貯水池が、出来る時に蒼黒い水に沈んだと聴いた時には身震いがした! 爺ちゃんの話はマダマダ続いて、村長の跡取りの息子が爺ちゃんと親友で飛行予科練に一緒に志願しようと言っていたが、氾濫した川に呑まれてお腹の大きい奥さんを残して死んでしまった事を打ち明けてくれた・・・。

 しかも、そのお腹の大きかった奥さんの娘が黄昏村の村長の孫娘で、当時の村民に殺されてしまったそうだ。

 昨日池に落ちて死んだ子供か?と、聞いたがどうやら違うらしい。

 そんな話しをしてくれた爺ちゃんは、しんみりとして、居間のテレビをつけたが、一瞬でプロレス中継の虜になっていた。

 プロレス中継はジャイアント馬場対ジンキニスキー60分一本勝負の試合を中継していた。

 ジンキニスキーは物凄く強く一日中屋内で鍛えているババとは違い「さすが軍人や! 実践宛らの戦いや! ワシら勝てんかった意味が分る。」

「んんー・・・。」と、爺ちゃんが爺ちゃんと婆ちゃんの寝室へ行き悔しそうにサッサと布団を敷いて寝てしまった。

「こない早ように寝てからに勇二さんは。」ポンポンポン!と、布団の端にペタリと座る婆ちゃんが何度も叩いたが、爺ちゃんは鼾をかいて寝ていた。

 ゴォオーーーッヒュルルルーーン!バタバタバタ!ザー、ザー、と、大型台風16号が、ケンの自宅の遥か上空で暴れ、踊り狂った宵山をやり過ごしたケンは翌日の昼下がり学校から帰るなりランドセルを上がり框へ置いておだいしの頂上へ、行こうとしたケンを福代が止めるのも聴かず、ケンは昨日の勇二の言葉に従って一人おだいしの裏山道まで行くつもりで自宅を出ていた。小走りになっていた。

 それは心配した婆ちゃんが背後霊の様にケンの背中にへばりついて最後まで離れなかったからだ。

 しかし、ケンの後を付けてきたのは、婆ちゃんではなく、他ならぬ爺ちゃんだった。

 脇目も振らずロボットの様にインプットされた目的地おだいしまで来ていたが、ケンは頂上への山道を迷う事なく幅員百五十センチの狭い山道を登って行った。


 麓まで付けてきた勇二は、一人で行けと言ったもののこんな草木が生い茂った山道を歩くのかと、心配になって最後まで付いていく事にしたがおだいしでの冒頭では防空壕跡の出入り口にある大岩石の扉が半分程度開いていたが、ケンはその防空壕には目もくれずスタスタと前を向いて歩いていた。

 台風が行き過ぎ、季節は本格的の夏空になっていた。

どこか上空でバリバリバリバリバリ!と爆撃機のエンジン音がした。

「ふふん懐かしいのう。」興味は沸かなかった。

 勇二の闘いは別に在るからだ・・・。

「脚が速いな、ケンは・・・。」

「よっこらしょっと!」

 沢の手前に残ってあった松の切り株を跨ぎ、ふらついて両手を切り株に突き全身を支えた。

「まだまだ!」勇二は自身に戒めの呟きを吐いて大カマキリが、切り株の天辺に上り羽を広げカマを振り上げ勇二を威嚇していた。

「七雄がが居ったら喜ぶやろな・・・。」七雄とは勇二の亡き長男で、二歳の頃から病気がちだったから勇二が背中におぶって湊川の病院へ連れていったものだ。

 近所の子供は元気にそこら中を走り回るが、七雄は家の中で読書や塗り絵などをするのが楽しみだった。

「山へ虫取に行こうか七雄?」勇二は決して七雄を怒らず、いつでもニコニコと話を聴いてやっているから勇二に良くなついていた。

「うんお父ちゃんトンボ取ってくれるん?」生前の七雄を想いながらおだいしの頂上にある福寿院の祠に両手を合わせたまま通りすぎた。

 祠の裏手にはおだいしの頂上だけに山の下には隣町の家屋が建ち並ぶ光景が観られたが、赤や青、黄色に緑と、色とりどりのカラーベスト屋根が最近流行っていた。

 裏山の山道入り口には、くぬぎの老木が生えている。

「カブトムシか、ケンが見たら飛び上がって喜ぶやろな・・・。」勇二の大切な人は七雄・・・、そしてケンだった。

裏山の下山は道無き道を降りて行く。

「うオワッと!」慌てて立ち止まった勇二の山道は、昨夜の大型台風十六号の爪跡がハッキリと残っていた。

 山道が直角に抉り取られ山肌沿いに切り立った断崖絶壁を見せていた!

 裏山の山道が約5mは崩落し、勇二は寸断されたおだいしの裏山山道に立ち尽くしていた。

「ホオー・・・ケンはどうやって・・・。」思わず独り言が出た!よく見ると崩れた山道の山肌側では、若干勇二の足底を乗せて横歩きで通れる巾三十㎝程度の幅員が残っていた!

「なるほどな・・・。」

「ケンはここを通って行きよったんか、根性あるやないか。」見れば高低差は約5メートルはある。

「抜からず歩かにゃあ。」気を引き締めて勇二自身に言い聞かせた。

 ソロリ・・・ソロソロ、慎重に歩くと言うより横滑りで距離を稼いだ。

 ようやく県道に降りられると思った勇二は、「ようやっとやな、まさかケンは黄昏貯水池に入っとらんやろな…。」直立した勇二は、遠目で黄昏貯水池を観ていた。

「ん?」眼を擦る。

「まさか・・・?。」

「ほんまか!」

 勇二の傍らでヒグラシが鳴きヒグラシの亡き声が勇二の心を包んでいた。

おだいしの裏山山道に降りた処には兵庫の幅員六mの県道が横たわっていて時折十トン以上のダンプが地響きを立てて通り過ぎる以外はキリギリスの鳴き声も聴こえる割と静かな県道だった。

 県道の東側には蒼黒い黄昏貯水池が満々と天王谷川と石井川の冷水を湛えていた。

  生き生きとした勇二の眼には、青春時代に寝食を共にした戦友の三人の姿が萌えていた。

「貞夫、新之助、道男!生きとったんか!?」両手を差し出し前へ行こうとしたが、県道に着地するまでは、あと3mは降りなければならず足許を見ると、雑草が枯れて土が禿げた状態になり所々大きな山の石が階段状に剥き出しになっていて、「急斜面やのう、ちょっと待ってくれな。」そう言いながら石を一個づつ確実に降りて行った。

「勇二やないか?」

「生きて帰ってきたようやな勇二?」

「 もう一回大和を護衛したくてなあ・・・あっちや、行こか?」黄昏貯水池の北方面を指差し、勇二に一緒に行く事を促した。

 ニコニコと、勇二に語り掛ける衣川貞夫は、戦艦大和の護衛機に搭乗していた。

 

 広島呉港。

その日は確かに出撃した。任務は大和の護衛だった。

右横を観ると新之助の搭乗したゼロ戦が大空を飛んでいた。

日本列島を観るのもこれが最後かも知れない。

 やがて護衛機は鹿児島沖へ差し掛かると阿蘇山方面へ旋回し大和の乗組員に手を振り本土へ戻って行った。

 燃料不足のため戦う前に帰還せざるを得なかったからだ。

思い出は、勇二の記憶だ。ゼロ戦戦闘記では記憶の容量は、ほぼ満杯だった。

 貞夫と新之助が案内したゼロエアポートは、無傷のゼロ戦が眠っていた。

「ゼロは飛ばせるのか新之助?」

「おおっと!アカン!イカにゃあ!」勇二はケンを尾行するのを思い出したものだから慌てていた。

「ホナ、又来るわ。」ササッと県道を南へ向かい改めてケンを追い駆けた。刹那、ドボーン! 大きな水の音がして勇二はフェンス越しに貯水池を振り向きマジマジと金網フェンスの解れを睨み、「牛ガエルか・・・。」

  腕組みをして暫く考えた後で、「どうもあそこから入ったらしいがなケンのやつ・・・しばいたろか。」

 貯水池の外周を鉄製の金網フェンスを巻いていたが、立ち入り禁止の看板の直ぐ下のフェンスは、綻びが酷く大人一人がやっと通れる穴が開いていた。

 あれほど貯水池に入るなと言ったのにと思う勇二は、握り拳を作りワナワナと手を震わせていた。

 多分クワガタでも採りにに入ったのだろう・・・。

しかし、それ以降の気配やあそこから入って行った形跡が無く推定だけで山中や貯水池を散策するのは、危険を伴う。

 所々熊笹の生えている湿地帯はまだ成長途上の蔓植物や熊笹が生えていて西風がそれを舐めると地面が見え隠れするほどの密度だった。

 先ず勇二は、ケンの帰宅を待ち、おだいしでの報告を聞いてから動くことにした。

 あそこに行けば何時でも戦友に逢える、だから頻繁に訪れて色々と昔の事を話しをしよう・・・。

「それにしてもケンのやつ速いな。」

「チビやと思っていたらアッと言う間に成長しおって・・・。」

「ほうー。しんど・・・。」

 

  一方ケンの状況は・・・。

 ケンは、無我夢中でおだいしの頂上を目指して登っていた。

途中、怪しげな大人とスレ違い様、顔と目を伏せ彼らを観ないようにした。

 あの言葉を思い出して・・・。

「あのなケン オマエは柿やったんや庭に柿の木があるじゃろ? あの木に旨そうに生っておったんや。ケンがな?・・・父ちゃんと母ちゃんにゃ内緒やぞ?」誰が言うかいアホらしい。

ビールに酔っ払った爺ちゃんの突っ込み処だらけの詰まらない冗談に憤りを禁じ得ず腹の底から沸き上がる眉根を寄せて「ハア?」と言う挑戦的な感情を生み育てていた。

やっとの事で小さいケンがおだいしの頂上へたどり着いたのは、午後二時半を過ぎて三時のおやつの時間に近付いていた。

爺ちゃんが言う通りおだいしの頂上には小さな祠がこじんまりと佇んでいて、その欄間の上には福寿院と書いてあった。

祠の裏には子供のケンが1人通れる位の巾の山道があって、クヌギの老木が山道の左右両端にたち裏山への入り口の演出をしていた。

夏の七月の昼下がりらしく樹液を垂れ流し、ゴマダラカミキリムシとカナブンが樹液に群がって小競り合いをしていた。

 ケンは、腰を屈めてその戦いに参加することのない様に幽霊みたいに通り抜けた。その直ぐ後でクヌギの根元からゴソゴソと堆肥を掻き分けカブトムシが樹液を食べに出て来た。

裏山の山道は狭く、露出している大きな石がゴツゴツしていて、所々昨日の大型台風16号の爪跡が、リアルにアクティブに、この山道に影響していたがケンは、身体を横向きにしたり斜め歩きをしたりと山道が激しく崩れて断崖絶壁に直角に崩れているところをそうやって危険回避しながらようやく地上へ降り切った。

 眼の前が明るく、やっと両手を広げられる空間に出た。

しかしなんとそこは向き出しの山肌が急角度で約3mの高低差があり、良く見ると岩石の一部が露出して階段状になっていた。

 目の前に幅員六メートルの県道に接しているおだいしのうら登山道口だった。

 ケンは恐る恐る岩石に足を掛け降りて行ったが、オニヤンマに追い越された拍子に足を踏み外し、ズルズルズデーーン! イテテテ、尻から滑って尻餅を付いた所で県道と貯水池がバリアフリーになった。

 尻餅を付いたまま眼の前を見ると、小学校に上がる前に父ちゃんと来た見覚えのある懐かしい黄昏貯水池が満々と青黒い水を湛えて横たわっていた。尻を摩りながら立ち上がるケンはさっきのオニヤンマを探していたがもうここには居なかった。

 雄大な琵琶湖の形に似た貯水池は水面すれすれに小鳥の囀りが交差する長閑な水面に嘗ての鬩ぎ合いが嘘の様に水平に均されていた。


小さな琵琶湖みたいな黄昏貯水池の全周には、熊野小学校のフェンスの様な金網フェンスがぐるーりと、設えてあったが、その上の有刺鉄線下の立ち入り禁止看板のフェンスが垂直に綻んで子供1人位の孔が開いていた。

「ラッキー!」ニヤニヤしながら左足から侵入し、両肩を入れ最後に右足を追っ付けてマンマと侵入した。

 暫くは両手を腰に添えて父ちゃんみたいに立っていたがケンは、ここの王様になった様な感情に支配されていた。

  フェンスの中へ入り、直接貯水池を見ると手強い水の恐怖が否めなかった。

「水を嘗めたらあかんぞケン?」脳裏に過った父ちゃんの言葉にコクリと頷くケンは、自然と生えている蔓植物の大きな葉をヒラヒラさせている様を見つめ、葉の裏側に瑠璃色の小さな虫が留まっているのを見つけ更にその延長方向のクヌギの小枝にノコギリクワガタの番いが留まっているのにも気付かず、 赤い小さな蛇イチゴをひとつもいで口にいれたら甘酸っぱい薫りが口腔内に広がって裕福な気持ちになった。

 満々と蒼黒く湛えられた貯水池の方へ眼をやると水辺の手前のくぬぎの老木にノコギリクワガタの番いが留まっていた!

 「クワガタだよ! スイギュウだよ!」心の中で爺ちゃんと躍り狂ってハイタッチまでしていた。

 ケンの中の爺ちゃんはいつまでも元気だった。

上気したケンは、ケンより背の高い蔓植物を掻き分け掻き分け、くぬぎの老木の方へケンの背丈まである蔓植物の葉に顎を上げて目線は30度上にやり地面を見ないでズンズンと進んだ。

 元々大きな熊笹の葉の為に足下は見えなかったがケンはスイギュウ採集の為に俄然と脚が出ていた。

 くぬぎの老木の幹を手で触れられる距離まで近付いた時、チチチッ!老木の根本からアブラゼミが飛んだ!遠くからキリギリスとヒグラシの鳴き声が同時に聴こえて噎せ返るような緑の熱と真夏の日差しの反射がジリジリとケンの首筋を焦がしていた。

 まだ明るいしまだ昼ぐらいだろうと持久戦の覚悟をして、クワガタに挑む気持ちをケンは持った。

 湿った土の匂いが上がってきて鼻から抜けて行く。

 時々ダンプが地響きを立てて通りすぎる度にスイギュウの細く長い脚がピクリと動いたからケンは焦る気持ちに火が点きくぬぎの幹まで最後の左足の一歩を大股で出した刹那、ザッ! ドボーン!

 女郎蜘蛛の巣が顔にへばり付き一斉にツチガエルが驚いて水に飛び込む! ああーッと口が開いたまま水に落ちたからケンは強か黄昏貯水池の水を飲んでしまった!陸と水との鬩ぎ合いに生えるくぬぎの根本には、大型台風六号により陸が貯水池の水に浸食され大陸棚の縮小版が形成されていたからケンの身長では脚が届かなかった。

 ツチガエルよりも驚いたのは、ケンの方で突然の仕打ちに泣きそうな気持ちになって、先程までスイギュウに勇敢な気持ちを持ち合わせていたが、水中に堕ちた刹那に円きり何処かへ消し飛んでしまった!

 気分が萎えていた。

貯水池に墜ちた拍子にくぬぎの太い根っこがあちこち露出していて小学校の鉄棒の様な太さだったから抵抗なくそれを掴めた。

 九死に一生を得たケンに陸へ上がる術はなかったが、浮力があったので鉄棒のようなくぬぎの根本をしっかり持ち手が外れないようにギリギリと握力を掛けていたが、夏の灼熱が顔を照らし首から下は冷蔵庫に入っている様に爪先から腰まで冷え切ってジンジンと痺れていた。

 東から昇り正午に南上へ位置する太陽が時を刻むに連れ西へ傾き、ケンの首筋を焼いていた陽射しも長い影になっていた。

 キリギリスと蝉の声はもう聴こえず、アメンボが、呑気に水に浮かびスイスイとケンの顔を見ながら横切って行った。

 ケンが貯水池の水を飲まないように思い切り口を上向きにしてクヌギのてっぺんを見ていたら西日にキラキラと輝くトンボの様な影があるのを見た。

 刹那、遠くで魚の跳ねる音がして、「遊ぼう、ここだよ。」頭の中で誰かの声がした! 「えツどこ?今は、遊べないよ!」無意識に応答をしていた。 

水面から顔を出している熊笹にオニヤンマが留まった。

 すると熊の様に太く元気な笹が、茶色く枯れはてボロボロと、崩れ落ちてしまった!神がかった光景をケンは息を呑んで観ていたが、「水辺の鬼ヤンマは、生き神さんやからケンはそれを見つけても手出しはせん方がええわいのう魂を抜き取られて死ぬるぞ?」昨日の爺ちゃんの声を思い出していたケンだが、手を出すにも両手が塞がっていたから手出しはできなかった。

 それに早くこの事態から脱け出たいと肩から下の体幹や両脚は、ジタバタと、足掻きケンを抱き込む貯水池の水に抗っていた。

 枯れた熊笹の上で緑色の大きな複眼がケンを観ながら頭を傾げた時!ムニュ!生まれて初めての感触がケンを襲った!左右の足首が誰かに掴まれている!人の手では無い事は一瞬で分ったが、貯水池の冷水で体温を奪われ足首のそれは、冷たいのか、温いのか分らなかった!生きていない者に掴まれている事は理解していた。 

 グイグイグイ!と引っ張るベクトルの先には、黄昏村々長の家で切り妻屋根の棟瓦が有るところだとケンは知らなかった。

 「遊ぼうここだよ?」今度は耳許の後ろで吐息が掛かる距離だった!

 戦慄の貯水池に居る事事態、信じられなかった。

今度は何処を掴まれるんだろうと、恐怖が先走り渦巻いた刹那、ザッバーン!

 水面が隆起し激しく揺らいだ!ウワッ死ぬ爺ちゃん助けて!「なんちゅう水遊びなのキミ?」

 人の声に安心したのか股間から暖かいモノが流れ出るのが分かった。

 両目を腫らして熱い嗚咽が迸った!「変わった遊びをするのねキミ泣いてる?」そう言って酸素マスクを後ろへ外し背中まである黒髪は半分程度、貯水池の中に泳いでいた。

「唇が紫色だねキミ?ちょっと待って。」彼女は、ケンの左横にまわりくぬぎの太い根っこを鉄棒の逆上がりでもするかの様に両手で掴んでいち、にのさん!で、反逆上がりの要領で反動を付け両手で身体を支え水面まで腰を上げて背中に重そうな小型の酸素ボンベと共に水面から陸へ上がった。

 ボタボタと水滴を垂らしたままケンに右手を差し出しケンの左手首を掴み「アタシの手首を掴んでごらんキミ?」 ケンが彼女の手首を掴んだ事を確認したらケンの左手首を交互で掴むと身体をのけ反らして両足を踏ん張り、「んんーククッ!」歯を食い縛って両手で力一杯引き上げた!ジャバッ!ぶるるッ左右の手を突き四つん這いで項垂れ暫く土を眺めていた。

 ケンの頭が混乱していたからだ。 

 目の焦点が合わず巣穴に出入りしているクロヤマアリの姿が二重にブレたままクロヤマアリが巣穴へ帰って行く。

 ケンの頭から水滴が滴り落ちアリの巣穴へ入った。

 数匹の兵隊アリが、勇ましく巣穴から応戦に出たところで、「ああーっ!」深呼吸を断続的にして「助けてくれてありがとう。曲がり角犬と書いて曲がり角ケンです10歳です。四年生です。」地面を両手で突き背中を支え凭れさせて黄昏貯水池の池畔に足を長々と伸ばし対岸を観ていた彼女がケンの方へ振向きざま、「キミ、溺れてたの!?」マジマジとケンの横顔を見ながら驚いた様子で、「アタシは衣川華牝子(キヌガワケメコ)十五歳、キミより5歳上ネ、アタシは潜水士を目指してるの。びしょびしょね風邪引かない内に帰ろうか、もう一人で水遊びしたらダメだよケンくん?」

 貯水池が上がってよく見ると、その池畔は熊笹が生い茂っていて足許がよく見えずというものでは無かった。

 ケンが今両手を突き四つん這いで居る処は水平で自宅の6帖間の様な広さがあり熊笹も間引かれて所々にしか生えていなかった。

「なんで落ちたんだろ?」錯覚かも知れない。

 ケンは、そう思う事にした。

 命の恩人の彼女は、樹脂の潜水スーツを纏い西日に胸の脹らみが眩しく、女の人を強調していたが、股間の脹らみは、見馴れた光景だった。


「ケメコか、変な名前。」元来た山へ引き返さず。濡れたティーシャツを脱いでパンパンパン!と叩き瞳がブルーな死神の婆さんが居ないか、鬼ヤンマの様な生き神さんが居ないか、上下左右を見て再び着る。

 暫くして五メートルをスキップしては十五メートルを歩き、十五メートルを歩いては五メートルをスキップをした。

 それを二十一回繰り返して家に辿り着いた。

 昭和四十六年、一学期の中頃に初恋という漢字を習ったばかりのケンだった。

 「あっオニヤンマ!捕れるケンくん?」

「ムリ、魂を吸い取られるもの。」

「ムリって勝手に決めないでよ。」

「二人で協力し合えば可能だと、思うよ?仲良くネ?」その言葉と白い歯が印象深かった。

「月に一回潜水士のトレーニングで、貯水池に潜ってるから。」「そうね、あそこの水道局のところネ?」

毎月五日に潜水士の訓練に来るケメコは、溌剌とした高校生だったが、彼女の想いは黄昏貯水池にあるとケンは薄々感じていた。

 ケンのシックスセンスだった。

それにしても「遊ぼう。」頭の中や耳許のあれは誰だったのかケンの同級生の女子を思い浮かべて「遊ぼう。」という声色を照らし合わせたが、全く心当たりがなかった。

 夜にお父ちゃんが帰ってきて、貯水池へ入った事でしこたま怒られ灸をされたが、爺ちゃんには「ケンは悪いことするさかい灸を据えられるんじゃ。」と、仁王立ちをし、両腕を組み上から目線で勝ち誇った様に言われた。

「一人で行けと言ったくせに。」と釈明したが爺ちゃんと、父ちゃんはお構いなしだった。

 父ちゃんに背中を抑え付けられながら婆ちゃんの方を無意識に観たケンは泣かなかった。

 婆ちゃんは、婆ちゃんが止めるのも聴かずにケンは自宅を出てしまった事で、残念に思っているのか、二畳間で正座をして小首を傾げながら目を瞑っていた。

 「もうお兄ちゃんになったんやね?」お母ちゃんに優しく誉められたようなケンの感想を言われた様な中途半端な言い方をされても照れるでもなく一点を見つめ何かを思い詰めていた。

「月に一回?」

「月に一回って、なんのこと母ちゃん?」

「藪から棒に何を言うてんねん記念物この子は?」

「今は、七月だから月に一回学校の草刈りがあると言う事よ、たとえば、月に一回草刈がある。と使うのよケン?」暫くきょとんとした顔でお母ちゃんを見上げていたが、やがてケンの表情に光が射してニコやかに「分った、月に一回!月に一回!ヤッホー!」

「なんじゃこりゃあ?」狭い家中躍り狂って爺ちゃんにハイタッチを求めた刹那、下顎の白髭をバチン!と叩いたから驚いた爺ちゃんが、ドスン!と尻餅をついた。

 お父ちゃんに怒られそうなので「ゴメン爺ちゃん?」と、侘びながらケンの脳裏には、ケメコの事で飽和状態になっていたから頭から溢れたケメコをかき集め「ケメちゃん、ケメ姉ちゃん?」と、呼び方の練習をしていた。


「この貯水池にはネ、昔村があったの・・・黄昏村と言う村ネ? そこの村長の衣川宅造(きぬがわたくぞう)という人が私のヒイ爺さんで、孫の衣川さよりの骨が沈んでるの。

つまり殺された私の叔母さんのね?」

「だから私は潜水士になって骨を拾って供養したいの。」この話しも衝撃的で、爺ちゃんが昨日言っていた黄昏村の殺人事件と同じ様な内容だった。

 「衣川さよりです。」ケンの眼前から切れ長の細い一重瞼の目尻の少し上がっているエスニックな顔立ちのお下げ頭の白いブラウスと、赤いチェック柄スカートの白目部分が黒い日本人形の様な女の子が「衣川さよりです。」と、言いつつズブズブと固い山道の土の中へ沈み込んで行った!が、彼女には輪郭がぼやけて明確に人の顔を認識出来なかったばかりか、夢の中では、誰かが足首を掴んで身動き出来ず、金縛り状態で、怖くて「ケン朝やぞ遅れるぞ?」声を出せなかったが、お父ちゃんの声でパチリと目覚め、筋緊張も解けて全身に血液が回り目覚めの一瞬で魔法が解けた様な身が軽くなり、気分も最悪から普通の状態に戻っていた。

 「衣川ってケメコやん。」黄昏貯水池の彼女とダブらせていた。

 枕元には灰色の淀んだ空気が嫌気に溜まっている様だったが、今日は一学期の終業式で、明日から夏休みだ。

 ケンは喜びながらも昨夜の夢が何だったのか、混沌とした脳裏に白い霧が立ち込めていた。

  ケンが学校から帰ると、浮かぬ顔をした婆ちゃんと母ちゃんが、「まさか・・・、女の人は居らんわねえ・・・。」とヒソヒソ話しをしていた。

 理由を聞くと、爺ちゃんが毎日イソイソと、山の方へ行くのだそうだ・・・。

「まさか、僕に内緒でクワガタの採れる木を見つけたんでは?」ケンの考えは、そこまでだった。

  爺ちゃんはあからさまに昼のひなかにおだいしへ出掛けて行く…。

 今日で4日目だ。

「爺さんの後ろにコソッと、へばりついて追跡調査してきてね。」


「ケン成果報酬は、肉マン一個上げるわ?」


「バカにしとんのか?」と、思いながらも母ちゃんの交換条件を二つ返事で呑んでいた。

「ケンは大丈夫だった、勇二さん?」


「ああ、まあな・・・。」

生返事の連発だった。

 ケンを尾行し、家に帰ってからというもの勇二は、何処か上の空で福代との会話さえも片手間だということを否めなかった。

「んんー」腕を組みながら両手を頭上へ置き、斜め上を向いたまま考え事をして、思い立った様にそそくさと自宅を後にした。。


  爺ちゃんは年寄りの癖に脚が速かった。

これも海軍の英才教育を受けてゼロ戦で、撃墜王と呼ばれるほどの鍛え方は、尋常では無い事の証だろう。

 未だに爺ちゃんは、自前の頑丈な歯並びをしている。

しかも頭の天辺は、フサフサしている。

 白髪だが自前の頭髪だ。

 早速おだいしの麓に存在している防空壕の大岩石が、半分開いていたのを暫く腕組みしながら腰を屈めたり大岩石に手を突いて中を覗き込んだり防空壕の入口で片足だけ入れたり出したり防空壕へ入るのか入らないのか思わせ振りにパフォーマンスを続けていたが、それに飽きたのか、スタスタと背筋をピン!と伸ばして頂上方向へ行ってしまった。

 ケンは、尾行しようか尾行しないか俊巡していたが、爺ちゃんの後を就けていた。

 爺ちゃんはしっかりとした足取りでジグザグに山道をヤンチャな子供の様に登って行きケンにも追いつくには懸命に小走りで付いて行くしかなかったが、ただ足腰だけは、酒の飲み過ぎでヨタヨタする時もあった。

 爺ちゃんは、おだいしの頂上へ行く様だ…。

クワガタの留まる木を知っていたらどうしよう…?爺ちゃんと仲良くして分けて貰おう!色々考えながら尾行していたら、真っ直ぐおだいしの頂上への山道を選んで歩いて行ってしまった。

 おだいしの山道は草木が生い茂って老人一人が登れるわけないさと高を括っていたらズンズンと草むらの中へ入ってしまったから大分行き馴れていること位、中学三年生のケンでも分かるくらい判然としていた。

もう老人だというのに足取りはケンの体育の先生の様に逞しかった。

 爺ちゃんは忍者の様に木から木へ飛ぶような速さでおだいしの裏山山道を降りて行った。

おだいしを降り切って県道に立った爺ちゃんは、両手を挙げてブルンブルン回し出した。

 そして北方面へ歩いて行く・・・手を振り足を出し順調な足取りだった。

 琵琶湖に似ている黄昏貯水池の先細りになっている北側の天王谷川や石井川が流れる河口のある処まで歩いたら左側に十メートルは、有るだろう小高い高台にいきなり登って行った!、そこには人が二人ぐらい並んで昇降出来るくらいの巾のある石段が存在してタッタッタッと爺ちゃんは、小気味良く駆け足で上がっていった。

 その高台は、法面に野生の蔓植物が生えていてその角度は安息角を形成していた。

 ここいらのキリギリスは、刹那的で、切羽詰まった、

 もう後が無い!と、そういう感じでおだいしのキリギリスよりも元気が良かった。

 高台の天辺は水平に均してあって縦横、百メートルの約三千坪は、ある広さで、百メートルの滑走路が出来上がっていた。

 滑走路の半分まで飛行機が走ると上空までせり上がり勾配が地面よりも90度の角度になっていた。

 丸で飛行機が大気圏よりも成層圏、成層圏よりも外気圏まで出るのか?人工衛星でも打ち上げるのか・・・。

 そんな高さと角度があるフィジカルな滑走路が、出来ていた。

「ゼロ、戦?」間違いない!ケンは小学生の頃おだいしの麓で大空を戦闘機のエンジン音も高らかにアクロバット飛行をするゼロ戦を何度か見たことがある!「ここのゼロ戦だったんか・・・。」ケンは生唾を呑み込み茫然と観ていた。

「心配ないよ、爺ちゃんは。」不安げな面持ちの婆ちゃんに明るく言って安心させるつもりだったケンは「マジで心配いらないな・・・。」と、胸を撫で下ろした

 ケンは爺ちゃんが心配であまり元気がなかったが・・・。

「コマが回らんぞ新之助、整備しとってくれ?」そういう爺ちゃんは少し窶れた感がするのは気のせいだろうか?滑走路に三人居て、明らかに二人は生きて居ないひとだった。

 生きていたら瞳が日光や外から光を受けたらキラキラと反射するのに眼窩の窪みが永久に暗闇だった・・・。

 

 爺ちゃんは、特攻隊チームのリーダーだった。

 特攻も最初は、百%近くの命中率だったが、アメリカに研鑽の機会を与えてしまい、ゼロ戦の性能を見破られて敵艦に当たる前に艦砲射撃で撃墜されていく中、特攻隊の威力、成果は横這いから右下がりになっていたためチームを編成し攻撃機から射撃の援護をもらいながら敵艦に突っ込んで行く戦法を取っていた。

 ムササビ攻撃という両翼から勇二、新之助が!前後の攻撃機が入れ替わり立ち代り交互にロケット弾を放ち艦砲射撃を撹乱させる事態を狙った! この作戦は見事的中!成功と引き換えに新之助の若い命を犠牲にした。

 突撃命令を出せるほど勇二は、非情のライセンスを持っていた。



「爺ちゃん!」

 心配のあまり、一歩前へ出て思わず声を大にしたケン!

「誰やオマエは!」

 迷彩服を着ていた男が怒鳴った! 

ケンはたじろいで一歩下がったが、勇気を出し「爺ちゃん帰ろう?」勇二は男の肩を優しく叩き

「マアマア権太、大本営とは違うしな。」

「ワシの孫が迎えに来てくれたんや心配ない。」

「分ったケン、帰るわ。」

 迷彩服の男は何もなかった様にゼロ戦のプロペラを点検していた。

「一緒に帰ったら婆さんがケンを心配しよるから別々で帰ったほうがええ。」

「ケンは先に帰っとけ。」

「この二人と話しが積もっとるんや。」

渋々頷いた不安げなケンは謎の滑走路を後にした。

 だが、「ケン?」

「ちょっと話しがあって来たんやろ?」

「話しをしてみろ?」謎の高台の石段を降りながら追い駆けてきた爺ちゃんが優しく事情を聴いてくれたからケンは、不完全燃焼にならずに済んだ。

 しかし話しの核心へ行くには遠回りをしないとダメなケンは中々、話しの核心を突けず、「うん。」

「爺ちゃんこの貯水池は、いつ出来たの?」

「そやな・・・。」

「確かワシが三十二歳の時やから明治・・・、えーと、三十八年やな。」

「今から五十年と、ちょっとくらい前の話しやな。」

「さっきの滑走路は・・・?」

「昭和十七年に出来る筈やったのに、せやけどケンおまえ、さっきから質問ばかりやのう宿題に出たんか?」

「さっきのオッサンは大丈夫や。」

「気にせんでええぞ?」

「あれは衣川権太ゆうんや。」

「衣川の村長の次男坊や。」

「そやからちょっとケンカ早いが、気はええやつじゃ?」

「へえ…ゼロ戦触れる人なの、爺ちゃん?」

「スゴイ人だね?」

「・・・爺ちゃん・・・?」

「…お、なんやケンションベンか?」立続けにベラベラと喋る勇二を見て聴いていたが、指をもじもじしながらケンが思い切って問いかけた。

「戦争に行ってアメリカの事は憎いと思ってるの、負けたけど?」学校で習った戦争の事は、何だか他人事のようだった。

 だからケンは、戦争の当事者になった爺ちゃんに一度聞いてみたかった。

「なんやオマエ。」

「さっきから変やぞ。」

「何かあったんか?」

「ううん、本心を聞いて見ようと思って…。」

「戦争って、どう思う?」

「それは・・・。」しばらく考えた勇二は吐き捨てた。

「なんとも言えんな。」

 マジマジと見るケン。

「あの滑走路を見たやろ?」

「アレは宇宙空間に飛び出せるように作られた滑走路や・・・。」「分からんけど。」分からんのか・・・。

 ケンは未だ小学5年生だった。SFにも興味はあったから尻すぼみになった爺ちゃんのカミングアウトに残念な気持ちを持っていた。


「ただ、戦争が終わって喜ぶ人はなあ・・・。」

「居るけど戦争をやって良かったとはなあ・・・。」

「誰も思わんやろうな・・・。」

 下顎の白い髭を指で伸ばしながら前を向き歩いていた。

「爺ちゃんは、戦争反対?」ケンをチラ見したが何も言わなかった。

「ゼロ戦に乗ったのに?」食い下がるケンは確信が聴きたかった。

「そうやなあ・・・。」斜めに天を見上げる勇二は一人ひとりの戦友の顔を思い出しながら歩いていたかもしれないし、戦いの中、戦争を賛成でなければ戦地に立つも戦っていなかったかもしれなかった。

 ケンは過ぎった思いを流していた。

「あの作戦がな・・・。」勇二は、ひとつひとつ思い出しながらケンに分り易く優しく丁寧に説明していた。

「インパール作戦は失敗の惨敗やった。」

 ケンの質問と明らかに的外れな答えだったが、ケンは戦争の是非を聴きたくて勇二のワールドに嵌まり中々脱け出せないでいた。

「インパールって?」五年生の教科書では知ることの出来ない出来事がこの日本には起こっていたのか・・・。

「インパール作戦て、なに爺ちゃん?」教科書よりも確かな情報は、戦争体験者に直接聞いた方が早い気がしていた。

「ケン、歴史も地理も勉強せいよ?」一瞬現実に引き戻されたケンは、勇二とケンの間に隙間風を感じていた。

「 インドのな、北東部の都市やがな?」

「あそこから中国の補給路を断とうとしたんやな・・・大本営は諦め切れなんだんや・・・。」

「ケンは、まだ分からんわな…。]

「全然分らん。」即答していた。

「そやけど戦死者が仰山でたんや。」

「戦ってへんのにな・・・。」

「なんで?」勇二の方へ向いたケンはもう身長が伸びて勇二の胸の辺りまで到達する勢いだったが精神面は中々、子供のままで留まっていた。

「うん・・・。」

「餓えと蒸し暑さから病気になりよってな。」

「可哀想に仰山死によったんや。」

「戦死者の殆どは。」

「ふぅーっ・・・。」首をフリフリ、苦し紛れに呟く様にケンに教えていた。

「餓死と病死やわい。」

「あの当時のワシは。」

「必死やったさかいな。」

「賛成も反対も無いワイ。」眼の前の日本人でない武器を持った奴を倒していかにゃあこっちがヤラレル!」ダダダダ!ダン!イキナリ銃声の真似をした勇二は気は確かだった。

「死に物狂いやった! 」

「前も後ろも何にも見えへんかった。」野性の顔をしていた勇二は今にも身軽にタッタッタッ! と、走りそうで、「今やったらこれだけは、言える。」

「あの当時の日本は、愚かやった!」

「人の命を軽んじとった!」

「あんな大掛かりな、ホンマに・・・。」

「作戦を立てるんならもっともっと綿密に立てないかん!」

「作戦が杜撰やったわい。」


 一度ケンの方を向いたが直ぐに天を仰ぎ、こう言い始めた爺ちゃんは「なんで戦争になったか分かっとるんか、ケン?」


「全然分からん!ウ、」 ウルトラマンの事なら分ると言いかけて、止めた・・・。

 緊張していた。勇二とケンは見え隠れする真実に緊迫していた。


「それはなあ・・・。」爺ちゃんは一から話すのかと、いう風に溜息交じりで話し始めた。

「引き金はドイツが引いたように思うんや。」

「そやけどアメリカで世界恐慌が起こってな。」

「ヒトラーと、ムッソリーニっちゅう独裁者がおったからや。」

「大人には色々あるねん・・・。」如何にもケンの言いかけた事が分っているという風にケンを観ながら微笑を崩さず優しく言った。

「ワシと眼の高さが一緒やの・・・。」口には出さなかったが、勇二は孫の成長を眩しく見ていた。

「アメリカのルーズベルトはな。」

「ブロック経済やらニューディール政策ちゅうのしたんや。」

「簡単に言ったらグローバルな鎖国や。」

「ケン?内需拡大やな・・・。」

 バタバタバタ! と、戦闘機のエンジン音が聴こえていた。

「そやけどアメリカ以外の国はな。」

「アメリカに輸出も出来なかったんや。」

「そやから外貨が入らんでなあ。」

「窮屈になるし・・・。」

ブォオーン! 謎の滑走路からゼロ戦が飛び立って大空を見上げた爺ちゃんは、ニコニコしながらそれを見上げ続けて片手を挙げ振りながらこう話してくれた。

「そやから日本が真珠湾を奇襲してくれたから。」

「軍需拡大ができたんや。」

「それで、アメリカは世界恐慌から抜け出せたんや。」

「ニッポンさま様やぞ?」

「エエ時に国連を脱退したもんやから飛んで火に入る夏の虫ちゅう訳や。」

「難しいよ爺ちゃん。」そうかそうか、と言いながらケンの頭を撫でて、「小さい島国の黄色いサルどもが、生意気にも喧嘩売って来たから、後から津波の様に経済大国復活の儀式をしたんやな・・・。」

「へえー。」

「なんか爺ちゃん・・・。」

「政治家みたいじゃん?」ケンにはお経にしか聴こえなかったから、この場を和ませようとした。

「アホか茶化すなケン!」滑走路から県道への階段を下りながら、最後の一段を降り切りやがて県道に降り立った二人は、右手におだいしの裏山、左手に黄昏貯水池の金網フェンスというスタンスで県道を南に向いて歩き出し二人の戦争談義はまだまだ続いていた。


「元々昔に日本が中国にエライ酷いことしたからなあ。」

「どんなエロい事?」

「エロいちゃうわい。」

「満州に新しい国の満州国を作る。」

「ニッポンの属国を作る言うて中国に悪辣なことしよったからなあ。」

「知っとうやろ満州事変?」

 「満州事変はな…。」極秘の滑走路を後にして、黄昏貯水池方面へ歩みを向けるケンと勇二はしみじみと二人向き合って想いを打ち明ける事に躊躇いは無かった。

「新しい国を創る訳では無かったんや!」大日本帝国の真実を憶測で語り出した勇二はいつになく饒舌だった。

「世界を征服するために作られる予定やったんや!」

「えっ、なんで?世界なんてアメリカが牛耳ってるよ?」

勇二の顔をマジマジと見るケン

「魔法の石、レアメタルが中国の満州にあったらどうする?」

「石油みたいに値段を決められて取引せにゃああかんねんぞ?」

「いっそのこと手元にあった方が世界各国に対して有利に政治が出来るんやぞケン?」

 ケンは言葉を飲み込んだ。

・・・。

「欲張って領土を広げ過ぎたわい。」

「ドイツと軍事同盟組むしやな・・・。」指を折りながらケンに言い聞かせるように語っていた。

「真珠湾に奇襲するしやな。」折った指を見てケンを見る。

「アホな事ばっかりしよったんや!」眉根を顰めケンを見詰めた。

「お陰でワシら戦争行かないかんようになってな。」

「戦地に駆り出された人が、半分以上死んだんとちゃうか?」

「ワシもこの戦争で・・・。」

「いや・・・、この貯水池。」と、言いかけた勇二は背筋を伸ばしてイキナリ黙った。

「ようけやり残した事あるしな…。」今度は弱弱しい音量で呟いていた。

「どんな事?」ケンは横を向いて歩いていたから大型ダンプの轍に捕まりこけそうになってすぐさま体勢を立て直していた。

爺ちゃんは「うん・・・。」と言ったきり無言を貫いていた。

 爺ちゃんのコメントにはアメリカは鬼畜米英だの極悪非道だのと、言うかと思い少々期待していたケンだった。

 しかし爺ちんのコメントは、至ってコンプライアンスを外さないコメントだった。

 まだまだ子供な考えのケンだったから戦闘や戦争のバシッ!ドン!ダダダダ!ドカーーン!等の擬音が性に合っていてそんなレベルの会話を期待していた。

 つまりケンは、小難しい授業の延長をやらされたようで爺ちゃんの言う事には、判然としないばかりか釈然としなかった。

「でも爺ちゃん?」

「アメリカに突っ込んだんでしょ?」

「憎いとか、怖いとか思わなかったの?」

「突っ込んでないけどな、そやけど・・・。」

「新聞記者みたいなやっちゃなオマエ?」

「ワシはこの日本で産まれたから。」

「この日本が好きやし・・・。」

「愛国心があったからな・・・。」

「ほんでも・・・。」言いかけた言葉をイキナリ止めた勇二の顔を見て歩いていたケンは、おっとととと! と、つんのめりながらでも「ほんでも?」と聞き返した。

「二度あることは三度あるアル。やぞケン?」

「ほんでもなケン?」ケンを見た! 次に前を向いた!

「空母エンタープライズの甲板に激突したゼロをアメリカ国旗で覆ってな、両翼も尾翼も胴体も・・・。」

「ほんでパイロットの亡骸をアメリカ国旗に包んで海に流して追悼してくれたんやぞ? 」

「ええっ!アメリカの敵なのに?」驚いたケンがマジに聞き返した。

「我がの命を捨てて国家に忠誠を尽くした日本人に敵も見方もあるかい。」ウウーン!と、唸って続きを語り出した勇二はいつになく清清しい面持ちになっていた。

「あいつらは一つの戦争を括りよったんや。」

「戦争の中の被害者として見ることが出来る国の人間なんやぞケン?」

「日本人の気持ちは小さいのう・・・。」

「その話しを聞いた時にワシは思ったんや。」

「小さい国の小さい気持ちを持った日本人は、この戦争に勝てん!」

「もっとユニバーサルに慣れにゃあ日本の未来は尻すぼみや。」

「豊かになってくれ!」握り拳を作り胸の高さに翳して、力一杯握り締めた勇二の両の拳はワナワナと震えていた。

「 平和になってくれ!」歯軋りをしていた。

「そういう思いでゼロ戦を飛ばしとったんや!」鼻の穴を拡げた勇二の鼻の穴に白い鼻毛が踊っていたのを発見したケンは、アレを抜きたい! という衝動に駆られていた。

「アメリカに何も思う事は、ないわい。」

「どこの国にも。」

「誰にも正義はあったし・・・。」

「それはそれでなケン。」チラッとケンを観て、視線を外した勇二はケンは、分ってくれたかな?と、ケンの顔を二度観していた。

「・・・正当防衛なんや。」

「ワシから言わしたらなケン?」

「それはそうと。」

「ケンは、何で滑走路に居たんや?」

「婆ちゃんが・・・。」言ったらイカン!と思いながら全部喋り尽くしたケンは、所詮肉まん一個で操られるケンだった。

「爺ちゃんの事をね。」

「毎日山へ行ってなかなか帰って来ないし。」

「それに! 窶れたようだし。」

「爺ちゃん?」

 爺ちゃんが握り拳を作ったのを観たケンは、慌てて付け加えた。

「どこか身体の具合が悪いのかと。」

「婆ちゃんと母ちゃんが心配したからね。」

「僕が勝手に爺ちゃんの後を付けて来たのさ?」

「帰ったら婆ちゃんを叱らないでね。」

「爺ちゃん?」

「そうかそうか。」薄目を開けてケンを見た勇二は悪巧みの顔をしていた。

「ふぅーん・・・。」

「分かった分かったケン」納得した様な素振りを見せ・・・。

「シオカラトンボか、真夏やな日射病で日本脳炎にならんように気をつけろ?」

 西日に晒された爺ちゃんは、哀愁漂う夏の爺ちゃんそのものだった。

 ケンと差しで話しが出来た勇二は、満足そうにケンが溺れた池畔に差し掛かった時、「そこは牛ガエルが居るぞ。」

「ドボーーン!てエライ大きな音を立てて水に飛び込んだからな。」

「そろそろ先に帰れケン?」池畔の方に人差し指を翳し家路の方へブンブン手を振りながら言われたケンは爺ちゃんより先に帰った。

 しかし、自宅へ帰り着いた勇二は、軍人の勇二が甦った様に「何が心配しとるや?」


「大きなお世話じゃ。」

「このドアホッ!」

 鬼ほど怒り散らしていた。

 取り憑かれているのか?ケンが帰宅した二時間後、爺ちゃんは、なに食わぬ顔で帰って来て何食わぬ顔で怒鳴り散らしていた。

 心持ち頬が痩けていたのはケンの見間違いかも知れない。

 黄昏貯水池の事を婆ちゃんと母ちゃんには黙っておく事にした。

 それにしても台風十六号が上陸した時、爺ちゃんがつけたテレビのプロレス中継がCMでサンダーバードの宣伝をしていたが、爺ちゃんは真剣に「アメリカはこんなもん作っとうさかい戦争も強い筈やわい。」

 たかが人形劇をリアルだと信じ切って本気で戦う事を誓って居たことを思い出して笑ってしまった事を正直に告白して、爺ちゃんに謝った。

 神妙に謝ったのは、黄昏貯水池の帰りに爺ちゃんが封印していた爺ちゃんの思いを腹を割って話しをしてくれたから・・・。

 ケンは大人の領域に足を踏み入れた事で、自分に正直になろうと決めたからだった・・・。

 爺ちゃんと 後の痩せた迷彩服の男達は、訝しげな表情を外さず爺ちゃんが、「子供の事やから堪忍してやれ権太?」と、爺ちゃんが助け船を出してくれたから何事もなく無事に家路に就いたその道中・・・。

「ワシはオニヤンマになって飛ばさにゃあいかんのよゼロを・・・。」

「レアメタルで起死回生のゼロ戦を飛ばす事は、ワシの義務や。」と言う勇二は、亡き息子に約束した事だった。

 遅い初産の長男の誕生は、北斗七星が光り輝く夏の夕刻の事だった。

「命名は、七雄や!」


「曲がり角七雄や!」勇二の初産は三十二才。

 明治末期の事だった。

 そして、七雄はスクスクと育って行った。

 七雄は子供ながら良くできた子供で、勉学に励み末は博士か大臣か!と、言うぐらいの家の手伝いや礼節を重んじる父親に従った。

 ある日七雄は梅雨が盛りの日に高い熱を出して寝込み、しまいに往診を依頼された医師は、勇二に「七雄くんは赤痢だね・・・今夜が山場だよ勇二さん?」

 明くる日が梅雨明けとなる筈だった。

「父ちゃん・・・。」

「なんか僕、フワフワとするわ。」

「トンボになって空を飛んでるみたいや…。」

「父ちゃんの飛行機で空を飛んでみたいな。」

「父ちゃんと一緒に空を飛んでみたい。」

「連れてって父ちゃん…。」それきり七雄は、二度と勇二に話し掛けず冷たく冷え固まって行った。

「七雄。」

「約束や!」

「お父ちゃんが大空に連れて行ったる!」

 勇二は、涙を拭わず、ハラハラと成り行きに任せて夜が明けるまで七雄を抱き寄せじっと・・・七雄を起こさない様に起こさ…な…い、様に・・・。

「オニヤンマになったんやな。いや、シオカラトンボかな・・・。」

「・・・七雄・・・。」

そして昭和十六年十二月八日勇二がオニヤンマになった!

「ワシを信じられんのかッ!」食卓を囲んだ曲がり角家は、母ちゃんも婆ちゃんも平謝りで、平身低頭とやらをリアルで見られたケンは別の意味で感動していた。

 爺ちゃんが「オニヤンマをモデルにゼロ戦を作ったら完全無欠になるぞ!」と、提案したからだ。

 みんな考えもつかなかった爺ちゃんの提案を暗闇の眼窩から涙を流して感涙に咽び泣いていたからだ。

「爺ちゃん衣川さよりって、死なないといけなかったの?」改めてケンの疑問を聞いて見たが爺ちゃんには明確な返答を聴き取れなかった。

「もう、遅かったんや!」勇二の腹から絞り出す断末魔の様に悔しさの入り混じった言葉を聴いたのはケンは初めてだった。

 おだいしの旧防空壕ではなく、衣川家が巻き込まれた殺人事件は衣川さより本人が瞳がブルーな死神の婆さんに知り合っていたら衣川さよりは死ななかった筈だし、大体おだいしの存在を知っていたら出会っていたかも知れない。

 明治時代の事らしいが、折角ケメコと知り合いになれたから何とかその物語の端っこにでも参加出来ない物かと考えながら真正面を睨み食卓の前に座っていた。 

 しかしケンはもう、その物語の中心に居ようとは、爺ちゃんも婆ちゃんもケメコも知る由もなかった事だし、当の本人はお気楽に構えていてそういう事には鈍感な少年だった。

 

 小学生活最後の夏休み前日の終業日に両手に抱えきれない宿題のプリント類や国語、算数、歴史や地理、理科のドリルが有り難くタダで配られたから、しょぼくれた状態で玄関土間に立つケンは中学生になる前でも宿題はあるのか・・・。

 夏休みどころではなくなりオマケに図工の宿題では、(家庭で役立つ工作)だった。

 何とも抽象的なカテゴリーの宿題は、タイトルさえ決めてくれたらスグに出来るのに。 

 本立て、小物入れ椅子、虫かご、灰皿と決まって、灰皿?「ビンゴ!」父ちゃんが毎日家で吸うハイライトは60本だ。

 大きなガラスの灰皿に捨ててはいるが、沢山吸うから吸い殻が山盛り状態だった。

  しかも煙が家中漂うので台所や六畳間や二畳間も壁の色が黄色くなって何処からともなくタバコの匂いが漂っていたから受動喫煙を強いられていたケンと芽衣子の肺腑に脂が溜まって不健康な児童はこの上ない! ならば吸い殻が灰皿の下に溜まる灰皿を作れば家庭の役に立つに違いない! ケンは宿題のドリルそっちのけで紙粘土をお母ちゃんに買ってもらい頑丈な灰皿の土台を作り始めた。

 直径十センチの円柱をそこに空き缶を嵌めるという斬新な手口で最後に灰皿を据え付ける台座を作った。

 灰皿の底には一円玉大の穴が空いている。

 その穴から火を消したタバコの吸い殻を空き缶へ落とす渾身の一作だった。

 結局ケメコに会えたのは夏休み中に一回きり、文字通り月に一回だった。

好きか嫌いか人生拮抗中の微妙な妹、芽衣子と口喧嘩したのは、延べ三十九回にも昇った。 

 二学期が始まり図工の宿題の品評会も終わって各々が作品を持ち帰った。

 ケンは、父ちゃんに渡すために忍者みたいにランドセルを揺らさず持ち帰った。

 「父ちゃんこれ。」発明家みたいに白い布切れが被せてあった。

 ケンは、大袈裟に布切れを素早く剥で「ジャジャジャ、ジャーン!」効果音まで用意したのに父ちゃんのリアクションは、うつ伏せで寝そべり鼻くそをほじりながら「なんやこれ?」首だけケンの方へ向けて聞いた。

「灰皿やん吸い殻が落ちるタイプやでお父ちゃん簡単に捨てられるで?」ふーんと気のない生返事を返して黙ったまま父ちゃんは、暫く寝そべりケンの灰皿を眺めていたが、「ケンが作ってくれたんか。」誰にともなく訊いたから無言でコクリと頷いた。

「ケンが作ってくれて嬉しいけどな。」

「これは使われへんわ。」余命を宣告された様な・・・、訝しげに「何で?」と訊いた。

 子供なら当然で、「せっかく作ったのに!」という思いがあるからだ。 

「やっぱり使われへんわ。」

「ケンが大人になったらわかるときが来るけどな、お嫁さんもらって、ケンみたいな可愛い子供が産まれたらな、ケン?」ケンにはサッパリ分らなかった。

 見えない未来を予測して将来はこうなるだろう、そう為らなければイケナイ的な事を語る大人の考えにはうんざりしていた。

 予測を立ててみても実際どうなるか分らない一寸先は闇だから現実の今を生きているケンにとって不安定な未来を推測して生きると言うことは永い永い間、距離と時間を掛けて辿り着く終着駅に無事に到着できるか分らない確信がないケンにとっては、何の説得力もなかった。

 この日から数ヵ月後、ケンの灰皿はハイライトの吸い殻の山の横に父ちゃんのハナクソが、ちょこんと座ってあった。


2章「衣川さより、マザーレイクとラヴステージ」

 

   臨月の晩は、外がザワザワと騒がしく、今年一番の嵐めいた晩だった。

 衣川さよりは貞夫と小夜子との間に産まれた。

 生年月日は明治2四年10月26日、彼女が産まれた時刻は秋雨前線が停滞し、線状降水帯を形成されて、県下でも大雨特別警戒警報が連日の様に発令されていた。

「石井川が増水しかけよるぞ村長!?」それを聴いてスッくと立ち上がった貞夫は「ワシも村長を助けて一人前の村長にならないかんからな、チョイと土嚢を積んでくる!家宝は供えて在るんか父ちゃん、ちっと辛抱せいよ小夜子?」こんな晩だった。 

「命を粗末にするな、貞夫?」貞夫の出掛けに権太が言った「俺も手伝うよサダにい?」そう言って二人はニコヤカに出て行った。

「貞夫居るんか?」玄関戸を開けて勇二が立っていた。

清酒の一升瓶をブラブラとさせて、墨入れ前の原酒が手に入ったから二人差し向かいで飲もうという提案があって来たのだと言う。卓三は幼馴染の勇二を子供の様に可愛がっていた。

 勇二が来たからには氾濫している石井川の川瀬でも危ないのに腕力のある勇二が一緒なら安心と、「貞夫は権太と石井川へ出かけたわい、こっち来て飲めや勇二?」と、酒盛りに誘ったが、「貞夫が危険の最中に飲んでられるかいなおっちゃんワシも手伝ってくる。」そう言って踵を返すなり降りしきる雨の中を小走りで出て行った。黄昏村は闇に包まれていた。月夜の晩なら未だしも秋雨前線の真下、石井川の川瀬は明かりが点かず、勇二の身体は闇夜に吸い込まれて、自分の指先も見えなかった。

 勇二は途中、黒く蠢く物体とすれ違った気がして歩みを止めた! それに反応して同時に停まった黒い物体に「何や、キツネか、タヌキか?誰やオマエ?」

「ゴンタ。」

「ゴホッゴホン!」掠れた声の主は権太だと言う事は直ぐに分かった。

 何故なら権太は生まれつき掠れ声だったからだ。

しかし、勇二は気にも留めず貞夫が居ると思われる石井川の川瀬に急いだ。

 勇二がたどり着く前に石井川の堤防が豪雨の為決壊し、貞夫は暗闇の中、石井川に堕ちた。

 そして濁流に呑まれ流され帰らぬ人となった・・・。

小夜子は、初産の逆児となった難産のさよりをやっと産み落としたが産後の日立ちが悪く病気がちで、さよりの3歳の日を待たずサナトリウムに消えて二度と帰って来なかった。


 宅造は、そんな不憫で、両親の居ない孫のさよりを亡き息子の貞夫をダブらせ、より一層可愛がって将来的には村を任せるつもりで育てていた。

 「さよ坊、今度の予算委員会に出席しなさい。」村長の業務命令で、さよりを村政に参加させた。

「おじいちゃん私、考えたんだけどね、石井川と天王谷川を塞き止めてダムから少しずつ水を流せば、川の氾濫は無くなるんじゃないの?」

長いアゴヒゲを撫でながら聴いていた宅造は、膝をポン!と叩き、思わず膝立ちをして「それやさよ坊!そやけど金はかかるし、大工事になるし人工がなるだけ必要やしな。ダムを造るんなら黄昏村全部が水の底に沈むんや。」

「それをみんなはどない言うかのう。」

「みなの仕事はどないするかのう・・・。」

「ワシは決断できんわ!うんん。」さよりは、考え込んだ宅造を見て後先を考えずに思い付きで村の政治をしたら村の行く末をダメにしてしまう事をマザマザと、宅造に教えられた気がしていた。

 「お爺ちゃんは、村の行く末を深く深く掘り下げて真剣に考えてるんやね、村の人々を愛してるんだね。」

「でも、ワタシは村長の孫、だから何でも出来る!」

 さよりは思い付きでダム開発を提案した事に慚愧の念を禁じ得ず、虚心坦懐をもって宅造のバックアップやフォローアップをする事を心に決めていた。

 が、不埒な考えがムクムクと頭を起こし悪女の様相を現していたのはさよりが1四歳の時だった。

  

  その頃、播磨市役所から遣いの者が、宅造の下へ提案書を持ちやって来ていた。

 播磨市役所の開発課課長、和田博信は、河川氾濫抑止係りの責任者という職責で、直接黄昏村の村長衣川宅造へと交渉し、播磨市開発を押し進めていた。

「石井川と天王谷川の封印として、黄昏ダム開発をします。その後、湊川の地下埋設の副産物は復員十二mの播磨市の動脈になる市道建設です!工事終了後は、市営住宅の建造を10棟建築、播磨市民一万人を収容出来ます。勿論、下水道設備工事の網羅は忘れていませんよ。村長、御決断下さい!暫く腕組みをして、しばらく瞑想していたが、「黄昏村はどうなるんな和田さん?」和田を真っ直ぐ見て答えを待った。


3章「家宝の行方」

 

 その昔、ポルトガルの貿易商人マルコラスは、将軍徳川家の懐に入り込み、蒼白く鈍い輝きを見せる鉱石を贈呈した。

 「将軍殿、これは元の王家に纏わる宝の石でございます。これを持つ者の国の王家は、その国を栄えさせ末代迄栄えると言われるのです。」

 「沢山の宝よりも値打ちが衰えません。」

「どうかこれで国を開いて下さらぬか?空を飛べますし、不眠不休で地を走る事も出来るのです。」汗が流れ出た。

 一歩間違えば、切り捨て後免!彼はキリシタンだったから、素性が明るみに為れば間違いなく処刑される。

 近頃は、キリシタン弾圧の影響で、ポルトガルの出島の出入りも窮屈になって、代わりにオランダが日本との貿易に精を出し頻繁に入港していたからマルコラスの役目と言えば、徳川にお宝を献上し、出島を開いてもらう事だった。

 マルコラスはまだ死にたくはなかったからだ。

 やがて1639年に幕府から禁教令が発令され出島内のポルトガル人が無人となるまで貿易は細々と続けられていた。

しかし、せっかくの贈呈品も使い方が分からず徳川家でも手を拱いていた。

 江戸時代の末期は武士よりも町人が巾を効かせて江戸の町や大阪の町をのし歩いていたからそれを抑えるべく蒼白く鈍い光を放つ鉱石を活用し、町民や農民に恐れられる徳川に返り咲く為に・・・。幕府の上下関係は自ずと町人へ傾き武家の借金も雪だるま式に増えていた。

 徳川家の家臣の間では、刀の力を信用に替えて権力を握る時代は、もう古臭いという風が吹いている事を黒船ペリーの来航以来、そういう流れになっていることを逸早く察知した者も居て将軍に申し出ていたが幕府は、ペリーよりも長崎の出島にて秘かに貿易をしておりポルトガルより寄贈された鉱石を徳川家の家宝として重宝されていた。いや、持て余していた。

 しかし、幕府のみ家宝を取り込んだ事により使い方が分からぬ物までも家宝としていたのでは、信用も威厳も無いと町人の反乱を恐れた幕府は、鎖国の憂き目に会い不遇な人生を送っているであろう農民に目を向け世間の目を尊敬の眼差しを向けさせるべく、しがない貧乏な村に標準を合わせ黄昏村の村長へ贈呈された。

 勇二が産声を上げたた明治六年十月より二十年後、黄昏貯水池の完成除幕式が挙行されていた。


「ボートに乗らんねさよ坊?」

「うんわたし、紅葉の絵を描いてるわお爺ちゃん?」

「うんそう言うと思ってなさよ坊、これを着けて居なさい。」

「・・・。」

「これは、お爺ちゃん?」

「そう、今から200年以上も前の事や。」

「徳川幕府から贈呈されたんよ。」

「青く光る宝石じゃ。」

「今は衣川家の家宝でな。」

「正真正銘鍋、火箸やらを引き寄せる魔法の宝石なんやぞ?」

「さよ坊?」

「 これを持ったら持った者の一族に。」一族に?生唾をゴクリと飲む・・・。

「幸せが訪れると言う家宝なんやぞ?」

「この日本を牛耳れると言う事や。」さよりは別の事で企みが浮かんでは消え、消えては浮かび、最新の企みをもっと悪い企みが更新されていった・・・。 

  昭和51年10月26日。秋雨前線の線状降水帯が、台風21号により壊滅して、別の雨雲が虫の息でフワフワと北の空に浮いていた。

 黄昏貯水池の池畔に若い二人のシルエットが、離れたり重なったり。

 微妙なひとコマひとコマが、やがてはひとつに重なり動かなくなって久しい。

 落ち葉が重なり合う布団からエンマコオロギが、種の保存の為にメスコオロギを誘って美しいソプラノを奏でていた。

 秋の陽射しは涼しげな色合いで周辺の木々にも赤や黄色や緑がカラフルな衣装を着せてそよ風に靡いていた。

 観る者の心を融和させ同じベクトルのパッションを抱く事が、できる二人が存在する事の証だった。

 「黄昏貯水池の地畔を愛の貯水池の岸瀬と呼ぼう。」

 スポーツ刈の長めの前髪を引っ張りながらケンが提案した。

「もっちゃりした言い方ね・・・。」大きいウェーブの長髪を項から掻き揚げ数本づつ風に晒し 、最後に前髪を額から上に上げた。

 ケメコの声に言葉を詰まらせたケンが胡坐からしゃがみ姿勢に変え、「・・・んと。」水面を睨みしきりに考え始めた。

「ラヴステージにしなさい。」天の声に天の声に屈したケンの表情が朝日を浴びた様に輝きを増し、頷いた。

「愛の貯水池なんてダサくない?」

「マザーレイクになさい?」

ケンとケメコが出会った貯水池の池畔を「ラヴステージ」

 黄昏貯水池を「マザーレイク」と、呼ぶようになった。

マザーレイクの北の山間では6階建ての菊水外科病院が建つ。

 白いリシン葺き壁に鉄骨鉄筋コンクリートの装いを隠して静かに佇んでいた。

 誰も居ない院長室のテレビが報道番組の中で巨大与党の一議員の発言で怒った日本女性党が吼えていた。

「LGBTは生産性がない?」

「 裏を返せば日本の女性は子供を出産するためだけの又は、生産性を上げる為だけの機械だと言うのか!?」 女性問題を事喧しくもの言いを付け、栗田議員の発言は日本中沸いた。

 特にトランスジェンダーが両手を挙げて吠えた! 

ここ湊川公園の広場に集会が開かれ、化け物小屋の再来か! 

 タコ娘小屋へ見物して下さい! 

「親の因果が子に移り、運命悲しきこの姿!」

 播磨市内ではこの騒動を捲し立て、週刊誌が栗田議員降ろしのシュプレヒコールを掲げ日本女性党の追い風となっていた。

 オトコ女が徒党を組んで赤ちゃん!赤ちゃん! と騒ぎ立てるから取り締まりで、機動隊までが出動するという内戦状態を鎮圧するまでを報道されていた。


 仄暗い山間の外科病院は昼間でも何かありそうな様相をしていたからケンは、あの病院には縁がない様にと、思いながら遠くに視線を凝らし眺めていた。

  あの日から、あの出会いの日から六年経ちケンは高校生にケメコは、十七の時に潜水士の資格を取得し県警水上保安部のOLで必要と有れば事件及び事故現場の水中に潜水業務をこなし、夢野村のマンションを借り独り暮しをしていた。

「ラグビー部のキャプテンになれたのね。」

「ケンくん勇ましいじゃない?」

「でも、前歯が二本折れてる。」

「大丈夫ケンく・・・ンン。」

 ケメコにしては不似合いな白地に黄色の縦線の入ったブラウスを着ていた。

「ケンくんの未来に私は居るのかしら?」ふと過ぎったケメコの脳裏にそれを打ち消す様な言葉が振り掛かってきた。

 ケメコは話しの途中でケメコの唇を奪ったケンにしなだれ掛かり身体の半分以上をケンに預けていた。

 枯れ葉がケメコの胸の膨らみに落ちてハラリと足下に転がった。

 無言でも二人のバッションは、辺りの紅葉に同化して行った。

「ケメちゃん 夢のまち学園の先輩でね。」ケンがしみじみとケメコに気遣いながらも言うべき事はキチンと言わないと気が済まない性分で、最後まで言い終わるつもりで発言していた。

 ケメコの表情を覗き見るケンを疎ましく思うケメコはついつい八つ当たりをしてしてしまう・・・。

「レディースヤマンバの総長が居るんだけど、その人がネ。」

「何よッ折れた歯のギザギザが痛いわ!」視線が木々の紅葉を越えて天まで突き抜けていた。

「その子の名前はなんて言うのケンくん?」

 女の勘は鋭く、空かさず振り向きケンの一言に慌てたケメコがケンに問い質した。

「今、歯医者で前歯のブリッジ作成中だから一週間待ってねケメちゃん?」

「 庄屋三咲先輩に付き合ってくれと言われたんだ。」体操座りの立てた両膝を掌で摩りながら左横のケメコの横顔を見た。

「ケメちゃんに聞いてみようと思って。」次にマザーレイクの3メートル先の水面を見た。

「返事は保留した。」両手で背中を凭れさせ脚を長々と伸ばし溜息交じりの補足をする。

「でも早く返事をしないとね。」無言のケメコは姿勢を崩さずじっとマザーレイクの水面を見詰めていた。

「ケメ、ちゃん?」

 恐々と呟くケンにしなだれかかった頭を上げて上目使いで・・・。

「ショーヤねえ。」

「レディースのロッククグループみたいね。」

「マッ、恋するのも良いよ。」

「青春時代だし、ネ。」

「・・・。てか、何でアタシに聞くのケンくん?」

 言葉尻のネ・・・。が寂しそうだった。

五歳年上のケメコにとって最強のボスキャラは、年齢差だった。 

 故にここは物分かりの良い大人の淑女の様に平静を装っていたが、何だかケンが小さく見えて消え入りそうな、何時も掌の中で唯々諾々とケメコの言うことに従って来たケンが独り歩きを始めた刹那を間近で知る事になった己の運命に真っ向から立ち向かって行かざるを得なかった。

「二人が寄り添うこのラヴステージはいつかアタシがケンくんを助けた場所。」

「マザーレイクで手に入れた場所。」

「だから誰にも渡さない!」いつしか世話焼きのお姉さんが輪郭のない慕情から明確に象ったケンへの愛を形成していた。

 バリバリバリバリバリ!遥か上空の大空でゼロ戦のエンジン音がした! 

  チラッとケンが観た時、ケメコはノンリアクションでマザーレイクの沖の方をを眺めていた・・・。


 夢のまち学園の第二グランドは、本校校庭で野球部、ラグビー部が共有して使用していた。

南北に延びる長方形のグランドは野球部のバッターボックスが南西の角にある。

そこはセンター、レフト間の守備練習で野球部一のスラッガーkが打者を務めていた。

 カーン! 木製バットの乾いた打球音がした!

乾いた打球音がレフトの上空を襲う!

  一方ラグビー部はフルバックのハイパントを マイボールで受け取り、モールを形成して右ウイングにボールを廻し右ウイングがタッチダウンをトライするトレーニングを行っていた。

 フルバックが蹴ったハイパントが上がる。

野球部のレフト辺りへ飛ぶ! 

 空を見上げながらケンが走った!

「ヨシ! 」

「マイボール!」天を仰ぎ右手を上げた刹那、


「オーライッ!」レフトが接近していた! 

 ゴン! ドサッ! 肩と肩、頭と頭が激突し、ケンが崩れ落ちた!

「大丈夫」かーーっ!?」


「血が出とるぞッ!」


「 ヘッドキャップ付けとらんのか?」


「監督呼べッ!」

 ケンはラグビー部員に担がれ菊水外科病院に来てしまった。

 ここは、マザーレイクが出来た明治38年に建築された古臭いホルマリン臭のする白い壁が黄色くなっている薄気味の悪い病院だと、ケンは、感じていた。

キーコ、キーコ、キーコ・・・。

西日が長い廊下の窓から入り込み虚ろな長い陰を形成していた。

 看護師が油の切れたカートを押し、バイタル測定の為、病室を巡回をしている。

「脳震盪だね・・・。]

[今日は、検査をするから一晩入院して帰りなさい。」]

[学校の先生に良く言っておくから。」院長兼ドクターは父ちゃんぐらいの人でしっかりした面持ちの安心できる風貌だった。

 さすが院長のお医者さん! 

ケンはそう思っていた。

ケンが最後のCTスキャンを終えたのが午後十一時四十五分。

 それから入浴をして遅い夕食を終えたのが午前一時を回っていた。

 ケメコが帰って行ったのは20時過ぎだった。

それは面会時間の終了のインフォメーションがあったからだ。

 病棟の看護師が忙しそうにベッドメイクを終えて出て行った。

「個室しか空いてなくてね。」


「寂しいけど早くテレビを消して就寝して下さいね。」午前一時半にベッドへ入ったケンは瞬時に寝落ちした。

菊水外科病院四階、個室の401号室は、ナースステーションが右隣に有る特殊な構造になっていた。

 その敷地は、黄昏貯水池の池畔になっていて蒼黒く冷ややかな冷水を湛えているマザーレイク南側の池畔に生い茂ったクヌギや楓が織り成す紅葉が美しく萌えている光景を観る事の出来る佇まいになっていた。

 

 コンコンコンコン! 

コンコンコン!

コンコンコンコンコン! 

 目を開けてテンカセと腕時計を観た。

「三時半か。」

 空気清浄機がカタカタと規則正しく運転されていた。

 遜色無かったがその音で目覚めた。

ベッド上から辺りを見回した。

 常夜灯がぼやけた部屋の輪郭を映し出して、窓のカーテンは、半開きで夜空の月光が射し込みいかにも山の病院という情緒溢れる演出が成されていてケンは牧歌的な秋の夜長を決め込もうと上半身を起こし、窓下を見た。

 一人の少女が窓の外でしゃがみながら濡れ髪をベッタリと顔にへばり付かせケンの方をじーっと眺めているだけで・・・。

 池畔の明かりは、無風状態でぽつんと、外灯が一機、その役目を履行していた。

 もう真夜中だから。

 「エッ?女の子?」なんで見えたんだ?暗いのに!


「遊ぼう・・・。」脳裏に声が響いた!


「衣川さよりです。」律儀に名を名乗っていた!


「遊ぼうここだよ」

 恐怖に駆られて布団を頭から被った! 

「遊ぼう、遊ぼう!」

 徐々に脳裏の響きは大きくなり頭の中から湧き上がる。

 頭の中から噴火しそうな程に激痛がドクドクと脳血管を締め付けていた!

「ウワーッ!助けて!」叫ぼうとした時、ガバッ!布団が勝手に捲れた!


「あっそぼーーッ!」

  ガバッと布団が捲れそこには庄屋三咲がケンの顔面間近に顔を近づけて立っていた。

 ケンは放心状態なのか、無言で三咲を見詰めていた。

「返事はケン?」ケンの鼻先をツンツンと突きながら口を開いた。


「あ痛っ!」

 返事が無いケンに三咲がグーでケンの額を小突いて反射的に言葉が出た。

「痛くないだろ。」ベッドのフェンスに肘を掛け左腕はブラリとフラフラ振っていた。


「子供じゃ有るまいし!」いつの間にか窓の外は暗闇だけで、何時もの様に月明かりが無い外灯が律儀に光るただの夜が覆い被さるだけで、何の変哲も無い貯水池の池畔が横たわっていて静かに静かに、夜明けを待っている様だった。 

 どのくらいの時間が経ったのか?

もう少女の姿と声色はなかった。 

 庄屋三咲の無垢な声と容姿で掻き消されていたからだ。

 濡れ髪少女の存在をケンは、忘れたか若しくは忘れたいかのように振舞い完全に脳裏から吹き飛ばしていた。

 いや、吹き飛んで欲しかった。

  窮地を救ってくれた三咲に感謝をしつつ、ケンの運命のようにこうも歳上の女性に救われるのか、一ミリ程度にしか思わないのは三咲が笑っていてそれが屈託のない笑顔をしているのがとても無垢で綺麗で、兎に角ピュアで綺麗で、と言う言葉しか思い浮かばなかった。

「じゃあ明後日の日曜日に会おうなっ?」片手を揚げながら帰って行った。

 ブルルンバオーン!

 庄屋三咲の赤いナナハンが、存在をアピールしてロケットの様に疾走して消えた。

 

 ケンの自宅から南へ30メートル南下して、左へ折れたら五階建ての夢野マンションがある。

 その501号室をケメコは借り、独り暮しを始めていた。

 ケメコの人生を掛けてケンをサポートするために。

 その和室は、夏虫色の生地に茶色のストライプがデザインされた重厚なカーテンが設えられていた。

 ケンは茶色のクマの縫いぐるみを抱きながら胡座を掻きケメコに向き合っていた。

「三咲センパイと付き合う羽目になったようーケメちゃん?」ケンは、困惑していた。  

 それは庄屋三咲にパルピテーションを抱いたからで、庄屋三咲は完全無欠、しかも無垢で無敵だ。

 庄屋三咲に心を奪われそうになったケンは、自信無さげにケメコの面影を追いかけていた。

 放課後の第二グランドには、ラグビー部レギュラーが総勢二十五名がトップランでハイパントを蹴りキャッチ&ゴーそれと、モールを組みフッキングをする練習をしていた。 

 グランドの片隅には、いつも通り庄屋三咲と三咲の級友がケンの練習風景に熱い眼差しを差し向けていた。

 鱗雲から乾いた風が吹き下ろした刹那、「オーイ曲がり角ーッ!」左手を大きく振りダッシュしてくる男性は、「タマケン?」走るのを止めタマケンこと英語教師兼ラグビー部顧問の玉本健太郎を見た。

 彼の両膝が、産まれ立てのバンビの様にゲラゲラ笑っていて今にも倒れそうだったが、必死で堪える様子が如実に分かったのでそれには触れないでいた。

「ハア、ハアー、あーのな、おまえのお爺さんが散歩中に山で倒れられた!早く帰ってやれ曲がり角?」

「は、ハイ分かりました。」

 爺ちゃんが倒れるなんて信じられない! 鬼軍曹の様に元気溌剌だったのに・・・。

 困ったぞどうする?と、思いつつ信じられない脳裏で上手く処理出来ずにいた。

 「オレの後ろに乗って行けよ、送ってやる。」

「特別急いで慌てるなよ曲がり角?」

「ふあいとう!」無駄にエールを贈ったタマケンは、散り散りバラバラ大空に向かって逃げていく鳩に向かって空砲を射つ様なモノだと思いつつも一回だけ振り向いて会釈をしたが、タマケンはグランドの中では独り浮いていた。

 バオン!ドッドッドッ!バオン!バオーン! ライオンの様に雄叫びを振りかざしケンの自宅、夢野村まで疾走した。

「下の道路から帰るから、じゃあなケンしっかりな。」

「サキちゃんありがとう!」

 笑顔が良いのか、しかめ面が良いのか別に爺ちゃんが死んだわけじゃない。

 二人分からぬまま、別れた。

 

 マザーレイク北側の広い大きな滑走路では、ゼロセンの発着陸の練習が行われていた。

 勇二が操縦かんを引く! 

フワッと機体が浮き上がりその下の海面には戦いへ出艦した大和が一隻、航行していた。

 左右を振り向くと三人の戦友が並行飛行していた。

 右手人差し指と中指を合わせ一、二回手を振り合図をした。

後の三人もゼロを操縦し、並行して行く。

間もなく鹿児島の沖合いだ! ヘルキャットの大群が対峙する!撃墜王勇二登場! ヘルキャットは、高度1万メートルの空中戦を得意としていた。

 ヘルキャットが放つ6機のロケット弾は悉く大和を捉えていた!背面飛行の勇二が、機銃を連続で放つ!

「なにッ!?」

「命中した筈なのに!」

「今度こそ!」 ヘルキャットの後方へ出る!補足した!

ダダダダダ!

 機銃を放つと同時にロケット弾を発射!シュッ!ヒュウウーーバーーン!

しかし勇二達の四機のゼロ戦には眼もくれず大和の上空をハエの様にグルグルと楕円を描いて回り出し、爆撃弾を投下し始めた!

 艦砲射撃の合間を縫ってヘルキャットがロケット弾を放つ!

放つ!放つ!

「ワシら見ているだけなんか!?」悔しそうに張り上げた勇二の真下には黒煙を上げたまま海上から世界最大の46センチ砲を使わずとして船尾を海中に大和が、痛ましい船体を晒し沈没を始めていた。

 上空をクルクル旋回しながら戦友達の三機が敬礼を手向けていた。

 しかし、ヘルキャットは構わず攻撃を止めようとせず勇二らの機体を全く無いものとして飛び交っていた。

 悔しさ余った勇二は右旋回し、鹿児島湾方向へ操縦かんを握る!

「お爺さん苦しそう・・・。」

「親父、頑張ってくれ!」父ちゃんと母ちゃんと婆ちゃんが爺ちゃんを看守る!

「・・・メタル。」うわ言を繰り返す勇二の口許に芽衣子が耳を

近づける。


「メタルって、インド人がビックリするやつ?」

 マジマジと父ちゃんを見詰める芽衣子に、苦虫を噛み潰したような表情を見せる父ちゃんは無言だった。

「・・・メタル。」うわ言を繰り返す勇二の口許に芽衣子が耳を

近づける。

レアメタルの埋まる場所が分かった! 今度こそ待ち伏せのアメリカ軍を叩きのめす! それが勇二の使命感だった。

しかし、ヘルキャットを飛ばした米軍の空母は見当たらず燃料切れが迫っていた!

 勇二の右旋回は無駄に思えた。

刹那! 前方左下に米軍の空母エンタープライズを捉えた直後!「大本営から入電!全機帰還せよ!」

「むう~。」苦悩した勇二は右旋回した。

 呉港の前線基地へ帰るためだった。

 しかし、二個の黒い塊が勇二の右上を掠めた!「新之助!権太!」

「帰って来いっ!」勇二の無線が届かず離陸前の命令に従いエンタープライズの左舷に激突し、海の藻屑となり、戦死して行った。

「クソォオーッ!」

「お前らっ!」

「立派なサムライや!」 

 操縦かんを前へ押す!

 艦砲射撃!

グワングワン! 


グワングワン!

右へ左へ艦砲射撃をかわしエンタープライズの右舷に回る!

 操縦かんを前へ倒す!

左に倒す!

ゼロ戦の鼻先が前方下へ向き、左下へ旋回し、エンタープライズの右舷前方を捉えた!

 勇二は逡巡せず、フルスロットルでエンタープライズの右舷前方へ直線的に激突した。

「七雄! 福世!さよ。」 

「我、作戦に成功せり!」

「我、作戦に成功せり!ワシはお前達とずっと一緒や!」

 戦後31年、曲がり角勇二(享年86)。

心不全だった。 


  玄関戸には黒い縁取りの忌と、書かれた紙が貼ってあった。

 もう考える時間を持たずに庄屋三咲と疾走してきたが、最初のリアクションに俊巡しながらガラガラと、玄関戸を引き開けたと同時にお父ちゃんの妹、所謂ミサコ叔母さんが立っていた。

 ケンの両肩に掌を置いて抱き締めるように「ケンくん・・・お爺ちゃんがね、死んだんよ?」ケンにショックを与えない様に優しく、優しく。

 究極の気遣いをして、報告をくれただけなのに。 

只、そんなに優しく言われたから封印した「もう高校だから泣かないけど、男同士だから爺ちゃんが死んだら悲しい。」という思いが噴き出さずには居られなかった!

 しとどに泣き濡れて玄関に佇んだままにミサコ叔母さんに促され爺ちゃんが寝ている二畳間に入り、改めて父ちゃんや母ちゃんと芽衣子を見たら自然と涙と声が出て嗚咽になってしまった。

「オーイ、オイオイ。」泣いているケンの傍らで芽衣子はケンに上目遣いのふざけた面持ちをして・・・。

  「爺ちゃんは七雄叔父さんと、オニヤンマになって彗星になっていったんだね・・。」

 涙ながらにケンは感慨深く色々な思い出を辿っていた・・・。

 爺ちゃんは身近な存在だった。

 下校中にヨタヨタと爺ちゃんの背中を見付けて「爺ちゃん?」と呼んだら酒臭い息を吐き、ケンを振り向いた。

「ケン、山へ行くか?」いつもおだいしへ連れて行ってもらった。

 それは爺ちゃんだった。

「頂上は行かん方がええ、まだ小さいからの。爺ちゃんは」頂上への一本道を歩くのを嫌った。

 多分、何処に何があるか、誰が居るのか分かっていたらしい。

 とにかく、ケンには危険な体験をさせなかった。

 父ちゃん爺ちゃんとで、山の銭湯へ行った時、爺ちゃんは、まだ歩いていた。

 真冬のある晩、「爺ちゃんにジャンパーを持ってきてくれケン?」父ちゃんがそう言ったからケンは、急いで走りとんぼ返りでジャンパーを爺ちゃんに手渡した!爺ちゃんはたいそう喜んだが、花は咲かせなかった。

 子供ながらも男同士相通ずるモノが形成されていた。

 ケンは、男泣きに泣いた。

 

「ああ、爺さんが勝手に私を置いて行ってからに・・・。」

「ホンマに勝手な人や・・・。」

「ただいま。」

「お早いお帰りで…」

「あら、どなた様ですか?」

 福世は初めての女客に驚いた様子だったが・・・。

「ワシの妾や部屋借りるぞ。」言うが早いかサッサと自宅の二畳間へ妾を招き入れてしまった。

 平然と勇二は、妾を連れて帰宅したが、こんな事は当然と謂う風に事を始めてしまい、周囲に憚らず己の世界へと入っていた。

「ちょっとあんさん。」一重瞼の細い目じりに赤いラインを引いていた。オカッパが伸びた黒髪と赤い長襦袢が淫乱めいた若い女をクローズアップしていた。

「何してはるの?」困惑した福世は取り乱していた。

「ワシの家に妾を連れてきて何が悪いんか!?」

「茶を出してくれ!」

「・・・はい・・・。」

 家に上げた妾をど真中の部屋に通して布団を敷き出した勇二を見て、もう終わりだと、終息感を覚えて暫くは憤りが止まらなかったと言う婆ちゃんに気の毒だとケンは思ったが、部屋の中から衣擦れの音と溜息を押し殺した様な声が聴こえて来て、と言うケンは何の事だか解らなかった。

 布団を敷いて寝ているのに声を立てるなんて・・・。

 寝言か、鼾か? お父ちゃんに叱られるぞ? 子供のケンは、その話しは圏外だったからラジオを聴いている気分だった。

 今のケンなら十割分かる!部屋の中で何をしているのか、レビューも描ける!ケンは爺ちゃんの亡骸を前に爺ちゃんの後を付けてくれと懇願した婆ちゃんの言葉を思い出していた。

なんでこんなに涙が出るんだろう…。

  爺ちゃんのヤンチャ振りを思い出したから別に悲しくはないのに・・・。

 男同士の爺ちゃんが死んだからか? とにかく、男同士の悲哀が胸にズシン!と、心の海に舟の錨を落としてって行った爺ちゃんに死ぬほど体調不良とは知らなかったと、心の中で爺ちゃんに語り掛けていた。

 まだまだ悼み冷め遣らぬケンは「オーイオイ。」と、無き濡れていた。

オイオイと泣くケンに「ハイハーイ?ハイハーイ?」と、繰り返し返事をするバカ芽衣子に笑いそうになってニヤリとしてしまったケンは笑いと怒りが反転し、芽衣子を力一杯投げつけた!

 芽衣子はステン!と転び爺ちゃんの寝ている布団の横に両手足を伸ばして揃え寝る格好になりそれを見たケンは、再び怒りがこみ上げて「一緒に焼いて貰えッ!」と、唸るに留まった。

 爺ちゃんの葬儀が終わりケンは、爺ちゃん亡き後の二畳間にケンの勉強部屋を構えてもらっていた。

 この部屋に寝起きするケンには爺ちゃんと婆ちゃんの魂が宿るように神聖な部屋として感じ、使用していた。

 ケンの婆ちゃんは、大正時代後期の大阪船場に生を受け若い頃は旦那の浮気で大変苦労したらしいが、ケンが大きく成長すると共に婆ちゃん自体の記憶が断片的に残り、幼い頃からケンが何処へ行くにも婆ちゃんが背後霊の様に付いてきて窮屈な想いをしていたのだが、ただ一点の曇りなくケンはお婆ちゃん子で婆ちゃんに愛されていたという事実はケンが赤ちゃんの時、風邪をひいて鼻水が止まらずタラタラと鼻を垂れていたそのとき、婆ちゃんがケンの鼻の穴に口を付けズ、ズーッと鼻水を吸い取ってくれたその拍子でゴクリ!と呑んでしまったそうだ。

 それを聴いてケンは、鳥肌を立てたが、婆ちゃんは普通の事と笑い飛ばしたそうだ。

 真の親でさえその行為を躊躇してしまうのに孫であるケンの為にそうしてくれた婆ちゃんに感謝と同じ感情を抱いていた。


一日だけ休んだ夢のまち学園に登校し、ラガーマンとしての自己を確立するために汗を流していた。

 ケンの頭上で、「おいケン!」声のする方へケンが見上げると、一人でフッキング練習をしているケンの傍らに腕組し、仁王立ちの庄屋三咲が見下ろしていた。

「何か言って来いよなッ、オマエ?」

「サキちゃん?」狐に摘ままれたみたいにフッキング練習を止めて立ち上がり三咲を見詰めた。

「デートは、どうなった、日延べかケン?」

「あ!」

 短く感嘆したまま突っ立って居ると西日が両眼に入りクラクラとしたが、三咲の約束を完全に忘れていたケンは記憶を必死で辿って辻褄合わせをバレ無い様にさりげなく・・・していた。

 赤いナナハンで送ってもらって、そのまま爺ちゃんの亡骸を見送って。

  それから、それから、 キレイさっぱり忘れていた!「さ、サキちゃん今度の日曜日。」

「ノー! あしたっから三連休だろがよ!?」

 ケンが言い終わらぬ間に三咲が言い改めた。

「あ、そうですねハイ。」でもこうして、庄屋三咲がケンとの接点を多く持つという事は、純粋にケンに好意を持っているからだろう。

 ケンは、素直に三咲に甘んじて三咲ワールドへ飛び込んでみようと、胸中に決めていた。

 東向のケンの部屋にはキラキラと透明な朝陽が入り込みケンの重い瞼を覚醒させた。

 「さあてと!」ガバッと跳ね起きた時刻は、午前6時半。

 空かさず鏡を見る!

  寝癖なし!目脂なし!顔を洗おう!

 お気に入りの白いポロにお気に入りのエドウィンのジーンズに両足を通し、ジージャンに両腕を通したケンは、張り切って朝食を食べる!「いつもと違うみたいねえケン?」

 お母ちゃんが訝って話し掛けた。

 「んな箏ないよお代わり!」いつもと違うのは、ベーコンエッグにソースをぶっ掛けないでそのままの塩味を味わって食べていたからだった。

 二杯目は、きゅうりと茄子の浅漬けに醤油をちょい掛けしないでそのままの塩味を味わって食べて終わった。

 「ごちそうさま。美味しかった。」

 「ごっそーサンマって言わないのケン?」お母ちゃんが食い付いてケンの背中に投げ掛けたが「お構い無く。行ってきます。」 と、礼儀正しく静かに静かに、しなやかに言いつつ二十六インチの自転車に股がってビートルズのラブミードゥーを口ずさみペダルを力一杯踏んだ!この朝は、全身がキラキラと光る有り難い神のオーラを纏っている様でケンは、無敵感さえ抱いていた。

 約束の湊川公園バリカー前に8時までに到着をして。

 辺りをキョロキョロした。

赤いナナハンに股がる。

 黒いフルフェイスのヘルメットを被って釘を打ち付けたバットを片手にした三咲を探していた。

 しかし、ケンの眼にしたものは8時前まで既に到着していて襟元のフリージア柄の白い素朴なワンピースの装いで、後ろ手を組み東から西へ流れていく鰯雲を数える庄屋三咲の清純とした立ち姿だった。

 拍子抜けしたケンは、暫くの間三咲を見詰め新たなパッションが沸き上がるのを意識していた。

 肩までのお下げは、高校生の少女らしく素朴感を纏っていた。

「サキちゃん待った?」やっとケンの存在を知らせる言葉を突き放ち三咲の笑顔を促した結果、「あれっ妹を連れて来たんかケン?」

「えっ?」チュンチュン!と、スズメが餌を探して舞い降りていた。

 背筋に悪寒ががゾクゾク!と走った刹那、「自転車の後ろに眼が黒い妹を乗せて来たのかと思ったぞ、オバチャリじゃん?後ろに乗せてくれッ!?」言うが早いか後ろの荷台に股がり生足の太股を露にケンの腹に両手を回して、横顔をケンの未だゾクゾクとする背中にペタリと着けた。

「走れケン!?」の、ノーブラ!?背中が自然とシャキン!として三咲の鼓動は平静を脈打ちケンは温かな三咲の胸の温もりに翻弄されて、いつの間にか背中に全神経を集中させてペダルを駆る脚がフルパワーになりいつもより背中を揺らしたら風切り音が、耳許でゴウゴウと、踊っていた。

 「普通のケンが好きだぞっ?」

「ナニッ、サキちゃん?」

「二回も言わせんなっ!」パコン!

「イテッ!」頭をグーで殴られたが、何だか男勝りの三咲は何時もと違う大人の女の様で。

 爽やかな十一月の向かい風は、終わりの始まりの、北寄りの乾いた無慈悲の風が二人の間隙を吹き抜ける十一月某日、土曜日の湊川公園に、まだ人口密度の低い朝の事だった。

  三宮センター街を元町方面へ歩いていた。

 三咲はカラフルなネイルをケンに見せながらケンは、三咲の腰を抱きながら幸せの微笑みに包まれていて、本当に新鮮な空気が二人の間にあったし三咲から漂うフレグランスの香りも新鮮な香りだった。

「オンナしてるじゃないっすかミサキ総長?ヤマンバのご法度に抵触しないんすかミサキ総長!?」

 「なんじゃオマエ、タカラヅカの男役みたいなやっちゃな、もっとマシな服なかったんかナオ?マッ、今夜鵯越の墓園で集会するからあとでな!」ギンギラギンのスパンコールを全身に纏った様な見ためオスカルは、ハット、ジャケット、パンツ、ニーハイブーツにまで至っていて、センスが良いとは言えない池永奈緒美だった。

 三咲が立ち去った後にも、ニタニタニヤニヤしながら三咲達の背中を見詰めながら、バーン!パーン!パーン! 指鉄砲を作り三発撃った!

 三咲の背中に向かって撃った!

「アタリー。」表情をグルグルと変え悪巧みの顔付きになって行った。

 池永奈緒美を軽く往なした三咲は流石総長の風格が漂っていた。

「あの子パンチパーマしてるんか、サキちゃん!?色黒だし、流石ヤマンバだねえ?」ふと、三咲の顔を見たケン ケンは、次の言葉が出なかった。

「お客の癖に!」奥歯を噛み締めるように呟いた三咲は、左で拳を作りワナワナと武者震いが止まらなかった。

 この二人は仲悪いのか? 聴くところによると「ナオは、キャッツアイの総長をシバキ倒して病院送りにしたんだよ。んで、チームは解散させて自分だけヤマンバにお客で入ったんよ。」お客とは、客員教授の如く集団で走らずかち込みもしない集会では司会もする会社組織で言うならダメおやじっぽいスタンスを取る一部特殊な存在だったが、キャッツアイのメンバー全員を子分に、実力でトップまで上り詰め、子分をM奴隷に染めて行く妖怪娘。」という事らしい。

  実際池永奈緒美の所属していたキャッツアイでは、いきなり総長にタイマンを願い出て総長早坂藍を半殺しにして、昏睡状態にされてしまったと言う。

「強くて偉そうなやつが、地面を這いつくばって恐怖に怯える姿がそそる!だからオレのM奴隷にして可愛がってやる。」

  それが池永奈緒美流のガバナンスだった。 

「ルミナリエ見にイコーゼッ!?」

 ポカンとした顔でケンは慌てて岬の前へ回り込み「まだやってないよサキちゃん!?」

 「アホか、来い!」片耳を掴まれて半ば強引に中央数百万個の点灯してないLEDが美しい夜のイルミネーションの舞台裏を現している三宮東公園へ連れられ、広大な芝生グランドに設えた花時計、北横の緑色のベンチに「座れ!」と、二人は、腰を降ろした。

 刹那、速攻でケンの唇を奪った者は庄屋三咲だった!

 「好きよケン?好きで好きで堪らないのよ!ケンのいい子に、いいオンナになるから捨てないで!クダサイ。」ソコには頭を垂れかけた三咲がウルウルの瞳で、真っ直ぐケンを見ていた。

 「俺と同じ身長なのにしゃがむと意外と可愛いな。」

キュンキュンしていた。 

 そんな事を過ぎらせながら三咲を見詰めていたケンの両肩を掴み揺さぶり、「返事はコラッ!」

「?ボコるぞッ!」

 パコン!「痛ッ!」グーで殴られた。

キュンキュンした切なさを残しながら二人は別れて、大空の夕焼けの暁がケンの心根を表している様だった。

「お帰りなさいケンくん。」自暴自棄に射ちひしがれたケメコを見るのは、ケンにとっては初めての事だったから「どうしたのケメちゃん?」

 「何かあったのケメちゃん?」執拗に二回聞いた。

 シングルベッドのピンクのシーツの上で、立てた両の膝頭を掌でくるみ額を打ち付けながら「もう二十歳過ぎのオバサンだもんね、どうせ私は。」

「それに引き換え三咲ちゃんは同じ高校生だし、楽しいよね?そりゃあ私はケンくんよりも5歳上だし、話しも潜水士の話しばかりじゃ息が詰まっちゃうよねケンくん?」膝頭に顔を埋めて深く深く、ため息を吐いた。

 「打ちひしがれてるじゃん?」

「どうしたのケメちゃん?」

 畳の上で胡座を掻きながら熊のぬいぐるみを抱いてケメコを見上げた。

 ベッドに寝そべりながら、「でもね・・・。」

「大人の女は、いい味出すのよケンくん?」

 ケメコは、胸を強調するかのように仰向けに身体を反転させエビ反りした。

 「ケ、ケメちゃん。」

 

 「頂きます。」

 

「ちょいまち!」

「明日の日曜日にね。」

「暇に成らないようにするの。」

「マザーレイクに潜る予定なの。」

「だからケンくん。」

「ラヴステージからサポートしてね?」

 ケメコに襲い掛かろうとしたケンを制止し

 お預けを喰らった犬みたいに前へ行こうか、よそうか俊巡しながら色好い返事をせざるを得なかった。

「ハイ。」

「分かりましたケメコお姉サマッ!」

「ちゃんとコンちゃんを着けてヨネ、ケン!」

「・・・あっ ・・・ん ん。」

「 ・・・。」


「エエーッ!」

 曲がり角家は、夜明け間際から騒々しかった。

「ウルサイなーッ!」

「頭痛いぞケン!?」

「ゴメンゴメン。」

「お父ちゃん。」

「ちょっくら行ってくるわ!」

「レディース暴走族

 キャッツアイ総長殺さる!

  敵対チーム、ヤマンバ

   総長夢のまち学園

    三年一組庄屋三咲、

      殺人未遂容疑で逮捕!」

 「マジで!?」501号室のインターホンを押すケンは、指が震えて上手く押せなかった。

「ケメちゃんまいったよ。」

「昨日あんなにふてぶてしかったもんな。」

「池永奈緒美は、サキちゃんが殺したくなる気持ち分かるよ。」 

 ケンは、バカ丁寧に昨日の池永奈緒美の様子を語り尽くしていた。

 ケメコは面白くなさそうに口許を尖らして「なんで朝から?」

「三咲ちゃんの話題振り撒きに来るの。」

「ケンくん?」

「所詮退学でしょ?」

「もう会えないよ。」

「ケンくん?」

 朝から不機嫌で意地悪なケメコだった。

 「たった今から出かけるからね!」

「付いておいでケンくん?」

「はい、ケメちゃん。」こんな朝だった。

 透明な朝陽が、キラキラ朝霧に舞い落ちていた。

 ケンの身体に絡みながら爽やかで無い濡れた風が絡んで吹き抜ける。

 ケメコが居たからケンは自由だった。

庄屋三咲に恋愛感情を抱いたのも歳上の世話焼きな性格に馴らされていたからだ。

 全ては、ケメコが整備した路に甘んじて通過しただけ。

 ケメコの掌で転がされていただけのこれ迄の人生だった。

 スイフト5ドアの全ウィンドウはほぼ全開に近かった、

ただケメコの運転席の窓は、二本の指が出せるぐらいには、心持ち開けていたからケメコ自慢の肩甲骨最下部まである黒髪は乱れずに済んでいた。

 ケンの左頬を秋風に殴られながら・・・「なんでマザーレイクに潜りたがるのケメちゃん?」

「後で、説明するわ。」

「ケンくん?」と、言いながらも

「衣川宅造はね。」


「私は会ってないのよね。」


「でも。」

「法的にはヒイお爺ちゃん。」

「という存在なの。」

「旧黄昏村の村長だったの」

「・・・その孫のね。」

「所謂私の叔母さんネ?」

「 被害者は衣川さよりなの。」

 不意に思い出した!

「ワシとこに警察が来よってな、衣川貞夫が死んだ事について聴きたい事があるて、ぬかしやがるんや。」

「勿論ワシは白や。」

「ほんで、何年か経ったある日まーた、警察が来て衣川さより及び骨皮一直殺人事件について聴きたい事があるて、ぬかしやがる。」

「 あの日は貯水池で待ち合わせしとったけど、用があって行けなんだ。」

「 勿論ワシは白や。」

 爺ちゃんが殺人なんてするかよっ! でも・・・戦争で大量殺人をしたのでは? もっとしっかり聴いておくんだった。

「さよりは骨皮一直(ホネカワイッチョク)に殺されて黄昏貯水池にに沈んだらしいの。」 


「身内の不幸は何処かで絶たないとネ。」

「だから私が骨を拾うわ。」

「供養しなきゃあネ。」

「ケンくん。」

「それとネ・・・。」

「無いのよね・・・。」

「家宝の鉱石が・・・。」

 そう言って微笑んだその笑顔が木漏れ日にキラキラ輝いていた。

 ジャンヌダークの様だった。

「夢で見たよな。」

「その名前と顔。」

 言い掛けたケンの乗った車は、マザーレイクの上流近くに差し掛かっていた。

 天空から降る電波を拾い瞬く間に派手な着信音がケンを急がせた。

「もしもし?」

「何がカメよだ、芽衣子?」

「何で救急車に乗ってんだ!?」

 「エッ、父ちゃんがッ!?」

  キキーッ!嫌なタイヤのスリップ音だけを残して車は急停止した!

「ケメちゃん!」

「オッケー牧場!」

 言うが早いかハンドル一回転半で最小回転半径を叩きだした。

 ユーターンして今来た路を引き返していた!

 「ケメちゃん湊川脳神経外科4階の脳外科オペ室まで頼むッ?」

「4階までは飛んで行けないわ。」

「ケンくん?」

「飛ばんのかコレッ?」気が楽だった。

 ケメコが、ボケをリードしてくれていた。 いつだってそうだった。

爺ちゃんが死んだ時も、婆ちゃんが死んだ時も、ケメコが旁にいてくれてケンに栄養を注いでくれた。

 いつも空気みたいに邪魔をせず、何時も側で見ていてくれるケメコに心から感謝していた。

 病院までの道中にケメコの気遣いで衣川家の家宝について話しがあった。

  その昔、長崎の出島でポルトガルと貿易のあった徳川幕府は、蒼白い鉱石や色とりどりのトンボや黄金虫を型どったガラス細工の首飾りを寄贈された。

 大名行列がおざなりになってきた昨今、徳川家は民衆的な幕府だと、世界に知らしめたい幕府が、日本の中で唯一吟醸酒の醸造米を作る黄昏村に徳川の家宝を贈呈した。

 蒼白く光る鉱石を持つものはその者の末裔まで幸福の光に包まれると言い伝えがあり、代々村長が村の為に保管管理をしていた。 

 そして黄昏貯水池ダムの完成挙行式の朝、衣川宅造は村長を退位し、若い村民に村政を譲ろうと考えた宅造が、衣川さよりにポルトガル寄贈のトンボの首飾りと蒼白い鉱石を託した。

 三十分後、西代脳神経外科の正面玄関に静かに滑り込んだ。

 スイフトの助手席から無造作に降りるケンは、頭髪が風圧のせいで逆立っていたが、「ケンくん落ち着いて!」ケメコの声によって泥落としマットに一回だけつまづいただけだった。

 カツカツカツカツ! 

 足早にオペ室のドア前に立つと脳外科のナースが、ICUに入る事を促した。

  ナースに導かれて室内に入ると先に目に入ったモノは、人口呼吸器を施されたお父ちゃんがICUの中央の病床に寝ていた。

 その周りにお母ちゃんんがうつ向きお父ちゃんの顔を覗いていた。

 その隣の芽衣子が、ケンを直視し、両眼を目一杯に見開き、序でに口も顎が外れんばかりに全開して、両手指は、宙を掴むジェスチャーをしていた。

 「このアホ芽衣子!」

何も所属しているタカラヅカ歌劇団の役作りを今やらなくて良いだろう!

 ケンに憤りを覚えさせる技は、金メダル級と言って良い程だった。

 芽衣子に苛立ちを感じていたケンは、それをスルーパスしてICU室内をグルリと見回して若いドクターが懸命に人工呼吸器で父ちゃんに酸素を送っていたが、ケンの来院を確認した刹那、彼が人工呼吸器の手を止めたと同期的に、心電図波形が、ある一定のピー音を奏で左から右にライナーを描いていった。

 「ご臨終です。」

「残念です。」心ばかりか息荒く若いドクターがお父ちゃんの死を宣言した!

 彼にしては、鉄壁の防御だったに違いない。

 ハラハラと両頬を暖かいものが伝わる。

  ケンは、涙だと、知覚していた。

「可哀想に。」

「朝から頭痛がするって言ってたのにな。」

「父ちゃん。」

 ケンは、精一杯で眼一杯己の感情を述べるに留まった。

 

バウン!ドッドッドッドッドッ!バウン!バォオーン!ライオンの雄叫びは、長田商店街に響いて走り去っていた。

 夜の鵯越墓園は、灯火もなく有料道路ナトリウム灯の木漏れ灯の灯りを借りて、播磨市立鵯越墓園桜地区の駐車場では、中型バイクの集団が庄屋三咲と池永奈緒美を取り囲む様に円になっていた。

 負けた方がバイクのメンバー達に足蹴にされる若しくは、バイクに跳ね跳ばされる死の儀式が待っていた。

 円陣の中心の二人は、バイクのスポットライトを浴び髪の毛の一本一本まで、輪郭が分かる程度に、バウーーン!!

 何処からともなく複数台のエンジン音が響き二十四台の中型バイクが雪崩れ込んだ。

 鵯越墓園桜地区の駐車場に集合した彼女らは、総長無き後のキャッツアイのメンバーだった。

「ヘッ!」


「ギャラリーが増えたな。」

 パンパンパン!三咲のワンツーフック!

 右回し蹴りが、池永奈緒美の左横腹に決まった!

 グラついた奈緒美は、倒れ間際三咲の髪を掴み引いた!「イッツ!」

「卑怯モン!!」

「殺し合いに卑怯なんかあるかいッ!」

 「オドレコラッ!」パンパンパンゴン!! ストレートワンツー!左アッパーが奈緒美の下顎にクリーンヒットした!

ドスンドス!

 更に左右の脇腹にキックを命中させた庄屋三咲が、両腕のガッツポーズをして右トゥーキックで留めを射した!

 「お前ら!」

「キャッツアイのメンバーに、奈緒美を渡すから。」

「しあわせの村まで護衛しろ!」

「イエッサー」

「ミサキ総長!」 

「ヤッパオレラの。」

「ミサキ総長は。」

「ケンカ強いなあ?」

「ありがとうございます。」

「ミサキ総長。」

「今からはワレワレでアイ総長の弔い合戦です。」

「オウ!程々にしとけよ?」

 「さあ帰るぞ。」

「お前らッ!」

「宿題したんか?」

 バウン!ドッドッドッドッドッドッドッドッ!!バォーーン!

 ヤマンバが去り、後に残ったキャッツアイのチーフリーダー六車久美は、重いストレートを放つ最強のファイターだ。

 「池永奈緒美コラァッ!」

「殺すッ!」

 別名ドクタートゥキック。

 呼ばれる六車久美は、一分間で120回のトゥキックをお見舞いする。」

殺人キッカーだ。

 自他共に認めていた。

 女の顔面を蹴ることを厭わず。

 眼球が潰れても鼻が折れても歯が折れても構わない。

 無慈悲のヴィーナスだった。

「藍の仇や!」

「死んでもらいます。」

 六車久美は、本名六車久美子と、キャッツアイの総長早坂藍は谷上女学院の先輩後輩で、女の友情とやらを突き詰めた究極の間柄を頑なに貫いていた。

 腹心の友という呼び方がしっくり来ていた。

「アイ、このヤロウ!」

「ボコッたるッ!」久美のメガトンパンチが炸裂した!

「ウグッ。」

「ガハー!」

 血ヘドを吐いた早坂藍。

「前歯が欠けたんか?」

「残酷だな。」

「誰にやられたんだ?」 

 「オマエにだ久美?」久美子が藍の口を塞ぎ口腔内の溜まった鮮血を啜り上げた。

 ゴクリ! 次に舌を差し入れ藍の舌に絡め、「久美…。」


[池池永のクソヤロウがタイマンだって。」

「申し込んで来やがった」

「ガタガタにしたらんかいっ。」

「藍先輩?」

「わかったよ。」

 目を閉じ。


「可愛いよ藍先輩。」

 激しい逢瀬が二人を包み無償の愛が帷を降ろして行った。

 木枯しが白川台の売約済み区画の更地に吹き下ろし、「アイ総長命貰いマッセ?」

 言うが早いか左回し蹴りが藍の右横腹に食い込む!「グガッ!」腰折れで頭を下げた刹那、池永の右回し蹴りが早坂藍の後頭部に炸裂した!ゴン!鈍いノイズが上がり、ザザッ!人の倒れる音がした!

 「直ぐ様救急隊を呼んで適切な処置を施していたらこうなる事もなかったのに、残念です。」

医師の診断は、脳幹を損傷したため、奇跡的に命は、九死に一生を得たが、こん睡状態が長引き病床から二度と起き上がれないだろう。

 脳障害で一生車イス生活を強いられるとの事だった。

 キャッツアイの早坂藍は、青いライダースーツがトレードマークだった。

 ピッタリサイズのライダースーツは、ボディラインが浮き出て艶やかなラインを醸し出していた。

「もうアイ総長のライダースーツが観れない!」メンバーの中には、早坂藍に憧れキャッツアイに入隊した者も少なくなかった。

「このカス女がッ!」

「藍の仇を取ってやったぞ?」

「二人で協力をし合えば、何も怖くないって言ってたよなあ。」

 庄屋三咲が逮捕された物証、目撃者情報等はほとんどなかった。

 逮捕の決め手は暴走族の二団体が集結して、暴力事件を引き起こした事に尽きた。

 依ってこの池永奈緒美殺人未遂容疑の逮捕劇は、真犯人として逮捕された六車久美子以外事実誤認で、庄屋三咲は傷害容疑で起訴されたものの書類送検で殺人未遂容疑は、晴れて無罪放免となった。

「ケンくん。」


「この度は御愁傷様です。」

 とある定番の弔辞は、ケメコならではの弔辞でケンの両手は、ケメコの両掌に依って包み込まれていた。

 お父ちゃんの通夜会場は、JR播磨駅の西側にある平成葬儀場。

 呼吸をしていないお父ちゃんを見たのは初めてだった。

 イビキが喧しい父ちゃんの頬をそっと触ってみた。

「ケンは、睡眠時無呼吸症候群やからな。」


「お互いに脳卒中に気を付けないかんな?」

 そんな言葉が蘇って来た。

 お父ちゃんの頬は冷たく頑なにケンの指先を拒み続けていた。

ケンが産まれた日は明けの明星が輝いていた。

 お父ちゃんは、徹夜で立ち会った。

 ケンの誕生を待ち続けた。

  軈て頭が見え胸が見えて。

 両足が完全に見えた頃。

  陽は昇り祝福の陽射しが降り注いでいるように見えた。

 そう言った父ちゃんは、眩しすぎる秋の陽射しの中で笑っていたそうだ。

 斜め右上からお父ちゃんの顔を見ていたら止めどなく涙が溢れてきた。

 ケンは、爺ちゃんの時よりも涙が溢れて溢れていた。

 誰かがケンの体内に寄生しているように何の考えもなしに涙がどんどん溢れてきて乾いた白いハンケチが、絞れる程になっていた。

 通夜会場の父ちゃんの柩の前には涙に暮れた芽衣子が座っていた。

 いくらケンカしていてもその後ろ姿を眺めていると、芽衣子の思いは手に取る様に分った。

 背中越しの芽衣子は、お父ちゃんと言葉を交わしているようだった。

 もう灯りは消えていたのに通夜会場の廊下では、ヒソヒソと、女性の声色の話し声がして、「芽衣子か?」もう疲れ果てて声にならなかった。

 翌朝、秋雨前線が九州からが北上しているにも関わらず大気は乾燥していて爽やかな朝日が、ケンの居る処にも届けられていた。

 鵯越斎場は激しい炎を上げて死者を葬る。

それの時間待ちで、円形の待合室には、お父ちゃん縁の三親等以下が座っていた。

 葬儀の参列者の表情が良く分かるのは、長椅子が円形ならではで、心から悼み寂しい風に吹かれているのは、ミサコ叔母さんだけで、白いハンケチがラインの色と涙で黒く濡れ汚れていた。

 明らかにお父ちゃんの死を迷惑がっているのは、夢野商店街の靴屋のパート社員だった。

 さしずめこの日曜日には、家族揃って動物園にでも行く予定だったに違いない。 

 通夜会場の廊下でヒソヒソと話をしていた声は、この社員だったのだろう。

 ケンは、マジマジと、その顔面を心に刻んだ。

 参列者全員が、ケンに値踏みされているとは、露知らず。 

 厳かな儀式に厳かな顔をして並んでいた。

「ちょっとアンタ。」

「イビキはもうしないでネ?」

「煩くて寝れなかったんよケン!」

「小学生のクソガキじゃあるまいし。」

「ちゃんと対策しなさいよッ!」

「恥ずかしい大人やわ!」 

「ナニヲユー」

「ハヤミユー。」

「しまった!」

 ケンは、芽衣子へ反射的にボケで言い返した事を本気で後悔していた。

「芽衣子は良く分かったええ子や、そやからケン・・・、妹を大事にしとけ?」

  嫌いな筈の妹を大事にしろと言う爺ちゃんは何も分っとらん!そう言いたげな表情のケンは、黄昏貯水池を睨み、前方を睨み、爺ちゃんを睨み・・・。

 キョロキョロキョロ・・・落ち着かないで居た。

 黄昏貯水池の帰り道、爺ちゃんが、とんでもない事を言い出したもんだと、rビューを思い出していた。

 鼻頭をツンケンさせた芽衣子が、踵を返して出口方向へ歩いていった芽衣子に「ガラスにぶつかれ!」と、ケンが呪いの念力をフルパワーで放った途端! 強い怨念の影響で、バーーン!鈍い衝撃音が二秒間に渡り斎場の待合室に響いていた。

 大きな鈍い音に驚いて音の方向を見たミサコ叔母さんが、笑いを堪えて肩が揺れているのを手に取る様に分った。

 透明の強化ガラスの間仕切りと出入口の透明なスライドドアが分からない人は、沢山居るが本気で澄まし顔をしながら鼻の頭から突っ込む人間は更々居ないだろう。

 「アホや!」ケンは、鵯越墓園の送迎バスのステップに足を掛けつつも斎場の待合室を振り返ると、ワイドビューな冊子越しにハンケチで鼻血を押さえながら係員に文句を言っている芽衣子の姿がケンの眼に入った。 

 あれから芽衣子は十五分間、係員に文句を言い続けたらしい。

 「お父ちゃんの涙雨だネ。」

「ケンくん?」

 秋雨前線が積乱雲を形成してバシッ!ゴロゴロ!と、雷鳴が轟いていた。

  そう言いながら大きな黒いコウモリ傘を広げてステップを降りつつも傘を差し出した。 

 こういう所が、ケメコの安心できる所で、何故ケンがケメコの言う事に唯々諾々と従うのか、分かる気がしていた。

 三咲の居ない夢のまち学園の卒業式は、池永奈緒美殺人事件の真犯人が逮捕されたとは言え、三咲が誤認逮捕された学園という事で、報道陣が押し寄せごった返していた。

 父ちゃんの靴販売店の引き継ぎ式典も待たずして、お父ちゃんの葬儀が始まったから全てに於いて中途半端なケンには丁度良い加減な進み具合だった。

 そんなケンのチャランボランな人生には、一番しっくり来るのにはケメコと出来ちゃった結婚式を挙げた事が、ユルユルとしたケンの人生を引き締める事態だった。

「疲れたでしょうケンくん?」

「お腹が張ってるけど。」

「ビール冷えてないもんねえ・・・。」

「だから、キンキンに冷えたビール買って来るワ。」

「・・・うん。」心配そうにケメコを見詰めるケンに

「大丈夫よケンくん?」そうかと、しか言いようがなかった。

「お風呂沸かしてるからね。」有り難い。そう思えた。

「ユックリ入っててネ?」笑顔がケンに安心感を与えた。

 そう言い残して近くのスーパーまで急いだ。

 妊娠十ヶ月の身重の身体にケンを死守出来た事への達成感が形になって、お腹の子が、ケメコに祝福しているようで・・・。

 ケメコは、道場駅を過ぎたスーパーへ冷えた缶ビールを買い求める予定で歩いていた。

 スレ違い様に小学生低学年風の男子二人組の会話が耳に入り何となく胸の奥に残る話の内容だったから気にも留めておいたが・・・。

「秘密の基地を作るんか、アムロ?」


「うん誰にも言うなよ・・・。」

「どうせ基地出来ませんとか。」

「言うんじゃないの前みたいに?」

「でもそれはシゲキに嘘をつく為だよ。」

「シゲキは基地が出来たら破壊するらしいで?」

「アムロ?」

 石ころを爪先で蹴りながら名札に書いてある近藤少年はクルクルと時計回りの反対を回っていた。

 回りながら時々アムロ少年の頬を「ベロリンチョ!」と言い、舌を出して舐めてしまう寸前で舌を引っ込めていた。

 そんな無邪気な小学生二人を観ながら「いつかこの子も可愛い小学生になるのかな?」

「楽しみだねえ?」と、ケメコは微笑みながらお腹の子に話しかけながら腹を擦り歩いていた。

「あっ!」足を止めてパンパンに膨らんだ下腹を右手で摩りながら

「蹴ったわね。」少し微笑んだ。

「元気いいネエ…。」前を向いて歩き出した。

 ケメコが丁度道場駅を過ぎた辺りだった。

「アッ!痛い!」

 腹を押さえて座り込んだ!

 

  ザブーン! 湯温42℃だった・・・。


「ういー。」

「気持ちいい。」

 これまでの色々な出来事や夢のまち学園高校を卒業した事や、父ちゃんの店を引き継ぎ社会人に成った事が、一編になって走馬灯の様にケンの頭をグルグルと、グルグルと。

 トゥルルルー!

  トゥルルルー!

 けたたましく電話が鳴り!

  やがて静かになって行った。 

 ユニットバスの換気口を見上げながら視線はシャワーヘッドに移りホースを辿って視線を落として行く。

 シャンプーと、石鹸箱とを交互に見つつも石鹸箱のフタを取り逆さまにバスタブの水面へいつかマザーレイクに舞落ちた木の葉の様に浮かべた。

マザーレイクのレビューが過ぎった。

 刹那、

「遊ぼう・・・。」

「ここだよ?」言い終わると黄昏貯水池の警報サイレンが鳴り出した。

 ヴォーーン! ザワザワと、バスタブの湯がざわめき立ち透明の湯が、青黒い黄昏貯水池の冷たい水に変化して行く・・・。

  ヴォーーン! ケンはガチガチと震える手で冷たい両肩を抱き膝を立てて縮こまっていた。

 ケンの血圧が急上昇して行く!

   ヴォーーン! 

 誰が鳴らしているのかマザーレイクの危険水位サイレンが止まる事を知らず鳴り続けていた!

 「遊ぼう・・・。」衣川さよりと言う名前が過ぎる。

「ここだよ?」手招きが見えた、そして輪郭が鮮明になりつつあった。

「え?」

 約8年前の声は懐かしくは無かった!

 恐怖が先走り復活してケンの脳や血液さえもフリーズした。

 容赦なくその声は脳に響き鮮明に明確に一語一句の意味が嫌でも分った!

バリバリバリバリッ!

  ドーン! 落雷だ!

闇に襲われた!

 停電と同時だった。

ブワーン!

 ブワーン!と、怪しげな電力低下を知らせる停電前の通電不調が、警報サイレンを奏で停電を起こした!

 ムニュ・・・。

ヒュルルルーーン!・・・。

 隙間風が吹き荒ぶ!

ヴォーーン!

 ヴォーーン!

  ヴォーーン!

 けたたましく鳴り止まない黄昏村のサイレン。

 川の増水を警告する様にバスタブにも大量の濁った湯がザワザワと、音を立てて溢れ出していた!

勢い良くジェットの白いバブルが全容を隠していた。

 両足首を掴まれてからは、一度経験した感触は忘れている筈は無く身体が覚えていたから!

  ケンの胯間から生暖かいモノが、流れ出る瞬間が良く分かった。

「ケ、ケメちゃん!」 

ヴォーーン!

 ヴ ォーーン!

  ヴォーーン!

 不安や恐怖に拍車を掛ける黄昏村のサイレンが今にも泣き出しそうなケンが震えて蚊の鳴く様な声で幼児の様に顔面蒼白だった。

 両目と両頬は引き攣り半開き状態の高ぶるケンの血圧は、誰にも抑止出来ない。

 頭内の奥底から劇痛が沸き上がる!

 頭蓋の内側から誰かがドンドン!と、叩いてる様な激しく重い。

 今にも脳天が噴火しそうな。

 チューリップの様に。

 開いてしまいそうな・・・。

今にもマグマが噴出しそうな痛みだった。

 ヴォーーン!

   ヴォ ォーーン!

    ヴォーーン!

 暗黒のバスルームで・・。

 バチバチ!

 照明が天空の稲妻に抗い、やがては、押し黙ったまま動かなくなくなった!

 通勤の満員電車の様に僅かな隙間から乗客の集団が流れ出るように。

 それは、急激な血流を作り間隙に集中した!

 もう慄然と眼前を見るしかなかった!

  歯の噛み合せがガチガチと音を立てながらウロウロソワソワ。

 宙を泳ぐケンの視線は精一杯助けを探し求めていた。

ヴォーーン!

  ヴォ ォーーン!

   ヴォーーン!

 刹那、濁った水面が隆起しゴボゴボと、人の頭を形成して行く。

 やがてそれは、人の身長にまで達し、白目が黒い少女の姿になった!

「衣川さよりです。」

ヴォーーン!

   ヴォォーーン!

    ヴォーーン!

「ウ、アーーッ!」

ヴォーーン!

   ヴォォ ォーーン!

    ヴォーーン!

     ヴォーーン!

     ヴォォ ォーーン!

ヴォーーン!

 う、うぁあーーーッ! 頭を抱えたケンが叫んだ。

 ジュポ!


  足首へのベクトルが勝った刹那だった!

 

  ケンの浸かっていたバスタブの湯は、独りでにユラユラと、石鹸箱のフタが波打ち際に揺れていた。ジュウージュルルルゥー・・・。バスタブの湯が排水口から反時計周りで一滴残らず流れて行った。

 ゴボッ!ゴボゴボゴボッ!今度は逆流の青黒い水が溢れ、バスタブ一杯に溢れ返った水がバスタブの立端よりも溢れ浴室の排水口に流れて行った。

黒ずくめの老婆とすれ違い玄関ドアを開けた瞬間!

「ああ、ホンマにもう ケン!」

「全裸じゃん変態か。」ブツブツと小言を言いながら玄関口で気絶しているケンの元へ歩み寄る芽衣子はケンの肩にそっと手をやった。

「死んでない! 冷たいけど!

 バスタブでは、まるで黄昏貯水池へ衣川さよりが、落とされた波打ち際の様な風景を繰り返し繰り返し・・・。

 何度も何度も何度も・・・。

 その事実を再現していた。

 

 それを発見したのは、芽衣子だった。

 玄関の上がり框に全裸で倒れていたケンを父ちゃんの精進落としの塩を持参した事から事態を察知した。

 救急隊を呼んだ。

 咄嗟の判断だった。全裸のケンを抱き締め「お兄ちゃんお兄ちゃん!」と何度も呼んだ!

 ケンの命を救う事が出来たら・・・、又一緒に生きられる。

 そう思っていた。

  ケンが搬送された播磨医療センターは、総合的な医療を目指し出産や脳神経外科のリハビリまでも網羅している。


「ケメちゃん大丈夫?」

・・・

「大丈夫よ。」

「救急の連絡ありがとうネ。」

「芽衣子ちゃん。」

「てか、止めてよ。」

「そのケメちゃんて言うの。」

「間抜けなケンくんみたいよ?」

「流石に兄妹ネ?」

「チぇッ、流石の兄妹かよ!」芽衣子の舌打ちをスルーした。

 ケメコはケンの安否を気に掛けていた。

「で、どうなの?」

「芽衣子ちゃんのアニキは?」

「チンチン小さいのに脳出血らしいね。」医療センターの長椅子にすわり両膝に手を置いたまま握り締めていた。俯いたままの芽衣子はツータックのネイビー・・・、チノパンを履いていた。

「赤ちゃんの名前は三咲にしたら?」

「ケンカ売ってる芽衣子!?」目が三角だった。

「落ち着きましたか。」

「曲がり角さん?」産婦人科の看護師主任がオレンジジュースを持ち、病室へ入った。 

「赤ちゃんは、保育器で預かってますから。」


「これ飲んでオッパイあげてネ。」

「出なかったらミルクをあげましょうね?」

「オッパイ出るんだね・・・、未熟児なんケメちゃん?」

「ケンのおちんちんが小さかったからか?」宙を泳ぐ芽衣子の視線は掴み処のない定義を勝手に決めて自分なりに納得した様子の芽衣子に「そ、そんなんじゃないケドね。」

「早産よ芽衣子?」

「アンタは全く!」

 続きを言わないまま・・。

 ケメコが溜め息を吐く。

 それまで暫くケメコの睨みは、継続された。

「ケンくん。」

「マザーレイクはネ。」

「元々黄昏村があった処なの。」

 播摩市の黄昏村は、灘五郷で醸造される吟醸酒の原料になる黄昏米が、多く採れる村として日本全国有名だった。

 村のど真ん中を走る天王谷川の川瀬に大きな木製の水車小屋がある。

 精米の九分九厘を其処で処理をしていた。

  村長の衣川宅造は、正直な質でこうと決めたら後には引かぬ村長。

 しかも不惜身命の心持だった。

 だから絶大なる支持率は、彼の人柄に依るものだった。


4章「骨皮一直」


 宵の内から酒を酌み交わしていた。

 宅造の自宅座敷の事務所には二人の男が困った顔を向け合いひとつの結論を覆そう、覆させまい、の攻防をしていた。

「なあ宅造、ダムの仕事を回してくれや。」

「 もうにっちもさっちも行かんのや!」

「せめてダムの型枠でも・・。」

「・・・ええんやがな。」

「。ワシとこに単管が百本あるだけや。」

「何の役にも立っとらんしな。」

「ベニヤの足らん分は、仕入れるさかいに。」

「ベニヤか・・・。」

「ワレ、型枠組む金・・・。」

「足場の金・・・。」

「あるんか?」

「ダムは。」

「高さが47mはあるんやぞ?」

「単管百本ぐらいじゃ足らんぞ!」

「二千本は要るやろうよ!」

「 遊びやないんやから・・。」

「人工(にんく)は五百人くらいは集まるんか?」

「給料は払えるんか?」

「イッチョク?」

「ダムはワレが想像しとうよりデカイんやぞ?」

「激しいし。」

「広いし。」

「厳しいんやぞ一直?」 

 黄昏ダムの矩計図を前にぐい飲みの酒を一気に飲み干し、繁々と骨皮一直(ホネカワイツチヨク)を睨んだ。

 腹を見透かされて、確信を突かれ痺れを切らした骨皮一直が、どうにでもしてくれという風に大の字に寝転がり、「いーや、金は何とかなるらあ!。」

 どう転んでも結末は分かっていた。

「先に五百万や千万や要るやろうに・・・。」

「現金を持っとらにゃあ。」

「なあ、一直?」

  宅造の幼馴染みにひもじい想いをさせる訳には行かなかった。

 だから一直の懇願を拒んだ。

 「播摩市は、湊川の氾濫によって開発が進まんのです。」

「どうか、どうか!」

 播摩市役所の助役も頭を下げていた。

 やがて来る播摩市の人口増加に対応した湊川の治水による河川地下埋設と、市営住宅の建設を計画する播摩市の助役月島勇に計画を聞き、「そうまで言うなら。」と、重い腰を上げた次第には黄昏ダムを開発し、石井川と天王谷川を塞き止め湊川の氾濫を抑制する代わりに黄昏村が、青黒く冷たい水底に水没するものだった。

「引き換え条件としてな・・・。」

 

  驚愕した!

 宅造への返事を持ち帰った和田博信は、早速に播磨市長へ報告・連絡・相談するも市議会に宅造の交換条件を提出し、是非を仰いだ。

 市議会の中には、それを聞いて激怒する者も居り。

 深く頷いて「賛成ですな。」と言いながら扇子で扇ぐ者も居て市議会は遅々としていた。

 半年も閉会せず宅造の想いを理解した過半数の市議が賛成票を投じ大岡裁きに決着が付き宅造の議案は可決肯定された。

 

 ケンは死ななかった。


 兎に角、成功率20バーセントの難関を突破したからだ。

 かつて瞳がブルーな死神の婆さんに遭遇して「子供は生きにゃあな?」と言われた。 

 それが一因だとしてもそんな希な出来事があって良いものか、「子供は・・・。」と言われたが、誤解にしても「子供は生きなアカン。」年端の行かない子供だから生きるべきだ!

 だから生きなさい。

 子供だから・・・。

直志はどうしているんだろう?

 彼の堅実な性格からして公務員が適当かも知れんな。

  二歳年上の幼馴染みとして、弟を案じる気持ちには変わりない。 

 今の今まで神のようなそんな考えだった。

 直志が生かしてもらえるなら何処か遠くで生きていても良いと感じた。

残るは芽衣子か。 

 芽衣子のふざけた顔が浮かんだ1秒間で、気分がガタガタのネガティブ方向に加速を付けて転がった。

 何で宝塚歌劇団を撰んだ?

 しかも合格しやがった。

 別の新喜劇でも良かったんじゃないか。 芽衣子の芸風からして?

 しかし、生かしてもらえるのなら敢えて宝塚歌劇団で良かったかもしれない。

 今後、芽が出ない。

 出ないとも!

 ケンは芽が出ないと言い切りたかった。

  出て溜まるか!

 宝塚歌劇団出身の人には、華々しい活躍をしている女優がいる。

 が、それも宝塚の頂点の一握りだ。 

  だから憧れや趣味の領域を越えてまで職業にしようとした芽衣子は、絶対に芽が出ない!

 ボヤけた頭で病室の天カセを見ながらボウッと考えていた。

 大部屋の片引き戸がサラサラと開く。

 コツコツと足音を鳴らし近づいて、病床付属のパイプ椅子に新生児を抱き座るケメコに会釈をし「曲がり角さん失礼します。」

「可愛い赤ちゃんですね。」

「名前は付けられたんですか?」

「女の子なんで沙梨(サリ)です。」我が子の話題に少し微笑んだケメコの応えに少し頷きケンを見た。

「サリーちゃんですか。」

「やっとお目覚めやなケンくん?」医師は、綻んだ笑顔をケンに向けた。

「ホンマ面影がダブルねえ。」白衣の両ポケットに両手を突っ込みマジマジと顔を突き出している。

「笑ってみてケンくん?」

「ホラホラそれや!」注文どおりに相手が満足するとケンは、胸中にモヤモヤした煙の様なものが溜まりそれは、激しい呼吸をしても吐き出されず、幼馴染との再会は劇的に感動シーンだったりするものだが、ケンのそれは、無感動のうちひしがれた感情を新たに持ってしまった。

 ニンマリとケメコに会釈をした。

「可愛い名前ですね。」

 と、言い医局へ帰って行った。

 槍直志(ヤリナオシ)は、播磨医療センター脳神経外科のドクターに成っていた。

 ケンと近所中を走り回って佐橋さんの庭に生っている小さな無花果の実を勝手にもいで食べていた直志。

 中畑の婆さんに見付かって。

「まだ子供の無花果やのに。」

「なんて事をするのッ!」としこたま怒られていた直志…。

 おだいしの梺で防空壕の大岩石を動かそうとして、オシッコを洩らした直志…。

 その直志が、ケンの開頭手術をした。

 主治医だった。

「痛い!痛い!痛い!」

「開頭手術の後は凄く頭が痛いです。」

「麻酔が切れたら本人さんは叫ぶでしょう。」

「脳幹付近に大量の出血が身請けられたので明日くらいに失語症が出るでしょうね。」

「しっかりお付き合いしてあげて下さい。」

「奥さん?」

「それと、残念なお知らせです。」

「隠しても分る事ですから・・・。」

「ちぇッ!」

「マイッタ。」

「やつの事を心配するんじゃなかった!」

「とんだお人好しだ。」 

「直志が医者になっていたとは。」

 ケンの学歴は、高校卒業でピリオドだ。

 職業は夢野商店街の端にある小さな店舗の主人だだ。

 従業員はパートのおばちゃん二人が働く靴屋だ。

 しかも自分で立ち上げたのではない。

 父ちゃんの遺産を相続しただけの話しだ。 大して努力も苦労もしてないんだ。

 ケメコに助けられてばかりの人生だった。 

考えもなしに生きてきた。

 

死に神に生かされてきた。

 

流れに任せて。

「もっとちゃんと勉強しといたら良かった。」という日が来るけど。」

「それはケンが悪いのよ?」

 母ちゃんの言葉にまだ先の話しと高を括っていたら今、直面している。

 もっとちゃんと勉強しといたら良かった。

かもしれない。


 6章 「肥満黒人のカークランド・ジュニア・ロバーツ」


 ケンは肯定しなかった。 

勉強机に向かうケンは、ふざけた少年だったのを 面影が鮮明にフラッシュバックしたからだ。


「えっ?」

「そうですか分りました。」

「残念ですね・・・。」

「分りましたけど。」

「失語症とは何ですか。」

「槍先生?」

 両手指を組み祈るように胸の前で手を翳した。

「それはですね。」

 失語症とは・・・。


読む。

書く。

聴く。

聴いて理解して答える。

 あらゆる言葉に関して障害が出ると言う事で、それを改善するには日記や文章を書くなどする。

 文字と触れあう機会を多く持つ事とされている。

 初のリハビリテーションは言語聴覚療法だった。

 播磨医療センターではリハビリセラピストが、患者を病室まで迎えに来る。

「言語聴覚療法士の岩崎です。」


「初めまして。」

「曲がり角さんリハビリ行きましょう?」車椅子を押して言語聴覚療法室へ入室した。

「私の言った言葉を繰り返して下さい。」


「ささぎに酢をかけ・・。」

「さ、し、す、せ、そ」

「さっさぎにしゆをかっかけさししゅせよは。」

「子えびも浮きもに泳いでる。」

「こえみももうきもものに泳いでる」

「、山田に灯の点く宵の家。」

「雷鳥は寒かろらりるれろ。」

「雷鳥は寒かららるらろれ。」

「らりるれろですネ。」

「曲がり角さん?」

「アメンボ赤いなあいうえお。」

「アメンボ赤いなあいうーお。」

「あ、い、う、え、お。」

「シッカリハッキリ発音しましょう?」

 吃音が出た。


 戸惑うケンは・・・。


「イッ、痛い痛い!芽衣子!」

「ふんふんふんのふーーんッ!」鼻唄で誤魔化した芽衣子に呆れ顔でケメコが呟く。

「あんた達兄妹。」


「仲がよろしいワネエ?」

 車椅子を押しながら嫌味タップリ芽衣子に中傷した。

 のに、「そうだねケメちゃん?」


「黄昏貯水池の時から良く言われてるよ?」


「違う劇団に行けば良いのにメイコ?」播磨医療センターは、播磨市熊野にある。

 総合医療のリハビリテーションは、播磨市内のリハビリ病院より群を抜いていた。

「理学療法の時間よケンくん?」

「朝一からやってくれるのね。」

「ありがたいワ、ネ?」

「もう一生歩けないんだね。」

「ケメちゃん?」

「歩けるよバーカ。」

「槍先生がね。」

「転勤ですって。」

「ケンくんの命を救ってくれたのに。」

「ネ?」

 車椅子を押してもらいながら、「そうかラッキー。」

「直志が転勤!」

 差が付いた幼馴染に無様な姿を見られたくは無い一心で医療センターの廊下を行くのにも槍直志と出会わないか内心ドキドキのケンだった。

 明日から顔を上げて居られる。

 小さな幸せを感じるケンだった。

  普通速度の会話さえも。

 普通生活レベルの歩行さえも。

 不可に近い処に自分は居るんだ。

 と卑下してきた。

  来る日も。

   来る日も。

    来る日も。

     来る日も。

     来る日も!

 「全力で治療してあげられるとおもっていたのに・・・。」

「ケンくん・・・、あの奥さんで良かった。頑張ってくれ。」

 幼馴染の後遺障害を背中に背負って、槍直志は、播磨医療センターを後にした・・・。

 枯れ掛かったケンの思いを把握していたのはケメコだった。

「歩きたかったらリハビリ科の新しい先生の指示に従いなさいよ。」


「ケンくん?」

「ところでケン、ハイスクールの時、ステディはいたのかい?」同部屋の超肥満黒人カークランド・ジュニア・ロバーツの質問にケンは、即答出来なかった。

 何故なら青春時代持のケンはモテなかったからだ・・・。

 12回連続フラレた経験を持つ。

 それというのも庄屋三咲と引き離されてから寂しさのあまり学園中の女子に手当たり次第交際を申し込んだから、相手から気持ち悪がられて連敗を喫してしまった。

 逮捕された元スケ番の元彼と交際を許したら出所後の三咲にどえらい報復をされるのが恐くて首を縦に振らなかったからだ。

 その間ケメコは悩み続けるケンを傍観し、見守りを決め込み何らアドバイスさえ出さなかった。

 彼女の心情は、めでたく交際が成立しなくていい。

 しかも元カノが殺人未遂の容疑者なのに彼女を作る事なんて考えられないだろう。ケンが早く正気に戻って欲しかったからだ。

「曲がり角さん郵便が転送されて届いてますよ?」ヘルパーが、ケンの病室へ届けてくれた。

「ありがとう。」徐に封筒を開封して、中を取り出し読み始めたケンは、郵便を読まずにサイドテーブルに置いたまま病室を後にした。

 ケンに届いていた郵便物は、夢のまち学園の同窓会の案内だったのに一読もせずに外出したのだ!

 ケンの思いは、バッとしない学園生活だったからクラスメイトも覚えて居ないだろう…。

 僕の様な者がイキナリ参加したら車椅子のケンを見て一瞬たじろぐ姿が、想像つくに違いない!

 階段でもあったら一大事だッ!

僕の様な者が参加したら迷惑だろう。

 ヤッパリ不参加にしよう! 

僕は、ヤンチャでもなく面白い事を言ってみんなを笑わせる訳でもないし、それに卒業前の学園では、告白12連敗!

 どうしようもなくクラスで一人浮いている男子だと思っていた。

 「オーイ曲がり角!」

「出て来い。」


「見舞いに来たぞ!」声のする廊下に出てみた。

 出てみたら夢のまち学園の三年の同級生が見舞いに来てくれていた。

「ここで同窓会だ!」

「歩けよケン?」

「俺達はオマエを見捨てやしないさ!」

 どれだけ心強い事か! ケンはみんなの勇気を貰って歩き始めた!

「歩かせてあげますよ?」

「その代わりここで3ヶ月程度。」

「みっちりリハビリ入院をしてください。」

「立派に歩けますから。」

「曲がり角さん?」

「今はクローヌス(膝蓋腱反射)が出ていてね・・・。」

「歩行時にバックニー(反張膝)が連発してますからね。」

「行く行くは左膝間接の軟骨が崩壊します。」

「そうですね・・・、激痛で歩けなくなります。」

「その前に膝を曲げて歩く訓練をしていきましょう?」

「曲がり角さん安心して下さい必ずよくなります。」

 主治医が変わった。

リハビリ科医の海山ドクターだった。

 この日からケンの車椅子生活の気持ちに反転し、新たな気持ちに切り替わった。

「車椅子を返却して歩けるものなら歩きたい。」という意欲的な灯が点きケンの常識では、計り知れない理学療法でのリハビリの案件を必死で体得して行こうとしていた。

が、ケメコのいつもの暖かい風は、六甲おろしの様に、病棟のデイルームで、ケン、芽衣子、ケメコがコーヒーを飲み休憩をしていた。

 ケンは相変わらず車椅子に乗り、それが当たり前の様に思い始めていた所・・・。


「フェーン現象やな、ケメちゃん?」後ろ手を組みながら口を挟む芽衣子に苛立ちを隠せず「だーからッ!」

「ケメちゃんは止めなさいってば。」

「メ・イ・コ!」右手で首根っこを鷲掴みグイッと、チカラを入れた!「痛いよケメち、ケメ姉ちゃん!」

「あなたシビアな話しは出来ない様ね。」

「芽衣子?」

「出来るよ。」

「私の性に合わないだけよ。」そういえば爺ちゃんが言ってたな。

「芽衣子は繊細で人の事を気に掛ける事が出来る。

「芽衣子は優しさに包まれとる。」

ケンは車椅子に座り、ボウッと眼の前で起こっている事が遠くの事の様に考えていた。

「ケメコお姉さま?」

 腹癒せに車椅子のケンの耳タブをつねった!

「痛タタタッ。」

「芽衣子ヤメロッ!」芽衣子に現実に引き戻したケンは眼の前の紛争を前から続いていたのか、今始まったばかりなのか全く分からないまま不利益な事が収まるように静止だけはしていた。

 右手を伸ばせるだけ伸ばした。

泡よくば芽衣子に当たってくれと動く右手をブンブン振り回したケンは、脳出血急性期の回らぬ首を目一杯顎を上げて芽衣子を確認した。

 しかしすばしこい芽衣子はヒョイ! と、一寸法師の如く左へ往なしてケンのパンチを避けた!

「バカケン!」

「ベロベロバアー。」と、子供の頃がリフレインした様に真剣に兄妹喧嘩に取り組んでいた。

「アンタ達・・・。」


「何歳なの?」芽衣子の嫁入りは遥か彼方に思えたケメコは力なく溜息混じりに取り敢えずは静止だけはしておいた。

「病院来てまでケンカね。」

「呆れるワ!」

 ケンの左麻痺足は、内反尖足だった。

 つまり、脳血管障害が一因で、右脳の神経細胞が壊死し、右脳からの命令の電気信号が届かず足間接の筋肉が反乱し、足底が内側に引かれて小指と足底エッヂが足底の代わりをする。

 究極の後遺症で、起立した際には、小指が酷い劇痛に苛まれ歩行困難に陥る症状だった。

 依ってケンは劇痛の為に歩行が出来ずに移動には車椅子を使用せざるを得なかった。

「リハビリ頑張れば、数パーセントの麻痺患者が、歩けるようになるらしいよ、ケンくん!?」

「えっスーパー銭湯行ったら歩けるのケメちゃん?」ケンの目がキラキラ輝いていた。

「ハア?それは、神のみぞ知るよ、ケンくん?」

「カニの味噌汁?」

 「ワザとか、救い様がないぞオマエ?」と思えるほどボケまくっていたケンは、元主治医の槍直志に高次脳機能障害と診断されていた。

「ハア~・・・。」

 大きく深い溜め息は、ケメコの専売特許だった。

そして、ケンと同室の入院患者に現在の外国人横綱を彷彿とさせるクリエーターのカークランド・ジュニア・ロバーツがヤリナオシ槍直志と、入れ替わりで糖尿病治療と、ダイエットの為に入院していた。

 敬虔なクリスチャンの彼は、超肥満打破の壮絶なダイエットをするために入院をしていたが、彼は太ってから真剣にキリスト教徒になったようで、子供の頃は、いたずらっ子で、無邪気に笑う時折キラリと見える犬歯が、愛くるしいと言われていたそうだが、現在体重は、200㎏を軽く超す勢いで彼の私生活では食生活の方が完全に崩壊していた。

 イエスの教えに抗うかの様に朝からフライドチキンとアメリカンドーナッツ約3㎏を平らげるが全然運動はせず、自宅ではベッドの上で洗顔、歯磨きをし、朝寝を昼までする。

 昼食は直径40センチのツナチーズベーコン入りのピザを平らげる。

 運動と言えば、テレビのリモコンを指で操作するだけで彼の事務所スタッフが、身の周りの世話をしてくれているから益々カークランドは、怠惰な生活を送らざるを得なかった。 

 彼は当然昼までベッドの上で過ごしていた。

最悪のディナーでは、ビーフカツレツ、粉チーズタップリのミートボールスパゲティ、コーラ2リットル、デザートはホットチョコレート、バケツの様なバニラアイスクリーム等、ベッドに入ってからは、レーズンバタートースト2枚。

 トイレでは下腹の脂肪が臍の瞼の様になって醜く垂れ下がった腹を両腕で持ち上げ、ペニスを確認しながらオシッコをする。

 当然便座に座って居なければ出来ない所作だったが・・・。

自宅では俄かに歩けたがボンレスハムの様な太股が内股をお互いの脚を擦って摩擦熱でヤケ爛れていた、

 体重は、200㎏を超越し、ベッドの上では身動きが取れず、排尿、排便は、ヘルパーに委ねていた。

「今幾つだい、カークランド?」


「35歳だ、オシッコは甘い匂いがするし泡だらけだ。」

「体重は、202㎏だよ。」そんな事まで聞いてない。と、思うケンに「腹減らないかケン?」唐突に聞かれたが、別に腹減って無かった。

 腹減らないか? の口癖のカークランドが言うには、アパルトヘイトが酷い合衆国の北の州のカオスな片田舎の町で産まれたと言うカークランドは、生まれつき肌の色が黒いせいで、「闇夜を歩くのに気を付けな!?」

「オマエの肌の色が黒いせいだぞ。」

「車のヘッドライトが吸い込まれるんだ!」

「全身をチンポの先までだ!」

「真っ白に塗っていろ!」

「ブラックホール!」

「暗黒ロバーツ!」と言われる始末で彼は、ストレス食いでこうなってしまったらしい。

 人は、肥満をぐうたらな人間だと決めつけて遠巻きにしか観ず決して内面まで立ち入らない。

 決して原因を探ろうとしないで、肥満の理由を聴くと「それは良い訳だ!」と、決め付ける。

 それはケンの脳出血発症の評価も同じで「貴方が選んだ人生だから・・・。」と、返す言葉を遮るコメントを聴かされ続けた。

 誰が半身麻痺の人生なんか選ぶものか! 心ない無機質なコメントは止めてもらいたいと、そう憤りをケンは禁じ得なかった。

 誰の人生にも因果応報、理由は必ずある。

上澄みだけ啜る彼らが・・・、分かっている様で分かっていない彼らが・・・、コメントするようにカークランドも偏見に満ちた見た目だけで批判をされ傷付いたのだろう・・・。

 しかしケンは、黒人のカークランドも秩序と良識のある日本ではこんな事態を映画でしか観たことがなく、想像に任せるしかなかった。

 

「それはそうとケン。」

「デビューした地域はさ。」

「ユメノビレッジだろ?」

「僕の産まれ育ったのはミシガンだ。」

「ここでは涼しくてとてもセミは鳴かない。」

「僕が子供の時に日曜学校で礼拝していたんだ。」

「そしたら近所の日本人がやって来た。」

「やつらはセミを採りに来たんだ。」

「僕は焦った!」

「生き物は、キリストの遣いだからだ!」

 滔々と、ケンの瞳を見詰め、彼の瞳にはケンしか映っておらず多分、子供の頃のカークランドの瞳には爺ちゃんとケンと無数のセミが映っていたんだろう・・・。」


「なぜ水を・・・。」

「えッ?」

 不思議そうな眼差しをしていた。

 ケンの全容を見詰めるカークランドには、大人のケンしか映っていなかった。

「何故水をかけたんだ。」

「僕と爺ちゃんに?」

 ケンには沸々と怒りが込み上げ、この場でミサイルをぶちかませてやろうか! と思ったホド、当時の夏の暑い白い朝に回帰して行った。

「あっ!」

「モシカシテ?」

「アノときの?」

「サムライのグランファとケンか?」

「そうだったのかケン?」

 カークランドを睨むケンに気付きもせず、「イヤア、懐かしいじゃないかケン?」

 そう言ってブヨブヨの太った黒い右手を差し出し握手を求めていた。

 右手を出していた。

カークランドを睨みながら慌てて手を引っ込めたケン。

「そう尖るなケン・」

「日本とアメリカだぜ?」

「安保理で固く護られている。」

 優しく宥めるカークランド。

「さあ。」

「シェイクハンドだ。」

「ケン?」

 ベッド上で上体を起こして太く短い両脚を長々と伸ばし広角に拡げていた。

 暫くして「フゥー。」

と短く息を吐き車椅子を片足で漕いでカークランドに近づき、右手を差し出した。

「そうこなくちゃ。」

「ケンいい男だ。」髪の毛が短くクルクルとウェーブが掛かった頭がウンウン! 

 と上下していた。

「アノときは済まなかった。」

「グランファにソーリーと。」

「言っておいてくれ。」

「彼は健在かケン?」

「爺ちゃんは死んだ…。」

「病気ではない。」

「心不全だカークランド?」

 シェイクハンドを外したカークランドは、両手を組み額に翳して「オー!マイゴッド!」「 アーメン。」胸の前で十字を切った。

 爺ちゃんは優秀な艦上零式戦闘機のパイロット、ゼロファイターだった。

日本海軍や米軍海兵隊の軍人からは、エース(撃墜王)とも呼ばれていたそうだ。

 オニヤンマの様に大空を滑空しては、米軍のヘルキャットを5機以上捕食していった・・・。

 太平洋戦争勃発当初は戦がヘルキャットを圧倒していた。

 やがて、アリューシャン列島のアクタン島に不時着したゼロ戦が丸裸にされ米軍が研究に研究を重ねたグラマンが日本の空を制圧する日がやって来た。

 それは、禁輸制裁を受けて燃料不足なのにも拘らず急ごしらえの先制攻撃、所謂奇襲を掛けざるを得なかった日本の末路を物語っていた。

 

 カークランドは、アメリカの黒人公民権運動の指導者、キング牧師をリスペクトしていた。

 奴隷解放宣言が出て百周年にワシントン大行進を実現し、バスボイコットやシットイン(座り込み)など非暴力の方法を取り公民権法を成立させると成果を上げ1964年にはノーベル平和賞を授与された。

 だが1968年、テネシー州のメンフィスで、暗殺された。


 カークランドは、キング牧師の暗殺によって彼自身のイデオロギーには非暴力が根強く育っているが、子供時代の夏の頃、ケンの爺ちゃんに水を掛けた事を大変後悔していた。

「それはキミの人生の汚点なのか、カークランド?」彼の口からイエスと聴く為にケンは、執拗に問い質した。

「別に汚点だと思っていないよケン?」


「子供時代の身勝手な行動だぜ?」

「誰にだってあるサ?」

「何故ワザワザ掘り起こすんだろう。」

「それに目くじらを立てる方が、どうかしてるのさケン?」

では、「今でも反戦主義なのか?」と、改めて聴くと、

「マイライフのイデオロギーは揺るがない。」

「今でもパパとママを好きなんだ。」

「それと変わりはないよ。」

 カークランドの見た目とは違う根幹に図太いマニフェストが、入っていると気付かされた。


 こうして日本播磨市の片田舎で、二度目の口頭による日米安保条約が締結された。

「シカシ、キミのグランファは物凄くデンジャラスなサムライだね?」


「僕はもう叩き切られるかと思ったよ。」

「だからね?」

「とてもアメリカ人には居ないタイプだよケン?」 

「僕の爺ちゃんの事を評価してくれるのか、カークランド? 」

「爺ちゃんは、アメリカ人と見ると否や切り捨てる人だった。」

「だから危険人物さ。」

「カークランド?」

「それは、戦時中の事だ。」

「日本では敵国のアメリカ人をケトウ扱いし

ていたからね。」

「鬼畜米英と言ってね。」

「カークランド?」 

「でも、爺ちゃんは一途で真面目な人なんだ!」

「 ホントに愛国心を持ってるネイティブの日本人なんだよ。」

「カークランド?」

「だからキミが爺ちゃんを見たとき、キミもアメリカに愛国心を持っているからシンクロしたんだ。」

「きっと・・・。」


7章 「勇二の愛息」 


「お父ちゃんトンボ採って!」

「ホイホイ待っちょれよー。」 

 おだいしの頂上は、福寿院の小さな祠がこじんまりと建っている。

 七雄が五歳になった夏、祝いに七雄を連れておだいしに登った。

 途中、「あッ!」

「お父ちゃんぶつかる!」

  驚いた勇二は、七雄を振り返り「どうした七雄。」

「誰もおらんぞ?」

「さっきオッチャンとオバチャン。」

「通ったでしょ?」


「赤い服着ていたよ?」必死で七雄は、訴えた!

 その懸命さを見て勇二は、背筋が寒くなった。

 それ以降勇二は、おだいしの山頂までの一本道を登るのは遠慮していた。

 若しくはここを通らざるを得ない時、ジグザグに歩いてやり過ごした。

「死んだ人がな・・・。」

「何も分からんからな。」

「おだいしに参りよるんや。」

「邪魔をしたらいかんのよ・・・。」

 明治三十八年十月、黄昏ダムは、竣工完成した。

 当時は、まだ貯水池と池畔のセメギ合いにフェンスは無かった。

 それ故に釣り人や水遊びの子供達が、貯水池へ入り、水難事故に遭っていた。

 それを重く見た播磨市が貯水池の外周に境界フェンスを巻いたのは、昭和に入って第二次世界大戦が勃発し、昭和二十年八月、終戦直前の播磨市大空襲に播磨の空も日夜、グラマンに脅かされるようになってから境界にフェンスを設える計画が可決された。資材不足の日本では、直ちに着工とまでは行かなかったから計画だけで何年も放置sれていた。

 空襲で全身大火傷をした播磨市民が喉の渇きに飢えて貯水池に入り込み水をがぶ飲みした。

 やがては火傷のショック症状で急死し、貯水池に浮かんでガスが溜まった腹は、パンパンに膨れ時間が経つに連れ異臭と腐食の変色が著しい水死体が黄昏貯水池の水面一面にユラユラと波の赴くまま揺れていたという。

 大正十年に七雄が生まれた曲がり角家は、裏庭に井戸がああった。

 躊躇いも無くそこで、洗面や米を磨ぎ野菜などを洗っていた。

台所は、土間のままで直接水道栓を捻るなどという近代的な設備はなく厠は、落とし込みの昔ながらの厠だった。

 衛生面は家族全員馴れたものだ。

 井戸水で手を洗えばそれで事足りると思っていた。

 あるしとしとと、湿っぽい雨が続く梅雨の七月初旬、昼飯に握り飯を食べた七雄は、一夜明けたその朝、全身がフワフワと軽く感じた七雄は身体が熱いと訴えた。

 夜遅くに帰宅した勇二は多少疲れは残るものの七雄が風邪でも拗らせたか程度に思わなかった。

 が、オマケに朝から腹痛を伴う下痢の症状に意識が朦朧として譫言のような、良く聴けば、「お父ちゃん・・・。」

「お父ちゃん・・・。」

「トンボ採って。」

「お父ちゃんのゼロ戦で僕を乗せてや・・・。」溜まりかねた勇二は、東山にある大病院の医師を往診に来てもらった。

「七雄くんは間違いない。」消毒液に手指を浸け、サッとタオルで拭った。

「赤痢だね。」七雄から視線を外し勇二に向けたが、勇二は潤んだ眼差しで・・・。七雄を包むように見詰めていた。

「勇二さん? これは流行り病だ・・・。」

「だから今夜が山場だよ。」慰めの言葉は出せず通り一遍の医者の言葉が、この場を均して行く・・・。

「食事は湯を沸かしたらいい。」

「粥を食べさせる事だ。」

 黙ったまま、勇二は、二度頷いた。

七雄の枕元で、勇二と福世は少し窶れて座っていたのを七雄を覗き込む様に「七雄…。」前髪を撫でる勇二は、「おりこうさんや・・・。」いつもの様に七雄にする様に語りかけていた。

「代わってやれるんなら代わってやりたい!」

「ワシの命を引き換えに。」

「神さん七雄を助けてくれ。」

「神様!」

「七雄の希望通りにワシのゼロ戦に乗せて。」

「大空を飛んでやりたい!」

 親ならではの心情だった!

 

  白い月が沈まなかったその夜。

 夜明け間際に薄白い上弦の月が顔を浮かべた。

「雨の上がった朝・・・。

 七雄は静かに天にフワフワと風に吹かれて召されて行った。

 七雄は上を向いてクルクルと舞いながら勇二と一緒にゼロ戦で飛んでいるように右手を空に翳しながら・・・。

 明治38年。

 七雄が七才になった年だった・・・。

「福世、ワシと分かれてくれ!」


 ガタン!

 突然ベッドの中央が折れ曲がってカークランドが腰折れでもがいていた!

いつも通りに背中をリクライニングを保々直角にせっていして寝ていた。おうしないと胸や腹回りの皮下脂肪の重みで呼吸困難に陥る恐れがあるため、引力に抗わず椅子に凭れていれば皮下脂肪も下に落ち、喉元がスリムになって自発呼吸がし易くなる。

「カークランドの重さに耐えかねたんだ。」

座ったままのカークランドは、中々起き上がれないでいた。

「ベッドが変形したんだな。」

 実は、車イスやトイレの便座にも座る度にバキバキと不快なノイズを立てて崩壊させていた。

「今度設備を壊したら退院してもらいますから。」

「糖尿病が貴方の全身を蝕む前にダイエットに成功して下さい!」

「それが嫌だったら餓死寸前まで頑張る事です。」何時に無く真剣な眼差しのナースは、懇々とカークランドに言い聞かせる様に肩って病室を後にした。


「それが私達スタッフの心を動かすのですよ。」


「ロバーツさん?」

 と、看護師長が勧告していた。のに、

 まるで飼い犬の様に五分も持たなかった。

真剣に注意を受けたカークランドは、看護師の熱い言葉も心を打たれずに病院の食事に不満を持ちシークレットで営々と食事をしていた。

 空腹の猛獣が、如く・・・。

彼のシークレットは、一階のコンビニエンスストアのイートインでサンドイッチや菓子類を食べに食べる事だった。

 彼の体重は、200㎏を下回らず優に03㎏以上をキープしていた。

 それはストアの商品が半分くらい消費してしまう勢いでカークランドの食欲は、留まる処を知らなかった。

 カークランドの口癖は、「僕がハリウッドのメガホンを取ったら…。」で、彼はSFか、ホラー映画が好きだった。

 ヒューマンやミステリーは、興味がなく「サンゲリア」や「死霊のはらわた」を好んで観たらしい。

「キミは脳出血だったよねケン?」


「例えば、狂犬病のウィルスが人の壊死した脳細胞を甦らせる・・・。」


「なんて話しはどうだいケン?」


「しかもそれを発見したのは。」


「またまたリケジョなんだ!」爛々と輝く瞳はカークランドのものではなく、そのリケジョが憑依したとしか思えなかった。


「ストーリーはこうだ!」


「 タイトル(マッドブラッド)のプロットを要約して言うよケン?」


 「キャーッ!」


「逃げて!」

 カトリーヌ先生が、狂人病のイザベラおばちゃんに捕まった!


  彼女はマッドブラッドを発症していた。

 マッドブラッドとはリケジョのローラが、狂犬病のウィルスから発見したサバン細胞を脳卒中後遺障害緩和の為に医療に使用した細胞だった。

 しかしローラの妹、ダーメンが、発明家タイムと組んで車椅子型タイムマシーンを操作し盗み出した。

 サバン細胞の中に瑕疵がある事を見抜けず。

 サバン注射一本百万円なる悪徳の商売で金儲けを企み、サバン注射後マッドブラッドを発症したイザベラが、小学校経論のカトリーヌを羽交い絞めにしてマッドブラッドを感染させてしまった。

 二人のマッドブラッド患者に追い駆けられ逃げる月島アムロと近藤勲は、小学校に逃げ込み校長に助けられる。

 実はサバン細胞は、日本政府がミサイルを撃ってくる北隣の国家、(キーントンの滅亡を計った軍事機密兵器だった!

 大人になった厚労省の近藤は、命令通り篠原組の組員を誘拐して金豚国に送り込み滅亡に追い遣る。

 しかし近藤はかつて近藤に利用された篠原組の報復により無残な殺され方で、六甲山中に遺棄されているところを発見される。

 アムロは近藤の墓参りに行きカトリーヌ先生と26年振りに出会う。

 彼女の吐いた言葉は驚愕の事実だったが、元夫の校長は上原先生にDVをし続け癌で死んだ。

 そして次の夫近藤君は篠原組に殺された。

 なんとカトリーヌ先生は16歳年下の元教え子と婚姻していた!

 そして、彼の男らしい性格を知り、月島アムロは、近藤勲の墓前で彼をリスペクトする。「終りだケン?」


「・・・なんだか刹那的だね。」


「絵コンテが面白かったよカークランド?」


「 全体の文章を読みたい気もするが・・・。」


「でも、脳出血の障碍者なら映画を観たいと思う筈だよカークランド?」

 ケンは、カークランドがアメリカ人なのにここまで日本に詳しいとは知らなかったと想い、舌を巻いていた。

 金豚国とは例のロケットヒューマンの事か?

 

 カークランドは突拍子もない事を考え付く人だと感じていた。

 平凡な思考回路のケンの頭では、なかなかこうも行くまい。


 「この病院に来て思い付いたんだよケン?」


「この病院に入院しているのは、脳卒中で半身に障害を負った人ばかりだ。」


「その中にケンが居る。」


「そしてたくさんの老人も一緒に入院している、」


「しかし、彼らは自分で出来る事をしない!」


「 両手両足を使えるのに! だから一向に改善しない!」


「 痴呆になる一方だ、方やケンは、自分で出来る事は、助けを借りないでそこはかとやり遂げてしまう。」


「そんな日常を送っている内に沸々と沸き上がったんだアイデアが!」


「マサにデクのストーリーなんだよケン?」


「大勢の老人を見ている内に発見したんだ!」


「 彼らは、ここを老人ホームだと思っているんじゃないかと。」


「いや、老人ホーム代わりにしているんだよケン?」


「だからナースやヘルパーの仕事が日々苦しくなっているんだ!」


「やつらは、デクなんだぜ?」

 急に声のトーンを落としてケンの瞳を真っ直ぐ見つめたカークランドには、ケンは頷かなかった。

 何故ならケンはカークランドの言った通りだと感じていて只、陰口がキライだったし言いたい事があるなら相手に伝え難いならどんな手段を

使っても伝えてしまうからだ。

 ただし、匿名は使用しない。

外国人でさえもそう思っているならば日本人は、百%そう思うだろう。

ある意味カークランドの目の付け所は、正しいと言えなくはない。

 只、入院している老人の様に足腰が弱まり二度と歩けなくなるまでリハビリを続けよう!と思うケンだった。

 しかしながら、初めてカークランドの構想を聴いたケンにはあり得ない世界で繰り広げられるミステリー、ホラー、ラブストーリー、やらミックスで覆い被さっていた。

 これが映像化したらきっと魅力あるヒット映画になるだろう…。

 一頻りムービーの構想をぶちまけた「僕がスマートな体型だった頃・・・。」カークランドは昔ばなしをするときは何時もスマートな頃のカークランドを引き合いに出す。


「…だからオレは、ゲイなんだケン!」

「だから何なんだ、カークランド?」別に驚かなかった。

 日本中何処を見ても男女にはゲイが多い。

 今やネット社会の昨今、カミングアウトする若者もポジティブに多い。

 しかし、この後に続くカークランドの体験談にはケンのパーソナルが反転しそうだった!


背中のホックを外して胸に手を回した。


「膨らんで無いんだねカレン?」


「ええ…昨日…射ったばかりだから、女性ホルモン・・・。」


「それにしても失礼な人ね胸は軈て膨らむわ?」


  オレは、仕方なく女の人にも良くやる手を回して胸を揉み、ピン!となった乳首を掌で転がした。

 時折、背中がビクン!として、「アン!」とソプラノで鳴いていた。

 時折乳首を指でコリコリと転がしたらカレンは、エビ反りになって顔を仰け反り唇を求めてきた。

 オレは、反射的に彼女の顔を抱えて唇を力強く吸った!彼女のプクッとしたコラーゲンタップリの唇や舌は滑らかでとても男の物だとは思い難く、女性と絡み合っている逢瀬だと錯覚したほどだ!


 カレンとはネットの出会い系サイトで知り合った。

 オレは、シーメールという言葉が、馴染み薄く興味本意の怖いもの観たさでプロフィールをカレンに送信した。

「恋人として会いませんか?カークランド。」

 直ぐにカレンから返事が送信されてきて、「今日会いたい…。」

 添付ファイルには超マイクロミニを履いたムチムチとした白い太股を露にして肩まで出したシャツのセクシーな装いの写真を載せていた。

 待ち合わせの場所に自宅マンションの下を指定してきたカレンは、一階のコンビニ前で待ってとあった。

 オレは、愛車のシーマを転がしてイカすサウンドを回しながらシーマの車窓を眺めて待っていた。

 ひとしきりザーザーと大雨が降り、小雨になった当たりでコンビニからセクシーなマイクロミニを履いたカレンが傘も差さず飛び出してきた!

オレは、車窓を開けて左手を上げてカレンに分かる様にバタバタと、降り続けていた。

 やっとオレのシーマだと認識してドアを開けるなり身体を滑り込ませたカレンは、ストッキングを履いてなく白いナマ足が光ってボブショートのうなじからバイオレットのパヒュームが漂ってきた。

 目のやり場に困ったオレは、カレンの頭を見て「何処へ行こうか?」とイキナリ聞いたものだから「カレンよ初めましてお腹空いたわカークランド?」メールのやり取りで名前を覚えていてくれたカレンに有頂天になり明石港辺りまでシーマを走らせた!

 それを聴いたら何だか僕もお腹が減ってきてこの道路の先にあるのは、ウェザーリポートという海岸線の見えるレストランへ誘った。

 海岸線沿いにこじんまりと建てられたコテージは、遠く淡路島のイルミネーションを臨める造りになっていた。

 ショットで生ビール、彼女はバイオレットフィズを注文した。

 それにしてもヨコ4メートルはあるワイドビューな窓は硝子はなく潮風が直接僕達の顔面に当たるから髪の毛や頬は潮でベタベタになっていた。

 そんなことは御構い無しに彼女は喋り続け、何故女装をしているかなどと自分の生い立ちまでカミングアウトしてくれた。

 話しは長く続きラストオーダーの時間になったから店を出てシーマに二人乗り込んだ。

 まだ飲み足りないと言った感じのカレンは、「このあと、何処へ行こうか、カークランド?」そう言ってカーディガンを脱ぎ捨て両手を上げ、裸の脇下を見せ付けた。

 カレンの脇は無駄毛がなくツルツルでアソコにキスをしてキスマークを付けたい衝動に駆られ「潮風を洗い落としに行こうかカレン?」そう言うとコクりと頷き、「あなたの好きにして?」と、ウルウルとした瞳をぶつけて来た!

 ノーアンサーでシーマを走らせたオレは、カレンとやりたい一心で頭はそのことに集中していた。

 ダケドもシャワーをして、ベッドインしてからのカレンは股の間にペニスが、皮を被りこじんまりと生えていたんだ! オレは、女と勘違いしていた! 

 カレンは、正真正銘で男だったんだ! 

 それにも拘わらず最後までセックスをしたオレは、ゲイなんだ! 

止めようとしたら止められたのに、性欲が勝ってしまったんだ! 

 何処かの政治家の様な事を言い頭を抱えて悔やむカークランドは、むしろピュアなんだと、否定さえせずに肯定までしていたケンは、カークランドは、巷の政党の主人公なニュースよりも正直で透明性があると感じていた。

 しかし、カークランドには、このレジェンドが、エビデンスになるから一概にもゲイだとは言い難いとケンは、思っていた。

 ある爽やかな暑さの続く初夏の早朝、久しぶりに早起きしたカークランドは、気分良く病室の窓を全開にして網戸だけ閉めて涼を求めていた。

 ブーン! 大きな昆虫風の羽音がした方をみると割と大きめのカブトムシが網戸に掴まっているではないか!

「OH!ビートルのレディだ!」

 カークランドは、それを捕まえてしばらくサイドテーブルに歩かせて眺めていたが、突然何を思ったかパジャマのズボンをパンツまで脱ぎ捨て腰から下はスッポンポンになった。

 すると彼のイキリ立ったイチモツに砂糖水を塗り、ビートルのレディを木に留まらせて砂糖水を吸わせ始めた。

「ギャーッ」

 突然だった! バタバタ! と、早朝の病棟がカークランドの断末魔が響いたからナースが何人も走って来た!

「ドーシタのッ!ロバーツさん?血だらけじゃないの?」

 もうカークランドのイチモツは、夥しい鮮血でズル剥け赤チンコ!状態だった!

 カークランドに理由を聞くと、「昆虫と言ってもアチラは、レディだぜケン?」

?オレは、ダイエット入院で禁欲生活なんだ!溜まるものも溜まってるんだ!

「ナンジャおまえ!女を冒涜しとるんか?」と、じいちゃんが生きていたらカークランドにきっと言うだろう。

 身を捨ててまで物語の構想をやってのけるカークランドだ。

 改めて恐れ入る病棟のナース達はカークランドのイチモツを見て「マア!凄いわね?」

 と言ったきり視線を外さず息を呑んでいた。

  暫くは無言でそれを食い入るように眺めていたのは、カークランドの流血がスゴイ! のか? カークランドのイチモツの大きさがスゴイ! のか?大きさがスゴイ!と言うならば頭に来るがケンは、あまり立ち入らないで置こうと、そう思っていた。


  これもカークランドの構想だった! 彼は映画監督になりたいのか? 小説家になりたいのか? もはや奇才のカークランドのライフは、あの夢野村(ゆめのそん)での日曜学校で作られたものだと思っていたが、なんと隣町の鵯越町(ひよどりごえちょう)に彼は、十一歳の時に来日し、町営住宅の五階で育っていた。

「なんだ、近所だったんだ、カークランド?」


「キミが僕と初めて出逢ったあの夏の日。」


「僕の爺ちゃんはスゴく元気だったんだよカークランド?」

 爺ちゃんが元気な事は背中の下手くそな鯉と竜の刺青が物語っていた。

「何だかありがとな、カークランド?」

 訝しげに首を捻りケンを見ていた。

「キミが入院してきて昔の夢野村と爺ちゃんがが鮮明に甦ったんだ!カミカゼ勇二がね?」


「AHーカミカゼ、ゼロファイターだな。オールライトケン!」

眼を輝かせ小刻みに頷くカークランドとは、短い間だが、なんだかお互いに分かり合える気がしていた。

 「色の黒い赤ちゃんだったらどうしていたのケンくん?」


「それは…日本人の子供の名前を付けて普通に暮らしていたさケメちゃん?」言葉に詰まった事を指摘して、ケンに問い質す。


「ケンくん…、貴方の子供なのよ?」


「そんな半端な気持ちでは父親と言えないわ!もっとシッカリ沙梨を愛して頂戴!」

 つり上がった両目はヤンキーの庄屋三咲に彷彿としていた。

 ケメコに怒られるくらいならカークランドと喧嘩している方が未だマシだ。

 「先制攻撃は正義ではないよ!」

 カークランドの応酬話法は常にパールハーバーを彷彿とされる輪郭があった。

 

「何故そんなに憤るの?」


「 真珠湾で、かなりの犠牲者が出たから?」


「それではヒロシマはどうなんだ?」

「無辜の民の夢と日常を一瞬にして消し去った事は正義なのか?」


  カークランドとアパルトヘイトの話をしていたら結局行き詰まる。

  「国際連盟の常任理事国だったのにな…。」ポツリと呟いたカークランドは非常に残念そうだったのがケンには喉や胸中に、誤燕した時みたいに何か引っ掛かりがあるのだが、中々摘除できないでいたから胸中がつっかえたような感覚で違和感がスパイラルで堕ちて行くのが分かった。

 今思えば当時の日本は38度線以北の国と何ら変わりがない国だったと、ケンは慚愧の念を禁じ得なかった。

 でも・・・。

「でもこの日本で生まれて、この日本で育った!」

「 しかもこの日本の食べ物でだ!」


「 この日本の教育システムは抵抗なく受け入れて来た。」


「だから…、」


「だからこの日本を愛しているんだよ!」

 シュプレヒコールを掻き消す断末魔を上げる。

 共に同じ過ちを繰り返す愚かなファシズムが席巻する北の国は、滅亡の道を辿っているのか・・・。

「でも、日本は朝鮮半島と、満州を領土にする想定済みだったんだぜ?」

「とある鉱石をアメリカも狙っていた。」ググッ!と、興味のソソル話題を振りまく時があるカークランドは、細切れの記憶の中で蠢いている様だった。

「ニューディール政策は、焼け石に水だった。」

「パールハーバーの日本は、飛んで火に居る夏の虫だ! ルーズベルトが小躍りしたらしいぜ?」

「ホントか?」眼を剥き出しにしたケンは今にもカークランドに掴みかかりそうな勢いでその話しを全部漏らさず聴こうとしているのがアリアリだった。

「専らのハイスクールでの噂さ。」

「起死回生のアメリカは軍需産業で息を吹き返したんだ!」

アメリカの策略に嵌った日本の話しは昔から実しやかに囁かれていたから、ケンは改めて聴いた内容を只頷くだけで、噛み締めるように彼からの情報を啄ばんでいた。

「日本を叩きのめしたらアポロ計画で、レアメタルを採掘しようとしたんだ。」

 BIVA! USA! と、小声で呟いた彼は小さくガッツポーズをした後で恍惚としていた。

「それ故にその北の国の脅威から日本を護ろうとするならば、」


「九条の改憲在るのみなんだ、自衛隊の存在を公文書で明記すんだよカークランド?」分かってか分からずか、ケンのコメントを聞いて、口許を真一文字に閉め、眼を閉じウーンと唸りそして、首を横に振った。三回振った様に思えた。


「旧陸海空軍の意識の生き残りの意識体が願う第三次世界大戦が勃発しない様、ここらで高度な対話で回避解決出来ないものか・・・。


「・・・カークランド・・・生き残りなんてもう、死んでるさ?」

 人は歳を取る事を忘れていたケンは、慌てて修正した。

 まったり気分の土曜日、この日は朝からカークランドの流血騒ぎがあり、序にケメコに諌められたケンはもうひとつ流れが変ればいいのに・・・。と、思っていたが、流れのままになるようには、なっていた。

「こんにちはカークランド。」なんの前触れもなくそれはやってきた。

 彼を省みるとカークランドは、見開いた両目から熱いダイヤモンドを溢れさせていた。

 ボーイッシュの頭髪はボブショートに毛先が跳ねた様なスタイリッシュなヘアだった。

「相変わらず背が高いなカレン? 胸は・・・。」と、言いかけてカレンが睨んだからカークランドは黙った。

 カークランドは相変わらず胸はペタンコだなカレン?と、言いたかったのだろう…。

彼はカレンの手を取りカークランドの話ではマイクロミニが良く似合うらしいが今日の装いは、グレーの生地にブラックペッパーを散りばめた様なショートパンツで、上下がショート、ショートだからかシャツはカレンのへそが見えるミニTシャツだったが、カレンの腹が冷えないかと過ぎったケンは、直ぐ様考えを正した。

「華野波花蓮(ハナノワカレン)だケン?」素っ気無く言ったがきっと照れ隠しだろう・・・。

 LGBTの華野渡夏蓮(ハナノワカレン)は、GIDで二十一歳、職業は一級建築士事務所経営をしている。

 多くの業績は、播磨市の斎場、結婚式場、民間マンション、アパート、スーパーマーケット、カフェレストラン等、構造計算を要する建築に限りオファーがありスタッフは、三名居るものの多忙を極めていた。

 カレンは、ジュニアハイスクールの時、姉のルージュを初めて引いてみた。

その時の解放感に満ち溢れた胸の奥のパルピテーションに真性カレンが覚醒したのだ。

 このときめきは誰にも言い難く、誰にも解らないだろう。

 カレンがそっと胸の奥に秘めてハイスクールへ上がった頃、GIDのコミュニティがネット上で開かれているのを初めて知った。

 高揚感と安心感を同時に受け止めて、この日を限りにカレン自身の事をカミングアウトし、自らをオープンにした。

 すると忽ちネット上でだが、恋人候補が現れた! しかし、それが純然たる男性でカレンの心根を知ることなくカレンのボディー目当てで近付いたと知った時には、女性が世間の男性に身体を弄ばれて棄てられる事を その悼みを マザマザと知り悲しみと屈辱を同時に植え付けられた!


苦しい!

切ない!

哭きたい!

死にたい!

  カレンは、生まれてこの方失恋や裏切りそれに慟哭を初体験してしまった。

 傷癒えぬ二年前の夏、男性恐怖性に陥ったカレンは、傷心旅行に和歌山県の高野山へ心をみつめる旅に出た。

 そこは、各宗教宗派が挙って社寺を建立し、広く心病む無辜の民に教えを施しただけあって、どの坊も説得力のある寺に仏像が座っていた。

 特にカレンの目を惹いた像は空海や金剛力士像だった。

その足許に力士像を見上げる空海に良く似た後ろ姿に癒され、初めて声を掛けたカレンは、振り向いた彼の優しい佇まいに心ごと持っていかれた!

「華野波夏蓮(はなのわカレン)と言います初めまして。」

「OH! アイム、カークランド・ジュニア・ロバーツさ!」

「 ナイス トゥー ミー トゥー。」右手を出し握手をした。

「太ったムーミン?」第一印象は、何者も換え難い癒し系でその両手で、その太った腹を押し付けられ抱かれたいとカレンは過ったが、その事はおくびにも出さず立ち居振舞いは日本人女性のするつつましやかでピュアなカレンを出し続けて、やがて夕食が終わりバーカウンターに頭を預けてしまいそうになりながらも、そこはこらえてカークランドの泊まる部屋へ入った。

 ギュッ! とハグをされたら分厚い下腹がフワフワしてバニラとチョコレートの香りがした。

「さっきホイップクリームとチョコクリームのホットケーキを食べたんだカレン?」


「 バターが大好きなんだよ。」


「試しにアタシを食べてみるカークランド?」


「うん!」 と、言ってベッドへ抱き運ばれディープキスをした。


「シャツを脱がせた時違和感を覚えた。」


「アレ?と短くリアクションしたが気にしなかった。」

カレンは動かずじっとしていたが、カークランドがショーツを脱がしに掛かった時反射的に手を止めた。

「キミ、男の子だったの?」もう終わりか・・・。

と、思って起き上がった時、「大丈夫だよカレン。」


「カレンの内面は女の子じゃないか、凄く可愛い!」


「 オレのステディになってくれ?」


「 何故ならキミは僕の肌の色を問わなかった。」

 外見ばかり見られたハイスクールの時とは違い、人生経験が豊富な人だから、苦杯を舐めさせられた人だから、アタシを理解してもらえる! 同じ細胞が寄り集まって出来たアニメ、「・・・ベム」の様に同じ愛の細胞が寄り集まって熱い大きな愛を形成していた。

 この二人には間隙に入ろうとしても密着感がハンパないから不可能だとケンは、シックスセンスで、理解していた。

 

  しとやかな日本人女性は寡黙で控え目と相場は決まっているが、カレンはそうではなくあっという間にあっけらかんとケン達の居る病室に馴染んで行った。

遠目で見ていると普通にカークランドのステディが見舞いに来て優しく介抱している風にしか見えないのはカレンが女性ホルモンを射ち続けているせいでカレンの立ち居振舞いがしなやかに女性化していると、言える。

 カレンはカークランドの話しとは違い見た目で女の子だったから知らない人が観たら羨ましがるだろう・・・それだけ魅力的な女性だった。

 目尻を下げて熱い抱擁の後、カレンの身体のアチコチを触るから、かなり羨ましいとケンは、思っていた。

 いや、思い止まった!

「でもね…アタシが一番女じゃないって病院に思い知らされたわ。」

 カレンは伏し目がちにわざとしなを作ってその部分を強調していた。

「何故ならね、病院の受付に健康保険証を出して男の名前を呼ばれる時に職員がアタシを見て怪訝な表情をするのよね?」

「それが嫌だったわカークランド?」

「それにケン、あなたにはシーメールのステディは居ないの?」

「居るんだったらケンにアタシの話を理解してもらえる筈なのに。」

 カレンがケンを見詰めて、見詰めすぎるほど見詰めていた。

絡み合う視線がカークランドの嫉妬心を揺り動かしていた。

「カ、カレン・・・。」彼はそう言ってカレンの左肩を抱きカレンの左頬に右手を添えて振り向かせキスを思い切り濃厚に続けていた。

 なるほど彼女はGIDだったから頑なに病院の受け付けに健康保険症を出し続けていた。人生の選択肢には、性別適合手術をして、戸籍の性別変更登記をすれば、カレンの性は晴れて女性になる。

が、出産は出来ない。

生理も来ない。

 彼女が望めば現在の医学や科学は、進んでいるからそうならないとも限らない。

然らば、性別適合手術の時に子宮を移植するのかと問われれば躊躇してしまうシーメールが多いという。

 それは女装する心根の奥深く男が、息づいているかららしい。

それはカークランドがいうゲイには生物学上には当てはまるだろう。

 だけど・・・。

「だけど僕のステディにはケメコが居るんだカークランド?」


「しかも沙梨も居るよ? だから僕は、寂しくはないさ。」

 ケンは、そう言いながらケメコに対して猜疑心が拭えなかった。

 臨月の下腹部は不自然にポッコリと膨らんでいるだけだったからだ。

 うーんと、上を向いたまま暫くは天井と睨めっこをしているケンの事を心配そうに覗き込むカークランドが恐る恐るケンに言葉を投げかけて、特に意見を貰うわけではなく、カークランドの考えを述べていた。

  「ステディに疑惑があるんだろ?」

「俺なんか疑惑だらけさ・・・ケン。」

「ホントはレディなんじゃないか、カレンは?見た目、さわり心地、舌と唇の感触、もう錯覚だらけだ。」

「でも中身と外見はどうであれカレンのハートは愛で包まれてるんだ…。」

「仕草も、考え方も…。」

「だからオレはカレンのハートを愛してしまったから外見はどうであれカレンの中身とランデブー、シテルよいつも。」

「ケンはステディのディテールをあまり気にしなくていいかもダゼ?」

「ケンがステディだと思った瞬間、ステディはレディなのさ?」相変わらずカークランドは小説風にディペートしていた。

 それを聴きながら頭の片隅で別の事を考える器用なケンは、その事について終始していた。


 男性の腰骨には狭くて子宮を移植してもその子宮には子供は育たないと、産婦人科医に聴いたことがある。

 ケメコが執拗に聞いていたからそこだけ、印象深く覚えているだけだったが、ケンは強制的にあり得ない泥濘話の物語を抹消したいと思いながらも喉の奥に痰が絡み取れないでいた。

「だけど、カレンとの将来はどう考えてるんだいカークランド?」

爽やかな明るい笑顔がにわかに曇り「いや、マア・・・前から考えてるさケン?」

「答は一つなんだけど、その答が出ないんだ。」

 「勇気がない?」と聞こうとしたケンは、口許寸前で思い留まった。

「ブホブホッ!」わざと咳払いをしたカークランドは、カレンを気にしている様だった。

「下着とかシャツのクリーニングに院内サニタリーへ行くわ、一時間ばかりかかるからコーヒーでも飲んで来たらカークランド?」カレンは二人の時間を持つように促し抱え切れないほどの下着類をヨッコラショと両手で抱き抱え院内サニタリーへ病室を出て行った。

「今日はサタデーでリハビリが休みだから一階のイートインに行こうケン?」特大のチューブレスの車椅子を転がしながら「二人きりで話がしたいんだ。」ケンに口と目、両方でモノを言い「カレンの一時間は二時間だと言う事だぜえー。」

こう言ってサッさと病室を出てしまった。

 ケンは、テレビボードの一番上の引き出しから五百円玉を数枚摘まんで左足を引き摺りながら一階のイカークランドより一分か二分遅れてイートインへ入ったケンは、その様を見て驚愕した! ケンはイートインへいくためにエレベーター乗り込み口に佇んでいた。

背中越しにナースステーションからナースのどうって事の無い会話が聴こえていた。

「いつもの黒人の人が、白米を200gから500gにしてくれって言ってきたけど・・・。」


「先生に聞いてみなきゃあね?」


「でもあの人ダイエット入院でしょ?」


「横綱目指してるんじゃないの?」


「アハハハ! 

一階のイートインストアは、店内に入るとコーヒーの販売機がありお金を入れると紙カップにコーヒーを入れてくれる。

 見渡すとクッキーやチョコレート、パンケーキやサンドイッチ等、バラエティーに富んだ商品が展示販売されていた。

 その販売棚の奥まった間仕切りの薄い壁の向こうがテーブルが4台あるバックヤードのイートインで、病院側の通路がストア前にあるもののドクターやナースが通っても妖怪ろくろ首でもない限りそこを覗き知る事は出来ない構造になっていた。

 カークランドが座っている四人掛けのテーブルにはビッグサイズのアイスクリーム最中が十五、六個転がっていた! その中にはチョコレートでくるんだアイスクリーム最中やビッグサイズのバニラアイスクリームが百二十パーセントの増量サイズだったが、アイスクリームが山積みになっていてその中に埋もれる様にカークランドは、ムシャムシャと山積みのアイスクリームを食べていた。

「ヘイ、ケンこっちだ。」太くて短い腕を 手招きしていた。

 左手にはビッグサイズなアイスクリームを抱えている・・・。

  右手に持ったコーヒーカップを落としそうになりながらケンは、「酒血肉林じゃないか、大丈夫かいカークランド、食べ過ぎなんじゃないのか?」チラッとケンを見てまたアイスクリームを頬張る、「僕の辞書にはないんだ。」

「食べ過ぎなんて言葉は、ケンも食べるか、ウマイぞ?」


「いらない。」ワザと両手を広げて見せた。

 しかししつこくアイスクリームを勧めるカークランドに辟易としたケンは、「僕は結構だカークランド?」ハッキリきっぱりノー!と、申告した。


「ところでダイエット入院の効果はあったのか?」 テーブル付きの椅子を引きながらケンが聞くと、「マアなケン?198キログラムになったぜケン!」語尾を強く座高を伸ばしてケンにシェイクハンドを求めた!

「コングラチュエーション、カークランド!」ケンもいささか声を張り上げ、胴上げでもしそうな盛り上り方だった。

 思えばカークランドとはこの病院で出逢い、第三次世界大戦めいた事態になりかけた事もある。

 それは亡き爺ちゃんの代理戦争だったが、正義が何処にあるかという迷路に入り込み結局、カークランドとケン両名は、未だに迷子同然だった。

 そんな二人が腹を割り自己について少しずつカミングアウトしながらプライベートゾーンにまで足を踏み入れる事となり、彼らは固い絆に結ばれかけようとしていた。

「病院では腹心の友だぜカークランド?」コーヒーを飲みながらケンが囁く


「ああ、ケン さっきの話しだけど・・・。」


「将来の事さ!」言い難い話をしようとしている。

 ケンはそう思った。

 カークランドとカレンの未来は一つになって欲しかった。

「今日はサタデーだからここへ来たけど…。」


「カレンは普通来ない。」


「いや来れない。」

 カレンの当たり前の事を言い出したカークランドは、意気消沈していた。

「サンデーは、彼女が日曜学校なんだ。」

「クリスチャンなんでねカレンは。」なるほどと頷いてケンはコーヒーの残りを飲み干した。

 それからカークランドは、「腹減らないかケン?」言いつつイートインストア内の商品をジロジロと見渡し「あれ食いてえ・・・。」と、子供の様な事を言い出した。

「で、将来的にはどうなんだ彼女と?」

 彼女と呼ぶのも憚れたが、カークランドの食欲をまぎらわせる事の方が先決だった。

「カレンと結婚したいんだ!」突然カークランドの本心をカミングアウトした!

 しかしケンは、「カレンはシーメールじゃないのか?」と、頭に過ぎりながらもこれ以上の上品なカミングアウトがないか、あれこれ探して脳裏を峻巡させていた。

 天井を見たりショップの店員のオバサンの着ている制服を見たり果ては展示している商品のラベルを見たりしていた。

「カレンと結婚?カークランド?」時間の無駄に思えた。

 分かりきっている事を聞くのは・・・。


「そうだよカレンとだよケン?」

「でもどうやって?」

 いちいち釈明をしなくて良かったのは、カレンが共通の話題だったからだ。

「何の為に結婚するんだカークランド?」刹那的に質問を振るケンに

「は?」

「愛を育む為さ、ケン…。」

「当然だろうケン?」

 と言う風に彼が表情を変え時には「オマエ、意地悪だな。」と、言わんばかりに露骨な嫌悪感を見せた。

 ケンは意地悪序でに「子孫繁栄の為にじゃなかったのか?」と、到底考えられない事象をちらつかせたのは、カークランド本人の口から決意と覚悟を聞きたかったからで、何物にも揺るがせない結婚生活の覚悟をカークランドから表明してほしかったからに他ならない。

「本気で籍を入れようとしているのかい?」

ケンは前のめりになって真実を引き出しに掛かった。

「うんそうだよ。」カークランドは、出来るか出来ないか分からない日本の公的なシステムに暗いばかりか、今まで手続きは、日曜学校の編入手続きだけしたことの有るだけで、必要書類とかなんとかは、避けて通りたいタイプだった。

「性別変更しないと駄目な事は分かりきっているよ…ケン?」力なく、カークランドに不似合いなパッションだった。

 只、彼の言いたい事は、一つだった。

「日本の法律は、見た目だけだろ?戸籍の性別変更登記というやつは?」


「 形だけ女になったってその心根が男ならば、意味ないじゃないか?」ケンは日本を代弁していた。

「カレンの内情を見て欲しいんだ?」カレンを愛しているからこそ放った言葉だったが、今が道徳の授業なら優秀な答えだな・・・。

  そう思えば日本のシステムを説明したくなるケンだった。

 「女性の染色体と合致しなくても良い訳なのさ?」

「だけどもこの国は書類提出で終わりだろ?」

「当事者の内面がどうであれ外見が女性であればオールライトなんだよケン?」

「だから悩んでいるんだ、僕は!」その想いは的を得ていた。

 しかし関係者が聴いたら負け犬の遠吠えに聴こえただろう。


「 手術をしないで・・・。」身体を弄らないで結婚したい! 婚姻届けを提出して晴れてカレント夫婦になりたい!


「ではシーメールのカレンは女湯へ無条件で入れるのか?」ということに尽きる。

 至って単純なレアケースだ。

  この国で軋轢なく生きていこうとするならば、この国のシステムに順応していかなければならないだろう・・・。

 正に「豪に入れば豪に従え」で、カークランドの言いたい事は理解出来るが、かつてトルコ風呂からソープランドへ呼称が変った事例がある様に日本国民は一瞬驚いたが、一個人の意見にいちいち耳を傾けていては、日本国の行政が滞るという事だろうとケンは、そう解釈して定義付けた。


「 キミの祖国は世界を揺るがす無法者国家が出てきた場合、有無を言わさず即ドンパチ! やらかしたが、日本では半分以上の国民が容認しなかった。野蛮なヤンキーだと・・・。」

「でもそれは世界の必要悪だと思うんだ!」

「ならず者国家をシバキ上げて地球の秩序を均して行く国が必要なんだ!多分日本の政府は、そうなりたかったんだろうな・・・。」

「でも反対者がかなりいて、難攻不落のシュプレヒコール、戦争反対の楼閣が手強すぎた…。攻撃は最大の防御なのに!」

「多分満州事変を全く知らないか、全く理解していない人達。いや、戦争を知らない世代が、反対をしているんだカークランド。戦争経験者は寡黙な筈だよ?」

 じっとケンの瞳を寡黙に見詰めて久しぶりに口を開いたカークランドは、「腹減らないかケン?」ズッコケそうになりながらも

「今は17時だからもうすぐ夕飯が運ばれて来るよカークランド?」拍子抜けしたケンは、果敢にもカークランドに立ち向かって彼の意見に耳を傾けていた。

 コツコツコツコツ・・・。

硬めのヒールが床を鳴らしてこちらへ近付いた。

「ここだと思ったわ病室に居ないんだもの、ケンくん?」沙梨を抱いたケメコがケンとカークランドを交互に見て次にテーブルに散らかっているチョコレートとアイスクリームのパッケージを覗き発見し、驚いた様子で「ここに隠れてたのね!? でも、食べ過ぎじゃないこれ、太るよカークランド?」

 タジタジとしながら「もう太ってるよケマコ?」口答えをしながらも残りの板チョコレートを口に押し込み頬張った。発音がミステイクよカークランド?と、言いかけて止めた。

 パリパリと甲高いノイズを出しながらパッケージを片付けていた。

「発音出来ないのね?」ケンは、食べるのを止めていたからケメコの弾道ミサイルは落ちなかった。 

 それどころか沙梨を抱いたケメコは、「これ買って来たの食べてねケンくん?」イチゴだいふくを二つ差し出した。

「AH! OH! ストロベリーモチケーキ!サンキューケマコ!」

「えっ!?」フリーズした! サーッ!と血の気が引きクラクラと砂嵐が降りかかり目眩がして、テーブルに片手を突く! 気を取り直してまだ食欲あるのかしらと言いながらも「ユアウェルカム!」と、カークランドに返していた。

 ケメコは、ミズーリ州訛りと思っていたが、どうやら違う様だった。

 シアトルで生まれたカークランドは、幼少の頃ミシガン州に移り住みそして日本へやって来た。5年間日本で暮らしたカークランドはミネソタ州へ移住していた。各州を転々と、更に日本での暮らしは彼のランゲージにも影響を及ぼしていた。

「今日は来ないの、ユアステディ?」左手で投げキスを振り撒きカレンのイメージを解らせた。

「ノー・・・、ビコーズシーズサンデースクールさケマコ?」心臓がドキッ!と鳴り不整脈でも起きそうなこの空間は、相変わらずカークランドの発音は間違っていたが、ケメコはそうではないと理解していた。

 まだ会った事のないカレンに会ってみたい気もするが、過去に振り出すのも怖い気がして遠慮勝ちに聞いていた。

 なんという昼下りなんだろう…ケンの病気さえなければ、パラダイスね、この病院内は、季節の移ろいさえも彼らは無心で留まっていられる。

 だけど、過去は封印しなくちゃ・・・。

「明日から一週間リハビリね。」と言うだけで余計な事は、言わなかった。

 何故ならカークランドは、どれほどカレンを命を懸けて愛しているか、ケンに打ち明けていたのだろう。

 最初の質問の答えでカークランドの表情から読み取れたからだ。

「私もよ、カークランド?ケンくんは誰にも渡さない! 愛しているもの、沙梨の事もね?」語り掛けたい衝動にその場を「もうすぐお風呂の時間じゃない二人とも?」と逃げる様に立ち去った。

「沙梨ちゃん帰ろうか。」ケメコの胸中に暗雲が立ち込め速くなった動悸が落ち着かないでいた。


「墓場まで持っていくわ、ノンカミングアウト!」


「結局私は一人ぼっちなのね…子供の頃から友達は、居ない・・・。」カミングアウト出来る人さえ! 吹き荒ぶ北風に凍えそうないつもの医療センターの待ち合い室で強気なケメコがハラハラと涙を流し佇んでいた。


 時間外出入り口玄関ドアにブーンと言わせながらグレーの短パンを履いて颯爽と帰って行くレディとスレ違う!ボブ ショート? グリーンのハンチング? 茶髪だった。

アタシは、フロリダ娘よ!? カレンはその主張を帯同させていた。

「カレンね?」直ぐに分かった! ケメコはカレンとスレ違い様にシンクロしたからだ!


「何時までも引き摺っていられないわ!」

 あのときは、覚悟があった! カレンとシンクロした時、新たな覚悟が沸いてきた!

「大丈夫よ、沙梨ちゃん!?」ケメコは強気の心持ちをパーフェクトにマイナーチェンジをして、医療センターを後にした。



 サタデーの昼下がり、久しぶりにカークランドと熱い熱いディペートを交わした事について、午後10時の消灯でベッドに入ってからもケンはそれをリフレインさせていた。


「正義って何?正当防衛なのか? 」

「爺ちゃんのカミカゼは正義なのか? 」

「特攻で戦死した人の遺族は? 」

「特攻隊は正義なのか?」

「正義を持っているから遺族は悲しくないのか?」

「寂しくないのか?」

「いや!そんな事はない筈だ。」

「 正義を持っているからこそ反戦を唱えられる!」

「家族で手を取り合い泣きながら、笑いながら日常を生きていく事こそが正義じゃないのか?」 

 現代では改憲することこそが日本から被害を被ってない世界各国の正義となりつつ有るが対話することが、ホモサピエンス霊長類サル目、ヒト科のヒトに与えられている高度な争い第三次世界大戦の回避方法に違いない。

 

  月曜の朝ケンはカークランドが、「リハビリの時間だから…じゃあなッ!」と、プリプリしながら病室を出て行くのを見送っていた。

 相変わらずビッグサイズの車椅子を自走して出て行った姿はなんとも痛ましいカークランドがそこに居たのだが、ケンは老人になっても車椅子はゴメンだと思っていた。が、そんな想いを 何故しないといけないか、ケンには少年の頃から睡眠時無呼吸症候群があった。

 少年時代から成人してまで、約三十九年間無呼吸と闘ってきたケンの集大成だったが、今ケンの身体に起きている左半身麻痺がそうだ。

「生まれてから今日まで恋愛したことはないのかいケンは?」1分前の会話を思い出していた。

 カークランドは、入院してきてからその事ばかりを気にしていた。

「初恋とか、恋愛はしていたよ常にねカークランド?」

 彼は、見た目よりピュアだったから敢えて隠さずケン自身の有りの侭を言う事にしていた。

 ハイスクールの時、シオリササヤマの事を好きになって求愛して、無事に交際したが、彼女はシーメールだった。

 事実を知ってケンはショックを受けたが、シオリより素敵な彼女がケンの前に立ちはだかった! ミサキショーヤから求愛を受けて、交際が始まった。

 しかし、アッサリ引き離されてしまう・・・。

彼女が殺人未遂容疑で逮捕されたからだ!

 彼女には何か理由があったようにも思えたが、「僕がそのままハイスクールを卒業してそのままになっているんだ、カークランド?」


  カークランドは話し終わったケンに何か言いたそうな仕草をしていた。

「やっと思い出したぞケン! この病院でニアミスしてたんだオレ!?」身を乗り出したカークランドのデカイ図体に威圧感を感じ仰け反るケンに汗臭いパヒュームが漂ってきた。

「カークランド、何か勘違いじゃないのか?彼女は今、監獄ロックだぜ?」

 作業療法のストレッチをして、昨夜あまり眠れなかったケンは、睡魔と闘いながらカークランドとの会話を思い出していた。

 一階のリハビリ会場では、動けないカークランドがリハビリベッドの上で横たわる姿を幾日も幾日も目撃されていたがそれは、滑稽な肥満のアメリカ人として嘲笑の対象にされていたのを彼は知らなかったし彼の傍を通る人達は、彼自身の内面を見ようとしなかった。

 もはやカークランドに優しく声を掛ける看護師やフィジカルセラピスト達のアドバイスも空を切っていた。

 それに残念ながら彼の無限の食欲は留まる所を知らないばかりか、食事療法で1㎏痩せたら1㎏増量させると言った行為を止めさせようとする看護師やリハビリセラピストのアドバイスを払い除けるパワーを持っていた。

 もう彼のボディーは、ギシギシと壊れて行く築古年の木造住宅の様で、将来の結末を目標に進んで行っている様だった。


「曲がり角さん?」


 「内反尖足を緩和させて、普通歩行出来る様にボトックス治療をしましょう?」主治医海山の提案にケンもケメコも「はいッお願いします!」即答をした。

 ドクター海山の診察室と治療室は、一階のリハビリ会場の側室にある。

 白い治療ベッドにうつ伏せでケンを寝かせ、左足にエコーを当てていた。うつぶせ寝はケンにとっては辛いものがあった。

 ケンの左腕が、胸前で肘折れしていたじゃらだ。そのベクトルに抗い肘を力を込めてケンの腰の辺りmsで左腕を引き伸ばした海山は、手馴れた様子だった。

「曲がり角さんリラックスしてください。」


「 今からボトックス治療を行います。」


「では、アキレス腱の裏側にある非常に強い筋肉、後痙骨筋に注射するんですが、エコー映像を観つつ対象を探しながら射つ訳です。」


「結構難しくてねえ、ちょっと痛いからガマンしてくださいね曲がり角さん?実は僕自身、エコーでアキレス腱の裏側にある後痙骨筋を探しながら自分で射ってみたんですが、これが結構困難で痛いんですよねえ?」口だけの医者よりも実体験の談話は説得力があり、「海山先生は大分信用できるし、実行力がある。」とケンは、少し安心し、主治医の海山にケン自身を委ねた。


「痛てててッ!」


「筋肉注射なんで痛いですよ?少しガマンしてネ?」そして内反尖足は、緩やかに改善した。

 だが効果は恒久的ではなく、ボトックス治療による効果は三ヶ月間だったが、ボツリヌス菌を注射するも副作用はなく痙性が緩まり膝折れで転倒するリスクはあるものの足の劇痛を忘れられ四点杖で、僅かに歩行が可能になった。

「もう車椅子を返そうかな。」ポツリと呟いたケンに「何を言ってるのケンくん!?転けるリスクは、消えないのよ!?今だって疲れて来たら内反尖足が出るって理学の荻野原先生が言っているじゃないの!」ケメコとあらゆるPTが、加わりケンの麻痺側改善に勤しんだ。

 軈てPS細胞なる万能細胞が発見されたが、ケンには無縁の長物だった。

 臍帯血や磁気治療等も対象外だったため正当なリハビリを余儀なくされて。 

 ケンは理学療法のお陰で改善した人となりつつあった。

ケメコに於いては、ケンを心配する余り、過保護に近い介護を勧んでやり遂げた。

「三ヶ月に一度ボトックス治療をするのは、酷ですね、いっそう筋肉を伸ばす腱延伸術。

(OCSSCSS)、と言うオペをしたらどうでしょう?並行してオペ&リハビリ入院してもらいますが・・・。ね?」

「生涯ボトックス治療不要ですが、必要とあらば、ボトックス治療を出来ますし。」リハビリ科医海山の提案はいつも革新的だった。

「手術をしたら三ヶ月程帰って来れないらしいけど大丈夫かな?」

「大丈夫だよケメちゃん、歩けるんなら手術とリハビリ頑張って来るから。」ケンの決意も新たに麻痺側が改善するなら手段を選ばなかった


「曲がり角さんスクワットを毎日五十回しましょう。」とにかく播磨医療センターは、市内でのリハビリテーション効果率が№ワンだった。

 PTの荻野腹は、ケンの脚の筋肉状態が手に取るように分かったから次の対策を施す。それは、彼の豊富なスキルによるもので、専門科目を研鑽すればこその筋肉アナリストだった。

「曲がり角さんは、麻痺側の酷い痙性も去ることながらクローヌス(膝蓋腱反射)も良く出ていますからね、がむしゃらに歩く事は避けましょう。ただ、スクワットは、五十回毎日必ず頑張ってやって下さい。」忖度はしても斟酌しないセラピストが、大勢所属しているから播磨医療センターは、リハビリテーションが良いと、地域住民が挙ってシュブレ匕コールを挙げていた。

「なんかケンの背中から両腕が伸びてる様だ、丸で千手観音の様に?」

 心根がピュアなカークランドは、常人にも見えないモノが時々見える事があった。


「ケンくん行かなきゃ!夢で見たのよ。村長の家の軒下でさよ坊が座ってたの、ケンくん?あそこに骨がある筈よ?」


「わかったケメちゃん。」


「ケンくんの窮地には必ず駆け付けるから、ネッ?」

思えばケメコは、ケンのみ成らず己を差し置いて他人でも関わった人全てに手を差しのべていた。

 曾祖父の衣川宅造の孫、衣川さよりにも納骨して供養するのだという使命感に駆られていた。

 だからケンは、左半身麻痺になっても幸福感で満腹だったから自身を悲惨な人間だと思わずにリハビリに勤しむ事が出来た! もう車イスや一本杖を手放してビッコを引いてだが、普通に歩いている。

「ケメちゃんが、懸命に介護してくれたからもう僕は、一人で頑張れるよ? あしたは気を付けてねケメちゃん?」

「そんなことまで言ってくれるのネケンくん?さよ坊の骨さえ拾えれば鬼ヤンマを二人協力して捕まえたも同然よね!?」

 オニヤンマ伝説を語る瞳をキラキラと煌かせたケメコが、ケンを見詰めた。


「失礼します。作業療法士の高島です。」


「リハビリ行きましょう曲がり角さん?」作業療法士の高島麻乃(たかしまあさの)は、庄屋三咲の幼馴染みだった。

 小學校中学校と、喧嘩に明け暮れしのぎを削って来た。

「三咲、何か見えるよ?」


「またオマエかよ!?気持ち悪い! いい加減にしろ!」


「また始まった。何も見えんからと言って羨むなよサキ?」二人一緒でないと気が済まない事もあった。

 テストの前日は、徹夜をして、ワザワザ真夜中に相手の部屋に灯りがついているか確認しにバイクを転がしたら警察に補導された。

 何せ授業は、真面目に受けたから学校のテストは、学年で一番か、二番だった。

  とにかく、麻乃より、三咲、三咲より麻乃だったから二人とも成績優秀だった。

 三咲がレディースチームを立ち上げた時も、麻乃もレディースチームを立ち上げた。 三咲が正看護師資格を取得した時も、麻乃は、作業療法士を取得した。

 三咲が曲がり角ケンと付き合った時、別の学校のへなちょこ男子と付き合った。

三咲が殺人未遂容疑で逮捕された時も、麻乃は、ごろつきの多い男子校に殴り込み男子生徒百人を病院送りにして傷害及び建造物不法侵入の現行犯で逮捕された。

 何故張り合うのか。本人達にも皆目分からなかった。

「ケンカをするって事は仲が良いのよねえ三咲ちゃん!?」三咲の母親に言われると麻乃も母親に言わせた。

 播摩医療センターは、早朝から約三百坪あるリハビリ会場のフロアに車椅子を使用した中途障害者や老健の車椅子患者のリハビリにも注力していた。

 

 リハビリ会場フロアの出入口手前には、リハビリテーション受付があり、次に理学療法の区画があった。

 老健のリハビリを平行棒で平行棒に掴まり横歩きやスクワット等、各々決められたリハビリを実行している。

 リハビリ会場の最西端には、作業療法の区画が大幅に面積を占有していて作業療法士の高島麻乃は以前、播磨市でレディースチーム「クノイチ」を率いていた。

 彼女の強い霊能力で(霊の総長)と異名を持っていた。

 暫く眼をこすって瞼をパチパチ開け閉じをした後コンタクトレンズがずれているのかと、左麻痺側の電気治療をする為にリハビリ机に向かうケンを二度見して電気治療器の電極をケンの麻痺側の左手に貼り付け電圧メモリが10まであるダイヤルを2にあわせる。

 治療時間は約20分間だったが、通電時に左手が反射的に手首がエビ反る事を認知し、リハビリテーブルに向かっているケンの左上半身は、何だかブレているようで、良く眼を凝らして見てみると確かに誰かが重なって所在している。 

 誰かに憑依されている! 直感だった! ケンは、確かにここに居る!

 やがてトリックが、鮮明になるにつれもう一人の存在が判明した。

 高島麻乃はそれの心に問い掛けてみた、「アナタは誰?」精神統一し、眉間にオーラを集めた。

「衣川さよりです十四歳です、遊ぼう。」

「今は遊べない!どうしてここに居るのさよ坊?」

「お爺ちゃん、遊ぼう。」

「今は遊べない!」そう念じた途端、強い怒りのオーラが、ケンの脊柱起立筋から放出された!リハビリ会場の天井に怒りのオーラが直撃した刹那ドーン!!バチン!ガタガタ!ミシミシ!バリバリバリバリバリ!バラバラ!と吊り天井が崩壊した!バラパラと崩壊した天板や破壊されたテンカセと蛍光灯の破片が堕ち高島麻乃の顔面に刺さった!「チッ!衣川さより出よッ!」崩れた天板の隙間から青い天空が、覗いているのは、ガルバリウム合板の屋根材が一部損壊したからだった! 一滴、二滴と、雨でも降るように小雨から大粒の雨がゲリラ豪雨となり、そこだけ滝が落ちるようにかなりの水量が叩き付けられたのだった! 約三百坪あるリハビリ会場のフロアは、水深百ミリ以上にも登った! 十ミリ、二十ミリとみるみる堪って行くのが分かった!リハビリフロアーが冠水し、足首の踝にまで到達した!

「避難してくださーいッ!」事態を承知した他のPTやOT、STも含めリハビリ患者の避難誘導を開始しようとした所、米軍の最新鋭戦闘機の、ヘルキャットの空襲があった様な、バリバリバリバリ!ダダダダダッ! ザザーン! ヴォーーン! ヴォーーン!

黄昏ダムの危険水位の放水警報サイレンが慄然と叫んでいた!

「何じゃこりゃあ!水じゃあないかッ!」一部損壊していたガルバリウム合板屋根が半分以上捲れ上がり大空へ舞い上がって風に靡いていた!青空天井のリハビリ会場は、台風が直撃した様なザワザワとした事態がリハビリ会場ごとそれに飲み込まれていた! 激しい水量の注入は、黄昏貯水池の様にたわわに堪って行きつつあった。

 天板を凝視していた高島麻乃は目線を降ろしてケンを見る。

ケンは、立ち上がっていた!両肩は、外転、両肘は直角に屈曲し、引力に従い両の手間接を持ち上げるようにワイパーの如く、外転内転を繰り返していた。

「うーグググ、ンンン!」奇妙な言葉を発し、高島麻乃に何かを訴えていた! やがて車椅子に乗る患者の肩まで水面が上がり、プカプカと仰向けに水に浮いている肥満のカークランドが居た。

 肥満の彼は仰向けで恐ろしげな表情をして口をパクパク、何かを言っているのだが構音障害の様に「ウッワァア!ハッンバーガー食いたい、死ぬ前にぃーーッ!」と、言葉にならなかった。

「スゲーッ! ビショビショじゃないかッ! ケン逃げろッ! 泳げるか?」三咲が叫んだ刹那!ケンの左腕を掴んでグイッと引っ張った!「あそぼウゥーッウガアァアーッ!!」亜脱臼をしている左肩の頭骨を力任せに引っ張られた激痛に耐え兼ね断末魔を上げたケンは、麻痺側の方を見た!「ケン、起きろケン!」ヴォーーーン! ブシュワーーーッ! 黒煙の様な気体が垂直にケンの背中から立ち上がった! 刹那、「ケメちゃんか?」

「 アッ、サキちゃん!?」ケンが覚醒した!

「何をボケボケと寝とるんだ、曲がり角ケン!?」ケンの瞼の向こうには、ブルーのナース姿の庄屋三咲が佇んでいた。

「そんな趣味があったのサキちゃん!?」

「アホか、コスブレじゃない!」パコン!「痛ッ。」グーで殴られた! 約二十分の間、電気治療が終わり、まだ寝ているケンの背後や隣席に入れ替わり立ち替わりリハビリ患者や水道工事業者が訪れていて、いつもの日と違いワイワイガヤガヤしていた。

「ここには五十ミリと二十ミリの配水管が、縦横無尽に走っていますからその内の配管が老朽化したんでしょうね。」ケンがリハビリ会場の天井を何気に見るとジワリと漏れた水が染みていて白い天板がグレーに変貌していた

「おい、ケンの嫁は?」

「マザーレイクというか、朝から黄昏貯水池に行ったよサキちゃん?」ケンの車イスの横にある背凭れの無い丸い座面の椅子に腰を降ろし左足を右膝に組み乗せ「ふうん。」と興味無さげに頷いた。

「で、なんでオマエが居る!?」三咲は高島麻乃(タカシマアサノ)へ興味を向けた。

「オマエがナースやってるからだ!?」

「いつまでもジャリみたいな事やっとれんしな。サキ?」


「気色ワルイぞ麻乃?」


「まあそう言うな、サキ・・・。」

「変らなきゃダメだ!」

「オレが一番に変ってやる!オマエは後からついて来い!」

「麻乃が言うなら従ってやるよ?」

「よっしゃ!」

「ここいらで手打ちと行きますか。」


「ほんじゃあ行くぜ!」パチーン!と割と大きな一拍子がリハビリ会場内に木霊していた。


「どこへ行くんだアサノ?」三咲が浅野の所作を見届けた後で聞いた。

「ちょっと黄昏貯水池だ。」


「衣川さよりが飛んで行っちまった方向に邪悪な強い念のいエネルギーを感じるんだ! 嫌な予感がする!」


「分った、気をつけて行って来いよ?」ニコニコ笑ったサキを見るのがケンは初めてではなく綺麗な三咲は、いつか菊水外科病院で見た・・・。と、ある意味の新鮮味を 覚えてサキに傾きそうなケンに、「おっと、ケンには可愛い大人のケメちゃんが居るだろ?」

「 大切にしろよなオオマエを強く愛してる筈だ?」

「 あ、ナースコール鳴ってる。」

「じやあな、ケン?」しかし、思い付いたかのようにケンを振り返り「今、麻乃が行った先にはオマエの可愛い嫁さんがいる筈。」


「彼女を護るために麻乃は行ったんだよ?」


「ヤバい成仏していない地獄の衣川さよりの霊が消滅の道連れにオマエの嫁さんを貯水池へ引きずり込む可能性があるからなッ!?」


「サキちゃん!」熱い尾眼差しでケンは、再び覚醒した。

「庄屋三咲、見参!」ブルーのナイチンゲールは、ケンの右脳を掴んでグイッグイグイ!平静の軌道に導いていた!


「有り難うサキちゃん!」


「ケン、今気付いたけど、何で麻痺ってるオマエ?」


「サキちゃんこそ釈放されたのか懲役は?なんで正看護師?」


「殺すぞケンッ!」


「証拠不十分で、無罪放免ダゼッ!」


「ナースになるなんて凄いサキちゃん!」


「出でよ空海!」枯葉が舞い落ちた刹那、チリーン! 般若心経を唱えながら持鈴、金剛杖と念珠を片手に現れた弘法大師は、高島麻乃の呼び掛けに応じて現れた。

「お大師さま!亡者を葬りたまえッ!」の言葉を次に

「お大師さま、出現の許可を下さり誠に有り難き幸せ!」

「さあ!さよ坊!もうオマエはこの世の者ではないんだぞ?」徐に念珠をさよりの頭上へ掲げ、衣川宅造が霊となって現れた。

「衣川さより、さあ帰ろうここはそなたの居る場所ではないぞ?」空海の言葉にさよりはコクリとしたが・・・。それでもさよりは諦め切れなかった。

「お爺ちゃん!」

「死んだ理由を教えて殺されたのワタシ?」衣川宅造は見た!コクリと頷く空海を確認して、衣川宅造はポツリポツリと話し始めた。

 明治三十八年十月二十七日、黄昏貯水池畔にて挙行されたダム開発工事完成式は、昼下りから花火が上がるなどして、華やかに進んでいた。

 赤や青の小船が貸しボートとして営業するのは、旧黄昏村の村民だ。

 しかし、黄昏貯水池ダムの完成を待たずして骨皮一直(ホネカワイツチヨク)の家族は離散していた。

 一方衣川宅造は、播磨市との工事交渉及び工事協定契約の特約書は、黄昏村の村民の行く末を保障する事を条件に盛り込んでいた。

 黄昏村が水没した暁には、旧村民の職業を保障する事。こうして旧黄昏村村民は、職業を保障された。

 工事完成後、黄昏水道局が新しく設営され、その職員として地方公務員へと採用された。

 惜しくも人数制限で選抜から洩れた人員は、播磨市直営の吟醸米の精米工場へ工員として採用された。

 これにも洩れた人員は、湊川治水工事の河川の本線を地下へ埋設する建設会社を播磨市が、第三セクターめりけん骨皮建設㈱を立ち上げ骨皮一直が、その取締役社長及び正役員として採用された。

 かくして、衣川宅造の村政はブレがなく、村民をこの上なく愛したものだった。

「感謝しても、し切れんわな。宅造はん。」骨皮一直は、宅造の交渉を知らず人生最後の吟醸酒を胸に抱きフラフラと、まだ境界フェンスの設えられていない県道と黄昏貯水池の境界を歩いていた。

 一方、村全体に幸福の光が降り注ぐと言われてきたトンボの首飾りを漬けたままさよりは白いキャンバスに向かっていた。

 「さよ坊はどうしとるか見て来る。」そう言って式典の会場を後にした。

 上体を前後に振り二本のオールを漕いだ。

 オールをひと漕ぎ約一メートルは進める。

「丁度この下は神さんの水車小屋やったのう。」黄昏村の中心に位置する水車小屋は、黄昏米の精米作業詰め所があった。

 今から14年前、秋の嵐によって長男の貞夫を亡くした。

秋雨前線の線状降水帯から精米作業詰め所を護ろうとして氾濫した石井川に呑まれて行方不明になり翌朝、播磨港に全身蒼白く腫れ上がって浮いているのを朝釣りの太公望達に発見された。

 次期村長に君臨する筈だった貞夫は、若い力を発揮して村の若人に支持されていた矢先の事故だった。

 宅造は、悲しみの余り三日三晩慟哭を止めなかった。

止められなかったのだ。

貞夫の死はこの先起こり得る不幸を暗示していたからだ。

 それと言うのも引き上げられた貞夫の目と腹は、穴子とゴカイに食い荒らされていたからだった!

 うつ伏せになった貞夫を仰向けると眼窩は、ゴカイが目玉状になって蠢いていた! 膨れた腹がごそごそ動くので、腹を切り開けるとパンパンに肥え太ったフナ虫が胃や腸を食い尽くした数千匹を下らないフナ虫がウジャウジャ逃げ出して来た! それを見た宅造は、息子の命を奪った石井川を呪った!

「何で貞夫だけなんじゃァアーッ!」

「呪ってやる!神よ!共に呪い給え!」

 来る日も来る日も石井川を呪い続けた。

時は過ぎ、月日は日にち薬としての役割が大きかったが、宅造は次の課題を突きつけられれていた・・・。

 残ったさよりをどう育てるかだった。

 周りの護岸は秋の神が二十四色の絵の具をぞんざいに撒き散らした様に色付き「さよ坊が絵を描きたいと言う筈やわい。」と独り言を呟いた。

 貯水池の中央にやって来た。

  もう一度回帰する為に青空を見上げ立ち上がった刹那、ザバーーン!大きな動物が転落した様な音がしたため、「もしやさよ坊かっ?」過ぎったそのままボートを漕ぎ進めさよりが絵を描いている筈の池畔へ近付いた!宅造は、ボートを横向きにして池畔を見るとさよりが横たわり貯水池に嵌った一直が、さよりを引きずり込もうとしているではないか! 「われイッチョク!何しとんならッ!?」叫んだ!

「さよ坊!」

 しかし一直は素早くさよりの足首を掴み水面に浮かして太い片腕でシッカリと鷲掴み水中へ沈んでそまった!

14年前の惨劇が続いていたような気になった宅造は、オールで水面を叩いた!力一杯叩いた!「ウォーッ! ウォーッ!」と何度も何度も何度も、叩いて叫んでいた。


 「ラブステージか…、ウマイこと名付けるわねケンくん。」

 永い時間が過ぎた・・・三十余年、ケンと一緒に歩んできた。

  ケメコにはケンの恋愛や悩みや性の事にも言及出来る知識が溢れていたからケンを傍らからサポート出来た。

 

  ギーーッ! 百舌が鳴く・・・。

 脚にまとわる冷気が山間の奥深くに引きずり込んだ秋を放出させたマザーレイクは無表情で横たわっているが、無慈悲な悪魔の様に衣川家の運命を羽交い絞めにして来た。

 ネガティブな邪悪に加担してきた罪滅ぼしの様にラヴステージの陸と水の鬩ぎ合いにサラサラと小波を立てて、そこだけ黒いキャンバスに明るい白色を描けるように演出をしていた。

 ケンを愛し始めた十五の頃から将来一緒になると予感がしていた。

「永い時間懸かったな…ケンくん…待っててネ?」焼きもちを焼いた事もある。

 ワタシではダメなんだと悲しみと絶望感にうちひしがれた事もある。

 ケンが死ぬかと心配した事もある。

ケンとの愛の証を産んだ時は親と先祖に対して感謝がわき上がってきた。

 親としての責任感が、湧き上がりこの子を絶対護るという意識が、ケメコの子宮に生まれた事を感じ取っていた。

 止めどなく泪を流した事もある。

 ケメコは、マザーレイクを見詰めながら上着を脱ぎシャツとデニムをスルリと落として次にブルーのショーツをソロソロと脱ぎウェットスーツケースの中に押し込んだ。

 一糸纏わぬケメコは、恥ずかしげもなく両手を上げて深呼吸をしてからウェットスーツを纏い胸の膨らみ辺りでファスナーを止めケンとの結婚指輪を胸の谷間にそっと挟んでから首までファスナーを閉め切り小型の酸素ボンベを背負った。

 ラブステージの水と陸の攻めぎ合いにたちしばらくして一気に入水した!

約二十分の間、水面は滑らかに揺らいでいたが、ザバッ!勢いつけてケメコが飛び出した!

「あったケンくん!さよ坊の骨!」

 

  「さよりおばちゃん!長い間冷たかったね、寒かったね、ゴメンネもうすぐだからね、おばちゃん?」涙ながらに叫んだ!ケメコは、さよりの想いとシンクロしていた。

 頚椎、肩肋骨、肩胛骨、脊椎、腰椎、腕頭骨、大腿、等が上がった。

 ケメコは即座に県警に連絡した。頭蓋とトンボの首飾りと、蒼白く光る謎の鉱石と頚椎がまだ上がってない。

 まるで映画のロケーション宛らの騒ぎだった。

何台もの警察車両に紛れて取材用のワゴンにメディアがアーカイブを形成していた。

 事情聴取には、生存している曲がり角ケンにも参考人として出頭要請が来ていてケンは、車椅子でケメコに連れられて出頭したが、すぐに開放された。

 未だ上がって無いモノがあると、警察に事情を説明し播磨市警から、潜水許可を貰ってケメコは、,独りマザーレイクのラヴステージにて、衣川さよりの古い位牌に花を手向け線香を焚いて冥府への道を作り、供養を奮闘していた。

 ケンが早朝から作業療法テーブルで左麻痺腕の通電治療をしている時も、衣川さよりが怒り狂ってケンを媒体にリハビリ会場を破壊している時も、ただ独り愛するケンの為にマザーレイクへ潜ってさよりの骨を捜しているケメコの傍ら、空海と宅造が衣川さよりを静めた時も、宅造の切り妻屋根の軒下へ潜り衣川さよりの遺骨を拾い、次に頸骨と鎖骨を拾い集めた軈て、播磨市警が、衣川さよりの肋骨、腰椎や脊椎、脚骨を全て押収し、骨皮一直を被疑者死亡の殺人未遂容疑で書類送検した時も、ケメコは、完全無欠の無垢な庄屋三咲と、拮抗するほどにケンを愛していた。

 ふと、貯水池の水面に顔だけ出して、何気に衣川さよりの遺骨を置いた岸辺を見ると、オニヤンマが衣川さよりの遺骨の上で羽を休めていた。

「あっオニヤンマ!二人協力し合って捕まえたネ、ケンくん?」ケンとケメコのオニヤンマを手に入れた事で、微笑み一杯、満面に浮かべて長女の沙梨を思い浮かべていた。

 勿論、愛する夫ケンの事も。バタバタ! 気ままに飛び立ったオニヤンマの方を残念な想いで、眼で追うとクヌギの老木の幹になにやら、木の上からスッポリと、被せた様に、首飾りが掛けられてあった。

 眼を凝らして良く観るとそのチェーンの上から下から延びたクヌギの枝葉が自然の成り行きで成長していた。

「こんな処にあったのね、見つからない訳だわ。クヌギが成長して伸びたからチェーンが巻いた様になぅつたのね?トンボの首飾り見つけたよケンくん! えーっと、明治、大正、昭和、平成、113年?凄い物語だわ・・・。」

 ケメコが観たモノは、チェーンが雨風に風化されて所々錆びて切れ掛かっているガラス細工の、透明のガラスで出来た大きな4枚の羽、黄色の胴体に緑掛かった黒のストライプと、緑の複眼、衣川家家宝トンボの首飾りとは、オニヤンマの首飾りだった!

「凄いわ!こんな処に!」それは、ケンが溺れかけてケメコに助けられたラヴステージ、その昔、骨皮一直が衣川さよりの息を奪ってトンボの首飾りを投げ棄てた場所。

 さよりの声が聴こえた様な気がした。

「遊ぼう。」ラヴステージへ上がる前に大きく深呼吸をした。

 胸の膨らみが眩しく西日にキラキラと煌いていて、「まさしくケンとケメコのオニヤンマを捕まえた事になるな。」と、ケメコはケンとのオニヤンマ伝説に起死回生の人生を改めて振り返るのだった。

 曲がり角家の行く末に光り輝く未来があることを予感しながらケンへの愛を胸に抱きながらケメコが池畔へ上がろうとした時、骨皮一直が嘆いていた。


「済まなんだ、宅造、おまえの優しい気持ちを分らんかったんじゃ。」


「さよ坊、済まなんだ、ワシは、大馬鹿者じゃ!。」


「遅かった、遅かった、遅かった・・・。」 

 しかし空海は、「己れの親族だけが信用出来るとは限らんぞ宅造?」この期に及んで空海は、宅造を戒めようと言うのか?宅造は、訝しげに黄昏村のボタボタと、大雨の降り頻る晩を振り返った!「アニキ、俺も手伝うよ?」

「…すまんな、権太?」普段いがみ合う兄弟が村の一大事に手を取り合い、一致協力をした!

宅造は、村長の親族の在り方について、感慨深い想いで貞夫、権太の両名を見送った。

 家宝のトンボと鉱石を臨月の嫁の枕元に飾り、二人の帰りを待つも、権太は無事に帰ったが「川に土嚢を積んだ帰りにアニキとはぐれちまったんよ親父?」「貞夫…。」事故だと思っていた。 

 あの日、チラッと見えた者は。

「さよ坊、絵は程々にして、暫く経ったらワシの処へ来いや?」こう言い残して東の池畔へボートを出した時、何気に県道を北へ歩いている権太の姿がかい間見えた。

 一直が、さよりを引き摺り貯水池へ沈んだ時、頭から血を流していなかったか?宅造は、疑心暗鬼に駆られていた。

「お大師様、私めの息子権太の動向に尽き不審な事がございます。何卒全容を伺いとう御座います。」宅造からそう聴いた空海は、「さようか…。これに映そう。」金剛杖を水面に円を描きその円を見詰める事十秒・・・クッキリとさよりの周辺を写し出したレビューが回り出した!

 

 その後のラヴステージとなる池畔にペタリと尻を押し付け画板に下書きを施していたさよりは、ギギーッ!と鳴く百舌鳥の息遣いも紅葉の借景に眼を奪われ心も奪われていたから何事の物音も気にならなかった。

「有り難すぎて涙が出るわい宅造はんよ…。」

 一直が酒臭い息を吐き、ふと見るとさよりが一人ラヴステージにペタリと尻を押し付けマザーレイクに向かっていた。誰かを待つように南側へ首を回し長々と頚椎も脊髄も伸びる所まで伸ばして人待ち顔になりキャンバスに下書きをしていた。

 西風がさよりのウナジを見せ付け来い! 来い! と、言っている様で生唾をのみ「さよ坊…ハアハアハア!」と荒く激情のさより暴行事件が起ころうとしていた。

 白いブラウスの胸元のボタンは上から三つ目までは止められていたが西風が吹く度、膨らみ過ぎたた白い胸がチラチラと見えていた。

 抜き足差し足音も無くさよりの背後に立つ一直は、空いた胸元にスッと右手を差し込みさよりの胸や乳首に手を当てがい力任せにボタンを引きちぎった!


「アッ、何するの!」


「貴方は一直どん?」


「止めて!」


露になった白い胸の乳首を吸い舌で転がした!


「アン!いやあーッ!」


さよりの口を押さえつつ


「叫んでも誰も分からんわえ。」


「ワシの女に何しよんじゃ!」

その刹那ドガシッ! 鋭利な斧が一直の頭を割った!迸る夥しい鮮血がシュワ! シュワッ!と噴水の様だった!


「ご、ゴンちゃん…。」


  放心状態のさよりは、権太が一直の頭を割り、一直の身体を蹴飛ばし、さよりに「続きじゃさよ坊・・・。」そして「なんやオマエ、さより!男を銜え込んでやあァアーッ!」

 事を終えさよりの首を締め息を奪った! もう一度一直の胴体を蹴り飛ばし水底へ沈めようとしていた。

 だが一直の腕がさよりの衣服に絡み付く。

「もう二人とも沈めるか。」

呟きながら二人の胴体を池畔から落とそうとしていた刹那、

「イッチョク何をしよんなら!」ボートを漕ぎラブステージまでやって来た宅造の誤認をさせる効果があったとは、

「飛んで火に入る秋の一直やのう!」ニヤリと含み笑いを浮かべ沈み行くさよりと一直の腕を見ていた。

 ハアハア!「福世のやつ、梃子摺らせおってからに! さよりイーッ! 別れてくれなんだわい。」さよりが沈んだその時、待ち合わせ時間に遅れた曲がり角勇二が走ってきた。


「オマエ権太…。」


「貞夫の時もか!」

貞夫と権太は、激しく降りつける大雨の中石井川に向かっていた。

 ゴウゴウと黒い水が魔物となって走る川瀬に立ち、「ここに土嚢を積もう!親父にも避難を促しとけよ権太?」しかし権太は家宝の事を想い只一点、暗黒の濁流を見詰めて心ここにあらずといったふうに、貞夫のいう事にも耳を貸さず突っ立っていた。

「グズグズせんと早ようせいッこの薄ノロが!」

「んんな?コレカイやクソッ!煩いのう!」 

 権太が貞夫の背中目掛け土嚢を投げつけた! 

ドシン! ウワッ!

 貞夫はバランスを崩し濁流の中へ落ちた貞夫は水に飲まれた。

ドドドドドー・・・!

「グガッ! タ、助けてくれーッ!」

 哀れな貞夫は、笑う権太を残し断末魔と共に消えて行った!


「何をやっとんじゃ権太?オマエが貞夫の分も村の農作業の分も働いたから村の衆で崇めよったんぞ!」

 宅造は、悔しさひとしおの面持ちを浮かべてその場にヘタリ込んだ!


  死に神が呪詛を放つ!「△♯×※~●」


「消滅!」


「権太?」


消えた!


黄昏村功労記から!


衣川家の戸籍謄本から!


勇二や宅造の記憶から!


村民の記憶から!


権太が産んだ一族諸とも!


 サヤサヤと秋風吹き抜けるラヴステージに


マザーレイク一面にキラキラと晴天の日光が降り注ぎ辺りは、明るい陽気な森の中心部のマッタリとした小鳥の囀りさえも暖かく思えてきてチャポン!両足から腰に掛けて入水した。 

 ザバン! 上層部は、まだ明るく小鮒がジャレ合っていた。

中層、深層、と水底に近付くにつれ日光が遮られていたが、水中ライトを点灯し、視界十メートルの世界を作っていた。

「絶対に見つける! おばさんの頭蓋と首の骨、それとお宝!」

 決意したケメコは水底の泥濘に立っていた。

水底部は、何物も活躍しない死の湖の様相をしていた。

 キラリ!ライトに反射した!

「なにアレ?」条件反射で光るものに近付きそっと拾ってみた。

 それを手にもち、ライトを当ててみた。

「あった!青い鉱石と頭蓋!」ビギナーズラックね?

 見つけた青い鉱石と頭蓋を目指した一歩を出した時、徐々に水流が右から左へ流れる!それに連れてケメコの身体が左へ持って行かれる!上体が流されそうになり、両足を踏ん張った! 懸命に踏ん張った!「どーしたの?」

 水底にライトを当てた! それは約五メートル先にポッカリと直径一メートル大の穴が開いていた! ダム排水口が誰かの手に依ってオープンされた!

「死んでお仕舞いケメコ?」鬼の形相の衣川さよりがケメコを睨み唸る!

 衣川さよりがケメコの左腕に絡みつき排水口へ誘う悪霊と化していた!

「イヤッ!さより叔母さん!今は死ねないワッ!」酸素マスクが外れた!

「沙梨が居るもの!」ゴボッ!水を飲んだ!

「ケンくんが居るもの!」ゴボボッ!酸素ボンベが飛んだ!

「だから死ねない!」ゴボボボッ!強か水を飲んで

、左に引かれた時、ケメコの目に映ったものは! 赤い水車と、水車小屋だった!

「えっ?」衣川宅造の生家!


「何で排水口が?」


「まさか水の門番って!?」


「そうさ、排水口が三途の川なんだよ!」

 衣川家は代々水車小屋を継承するものに村長の職責を拝し、拝命した者は石井川と、並びに天王谷川が合流し湊川になり氾濫を起こす水量と水流を司る生き神によって水の門番を拝命していた。

 それは、水害で被災した者の霊を吸い取り生き神が生き長らえる悪魔の飽食であり、不定期的に湊川の氾濫を起こす様に仕組まれたもので播摩市が自主的に公共工事を施工し、黄昏村の全村民が潤う完全無欠の生業として落着するための計画だった。

「ではひいお爺さんは知ってたの!?」遠退く意識はやがて半時計回りの水流に身体は弄ばれていった。

「強情で我侭な生き神やわい。」

呟く死神タナトスが力ないケメコの魂を掴み水底からマザーレイクの水面に仰向けフワフワと浮く様に浮かばせ、フーーッ!と、力強く息を吹いた。

 そしてケメコの魂はユラユラと水面に浮かびながらラブステージに漂着した。

意識不明のケメコは」家宝の鉱石を放さなかった。

 意識を無くしたケメコは、死んだ様に眠り続ける。 

無意識の慟哭を続けながら。

「おばさん 悲し過ぎるわ!」

「何を言うかッ!権太を呪ってやる!一直を呪ってやる!」

「勇二を呪ってやる!」

「世の中の男共を呪ってやる!」

「男はみんな獣だッ!」

「オレの女と言う癖に。」

「欲望さえ叶えたら見向きもしない!」

「アタシはオマエらの所有物じゃないッ!」

「男はみんな一緒だ!」

「みんな死にやがれッ!」

 さよりの怒りは激しく遠目で見ていた宅造が口を開いた!

「また勇二か!」

「貞夫の時も絡みよる!」

「さよりの時も又、絡みよった!」

「わしらの生き死にに、なんでそう絡んで来るんや!?」

「もう拘わらんといてくれるかッ!?」

「そない言われても、おっちゃん・・・。」遅れてきた勇二がマザーレイクと県道の境界に立ち、勇二を睨み吼えている宅造に向かって叫んでいた。

「ワシはこないして福世に暇を出して走ってきた!」

「 さよりを嫁にする為に!」

「そやけど福世は別れん言うてワシの足元に縋りよったから足蹴にしてこうやって来たんやおっちゃん!」 

「殺生なやっちゃな勇二は!」宅造はうすら向き、マザーレイクを覆う空に眼をやった。

 黒いマントを翻し大空に浮かんで立つその様は、死に神タナトスの戦闘モードの出で立ちだった。

「おいリンバ、いい加減にしろ!」バーン! 猛烈な衝撃波を伴う神の一声で 菊水山が崩落した!

 

 神々のカーストは、死に神タナトスケーレスが序列の一番上に居る。

  恐ろしくも水中がビリビリ歪む程に殺人レベルの周波数が、ざわめき立った!

「邪魔しないでママッ!」ザザザーン! マザーレイクの貯水が隆起しダムの中に叩きつけられた!津波がラブステージを飲み込む。、 生き神リンバが死に神の実の娘ながらもカーストの底辺に位置していた。


 生き神リンバが死神タナトスケーレスに歯向かう!

「オマエが産まれて二千年、オマエに邪魔するなと言われるとはなッ!」

「この親不孝者!」ドドドーーン!

 ドドーン!ゴロゴロゴロ!ドドーン!ゴロゴロゴロ!バーン!神々が激しく壮絶に激突する衝撃音は、落雷にも似た波動が播磨市全域に轟いていて、山肌という山肌は、全てが抉れ幼児が砂山でスコップを立て削った様にことごとく破壊されていた!

 ボーン! ボーン! ボーン! という激突音は、マザーレイクから数十km離れた播州姫、路加古川、大阪船場、等の阪播間の市民には、花火が上がっている様にしか聴こえず飛び散るオーラの閃光が、昼間ながらにクッキリと確認出来、祭りの様に感じられていたから差し当たり住民のパニックには至らなかった。 


「ママが人間の争いを起こしたのよッ!?」ボーン!

「それは人間が強欲だからさッ!」バーン!衝撃波が着弾した!

「何も太平洋戦争を起こして殺さなくても良いじゃない!」バーン! マザーレイクが上昇気流に持ち上げられ四方八方に飛沫して着弾したと同時に余りの高熱に貯水が蒸発した刹那、黄昏の森の木々の幹内が異常高温で自然発火に到った森は、焦土と化した!


「なんじゃオマエ、生きた人間達から夢と希望の魂を何万個と吸い取ったクセに!」

地表にクラックが入りそうな死に神の怒りだった。

「だからもう一人前なのっ、ママが想う通りには行かないわ! 子供は知らぬ間に成長して行くわ!?」

「だから・・・。」

「だから・・・。」

「ママを愛してるわ!」

「 だからワタシを認めてママ!?」

ドーーン! 

ダダダダダダッ! ダダダッ! ダダダッ! ダダッ!

「コラアッ、ババアとブサイク!」

「ケンの嫁はんのケメコを虐めるなッ!」

「殺してもうたらいてまうど!」

「ム? 」

「ユ、ユウジ!」

「 何しに出た?」勇二は秘密の滑走路からゼロ戦を飛ばしていた。

 ババババーー!ゼロ戦のエンジン音も高らかに上空を飛び死に神タナトスと生き神リンバに攻撃を仕掛ける勇二が怒鳴っていた!

「ちゃうちゃう爺さん。」

「ちゃうんじゃ。」

「親子喧嘩なんじゃ。」蚊を掃うように勇二に訴えていた。

「ワシらもう帰るからな。」

身繕いを始めたタナトスケーレスはリンバを完全に見失い勇二の乗っているゼロ戦ばかりを見ていた。

「ジーサン、成仏しなはれ。」

「ちょっとママ爺さんなんか相手しないでッ!?」

「・・・な、なーにを言うとる。」休戦状態だったマザーレイクに再び神々の戦火が起ころうとしていた。

「特にヒロシマとナガサキの時は事故、

自殺、

戦争、

病死、

殺人、

と振り分けに大変だったんだ。」

「リンバ!」ドドーーン! マザーレイクが決壊寸前だった! もう神々のパワーをまざまざと見せ付けられた空海や衣川さよりが、恐れをなしてスゴスゴと、冥府に消えて行こうとしていた!

「愛してるママ・・・。」耳を疑った!

「 だーから、黄昏貯水池の水辺に大人しく横たわれリンバ!?」

「爺さんはもう消えたから。」クルリと大空を見回した。

「大好きよママ。」それに耳を貸さずリンバの思いを放ち続けていた。

「だから私を認めて・・・。」

「リンバ・・・。」リンバの魂の叫びがタナトスケーレスの心を動かし神々の親子喧嘩は終焉を迎えようとしていた。

「男は一緒じゃないわおばさん!」

「ケンくんが居るもの。」

「ケンくんは違うわ、さよりおばさん!?」未だ衣川さよりと曲がり角ケメコの闘いは続いていた。


「ふうー、疲れた・・・。」

「認めてやる、リンバ!」ビューーン ボーーーン!山が一つ消えた・・・。 

 反時計回りに流されながらさよりの霊に強く念じ続けたケメコ!

ほとんど虫の息だったが霊魂の叫びは続いていた。

「ケンくんは優しいもの!」

「ケン君の心の中を覗いてみてさより叔母さん!」


 二秒後、流れが緩まり、水底に白いものが、頭蓋に寄り添うように静かに留まっていた。


こうしてケメコの身体は、ラブステージの水辺に流され横たわって居た。

「「あ、あーッ!さよ坊の頭蓋…。」

「見つけたよ、ケンくん!」 

カクン! 力尽き堕ちた! 

 ケンは、脳血管障害の病を患い、後遺症害の左半身麻痺が残っていた。


  食事を摂る際には使える右手を動かし、箸で食事をする。

但し、動かない左手は膝の上だった。

 ケンの願いは左手で茶碗を持ち食事がしたい。

 儚い夢を持ちつつもリハビリを続けてきた。

東に麻痺の手が動いたと聴けば、東へ走り、西に麻痺の脚が動き歩けたと聴けば、西へ走る。

 という生活を続けて二十余年・・・。

ケンは、ケメコのその想いを知っているからこそ、リハビリを続けられた!

 創意工夫をやってのけた!あともう少し時間があれば、独歩出来ると実感出来ている!


  水面に上半身を出したままにラヴステージへ戻りつつも意識が遠くなったケメコの肩胛骨から「よっこらしょ隠れてんと出てこい衣川さより!」ゴォオーー! 突風と共に恐ろしくも大きな濁声がして くぬぎの影から黒い人影がおずおずと覗いた

「はい、神様。」縮こまった衣川さよりが礼をした。

「強情な子やわえ。」

「 おい空海と宅造!」

「責任持って冥府へ連行せんか!」

「消してしまうぞお前ら!?」

 恐ろしくも黄昏貯水池の池畔全域にビリビリと響き渡りけものというけものや鳥類も慌てて逃げ惑い切り株や木の幹に頭を激突させて昇天するキツネ、タヌキや山鳩が後を立たなかった。

 空海、宅造諸とも池畔に慌てて正座をして、「申し訳ございませんタナトスケーレス様。」言うが早いか空海と宅造は、速やかに退散した。

 空海は、神のパワーの前では完全に無だった。

「◎×△?※Ω∈!」死神が消えたと同時に

「ん、あー、寝てたわ、寒っ!」途切れた記憶の中のケメコは、蒼の鉱石を掴んでいた。

 急いで水中からラヴステージへ這い出し、いそいそと遺骨を整然と並べて徐に一一〇番をコールした。

 強い西風が通り過ぎた刹那、チェーンの錆びた部分が切れトンボの首飾りが舞い落ちて来たのをケメコは片手で捕らえ

「わあ、トンボ採ったあケンくん!私達のオニヤンマ!」 マザーレイクのラヴステージには、骨皮一直が死神に消し去られ、人々の記憶にも残らず、一直と関わった事さえも無かった事の様に戸籍も消し去られていた。

 それを見届けた衣川さより曲がり角勇二の真実の心根に触れ満足げに消えていた。

オニヤンマの家宝は、キラキラと煌びやかにケメコの手中で蒼の鉱石と共に神々しい光を放っていた。

 悪魔の所業に翻弄された衣川家の輝かしい歴史は封印され徳川家の古事記にも将軍家からトンボの首飾りと蒼の鉱石を贈呈した記録も消し去られていた。

  だが、ケメコが線香を立て、供養をしている時も、読経が終わり潜水スーツのケメコが普段着に着替えてケンの元へいそいそと帰る時も

いつまでもいつまでも、いつまでも・・・オニヤンマの首飾りと蒼の鉱石はいつまでも輝いていた。

「余計な事をするなリンバ!  そのままにしといてやれ。」

「だけどネ、ママ・・・。」

「 衣川親子を生かしてやらないと。」

「イカン!」

「 自然の赴くままに、摂理のままにせにゃあイカン。」

死に神と生き神の小競り合いの親子喧嘩は、この先何百年、幾千年と続く事になる・・・。

「凄く早いなあお父ちゃん!?」

「オニヤンマになったみたいや・・・。」

「虫が好きやもんなあ七雄は・・・。」

  不思議な感覚だった。

  ワシの目の前を動いとる、赤子の七雄が・・・。

 「小さい手や足をばたつかせてワシの事を安心し切って。」

「親と信じとるのか?」

「アブアブー。」と言うとる。

「 何年か前には子供は諦め掛けたのに・・・。」

「七雄が産まれてからはワシの毎日に光が射した。」

「そやからカミカゼが恐くなった!」

 「七雄の成人した姿を観るまではワシャア死なれん!」

「お父ちゃん。という声を聴いたら七雄が愛しゅうて愛しゅうて・・・。」

「七雄を眺めるだけで涙が流れるんや・・・。」

「だから、ワシャア死なれん!」

「七雄がモノを食べよる・・・。」

「七雄が乳を飲みよる・・・」。

「七雄が涙を流して泣きよる・・・」。

「七雄が寝息を立てて寝よる・・・」。

「七雄が積み木を積んで遊びよる・・・」。 

「おお!七雄・・・愛しい愛しい七雄!」 

「ワシは命に替えて護ったる!」

勇二の命の分身が動く度に感嘆していた。

「あっ、オニヤンマ!」

「・・・。」

「・・・。」


「とでも言うと思ったケン?早く捕まえなさいヨッ、ゼロ戦を!」


 播磨医療センターの屋上に不仲の兄妹がいた。

見上げた放射冷却現象の青い大空に爺ちゃんのレビューを描いた。


「山へ行くぞ、ケン?」

直角に機首を上げ、垂直に上昇したかと思うと今度は背面非行に移る。

 オニヤンマの様ににゼロ戦を無難に操る撃墜王カミカゼ勇二、爺ちゃんがゼロ戦のコクピットから叫んだような気がしていた。


  ニコニコと笑う勇二は七雄と一緒のフライトが、愛おしく、愛おしく・・・。

やがて、夕日に煌く宵の明星となって行った。

 「曲がり角さん。」

「曲がり角サリさんの出征届けを受理しましたが、・・・。」


「あ、の・・・」

「曲がり角さん間違いだったら許してくださいネ・・・、ケメコさん?」

「貴女は、十四年前タイで性別適合手術をされたのですか?」

「本当に嫡出子・・・。ですかね養子を立てたのでは無く曲がり角さん?」

「・・・ええ、産婦人科から出生証明を添付してますけど、何を今更?」

「戸籍に 付票が付いてるんですか!?」

「え、ええマア、そうですね・・・。」

しまった聞くんじゃなかった! とその表情は後悔の顔色が伺えた。

「 夫のケンには言ってませんよ?」

「大戦争ね・・・。]

蒼白いオーラの様な発光体がケメコの身体を包んでいた。

「あなた方には守秘義務があるでしょう!?」

 「貴方の主観を押し付けられる理由は無いわツ! 国が認めているのよ?」

ケメコが一言発する度に蒼白いオーラが踊り何者にも寄り付き難い輝きを発光していた。

 「墓場まで持って行くの止めた!」

ケメコは憤り、役所の職員は平身低頭で平謝りを続けていた。

「ケンくんは私のステディよッ!」

「沙梨は私が出産した正真正銘の私の赤ちゃん・・・。」

「沙梨は私の母乳で育てている私の赤ちゃん・・・。」

「もう誰にも何も言わせない!」

「誰がなんと言おうと揺るがないこの絆は!」

「曲がり角ケメコは、淑女!二十歳の時、タイランドのマーガレットクリニックでインターセックスから女性化の性別適合手術をしたわ!」

「曲がり角ケメコは妻! 誰も何も言わないで、私は内助の功!」


「曲がり角ケメコは母親! 私のお腹を痛めて産んだ私の娘!」                          ケメコは胸を張って沙梨を抱きながら役所の職員と正々堂々と、対峙していた。

 

「もう・・・終りではなかったの?」

「オカマ! オカマ! カマコのケマコ! オマエはオトコオンナや!」

 ザザーーンッ! トイレの中にバケツの水を掛けられた!


「水着の股の方がモッコリしとるやないか?オトコオンナやのに!」


「男のクセに男を好きになったらいかん!鬼畜じゃ折檻や!」


  バシッ! ボコッ! ケメコの父親に棒で叩かれ足蹴にされた!

じっと前を向いて立ち、ケメコは走馬灯の様に目眩くケメコの人生がレビューのフェイドアウトまで躍動していた。     


 大本営解体から75年後。

 最新鋭はやぶさは月面の裏側に回っていた。

そこには翼の折れた零戦が浮遊していた。

一機や二機ダケではない! そこには操縦管を握ったまま死後硬直しているゼロファイター達が・・・。

 嘗てエースと呼ばれた名だたるゼロファイター達がそこにいた。

「レアメタルとヘリウム、採取します!」月面に降りるではなく、地上スレスレのホバリングは、技術的にも理論的にも可能だが長時間留まっていられない大宇宙の法則があった。

 極小の隕石が朽ち果てたゼロ戦本体やゼロファイターたちの頭を貫通していた。

 頭の向こうの青い地球が見えたからだ!

「お、お父さん!?」沙梨は眼を疑った! 

 JAXA有人人工衛星が、地球を超えた太陽光が月面に這うと同時に視界が広がる・・・。

そこには戦前戦中の大日本帝国の科学力をまざまざと見せ付ける顔面に拳大の隕石を受け、ポッカリと空いた風穴を物ともせず淡々と職責をこなすAI達の機動力に眼を奪われ、次にカミカゼ特攻隊のゼロファイター達がAIだった真実にも眼を奪われていた。(了)

                                                                   









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