24.夢の終わり
プリズム5thライブは佳境を迎えつつあった。
小さなアクシデントは数えきれない。例えば瑪瑙ラテが突然出られなくなったことで、演出や立ち位置などいくつも修正が入った。その全てを短い時間で完璧に覚えきることはさすがに難しい。
代わりに誰かがミスったらすぐに誰かがフォローに入り、ミスをミスだと思わせない。
綱渡りのような緊張感で破裂しそうな舞台上をプリズムのみんなで並んで渡っていく。
多少のミスが露見したところで致命的な破壊にはならない……と、遠久野ライカは思っていた。
他のみんなには悪いが、本日のクライマックスは自分が引退する場面。つまりラスト以外を挙げられない。
終わり良ければ全て良し。
どこかで印象的なミスが発生したとしても、最後にライカが帳尻を合わせる。それで解決する。
しかし、今日のライブはいつもと空気感が違った。
いつものライブなら起こさない軽いミスが息をするように発生している。その直後にミスを呑み込む大胆なアピールを入れ、歓声を呼び込んでいく。
出演している誰もが、普段なら安定を取ってやらないアドリブで、ミスをアドバンテージに変えていく。
過去のどのライブと比較してもブッちぎりでミスの多いライブになるだろうが、ライカの体感では最も完成度の高い、一体感のあるライブにもなっている。
表現する者によっては『奇跡のライブ』と銘打ってもおかしくない。そういう出来だと自負する。
――それゆえに、酷く残念な気持ちを抑えられない。
遠久野ライカが望む奇跡は起きそうになかったから。
引退を表明してからの三ヶ月は長いようで短かった。精神的には一生の内で長く感じた期間だったかもしれない。
SNSで。掲示板で。配信のコメントで。
一人ずつ、勇者クエストから脱落してゆく様子を見て、ライカも一滴ずつ諦めをハートの器に落としてきた。
ずっと昔に覚えた処世術だが、すでに満杯になって長い時間が経っている。
「……嘘じゃん」
タカローの言葉を信じたかった。でも、もう無理だった。
溜め込んだ諦めを、ついに清算する時が来た。
ライブはあと一曲。
出演者全員並んだ状態でMCを挟んで、プリズムの全体曲を歌って、そして遠久野ライカとしての人生が終わる。
そして、その魂も近い内に後を追うことになる。身辺を整理して……どこに消えようか。
「……カ、ライカ?」
画面上でマイクパフォーマンスをしている草凪アリアの呼びかけで、想いに沈んでいた意識が浮かび上がる。
「ごめんなさい、これも感傷かな。色々と思い出してきて」
「寝てたんじゃなきゃいいよ。感動の涙でも、嗚咽でも好きなだけ垂れ流してくれ」
「うーん、そう言われると流しにくいな」
観客席から少しばかりの笑い声が上がる。こんな悪天候にも関わらず、客席はおおよそ埋まっている。ありがたいことだ。
アリアがライカに主導権を渡すべく、スケジュールを観客たちにお知らせする。
「時間も時間だし……、実は次の曲がセトリのラストになるんだ。アンコールは無いからな! ええい、静かにしろ静かに!」
武道館が震えるほどの不満が爆発した。
観客たちは無限に終わらない今日を、永遠のライブを望んでいる。せめて、最悪、アンコールをよこせと喚いている。
今日が終わらなければ、遠久野ライカの引退は来ないのだ。
時の歩みは残酷だ。
誰が祈ったとしても、変わらずに進み続ける。だからアリアは怒鳴った。
「うるせーぞっ! お前らが騒ぐほどライカの話す時間が減るからな? みなさんが静かになるまで……いや、秒で静かになるじゃん」
「あのー、アリア先輩のお話はまた今度でいいですかー?」
「おい!? 後ろから刺すな! ああ、もう、ほら! 締まんなくてわりィけど、ライカ」
即興コントで場を温めてくれたことに感謝して。
舞台袖から現れた遠久野ライカの魂は、デジタルで出来たその衣装に重なり――纏った。
静かにしろと諌められていたにも関わらず、観客席からはどよめきが止まらない。
配信の画面では合成されて立体的に見えていただろうが、現地では平面のディスプレイに映っていた。……はずだった。
二次元を飛び出して、三次元の事象になる演出。
真実、『遠久野ライカ』は遠久野ライカとして顕現した。
とびっきりのサプライズを持ってして、一人で前に出るライカは客席を見渡すと優雅に礼をする。
「みなさん、ライブは楽しかったですか?」
『楽しかったー!!!』
打てば響くようなレスポンス。長年の観測者たちは鍛え上げられている。
「アリアも言っていたけど、残りの一曲で……私は、プリズムを。遠久野ライカを引退します」
『辞めないで!!!』
『いかないでー!!!!!』
「残念ながら、勇者クエストはフェイル――失敗と宣言せざるを得ません。誰も、私を見つけられなかったから」
沈痛。
そんな単語の似合う雰囲気が広がっていく。
「何度か送る側には立ったことはあります。改めて、そこに自分が立つとなると……不思議な気分がします」
ふと、後ろから声をかけられたような気がしてライカは振り返った。
並んだメンバーたちの頭が、櫛の歯が欠けるように凹んでいる。立っていられずにしゃがみこんでいた。
こらえきれない涙がうめき声と一緒に流れ出す。
近くに立つ面々が、彼女たちの肩に手を置く。
アリアだけは「続きをどうぞ」とばかりに、両の手のひらを表にした。
視界を前に戻す。
「これだけ泣いてもらえると、ま、十年やってきた意味もあったのかなって。今日までやってこられたのは、みんなと観測者たちリスナーのおかげ。私の十年に意味をくれて、ありがとう」
話している内容は全て本音のつもりだった。
もっと早い段階で遠久野ライカを辞めさせてくれなかったのはタカローだが、ゆるやかに訪れる死を受け入れて時期を先延ばしに出来たのは、プリズムの仲間と観測者がいたからだ。みんながいなければ、きっと、この舞台にライカはいなかった。
「ずっと一緒にやってきたのに泣いてくれない薄情な人もいるみたいですが……」
「うるせえな、終わったらすがりついて泣いてやるよ!」
「それは暑いからお断りするとして」
「ライカッ、おいっ!」
後ろからアリアの無理やりテンション張り上げたツッコミが入る。
ダシに使って悪いとは思ったが、打てば響く反応はアリアにしか求められない。
悲しみに染まっていた舞台も、会場も、泣き笑いの喜劇に変わっていく。
「私はいなくなります。記録やアーカイブ、そしてみなさんの記憶には、ちょっと、残るかもしれません」
『ずっと覚えてる!』
『忘れたりしないよ!!!』
「そんな、大層なモノにしなくて構いませんから。私は過去になる。だから明日になったら私のことは忘れて、未来からやってくる新しい楽しみを探してください。何か辛いことがあった時、後ろを向いたら手ぐらいは振ってあげる」
そしてライカはゆっくりと腕を上天へと伸ばす。ピンと飛び出した人差し指が、未来への道筋を示す。
「――『Third Crystal』。私たちの最初の歌。私にとっては、最期の歌。聴いてください」
背後の様子は窺わない。
私の後輩たちならついてきてくれる。それだけは信頼しているから。
爆音で流れ始める音の波がライカの身体を打つ。最後の最後にきて、新鮮な感覚。
バンドサウンドの中に耳を引くピアノが特徴的な、プリズムにおける初めての全体曲。
まだ人数が少ない頃、ライブでみんな並んで歌うために作られたそれは、結局、ライカにとっても最も思い入れの深い歌になった。
伸ばしていた手をマイクに添える。
イントロが終わり、ライカが歌い出すと、重厚なハーモニーが後ろから追ってくる。壊れかけた和音が混じっているのは愛嬌か。
一番のサビを歌ったところで8期生の音声が途絶える。
トラブルではなく、演出だ。
曲が進むに連れて少しずつメンバーの数が減っていく。歌ったフレーズに湿った残響を乗せて消えていく。
二番を終える頃に残っていたのは、プリズム2期生。
遠久野ライカ。草凪アリア。
それもわずか。
ラストのサビを前に、長い間奏でギターソロが入った。
しかし、今回ばかりはエモい運指よりも、草凪アリアが発した小さな呟きの方に引っ張られた。
「ライカ、じゃあな」
一人だけ別れの言葉を残し、アリアもまた舞台から退場する。
これで舞台上には遠久野ライカ、彼女だけ。
最後のサビ、時間にして三十秒も無い。それを以って、遠久野ライカはいなくなる。
吐息の深ささえも漏らすことのないように、観客たちは知らず知らず、自身の呼吸器活動を止めた。
――ライカが、口を開く。
革命的な
有史以来の最高を 謳い続けるから
連続的な
私がいる価値と意味 かたち創るのは
――君たち、
気の遠くなるような余韻。
相対距離を無視してそこにいるはずの、彼女の気配が薄くなっていく。
切なさの臨界点を越える――
「――さよなら」
刹那、デジタルで創られた遠久野ライカは粒子になって飛散した。
静電気を毛羽立たせて、熱気の中に溶けていく。
スポットライトは主張をやめて、暗闇を漂う電気信号だけが舞台に残る。
遠久野ライカの消失。
それが観客たちの身に染みたのは、閉幕を告げるアナウンスが流れ出してから。
『以上をもちまして、プリズム5thライブを終了いたします。お荷物を、お忘れなきようご注意ください……』
ほとんどの観客は呆然としていて、帰る準備をしようと動き出す人間は少数派だった。
未だにメッセージの意味を噛み締めて、隠された味がないか探そうとしている。
大方の予想通り――全世界一億人の観測者には残酷なことではあるが――遠久野ライカの引退にて、プリズム5thライブは幕を下ろす。
五分後、十分後には速報として、遠久野ライカ引退が確定事項として世界中の導線を巡り回るだろう。
そして明日には詳細なレポートが挙げられて、ニュースサイトで周知の事実になる。
来週、一月後、一年後には、あんな人物もいたなと記憶の網から零れ落ちていく。
そういう未来を受け入れるための時間が必要だった。
あるいは、認めたくないだけの悪あがき。
観客の中には最強の台風を乗り越えて、一日以上を捧げた者がいる。彼ら、彼女らが物理的に追い出されるまで席に座り続けようと考えるのは、ある意味では当然だったのかもしれない。
粘り続けたら本当の最後にラストファイナルアンコールが出てくるかも、という淡い期待。
それはそれとして、ライブ終了のアナウンスを聞いて緊張の糸が切れてしまったのか、力が抜けて立てなくなってしまっている者もいた。
席を立つ様子のない集団を見て、まだ何かあるのかと待機する者。
退出したいが周りが動かないので仕方なく待っている人。
結果的に……舞台の継続を待ち望む観客が、呆れるほどに残った。
――ゆえに、幕が開けられる。
気が付けば繰り返されていたアナウンスは止まり、たった一本、舞台の中央にスポットライトが現れる。
光の下に、人影が足を踏み入れる。
『……誰?』
姿を見せたのは、荒れ果てた少女。
髪の毛は濡れた犬のようで、清潔感からは遠く離れている。
服もボロボロで元は可愛らしかったはずのワンピースは、ところどころ穴が空き、装飾は破れて垂れさがっている。特に胸の辺りは本来の色彩から外れた赤色で汚れきっていた。
登場時から俯いていて、表情ははっきりとしない。
少女は、手にしたマイクを口に寄せた。
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