18.アイドルの資質
『言葉のチョイスが回りくどい。秘書さんもそう思ってる』
タカローが秘書に視線を向けると、彼女もはっきり頷いた。意味不明だと。
個人的には渾身の台詞だと思っただけにガックリと項垂れる。
「さっき僕は、アイドルを時代性の塊だと言っただろう。そして現代の職業アイドルにおいては、モードファッションのように創れるものだとね」
『覚えのない、かつ、そこまで言われると思うところがあるけれど、続きをどうぞ』
「多数の人間で感情や属性を共有することで時代は形を持つ。アイドルにとって力のある属性は処女性だったり、清楚や愛嬌のような容姿や雰囲気を良く見せる物が多いけれど、それは決して画一的に表せるモノじゃない。体調や環境、事前知識の有無なんかで容易く受け止め方が変わる。個人によってアイドルのイメージには許容範囲がある、と言えば分かりやすいかな」
『もっと具体的に説明して? 例えば日本では芝生を青いと表現するけれど、海外では緑がメジャーだというような』
「抱えているイメージ、認知の差だと理解している人には要らないのでは……」
タカローとて馬鹿ではない。
例え話が無くてもライカにならば伝わると思ったから省いたにすぎない。
実際伝わっているようだし必要なかったのだろうが……、ライカも眠いという割には細々と茶化してくる。会話の終わりを目指し始めたことで、いざ終わらせるとなると惜しくなってしまった。そう想ってくれたのであれば無駄に長い話も救われる。
「基本的なアイドルの生存戦略として、イメージの保持があるだろう。先程挙げたように清楚であれ、清純であれ、といったようなさ。髪型やメイク、衣装を含めた雰囲気を固定化することでイメージを守っていくことになるが、それでも人間であればどうしても日によって出来にブレがある」
『揺らぎ、ね……』
「イメージの許容範囲、イマジナリースペースの中でならブレ……どれほどの揺らぎが発生しようと君たちはアイドルだ。明日のライブが一〇〇点でも、五〇点だとしてもね。ファンの個人それぞれに設定されている下限さえ割らなければ、君たちは辞めない限り、採算がとれる限りはアイドルでいられる」
『そこだけを切り取るなら、揺らぎの幅なんて狭めた方がパフォーマンスは安定して良さそうに聴こえる』
「職業としてのアイドルならそうだろうね。常に八〇点を取って、一つの時代を築き、消費して、そして消えていく。“アイドル”という言葉に対してあまりにも役不足な結果じゃないか。人に扱える程度のアイドルなんて、アイドルじゃないのさ」
『わ。業界を敵に回す発言。私も敵に回したってことでいい?』
含み笑いの台詞に、タカローは口笛を吹いて明言を避けた。
まったく、タカローの手のひらから逃れてばかりのアイドルがよく言う。
「イマジナリースペースなんていう定義されたイメージを、何度でも軽く飛び越えていく揺らぎ」
『想像を越えてゆけ、って?』
「そうさ。どんな時代も、想像の外からもたらされる興奮が最も人を病みつきにさせる。これは実証済だよ」
今度はタカローが笑って言うが、ライカの返事はなかった。
「もちろん悪い方にオーバーされると困るけどさ。幸い、僕の目は確かだったようで、今のところ、舌打ちするほど想像の外からやってきた悪いモノはないね」
『……私はこないだ運営部長さんに嫌味を言われたけれど』
「可愛いものじゃないか。下世話なスキャンダルに悩まされる時の方が、考えただけでも辛い。君からそういう報告を受けることはなさそうだけれど」
『セクハラだー。コンプライアンス担当に情報提供していい?』
気を持ち直したのか、ごまかしたのか。ライカはいつものように冗談を飛ばす。
「それは困るなあ。君たちのライブを観られなくなる」
『そうだね。私のラストライブ……観なかったら絶対後悔させる』
ライカは少しかすれた声音で、言った。
微かに漏れた感傷には触れず、タカローはいたって軽い調子で答える。
「そうだね。本当にラストライブなら、僕は悔やんでも悔やみきれないだろうな。ああ、もちろんラストじゃなくても見逃したら後悔はするよ?」
『……まだ何かを信じてるの』
「おいおい、君は今まで何の話を聴いてたんだ?」
『妄想のお話』
タカローは大げさに、スピーカーの向こうまではっきりと聞こえるように「はあぁーっ!」と溜め息を吐いた。
それから吐き切った酸素を大きく吸い込む。肺活量の限界を超えて、世界を取得する。
社長室に染み付いた自身の匂い。扉の向こうに伸びる通路、会議室で白熱した企画の火花の香り。練習室に飛び散る熱意の欠片たち。そしてスタジオに降り積もった瞬間の煌めき。
株式会社プリズムヴィジョン。その、世界に刻んできた軌跡にくゆる残り香。
――大丈夫だ。僕は、僕を信じよう。かつて僕を信じてくれていた、ライカを信じよう。
「弊社には優れた“アイドル”たちが在籍している。遠久野ライカ――プリズムを舐めんなよ」
息を呑む音が響いた。
目を丸くしている様子が脳裏に浮かぶ。残念なことに浮かんだのは子供の頃の顔だったが。
あの完璧超人に一泡吹かせることぐらいは出来ただろうか。
『…………、誰かが、私の想像を越えてくると思ってる?』
ライカは、誰も自身を捉えられずに明日、引退してしまうことになるだろう予感をあくまでも信じている。
そして大変遺憾ながら、それは九十九パーセント以上の確率で達成されるであろうと、タカローも予測していた。
だが、しかし。
一〇〇パーセント――確定していないのなら。
「当然だろ? 僕と君たちが選んだ“アイドル”の原石たちだ」
『これほど長い間触れ合っていた原石の中に二億分の一が紛れ込んでいて、私たちはそれに気付かなかった節穴揃いってコト。さすがにそれは、都合の良い解釈じゃない』
「輝くには条件を満たしてやる必要がある。これ以上ない舞台だと思うが、いかがかな」
『私にとってはそうだけど、他の人にとって相応しい舞台かは同意しかねる、かな。そう簡単に私のイマジナリースペースとやらを超越出来るとは思えない』
「頑なだねえ、未知をもっと楽しみたまえよ。いいかい?」
タカローは――鷹詰貴朗は、魂からの言葉を謳う。
「奇跡は、想像の外からやってくる。全てを予期しているだなんて思い上がりは捨てるんだね」
極めて鋭い声による教示に、
『……いつになく強い言葉を使う。生憎、私のこれに関してはずっと裏切られ続けてきたから。タカローの言葉なんか……信じられないよ……』
ライカは反発しながらもどこか弱さを感じさせた。
「僕の言葉なんか信じなくてもいいさ。どちらにせよ、結果はすぐに出る。この年齢になって黒歴史作ってしまったと赤っ恥を掻くのは君であると、僕は
『外れたら……?』
「掛け金は外れてから好きに徴収してくれ。当たる方に
『……そ。考えとく』
簡素な返事を最後に、スマホの画面は通話が切れたことを示す。
思いの外、長くなってしまった。
気の抜けない通話が終わると同時になんだか腰が重くなって、いつの間にか前傾になっていた身体を椅子に深く沈める。
ラスボスとの前哨戦を終えたばかりのタカローに、しかし秘書は厳しかった。
「社長。ヘタレてないで指示を出していただけますか。やるならやるで、夜を徹して動かなければなりませんから。社長が顔も見たことのない人たちが」
「露悪的にプレッシャーかけるの止めてくれない? 泣いちゃうよ?」
「社長が泣く程度で丸く収まるのであれば、水分補給用のペットボトルをダースで用意いたします」
「どんな時でも君は僕に厳しいね……」
タカローは肩を落とすと、情報収集に使っていたノートパソコンを手前に引き寄せた。メーラーを立ち上げて、適当な文章を探っていく。
ふと、深夜に相応しく芳ばしい香りが鼻を突く。
いつの間にやら秘書がコーヒーを脇に用意してくれていた。優しさなのか、それとも馬車馬の如く働けやというメッセージなのか、いまいち判別がつかないのは日頃の行いか。
意識をそちらに持っていかれて、そういえばと現在時刻に視線を向ける。
気が付けば、日が変わってしまっていた。
「こんな時間にメールを送ったところでみんな気付くか……?」
ぼそりとそう呟くと、秘書が「ごほん」と咳払いをした。
「社長がGOを出せば、後は諸々進めていただく手筈になっています。一部の統合運営部長は文句を垂れていましたが、概ね了承を得ておりますので
「なんか今、副音声が聞こえなかった!? というか、僕を無視して色々進めてたってことっ」
「気のせいですよ、社長。どうせ最終的には開催に舵を切るなんて予想していませんでしたとも」
「……ありがたいんだけど、どうやってみんなを説得しようか必死に今考えてた僕がバカみたいじゃないか?」
「バカでは?」
率直な物言いにタカローは閉口した。
秘書は淹れたてのコーヒーを手に取り、
「それ、僕に淹れてくれたんじゃないんだ……」
「バカな社長に付き合った自分へのささやかなご褒美です」
風呂上がりの牛乳の如く、ゴクゴクと一気に飲み干してしまった。熱くないのだろうか。
別に飲みたかったワケでもないからな、と自分に言い訳をしておく。少しだけ心の奥が寒い。
意趣返しのために口を開く。
「一応、これでも君の雇い主なんだけど」
秘書は可愛らしく小首をかしげた。
「雇い主とバカは相反しませんよ?」
「発言に配慮が足りないという指摘なんだよね」
「ご自身にとって替えの効かない唯一無二を失うかもしれない場面で、ぐだぐだいじけてる方なんてバカでよくありませんか」
「それはそうなんだけどオブラートに包んでもらえると嬉しいよ、僕は」
「ケツを蹴飛ばされてようやくの方には他に処置なし」
お手上げのポーズを取られているのを横目に、タカローは座り心地の悪さを感じながらメールを発信した。
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