クソ映画

なりた供物

クソ映画

「ありがとう…僕はかえでのこと…とってもとっても愛している…付き合ってくれ…」


「ごめんねたける。わたし、タケシと付き合っているの…」



クソ映画だった。

有名な監督、その監督がこの作品のために立ち上げたスタジオ、初めての純愛作品、「三角関係と呼ぶには、あまりにも美しすぎた。」というキャッチコピー。とても興味がそそられた。両親は厳しいので月のお小遣いは1000円。必死に貯めた、なけなしの1500円でその映画を1人で見に行った。中学3年の思い出。


創作をしているとは思えないほどのアングルの下手さ、純愛とはとてもかけ離れた本編。汚すぎる三角関係。30分でスマホを触り始める客が出始める始末。


さらに具体的に言えば、冗長なセリフ回し、主人公の女性と彼女を取り囲む2人の三角関係の立場の変わり方。好意を寄せられているのにうっかり生徒会長になっちゃうタケシ、女友達の傘を他の女に平気な顔して貸すたける。そしてそれを見て見ぬふりをするタケシ。ヒロインにありがとうと言われて素直に喜ぶたける。


ごっちゃになる名前。


そして最後の告白のシーンは最悪のさらに上を行った、バッドエンドが嫌いなわけではない、しかし、"純愛"映画でかますのがこの監督。タケシとだんだん上手くなり始める描写が増えて、これは何か最後に怒涛の伏線回収&たける怒涛の攻めを見れると思っていたが、怒涛の何もなし。怒りだけはある。


とにかくこれは、"クソ映画"だ。しかし、作中の描写でわたしの夢を1つ思い出させてくれた所は高評価できる。


私は山坂鳴亥(やまさか めい)。これから大監督になる女だ。


15年後、私は監督として"純愛"映画を撮る事になった。


まだ監督としてはB級映画しか撮っていない。アングルに関してはまだまだ改善の余地がある。ここは自分の感性には任せずプロに任せよう。リテイクも最小限にとどまる事によって、俳優たちが脚本から感じた"印象"というのを大事にしよう。


テーマは純愛だ。ちゃんと純愛をしていなければいけない。しかし、あのクソ映画が過ぎる。あの監督は純愛の意味を履き違えている。純愛は肉体関係がないのは当然の事、そういう邪なことも一切考えていないような、そういう映画でなきゃいけない。ひたむきに、好きな3人の三角関係だ。美しい。


主人公の名前は未来(みく)。予測不可能は純愛に相応しい名前だろう?

くっつく方の男子は、観成(みせい)。未来を作っていくという意味や、観察力に優れているという彼の長所を描いた名前だ。

そして、くっつかない方の男子は、巳央(みおう)。未来の中心にいるように、という名前だ。あと私の本名に十二支から取った"亥"(いのしし)があるから、巳(へび)とかけてみた。とても気に入っている。


伏線や伏線に見える描写もたくさん用意した。そして、彼らはクラスの人気者で、まず他人に嫌われるような描写をしない。いわゆる聖人だ。そういう人間同士が未来を見ると本気で奪い合いをする、面白いな。間違いない。いい作品が撮れる。


そして最後は観成が川で溺れている犬を助ける。それを観た巳央が、未来から手を引いて2人はくっついてハッピーエンドだ。これこそ"純愛"。このあっさり具合も純愛らしい終わり方でもある。とてもいい。間違いない。あの"クソ映画"を見てから自分の力で"完成された純愛映画"を作る事ができた。

彼への皮肉も込めて、キャッチコピーは、"これこそが、本当の純愛。"に決めた。完璧だ。みんな喜ぶ神映画の完成、だ。



クソ映画だった。

新人監督、その監督がはじめて大きなスタジオとタッグを組んだ、初めての純愛作品、「これこそが、本当の純愛。」というキャッチコピー。とても興味がそそられた。両親は厳しいので月のお小遣いは1000円。必死に貯めた、なけなしの1500円でその映画を1人で見に行った。中学3年の思い出。


創作をしているとは思えないレベルのアングルの不安定さ、純愛という言葉に取り憑かれたような本編。美しいというよりかは消えかかっている三角関係。30分でスマホを触り始める客が出始める始末。


さらに具体的に言えば、伏線を敷きすぎたが故の異常に冗長なセリフ回し、果たして最初から三角関係が成立していたのかが疑わしいほどの全員の立ち回り。ミク、ミセイ、ミオウ、全員がモテるにも関わらずこの三角関係に執着しすぎている怖さ。


ごっちゃになる名前。


そして最後の告白のシーンは最悪のさらに上を行った、最後は男同士で争う、のが嫌いなわけではない、しかし、"純愛"に取り憑かれているこの監督。めちゃくちゃミクと上手くやるミセイ。一方特に人間観察が好きな割には邪なことを考えているわけでもないし両者の間に割って入るような野心もないミオウ。

しかし事前のインタビューで伏線はそこそこ引いていると言っていた監督。これは何か最後に怒涛の伏線回収&ミオウ怒涛の攻めを見れると思っていたが、伏線を閑話で敷いて閑話で回収する監督、犬を助けるのを見ただけで諦めるミオウ。私の怒りだけはある。


とにかくこれは、"クソ映画"だ。しかし、作中の描写でわたしの夢を1つ思い出させてくれた所は高評価できる。



私は川水流 子々(かわずる ねね)。これから大監督になる女だ。



クソ映画 おわり

※この作品はフィクションです。

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